夜風は生ぬるく、街の音が遠くで滲んでいた。店を出た二人は、並んで歩き出した。口を開くこともなく、互いの足音だけが舗装された歩道にかすかに響く。周囲の街灯が等間隔に灯っていて、歩くごとに二人の影が交差しては離れていく。居酒屋を出た瞬間、ほんの少しだけ空気が湿っていた。雨が戻りかけている。空を見上げると、色を失った雲が流れているのが見えた。晴臣は、何度も言葉を探していた。何か話さなければと思いながら、それが何かはわからなかった。岡田の横顔は、普段と変わらないようにも見えたし、何かを押し殺しているようにも見えた。そんな曖昧な表情を、晴臣は今まで一度もまともに見たことがなかった。会話はなかった。でも、沈黙が苦痛というわけでもない。不思議な静けさだった。心臓の音が耳の奥で小さく響き、それが妙に鮮明だった。ふと、ぽつり、と何かが頬に当たった。上を見なくても、雨が降り始めたことがわかった。粒は小さく、すぐに乾いてしまいそうな程度だったが、確かに濡れた感触が肌に残った。次の瞬間、視界に傘が差し込まれた。岡田が、無言で右手に持った傘を晴臣の頭上に差し出していた。手元に力みはない。自然な仕草だった。それでも、肩が触れそうな距離に岡田の体温が近づいたことに、晴臣は息を止めそうになった。何も言えなかった。ただ、小さく頭を下げて、傘の内側に身を寄せた。岡田の肩が軽く触れた。無言のまま、二人はまた歩き出した。傘の内側には、雨音すら届かないほどの静けさがあった。狭い空間。閉じ込められた湿度。温度は高くないのに、なぜか肌が熱を帯びている気がした。そのうち、晴臣は傘の角度を少しだけ調整した。岡田の肩がもう少し濡れないように、ほんのわずか、傘を左に傾ける。わざとらしくない程度に、ごく自然な動作で。岡田は何も言わなかった。だが、その無言の気配が、確かに何かを受け取ってくれているように感じた。住宅街の角を曲がり、歩道が狭くなる。晴臣の住むマンションが近づいてきた。もうすぐ、この距離が終わる。そのことに
Huling Na-update : 2025-11-14 Magbasa pa