どれほどの時が経ったのか分からなかった。時間の感覚がほどけ、足だけが勝手に動き始めていた。 瑞礼はふらりと湖の畔に立つ。 龍ノ淵は、深く沈む壺のような地形をしていた。四方の岩は切り立ち、登れそうな道はどこにもない。上を仰げば、遥か頭上にかすかな光が揺れている。だがその光はあまりにも遠かった。 湖の水面は静かだった。薄氷のような膜がまだところどころに残り、そこに映る光が、震えては消えていく。風もなく、音もなく、ただ水の気配だけが生きている。 瑞礼は膝を折り、しばらくその場に膝をついた。足元には冷たい水の音が満ち、洞の空気が胸の奥まで沁みてくる。 生きて帰る道はない。そう思った途端、足首から血の気が引き、指先の感覚が遠のいた。心が静かに凍りついた。 ふと、目を横にやる。岩の陰に、黒ずんだ灰のようなものがあった。 近づいてみると、それは古い焚き火の跡だった。灰の中には、朽ちかけた骨の欠片のようなものが混じっている。瑞礼は息を呑んだ。 ――瑞礼以外にも、かつてここに誰かがいたのだ。炎が灯され、祈りが捧げられ、そして消えた。 その光景を想像しただけで、胸が締めつけられる。指先で灰をつまむと、小さな骨の欠片が爪に触れた。ここで火を起こし、光を頼りに、誰かが夜を凌ごうとしたのだろう。やがて火が絶え、祈りも途切れたのだと、灰の冷たさが物語っていた。 瑞礼は目を閉じた。里の景色が浮かぶ。朝靄に煙る山並み、揺れる稲穂、焚き火の匂い。そして――瑞白の泣き声。濡れた睫を震わせながら、袖を掴んで離さなかった小さな手の感触。 胸の奥が痛んだ。あの声を、二度と聞くことはできないのだろうか。 誰も呼ぶ者のいない場所で、己だけが取り残されている。孤独が冷たい霧のように心の隙間を満たしていく。それでも、自分はまったくの空身でここへ来たわけではなかった、と遅れて思い当たる。 瑞白から手渡された白い花。指先で探ると、まだその形を保ち、かすかに香っていた。冷たい洞の中で、その匂いだけが温かかった。「せめて……この花だけでも」 瑞礼は呟き、ゆっくりと湖から坂を登った。水晶の光が淡く地を照らしている。壁のあちこちから滴る雫が光を吸い、細い糸のように流れ落ちている。その光景はまるで天から落ちる涙のようだった。 その光の下の柔らかな土を見つけ、指先で掘る。
Huling Na-update : 2025-11-25 Magbasa pa