Lahat ng Kabanata ng そのネクタイ、俺が直してもいいですか?~ズボラな課長のくせに、惚れさせるなんて反則だ。: Kabanata 21 - Kabanata 30

60 Kabanata

21.夜の匂いと、残る余熱

マンションのドアが静かに閉まったあと、晴臣はしばらくその場から動けなかった。背後には岡田の部屋。まだぬくもりの残るソファ、開けかけのチューハイ、乾ききっていない空気が漂っているはずだった。でも、その場に留まるわけにはいかなかった。靴のつま先をわずかに揃えて、階段を一段ずつ下りる。足音は控えめで、まるで誰にも気づかれないようにという無意識の意図が込められていた。外に出ると、雨は上がっていた。アスファルトに残る水たまりが、街灯の光をぼんやりと反射し、風がふと通り抜けるたび、地面の匂いが立ち上がった。冷えていた。さっきまでの湿気は跡形もなく、乾いた夜気がコートの隙間から差し込んでくる。襟を少し立ててみても、首筋にはその冷たさが容赦なく触れた。ポケットに差し込んだ指先が、しんと冷えている。歩くたびに濡れたコートの裾が重たく揺れ、それが身体全体を引きずるような感覚に繋がっていた。街はまだ灯りを保っていた。ビルの窓に反射する光がゆらゆらと揺れ、信号の青が遠くの車のボンネットを淡く染める。晴臣は、足元を見たまま歩いていた。誰ともすれ違わず、誰の声も耳に入らない。ただ自分の呼吸の音だけが、やけに大きく胸の内側に響いていた。さっき、岡田の顔が近づいた瞬間。あの距離、あの目、あの声。「お礼や、ちょっとだけ」その言葉は、冗談に聞こえるように仕組まれていた。そういうふうに“言っている”と、そう思わせるような笑い方、軽さ。けれど、その目が笑っていなかった。声と視線がちぐはぐだった。笑っている口元の奥に、何か抑えきれない本音のような、濁った熱が覗いていた。ほんのわずかだった。ほんの、指先の温度が伝わるほどの一瞬。けれど、それを見た、感じたという感覚が、晴臣の中から拭えなかった。自分はあのとき、拒んだ。拒絶した。それが正しいと思った。けれど、どうしてあんなに動揺したのか、自分でも分からない。「……俺は、なんであんな顔、見てしまったんだろう」小さく、声に出た。吐いた息が白く
last updateHuling Na-update : 2025-11-04
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22.シャツの隙間に目がいく昼休み

昼下がりのテラス席は、オフィス街にしては風がよく通る。カフェの白いパラソルがゆったり揺れて、その影がテーブルに柔らかい網目模様を落としていた。通りの向こうからは車の音が途切れ途切れに聞こえ、近くの席ではOLらしき二人組がパスタをすすりながら笑い声を上げていた。晴臣は、ナイフでゆっくりと鶏肉を切りながら、向かいに座る岡田の手元に視線を落とした。紙ナプキンで口元を拭う仕草。ほんの一瞬、無防備に緩んだ襟元から覗いた、白い肌。岡田のシャツの第二ボタンが外れていることに気づいたのは、店に入ってすぐのことだった。ネクタイはしておらず、開いた襟の下に、日焼けしていない細い鎖骨の端がちらりと見えていた。「…なあ、これ、うまいな」岡田が何気なく言いながら、フォークをくるりと回してカルボナーラを口に運ぶ。その口元が、何度も見てきたはずなのに、今日は妙に生々しく思える。「そうですね。思ったより味、しっかりしてます」そう返した自分の声が、わずかに上ずっていたことに、晴臣はすぐに気づく。岡田はまったく気づいていないらしく、満足げに頷きながら紅茶に手を伸ばした。紅茶のカップが唇に当たるその瞬間、風が少し強く吹き抜け、岡田の前髪がふわりと浮いた。その下の額が、思いのほか滑らかで白いことに、また視線が吸い寄せられる。晴臣は、ナイフとフォークを一度皿の上に置き、そっと目線を逸らした。曇りがかった空。パラソル越しの柔らかな光。すべてが穏やかな昼休みのはずなのに、胸の奥が静かにざわついている。「今日は珍しく混んでなかったな」「時間、ずらしましたからね」自然な会話の流れ。けれど、晴臣はふと、岡田の襟元にまた目が行きそうになるのを、意識的に止めた。視線の先にある柔らかな曲線、白い生地にできた皺の陰影。それらが妙に、脳裏に焼きついて離れない。紅茶の湯気が揺れる。その揺らぎに、晴臣の視界もわずかに滲んだような気がした。気にしすぎだ、と自分に言い聞かせる。あの人はただ、シャツのボタンを掛け違えたまま外に出てきただけ。何も特別なことじゃない。なのに、なぜこんなにも目が離せないのか。
last updateHuling Na-update : 2025-11-05
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23.川嶋の問いと、笑いの裏側

