――夢の底で、声を聞いた。「必ず、戻る――」 音のない雪の闇で冷たい指がそっと手をかすめ、そのぬくもりを掴もうとした刹那、世界はほどけ、朝の色がまぶたを照らした。 北辺はまだ奥州と呼ばれることもなく、ただ蝦夷の地として息づいていた。* * * ――鈴の音が霧の向こうでかすかに揺れた。風は声を持たず、ただ若草を撫でて過ぎる。朝靄の底では誰かが名を呼んでいた。水の匂いが鼻先をかすめ、遠くで岩肌が光を返す。 世界は灰と翠のあわいに溶け、音という音が夢の名残のように柔らかかった。 目を開けると霧は白金の光を孕み、土の匂いと樹々の吐息が肌に触れる。露を帯びた岩が鈍く光り、若芽の縁にだけ柔らかな陽が落ちていた。 ――瑞礼は霧に濡れた草の上でゆるやかに身を起こした。春の空気は冷たいのに、どこか懐かしい匂いがあった。――いつか、夢の中でこの風を吸った気がする。 衣は麻の粗衣、腕には藁で編んだ守り紐。周囲には祭祀に使われる石柱が円を描き、その中央に彼は横たわっていた。 霧の奥で鹿の声が一度だけ響き、すぐ静寂が戻る。鳥の影はなく、風は息を潜めている。 ここは飛鳥の遙か北方、御影山の麓に拓かれた蝦夷の里。海より吹く冷たい風が雲を巻き、山の稜線は常に白い靄に覆われている。 この地では山の奥に古き異種が棲むと伝えられてきた。里人はそれを「御影の主様」と呼び、飢饉や疫が訪れるたび山へ祈りを捧げる。 だが、その姿を見た者はいない。夜半に風が哭く折、頂で光が蠢く――ただ、それだけが語り継がれてきた。 それは畏れと共に、この地の信仰の核だった。 ――龍神。 その名を口にすることすら、穢れとされる。 胸の奥にはまだ夢の残り香が漂う。雪のように白い帳、冷たい水の匂い、そして――誰かの手のぬくもりと、名を呼ぶ声。 だがそれを掴もうとした瞬間、記憶は霧にほどけて消える。何かを思い出しかけている。けれど、それが
Huling Na-update : 2025-11-15 Magbasa pa