Lahat ng Kabanata ng そのネクタイ、俺が直してもいいですか?~ズボラな課長のくせに、惚れさせるなんて反則だ。: Kabanata 31 - Kabanata 40

60 Kabanata

31.熱のある、沈黙

夜風は生ぬるく、街の音が遠くで滲んでいた。店を出た二人は、並んで歩き出した。口を開くこともなく、互いの足音だけが舗装された歩道にかすかに響く。周囲の街灯が等間隔に灯っていて、歩くごとに二人の影が交差しては離れていく。居酒屋を出た瞬間、ほんの少しだけ空気が湿っていた。雨が戻りかけている。空を見上げると、色を失った雲が流れているのが見えた。晴臣は、何度も言葉を探していた。何か話さなければと思いながら、それが何かはわからなかった。岡田の横顔は、普段と変わらないようにも見えたし、何かを押し殺しているようにも見えた。そんな曖昧な表情を、晴臣は今まで一度もまともに見たことがなかった。会話はなかった。でも、沈黙が苦痛というわけでもない。不思議な静けさだった。心臓の音が耳の奥で小さく響き、それが妙に鮮明だった。ふと、ぽつり、と何かが頬に当たった。上を見なくても、雨が降り始めたことがわかった。粒は小さく、すぐに乾いてしまいそうな程度だったが、確かに濡れた感触が肌に残った。次の瞬間、視界に傘が差し込まれた。岡田が、無言で右手に持った傘を晴臣の頭上に差し出していた。手元に力みはない。自然な仕草だった。それでも、肩が触れそうな距離に岡田の体温が近づいたことに、晴臣は息を止めそうになった。何も言えなかった。ただ、小さく頭を下げて、傘の内側に身を寄せた。岡田の肩が軽く触れた。無言のまま、二人はまた歩き出した。傘の内側には、雨音すら届かないほどの静けさがあった。狭い空間。閉じ込められた湿度。温度は高くないのに、なぜか肌が熱を帯びている気がした。そのうち、晴臣は傘の角度を少しだけ調整した。岡田の肩がもう少し濡れないように、ほんのわずか、傘を左に傾ける。わざとらしくない程度に、ごく自然な動作で。岡田は何も言わなかった。だが、その無言の気配が、確かに何かを受け取ってくれているように感じた。住宅街の角を曲がり、歩道が狭くなる。晴臣の住むマンションが近づいてきた。もうすぐ、この距離が終わる。そのことに
last updateHuling Na-update : 2025-11-14
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32.雨上がりのグラス越しに

バーの扉を開けた瞬間、少しだけ湿った空気が迎えてきた。雨上がりの夜気が入り込んで、店内に籠っていたアルコールと木材の匂いが、わずかに揺れた。岡田が前を歩きながら、ちらりと振り返る。「ここ、前から気になっとってん。静かでええやろ」「ええ、まあ」そう返しながら、晴臣は入口の上に取り付けられた小さな看板を見上げた。無骨なフォントで“Bar Clove”と書かれている。灯りは淡く、看板の縁から雨の名残りがぽたぽたと滴っていた。店内はL字のカウンター席が中心で、奥には小さなテーブル席が二つ。間接照明が作る陰影が落ち着いた空間を演出している。ジャズが低く流れ、氷を割る音が時折その旋律に溶け込むように響いた。二人はカウンターの角に腰を下ろした。晴臣がネクタイを緩めると、岡田はすでにスーツのボタンを外して、腕を組んでいた。「ハイボール、濃いめで。晴臣は?」「同じので」バーテンダーが軽く会釈して、手元でグラスを冷やし始める。カウンターに並べられたボトルの影が、ランプの灯りに照らされて長く伸びている。雨は止んだらしい。けれど店の外を吹き抜ける風はまだ湿気を帯びていて、襟元に少しだけ重たさが残っていた。「やっぱ、金曜の夜は酒がうまいわ」岡田がそう言ってグラスを口に運ぶ。氷がグラスの内側で音を立て、液面がふるふると揺れる。喉が上下し、強めの炭酸を飲み下す音が小さく響いた。晴臣もそれに続いた。グラスを持ち上げると、外側にはうっすらと水滴が浮いていて、指にぬるりとした冷たさが移った。口に含むと、強めのアルコールと炭酸が舌に刺さる。「今日はほんま、晴臣さまさまやな。あのプレゼン、マジで助かったわ」「……岡田課長がちゃんと資料読んでくれたおかげです」「読んだっちゅうか、頭に叩き込んだんや。何度もな。俺、案外努力型やねんで」晴臣はグラスを傾けながら横目で見る。岡田の目元は、口調ほどの軽さはなかった。笑ってはいたが、まぶたの奥にある何かが、妙に鈍く見えた。「課長
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33.肩先に、重さが落ちた