午後三時を少し過ぎた頃、オフィスの空気はどこか緩慢に沈んでいた。昼食後の静けさと、まだ夕方には遠い時間帯の間に流れる、特有の倦怠感。プリンターの駆動音、マウスのクリック、遠くの電話のコール。そのすべてが単調に響き、眠気を誘う。晴臣は椅子に浅く腰掛け、キーボードに指を走らせていた。ディスプレイの光が眼鏡に反射し、細かい数字の羅列が脳に染み込んでいく。集中しようとしていた。していた、はずだった。「牧野主任」不意に名前を呼ばれて、肩がわずかに揺れる。振り向くと、川嶋紗英が立っていた。明るいベージュのカーディガンに揺れるストレートの髪、手には数枚の書類。彼女は少しだけ微笑んでいた。「この確認、お願いしてもいいですか?例の資料のところ」「ああ、はい」受け取った書類を目で追いながら、晴臣は自然に頷いた。ページを捲りながら「これ…数値の修正、入ってます?」と問うと、川嶋は軽く首を傾げるようにして笑った。「うん、一応。岡田課長が『晴臣くんが見てくれたら安心や』って」一瞬、指の動きが止まった。川嶋の言葉には何の含みもなかった。ただの伝言。ただの職場の会話。でもその名前が、ふいに耳元でささやかれたように響いた。晴臣は気づかれないように視線を落とし、資料の余白に目をやった。「…そうですか」曖昧に応じると、川嶋はふっと柔らかく息をついた。そのまま数秒、彼女の目線がこちらをじっと見ている気配に気づく。顔を上げたときには、すでに視線が合っていた。「ねえ、牧野主任って」声のトーンが、わずかに変わった。「課長さんのこと、好きなんですか?」一拍、呼吸が止まった。聞こえなかったふりをすればよかったと、すぐに思った。けれど、顔のどこかがわずかに引きつるのを、自分でも止められなかった。「…え?」「冗談ですよ」川嶋はあっさりと笑ってみせた。けれど、その目だけが、どこか笑っていなかった。形の整った唇の端だけが動いていて、目元には妙な静けさがあった。
last updateHuling Na-update : 2025-11-06
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24.抱えきれない関係、答えのない焦燥

時計の針が、微かな音を立てて時を刻んでいた。静まり返った部屋の中で、その規則的な響きだけが時折、耳に引っかかる。晴臣はローテーブルに資料を並べ、蛍光ペンを指に挟んだまま、視線をぼんやりと宙に泳がせていた。夜の空気は少し重く、冷えている。窓の外では、かすかに風がベランダの物干しを揺らしていた。暖房は入れていたが、足元に残る冷気がじんわりと膝のあたりまで昇ってくる。机の端に置かれたマグカップからは、もう湯気は立っていなかった。手を添えると、表面はまだ少し温かいのに、中の液体はほとんど冷たくなっている。それに気づいて、晴臣はゆっくりと息を吐いた。資料の内容は、もうとっくに頭に入っている。明日のプレゼンの下準備としては、十分すぎるくらい整っているはずだった。けれど、手を止めてしまったのは、集中が切れたからではない。ふとした瞬間、思い出してしまった。岡田の、あの笑い声。あの無防備な表情。ソファに崩れながら「晴臣くん、優しいなあ」と笑って、すぐ目の前でチューハイを飲むあの仕草。首元にこぼれ落ちそうだったシャツの隙間。その奥に見えた白い肌のライン。そして、あの夜の…囁くような声。「お礼や。ちょっとだけやって」唇が近づいてくる寸前で拒んだのに、それでもまだ、あのときの距離感が首筋に残っていた。身体が、覚えている。晴臣はペンを置いて、額に手を当てた。静かすぎる部屋の中で、自分の呼吸の音さえうるさく感じる。これは…なんなんだ。「恋なのか?」ぽつりと、声が漏れる。部屋の中に、自分の声が浮き上がるように響いた。恋。その言葉は、どこか自分の感情には収まりきらない気がした。たしかに心は揺れている。目で追ってしまう。触れたときの感触を忘れられない。けれど、そこにあるのは甘さだけじゃない。もっと複雑で、よどんでいて、ときに苦い感覚。必要とされたい、と思ってしまう。頼られたい、触れたい、近づきたい。そして、拒まれたくない。晴臣は背もたれに身を預け、天井を見上げた。間接照明の橙色の光が
last updateHuling Na-update : 2025-11-07
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25.それでも手を伸ばしてしまう

