凍結した地獄の底から、死臭を含んだ冷たい風が吹き荒れた。 崖上で、呆然と立ち尽くしていた蝦夷の兵たちが、悪夢から覚めたように弓を引き絞る。「射かけろっ! あの化け物を生かしておくな!」 恐怖を裏返した怒号と共に、数十本の矢が放たれた。 狙いは正確無比。氷の庭園となった『蛇の窪』の中央に佇む、純白の男――玄明親王の心臓へと殺到する。 だが、鏃が男の皮膚に届くことはなかった。 彼が視線を向けただけで、周囲の大気が不可視の硝子壁となって渦巻いたのだ。 カラン、と乾いた音が虚しく響く。 矢はまるで、見えざる巨人の手で無造作に払い落とされたかのように、男の足元へ無力に転がった。「……ばかな」「矢が、届かない……?」 戦慄する兵たちを見上げ、玄明が口を開いた。 距離は離れている。風も吹き荒れている。それなのに、その声は瑞礼の鼓膜の裏側で囁かれたかのように、冷たく、明瞭に響いた。「……抵抗など無意味だ。俺は、お前たちに興味などない」 淡々とした、平坦な声だった。 戦場に似つかわしくない、感情の欠落した響き。そこには、殺戮者としての愉悦も、敵への憎悪も存在しない。ただの現象としての音があるだけだった。「この地を明け渡せ。そうすれば、これ以上の氷結は止まる」 その言葉に、瑞礼は眉をひそめた。 内容は降伏勧告だ。だが、その響きには、侵略者が持つはずの熱が欠けていた。 土地への渇望も、黄金への執着も、勝利への驕りさえもない。まるで、誰かに書かれた台本を、意味もわからず読み上げているかのような空虚さ。 瑞礼の背筋を、奇妙な悪寒が走る。 この男は、蝦夷を憎んでもいなければ、この地を欲してもいない。ただ「そうしろ」と命じられたから、呼吸をするように圧倒的な力を行使しているだけなのかもしれない。 その事実が、どんな殺意よりも不気味で、恐ろしかった。 だが、血気に
Last Updated : 2026-02-12 Read more