店を出ると、湿った夜気が頬に張りついた。雨は止んでいたが、地面にはまだ水が残っていて、街灯が水面に滲んで映っていた。晴臣は何気なく時計を見た。22時を少し過ぎたところ。店内のアルコールの匂いがまだ鼻腔に残っている。さっき飲み干したハイボールの炭酸が喉の奥でまだじくじくと残っていて、言葉を発するタイミングを遅らせた。「タクシー、拾いましょうか」振り返ると、岡田がふらりと首を傾けていた。ネクタイを緩めたまま、上着を片手で肩に引っかけ、手にはスマートフォンを握っている。「いらんいらん。歩く」「けっこう距離ありますよ」「歩くほうが酔い、冷めるねん」晴臣が口を開くより早く、岡田はふらりと歩き出した。コンクリートに濡れた靴底が貼りついて、鈍く小さな音を立てる。仕方なく並ぶ。無理に距離を詰めたわけではないのに、自然と肩が近かった。少し意識すると、あえて距離を取るのがぎこちなくなる。そうして歩幅を合わせるうちに、岡田の肘がわずかに晴臣の腕に触れた。酔っているのは確かだ。さっきより歩き方が崩れていて、重心の取り方が不安定になっている。けれど、言葉を濁すような酩酊ではない。どこか、感覚だけが研ぎ澄まされているような――そんな酔い方だった。「さっきさ」岡田が、不意に口を開いた。「言ったっけ。俺、あんたと飲みに行くん、ちょっと楽しみにしてた」「そうですか」「せやから、今ちょっと嬉しい」岡田の声は、普段より半音低く、そして柔らかかった。語尾がわずかにほどけていて、音だけで感情の濃度が伝わってくる。「…酔ってますね」「そら、飲んだからな」そう言って笑った顔が、街灯の光に照らされた。夜気の湿度を含んだ空気が肌の表面をじわりと覆っていて、岡田の頬がうっすら赤みを帯びているのがわかる。歩道は細く、両脇の建物から漏れる光と、車道を走る車のヘッドライトだけが夜を照らしていた。水たまりに映る街灯の明かりが、二人の影を時折歪めた。晴臣は、岡田の様子を横目で気にしていた。
last updateHuling Na-update : 2025-11-16
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34.夜道と灯りの途中で

玄関のドアを開けた瞬間、晴臣の部屋に夜の空気が滑り込んだ。冷えはなく、雨上がりの湿気がほんのりと残っている。それでも室内は、外の騒がしさとは切り離された静けさを湛えていた。「足元、気をつけてください」振り返ったときにはすでに遅く、岡田はスーツのジャケットを手に持ったまま、片足で靴を脱ごうとして軽くバランスを崩していた。「わっ…と」「ちょ、危ない」反射的に腕を伸ばして支えた。岡田の体がふわりとこちらに倒れかかる。肩と背中に触れた瞬間、ジャケットの生地越しに感じたのは、予想よりも高い体温だった。「すまん」「いえ、大丈夫です」晴臣は岡田をまっすぐ立たせ、靴を揃えて上がらせる。その間、岡田は無言で、けれどどこか照れ隠しのような笑みを浮かべていた。室内は無音だった。テレビもつけていなかったし、換気扇も止めたままだ。カーテンは半分だけ閉じてあり、そこから漏れる街灯の明かりが、床にぼんやりとした影を描いている。湿気を含んだ空気がカーテンの裾を揺らしていた。「そこ、適当に座っててください。タオルと水、持ってきますから」岡田は頷いた。リビングの隅にあるソファを通り越し、まるで重力に引き寄せられるように、床にへたり込む。長時間履いた革靴の跡が、足元のフローリングに微かに残った。晴臣がキッチンへ向かう間にも、部屋は静寂を保っていた。グラスに水を注ぎ、タオルを濡らして絞る。蛇口の音が妙に大きく響く。心拍数が上がっているのかもしれない。自分でも理由ははっきりしていなかった。戻ると、岡田の姿が視界に入った。ソファにもたれるようにしていたはずの体は、いつの間にかベッドの端に移動していた。シャツのボタンが上から二つ開いていて、ネクタイはどこかに脱ぎ捨てられている。肌が露出した喉元が、街灯の光を受けて淡く照らされていた。「……寝てる?」小さく声をかけたが、返事はない。グラスをテーブルに置き、タオルを手に歩み寄る。岡田は、ベッドに仰向けのまま脱力していた。片腕は額の上、もう一方は体の横に
last updateHuling Na-update : 2025-11-17
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35.触れた指、重なった熱