朝のフロアは、まだ人影もまばらで、蛍光灯と窓から差し込む柔らかな日差しが、混ざり合いながら静けさを照らしていた。晴臣はタイムカードを押し、慣れた足取りでデスクへ向かう途中、視界の端に岡田の背中を見つけた。コピー用紙の束を胸に抱えたまま、岡田はプリンター横の棚から資料を引き出している。左手だけでバランスを取りながら、器用に用紙を重ねていく姿に、思わず目が止まった。そして、その首元。ネクタイが、今日もやはり少し曲がっていた。締め方が甘いというより、たぶん途中でずれてしまったのだろう。結び目が斜めに傾いて、襟元からシャツの生地が少しはみ出していた。晴臣は、一度だけ目を伏せて、静かに歩み寄った。岡田のすぐ後ろに立ち、右手をそっと伸ばす。「ごめんやで、手ぇふさがってて」そう言って岡田が振り返ったときには、もう晴臣の指先がネクタイに触れていた。淡い青に細いストライプの入ったネクタイ。その生地はほんの少し湿気を含んでいて、指先にさらりとした冷たさが伝わる。朝の空気にさらされたばかりの衣服独特の温度だった。岡田は動きを止め、されるがままに静かに立っている。驚いた様子も、照れた様子もない。まるで「いつものこと」というように。晴臣は結び目をそっと整え、中心を揃えてから、指の腹で軽く押さえた。ネクタイのすぐ下、喉仏がわずかに動くのが見えた。飲み込むようにして、岡田がひとつ、息を整えたのが分かる。そして、「おおきに」と、いつもの調子で岡田が笑う。その声に、胸の奥が少しだけほぐれる気がした。ほんのわずかだが、空気が暖かくなるような。その笑顔を見るためにやっているわけではない、と自分に言い聞かせながら、晴臣は手を引いた。その瞬間だった。「…ああ、また俺、やってる」その事実に、遅れて気づく。何かに導かれるように、思考より先に身体が動いていた。考えて、選んで、やったことではない。ただ自然に、そこに手を伸ばしていた。それがどうしてなの
last updateHuling Na-update : 2025-11-08
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26.水たまりに映る、期待しない朝

雨は静かに降っていた。大粒ではないが、途切れることなく、地面にじっとりと染み込むような質量を持って、街全体を覆っている。早朝七時半、まだ通勤ラッシュには早い時間。牧野晴臣は駅までの道を、濡れたアスファルトを避けるようにしながら歩いていた。スーツの袖口にしずくが当たるたび、手首を軽く振って水を払う。その動きすら、彼にとっては「整える」所作の一部だった。傘の先に細く揺れる雨粒の透明さに目をやりながら、胸ポケットからスマートフォンを取り出す。資料の送信確認、予定表の再確認。すでに頭の中では、プレゼンの一語一句が何度も反復されていた。「今日は失敗できないんだから」小さく吐き出した独り言は、誰に届くでもなく傘の内側に吸い込まれていく。スーツは昨日の夜、自分でプレスをかけておいた。ネクタイも三度巻き直し、結び目の角度もミリ単位で合わせた。襟はシャツとスーツの間にわずかな空気を挟み、立体感が出るように。完璧に、計算通りに――自分を「整える」ことが、晴臣の朝だった。雨音に混ざって、後方から通勤電車の鈍い走行音が地を這うように届く。信号待ちの間、ふと横を通ったサラリーマンの肩が軽く傘にぶつかり、雫が胸元に跳ねた。「……っ」スーツに染みができていないか確認しようとして、思わず立ち止まる。だが、胸に残ったのは雨ではなく、言いようのない緊張だった。今日のプレゼンには、部長も、取引先の重役も出席する。晴臣が資料作成を一手に引き受け、流れを組み立て、前日までに下準備を済ませてきた。岡田課長には、最低限のデータ共有しかしていない。「どうせ、また寝癖のまま来るだろうし」呟くように笑ったが、心のどこかで、それを信じたくない自分がいた。否、信じていた方が楽だったのだろう。岡田佑樹という人間は、だらしなくて、適当で、頼りにならない。だからこそ、自分がしっかりしなきゃならない。そんな役割分担が、いつしか心地よくさえ思えていた。駅に着くと、電車はぴたりと定刻に滑り込んできた。ホームの床に薄く反射する光と、車両の床に残る濡れた靴の跡。無音ではないが、世界はどこか靄がかかったように音を抑え込んでいる。イヤフォンも着けず、
last updateHuling Na-update : 2025-11-09
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27.視線が奪われる、その一瞬

