――ここで暴れればいい。 緋宮の中の龍が耳元でそう囁く。都の殿など、ひと息で吹き飛ばせる。石室も井戸も、水も人も、すべてまとめてひっくり返すことなど、造作もない。 瑞礼の血の匂いがまだ温かいうちに、胸を貫いた刃ごと、その手を握っている者ごと、天へ叩き返してやればいい。 緋宮は指先に力を込めた。縁の板がめり、と鈍い音を立てて陥没する。木のささくれが手のひらに深く食い込んだが、痛みなど感じなかった。 だが、風はまだひとつの境から出てこない。 瑞礼と交わした言葉が、緋宮の足を留めている。“守るための理”が、今緋宮自身の喉元に刃を当てている。――ここで暴れれば、どうなる。 御所はまず潰れる。大王も中臣も、僧も陰陽師も、皆ひとしく水と土と血の泥に沈む。都の屋根は剝がれ、街路は水に呑まれ、人々は龍を呪いながら死ぬ。 龍ノ淵も、無事では済まない。 都が龍を呪い返すとき、その呪詛は淵を伝って御山へも届くだろう。里は再び『厄を鎮める地』と見なされ、別の形の贄が求められる。瑞礼のような者が、またどこかから引きずり出される。 それでは結局、“守るために滅ぼす理”が、形を変えて続くだけだ。 瑞礼が自分の足で淵へ向かったのは、その輪を断つためのはずだ。 あの夜、龍ノ淵で、こちらを見て、「あいだに立つ」と言った。あの目の中に宿っていたものを、緋宮は知っている。 ここで自分が暴れれば、その意地を、瑞礼の覚悟を、緋宮自身が踏みにじることになる。 それでも、暴れたかった。胸の奥で龍が牙を剝いている。背骨が軋み、肩甲骨のあたりから、透明な翅が生えてきそうな激痛が走る。池の水面が再びざわりと波立った。「……馬鹿野郎が」 緋宮は低く呟いた。それは瑞礼に向けた罵りであり、同時に、無力な自分自身へのものでもあった。――どうして、呼ばなかった。どうして、「助けてくれ」と一言、言わなかった。――言ってくれさえすれば、理などどうでもよいとばかりに、この都ごと吹き
Última atualização : 2026-01-08 Ler mais