部屋の静けさが深くなる。その中心に、岡田は横たわっていた。ベッドの上、シャツのボタンは半分ほど外れ、胸元があらわになっている。照明を落とした室内は、街灯の光に照らされ、ほんのりと青白い。カーテン越しの明かりが、岡田の喉元にやわらかく落ち、肌の上に光の帯を描いていた。シャツの生地が少しめくれ、左胸のあたりが露わになる。布の皺と、肌の滑らかさが対照的で、その無防備さに、晴臣は息を飲んだ。歩み寄る。けれど足取りは鈍い。ひとつひとつの動作に、深く慎重な呼吸が混じる。手に持ったタオルを置こうとして、指がふとシャツの端に触れた。汗はない。けれど、肌からじかに立ち上る熱が、指先に滲んでくる。少し、ボタンを留めてやろうと思った。それだけの、ささやかな行為のはずだった。けれど、その手を取られた。岡田の指が、そっと晴臣の手を握る。温度を帯びた皮膚と皮膚が触れた瞬間、思考がごく小さな音を立てて崩れる。指が、絡んだ。岡田の手が、そっと動いて、晴臣の手のひらを包む。「……岡田さん」言葉にすることで、自分の気持ちを押しとどめたかった。だが、岡田は何も言わなかった。ただ、握った指を離さず、そのまま引き寄せるように、もう片方の手を伸ばした。その手が、頬に触れた。右の頬を、やわらかく撫でるように。冷たくもなく、熱すぎもしない掌が、肌にそっと沿う。晴臣は視線を下げた。見てしまえば、何かが決壊してしまいそうだった。けれど、見た。岡田の目は開いていた。まっすぐ、こちらを見ていた。光の薄い室内で、それは余計に静かな熱を放っていた。逃げ場のないような視線。でも、押しつけるような強さはない。むしろ、その奥にあったのは、どこか…脆さに似たものだった。「…俺、拒んでへんよ」掠れた声が、そっと空気を揺らした。耳の奥にその言葉が落ちて、心臓がきゅう、と縮まる。
last updateHuling Na-update : 2025-11-18
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36.選ばなかった夜

ベッドの上に、ふたりの熱が残っていた。シャツのボタンにかけられた晴臣の手が、小さく震えていた。岡田の身体の上に半ば覆いかぶさるようにして、肩で呼吸を繰り返す。どこかに引き戻さなければ、すぐにでも、制御が外れてしまいそうだった。絡めた指は、まだ離れていない。岡田の手が晴臣の手を、優しく、まるで呼吸に合わせるように包んでいた。唇は離れたが、その余韻がまだ互いの皮膚に残っていた。柔らかく触れた場所が、少しだけ熱を持っている。晴臣の視線は、岡田のシャツの襟元を捉えていた。布の白が、街灯の光にほのかに照らされている。ボタンが外れたまま、乱れた布地が胸元を露わにしていた。その先にあるものに、手が届く位置にいる。けれど、晴臣の指は、布を握ったまま止まった。シャツを開ける寸前、わずかに吸い込んだ息が、思いと反対に手を止めさせた。一瞬の間。その沈黙の中で、晴臣は小さく頭を垂れた。岡田の肩に額を預けるようにして、唇を開く。「……抱きません」その言葉は、自分の胸の内に沈んでいたものを、そっと解放するように落ちていった。岡田のまつげがわずかに揺れた。目を開ける。けれどそこに驚きはなかった。夜の静けさが、ますます濃くなっていく。カーテン越しに揺れる光が、シーツの皺に沿って斜めに落ちていた。ふたりの間に生まれた熱を、そっとなぞるように。晴臣は、唇を湿らせてから、続きを言った。「遊びじゃなくて……ちゃんと欲しくなるかもしれないから」言ってから、肩が僅かに震えた。それは、欲望を止めたことによる苦しさか、それとも解放か、自分でもはっきりしなかった。岡田は何も言わなかった。ただ、目を閉じた。拒まれたわけではなかった。その表情は、むしろ何かを受け入れるように静かだった。その沈黙が痛いほど優しく、晴臣は目を閉じる。ふたりの間に、吐息と鼓動だけが残された。岡田の胸元、汗
last updateHuling Na-update : 2025-11-19
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37.濡れた足音と、静かな待ち人