晴臣がノートパソコンに指を滑らせながら、最後のスライドを確認していたときだった。会議室の扉が静かに開き、ほんのわずかな空気の流れが、部屋の中の湿度を変えた。誰かが入ってきた。気配だけで、空間の輪郭が変わったのがわかった。視線を上げた瞬間、時間が一瞬だけ止まったように感じた。岡田だった。だが、いつもの岡田ではなかった。グレーの三つ揃いスーツ。肩のラインがぴたりと合ったジャケットは、立っているだけで輪郭を引き締め、存在感を際立たせる。シャツは清潔な白、その首元を締めるのは深い藍色――限りなく黒に近い、光を吸い込むような艶のあるネクタイだった。目元にかかっていた髪は丁寧にセットされ、雨で濡れても崩れないように軽くスタイリングがされている。寝癖どころか、一本の乱れもない。眉のラインも整えられていて、額の輪郭がわずかに見えることで、顔全体が引き締まって見えた。晴臣は、言葉を失った。「……誰」思わず零れた声は、喉の奥に吸い込まれて、音にならなかった。廊下の天井照明が、岡田のスーツの布地に柔らかく反射する。濃い影が立体的に彼の輪郭を縁取り、その背筋はまっすぐに伸びていた。無駄のない歩幅で、まるで空気を切るように歩いてくる。晴臣はその場に立ち尽くしたまま、視線を逸らせなかった。まず目に入ったのは、胸元。ネクタイの結び目は、左右均等なディンプルを作り、シャツの襟元にきっちりと収まっている。あれだけ苦手そうにしていたネクタイが、今日は一分の隙もなかった。その視線は、喉元に移る。細く張った鎖骨のライン。喉仏が、呼吸に合わせて静かに上下しているのが見える。その動きに、視線が吸い寄せられる。「……あれが、課長…?」胸の奥に、ひやりと冷たいものが落ちた。雨ではない。なのに、濡れたように身体の芯に染みていく。見慣れたはずの岡田のはずなのに、晴臣の目には、まったくの別人に映っていた。周囲のざわめきが、ほんのわずかに耳に入る。「え、あれ…岡田課
last updateHuling Na-update : 2025-11-10
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28.静かなプレゼン、静かな鼓動

会議室に流れる空気は、ぴんと張り詰めていた。壁掛け時計の針が、開始時刻をぴたりと指す。雨音はもう聞こえなかった。密閉された室内に響くのは、ページをめくる音、カップを置く音、スーツの布が擦れる音だけ。そこに沈黙が重なり、晴臣の鼓動だけがやけに大きく感じられる。「それでは、株式会社ウエストリンク様向け、第二四半期提案プレゼンを始めさせていただきます」椅子から立ち上がり、軽く一礼をしてからプロジェクターのリモコンを握る。視線を資料の先に置きながら、ひとつ深く息を吸った。だが、吐き出した息は思ったよりも震えていた。スクリーンに映し出されたのは、彼が何日もかけて作り込んだ提案資料。構成も、数値の根拠も、何度も見直してきた。論理的に破綻はない。ないはずだった。それでも、晴臣の声はほんのわずかに上ずっていた。説明は理路整然としていたが、どこか硬い。語尾が重く、視線も資料と客席の間で定まらない。自分でも、それがわかっていた。視界の端、斜め後方に立つ岡田の存在が、妙に気になる。堂々と、余裕のある立ち姿。胸に添えた腕時計のラインが、ジャケットの袖口からちらりと見える。動くこともなく、ただそこにいるだけなのに、重心の安定感と静けさが際立っていた。晴臣は、スライド五枚目で手を止める。「…以上が、現在の業界動向と、貴社にとっての優位性になります」小さく頷き、肩越しに合図を送る。岡田は一歩前に出た。その瞬間、空気がわずかに変わる。場に散らばっていた意識が、ひとつに集束していくような感覚。晴臣は座席に戻りながら、耳を澄ませた。「補足になりますが、実際の運用フローについて、もう少し踏み込んでご説明させていただきます」低い、落ち着いた声。静かな語り口なのに、不思議とよく通る。その声は、部屋の隅々まで染み渡るように響いた。単調ではない。強調すべき部分は僅かにトーンを上げ、問いかける場面では一拍置く。息継ぎの間さえ、計算されているかのようだった。晴臣の視線は、自然と岡田の動きに吸い寄せられていた。資料を指し示す指。長く整った指先が、
last updateHuling Na-update : 2025-11-11
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29.ふたりの机、雨上がりの午後