本社ビルの自動ドアが開くたび、冷房の効いた空気の中に、雨上がりの匂いがふっと混ざった。アスファルトに残る水たまりが、わずかに外気を引き入れ、足元を濡らすような錯覚すら覚える。晴臣は、左手にホルダーを下げながら、エントランスに入った。岡田はすでに数歩前を歩いており、ネクタイの端がわずかに傾いている。その形に、指先がぴくりと反応したが、整えるにはタイミングが早すぎた。ガラス張りのロビーには、午前十時を回ったとは思えないほどの静寂が漂っていた。受付横のベンチには、ひとりの男が座っている。シンプルなジャケットにスラックス。服装には派手さはないが、袖口や靴にさりげなく滲む質感が、安物ではないことを伝えてくる。晴臣が無意識に目線を送ったその瞬間、その男がゆっくりと立ち上がった。すらりとした長身。猫背気味だが、どこか節度のある姿勢。顔立ちは端正で、目元にかかる前髪が影を落としていた。その視線が、岡田を捉えた。岡田は歩みを止めた。ほんの数秒、何かを確認するように相手の顔を見つめたあと、かすかに目を伏せた。その沈黙の空白に、晴臣の胸がざわついた。岡田は誰にでも分け隔てなく接する。それはある意味で無頓着とも言えるが、それでも、ああいう沈黙は見たことがない。沈黙の中、岡田が口を開いた。「……日高」その声は、低く、抑えたものでありながら、なぜか音だけが異様に耳に残った。日高と呼ばれた男は、微笑みながら一歩前に出た。「久しぶり。変わってないね、岡田くん」その声もまた、静かで穏やかだった。関西訛りをほとんど感じさせない発音。けれど、語尾に残るわずかな音の揺れに、過去の名残のようなものが滲んでいた。晴臣は、思わず岡田を見た。けれど、岡田はその視線に応えることなく、日高の方だけを見ていた。日高の目は細く、少し笑っているようにも見える。それなのに、その微笑にはどこか不安定な温度があった。「ごめんね、いきなり来て。出張ついでに、ちょっとだけ顔が見たくなって」言葉だけを取れば、軽い挨拶に
last updateHuling Na-update : 2025-11-20
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38.初めまして。でも、僕は知ってる

晴臣は応接室のドアに手をかける前、一瞬だけ後ろを振り返った。廊下の奥に立つ岡田の姿が視界の隅に映る。その隣には、先ほどロビーで出会った男――日高蓮が並んでいた。廊下には静かな冷気が漂っている。建物全体がひんやりしているせいか、手に持っていた資料の角が微かに湿っているように思えた。岡田は視線を落とし、日高はそれを斜め上から覗き込むように立っていた。ふたりの間には言葉がなかったが、沈黙すら会話に見えるほどの空気があった。晴臣がもう一度ドアノブを握り直したとき、軽い足音が背後から近づいてきた。「牧野さん」その声は、思っていたよりも近くから聞こえた。振り向くと、日高が自然な動作で歩み寄っていた。手にはすでに名刺を用意している。差し出されたそれは、角まできっちり揃った新品の名刺だった。手の甲には目立たない細い血管が浮いていて、爪はきれいに整っている。晴臣は軽く頭を下げて、それを受け取った。「改めて。日高蓮といいます。大阪で広告代理店に勤めてます。今日はちょっとした顔合わせで…東京本社の雰囲気を、久々に見に来ました」日高の声は落ち着いていて、語尾には柔らかな抑揚がある。完全に関西訛りを消しているわけではないが、それがむしろ自然で、違和感よりも柔らかい印象を与えていた。だが、晴臣はその丁寧さの奥に、微かにひっかかるものを感じていた。笑っているのに、どこか目が笑っていない。名刺を差し出す角度やタイミングすら計算されているようで、どこを切っても“営業スマイル”として正しい。にもかかわらず、その「正しさ」が、妙に作り物めいて感じられた。「牧野晴臣です。本社の営業二課で、主任をしています」「岡田くんと、同じ部署なんですね」「はい」その答えを聞いた瞬間、日高はほんの少しだけ目を細めた。「やっぱり。なんか、そんな気がしました」「そんな気、ですか」日高は小さく笑った。微笑というよりも、表情を整えるような動作に見えた。「牧野さんって、仕事きっちりされそう
last updateHuling Na-update : 2025-11-21
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39.昼の雨、気配のように