午後一時を少し回った頃、打ち合わせスペースの窓際に、ふたり分のノートPCと資料が並んでいた。社内の喧騒は午前中に比べて緩やかになり、休憩を終えた社員たちがそれぞれの席に戻り始めていた。晴臣は、視線を資料に落としながらも、集中しきれていなかった。午前中のプレゼンは、間違いなく成功だった。顧客の反応は良く、終始岡田のペースで場が動いた。何も文句をつけるところはない。それどころか、あの堂々とした立ち回り、柔らかな口調、落ち着いた態度――すべてが完璧だった。なのに今、自分の中でざわついている感情の正体が掴めずにいる。社内の空気は、午前の雨が嘘のように乾き始めていた。外は明るく、窓ガラスに空の青がぼんやりと映っている。けれど、ガラスの内側にいる晴臣の体温は、どこか追いついていなかった。隣に座る岡田は、相変わらずの自然体だった。白シャツの袖を無意識に肘まで捲り、腕を組んだままモニターを見ている。ネクタイはまだ外しておらず、先ほどまでの緊張感をほんのりと残しているようだった。光の角度によって、ネクタイの艶が微かに反射して揺れている。「なあ、ここの数字って、去年のやつと比較しといたほうがええんかな」岡田がモニターを指さして言った。その声は仕事のトーンだった。にもかかわらず、晴臣の神経はなぜか鋭敏に反応した。「そうですね、ただ比較しすぎると現状分析が埋もれるかもしれません」「なるほどな」肯定の一言に、少しだけ間が空いた。視線が合った。何秒もない、ほんの一瞬の交差。それでも晴臣の指先は、わずかに止まっていた。キーボードにかけた手が、軽く力を込めたまま静止していた。岡田は気にした様子もなく、ゆるく背もたれに寄りかかる。「それにしても…」晴臣は不意に言葉を発した。「さっきのプレゼン、かっこよかったですよ」一拍の間があった。岡田は口角を上げ、軽く笑った。「せやろ?たまには仕事しとかんと」その言い方に、晴臣の心のどこかが引っかかった。
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30.打ち上げの席、静かな告白

夜の帳が降りきる前、晴臣と岡田は並んで駅前の居酒屋に入った。繁華街から少し外れた通り沿いにあるその店は、外観こそ素朴だったが、照明はほどよく落とされていて、客もまばらだった。平日ということもあり、周囲は仕事帰りのスーツ姿ばかり。とはいえ、落ち着いた雰囲気に包まれた店内は、どこか無防備になれる緩さを持っていた。店員に案内されたのは、奥まった半個室。隣の声が聞こえるか聞こえないかの絶妙な距離感があった。「なんや、ここ静かでええな」岡田がそう言ってハイボールを片手に笑った。上機嫌なのが一目でわかった。「まあ、課長がうるさくするからちょうどいいんじゃないですか」「俺がうるさいって?」「今も自覚ないんですか」返すと、岡田は吹き出して笑った。低く、腹の奥からくぐもるような笑い声。その音に合わせてグラスの氷が細かく鳴った。席に着くなり岡田はネクタイを緩め、上着を脱いだ。シャツの袖を肘まで捲り、グラスを持つ手首がむき出しになる。先ほどまでの会議室とはまるで違う空気が、その姿から漂っていた。晴臣は、無言でメニューを見ながら、何を頼んだら正解なのかを考えていた。「好きなもん頼んでええで。今日はプレゼン大成功やからな」「それは課長が決めることじゃないですけど」「いやいや、晴臣主任のおかげやろ。あんな綺麗に仕上げてくれたら、俺が喋るだけで勝手にまとまるんやから」「……適当に言わないでください」「本気やって」真顔で返され、晴臣は目を逸らした。運ばれてきた料理に手をつけながら、ふたりは途切れ途切れに言葉を交わした。プレゼンの振り返り、取引先の印象、社内の話題――何を話しても、岡田は上機嫌を崩さなかった。だが、晴臣は違っていた。箸を握る手にはわずかに力が入り、笑っていても目元には緊張の色が残っている。喉を通るビールの味も、ほとんど覚えていなかった。さっきの岡田が、脳裏に焼き付いていた。完璧に整ったスーツ。揺るぎない口調。大人の余裕を
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