コピー用紙の束を腕に抱えながら、晴臣は資料室から会議準備室へと戻ってきた。会議開始まで、あと五分。準備はおおむね整っていたが、社外向けの配布資料があと数部足りないことに気づき、慌てて取りに行ったのだ。フロアの窓は曇りがちで、外の景色が鈍く歪んで見えた。さっきまで雲の切れ間から差していた光はすっかり引っ込み、建物の縁をなぞるように、細い雨粒が音もなく流れ落ちている。雨音は聞こえないのに、雨が降っていることだけが確かに伝わってくる。そんな午後だった。準備室のドアを静かに開けると、誰かの背中が目に入った。日高だった。彼は窓辺に立ち、薄曇りの空を眺めていた。左手は腕を抱えるようにして胸元に添えられ、もう一方の手で窓枠の縁をそっと触っている。その指先が、何かをなぞるように動く。晴臣は足音を殺しながら、そっと中へ入った。彼に気づいた様子もなく、日高はじっと外を見続けていた。窓の外では、雨が車道を染めていた。アスファルトに落ちる粒は細かく、ほとんど霧雨に近い。木々の葉に濡れた重みが宿り、街の色は一段暗くなっていた。資料を机に置こうとしたとき、不意に日高が口を開いた。「東京の雨って、なんか…音が小さいですね」その声は、窓の曇りに染み込むように静かだった。晴臣は返事をせず、そっと資料を揃えながら視線を横に送る。日高はそのまま窓の外に目を向けていた。表情は穏やかで、だがどこか遠くを見るような眼差しだった。「大阪の雨って、もうちょっと賑やかなんですよ。音も大きいし、風も混ざってて」そこまで言って、日高はふと肩越しに振り返った。晴臣と視線が合う。「…あ、ごめんなさい。変なこと言いましたね」「いえ」「静かなの、好きなんです。でも…静かすぎると、いろんなことが思い出されるでしょう?」晴臣は少しだけ眉を寄せた。日高の声はあくまで柔らかく、穏やかだった。けれど、言葉の端にある微かな震えが、それがただの雑談ではないことを伝えていた。「牧野
last updateHuling Na-update : 2025-11-22
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40.二人きり、沈黙のグラス

会議が終わったのは、午後一時を少し過ぎたころだった。雨は止む気配もなく、窓の外は白く霞んでいる。出席者たちは応接室を出て、それぞれの持ち場へと戻っていった。軽口を叩きながら歩く川嶋の声が廊下に残り、それも数秒で消えた。岡田は片付けのために少しだけ残り、使用済みの資料を重ねていた。その動きは静かで無駄がなく、けれどどこか手早すぎる。まるで、この場に長く居たくないかのように。ガラスのコースターの上に置かれたグラスには、水滴がゆっくりと滑っていた。中身はもうほとんど空に近く、氷がひとつ、溶け残っている。「ここのカフェ、きれいになったんだね」そう声をかけたのは、岡田の背後にいた日高だった。彼はもう、グラスを手にしていなかった。窓際の二人がけテーブルの椅子を引き、何気ない様子で腰を下ろしている。窓の外には、降り続く雨が線を描いている。視界の端でそれが揺れるたび、心の中まで静かに濡れていくような錯覚があった。岡田は手に持った資料を一度テーブルに置き、日高の方を見た。「改装したんは、去年の秋やったかな。俺が来たのは、その少し後やから」「へえ。じゃあ、まだそんなに経ってないんだ」「せやな」岡田の声は低く抑えられていて、特別な感情の色は見えなかった。日高はテーブルの上の水滴に指先を滑らせながら、ゆっくりと話し始めた。「……久しぶりだね。こうして二人で座るの」「……そうやな」「なんか、変わってないよ。岡田くん」岡田はその言葉に、反応を返さなかった。目線を落とし、グラスの中の氷が小さく崩れる音をただ聞いていた。日高の声は柔らかく、語尾も丁寧だった。だが、その静けさの中に、わずかな緊張が含まれている。どこか、探るような間がある。「僕のこと、驚いた?」「……少しだけ」「そうだよね。会うつもりなかったもんね。僕は、会うつもりで来たけど」岡田の指が、グラスの縁をゆっくりと回した。ぬるくなった水
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