All Chapters of ようこそ万来堂へ!〜先輩から教わった接客技術で看板娘、がんばります!〜: Chapter 61 - Chapter 70

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61食目・ルシーの笑顔

「いやー、お疲れ様ぁ」「今回も波は越えたな」「ルシーちゃんもお疲れ様!初めてのピークだけど動きすごく良かったよ!大丈夫?疲れてない?」 あっという間に過ぎた1時間。 視界は常にあちこち動いて線のようにになってた気がする。 慌ただしかった空気は落ち着いて、あっという間にお客さんは帰っていって。 まだちらほらとお客さんがいるけど、今は私とエラさん、ヴィラさんでテーブルを綺麗にしている。「えっと、ちょっと目が回りそうでしたが、なんとか……!」「慌ただしさに慣れるまではそうだよねぇ。初めてとは思えないくらい頑張ってたよ!」「まじでなー。テーブルとか覚えるの早いじゃん?どうやって覚えたん?」 眩しい笑顔を見せるエラさんの横で、ヴィラさんは不思議そうな顔を向ける。 確かにテーブルの数は多い。 それでも、ちょっとの事では間違えない自信が私にはあった。 「えっと、テーブルの淵の色で覚えました!入口から1番で、あとはテーブルの淵が色で分けられてるので、そこを見て把握してます」「ルシーちゃん賢い……!」 このお店のテーブルは属性の彫りがされているけど、実は属性によって色が違う。 アグニードは赤、ネレディは青、テラーラは黄色。 更にルミオールが白でノクスィが黒、サルーテは緑、魔素は無色――このテーブルで言えば塗装はされていない。 つまりこれだけ覚えておけば、列を間違えない限りはテーブルも間違えない、という寸法だ。 向きが分からなくなったら入口を見よう。 うん、我ながらとても分かりやすい。「なるほどなー、優秀ぅ。じゃあそんな優秀さんに、これ運んでもらおうかな」「わかりましたっ」「こら、さり気なく仕事投げつけない。いや、お仕事の時間だけど」「よい、しょっと……」 ヴィラさんに積み上がったお皿を手渡され、洗い場へと運んでいく。 お皿は大皿をお盆代わりにかなりの枚数が積み上がっている。 上に行けば行くほどお皿は小さくなっていき、一種のタワーのようになっていた。 これは崩さないように運ばないと……!「おお、お嬢さん、若いのに沢山持って元気だねぇ!」「ふえっ?」 一つのテーブルの横を通り過ぎた途端、声をかけられた。 振り向けばサンタさんみたいに沢山のヒゲを蓄えたおじいちゃんと、片方だけのメガネをかけたおじいちゃんの2人が揃って私を見
last updateLast Updated : 2026-01-24
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62食目・万来堂のごはん

「ふえぇ……」 お皿を置いて、しばらくすると手が痺れてきた。 流石にお皿のタワーは重すぎたみたい。 いや、一番は目の前で言い合いが始まっちゃったからで、でもお客さんを責めるわけには……!「ルシーちゃん、大丈夫?」「エラさん!あうぅ、すみません……」「んーん、こっちは大丈夫。寧ろルシーちゃんは対応しづらいことを話しかけられて、びっくりしちゃったんじゃない?」「あはは、そうですね……」「安心して、今はあの二人、ラストオーダーにデザート注文して今食べるところだから」「えっ、本当に追加注文したんですか?」「うん。なんかねー、ルシーちゃんが頑張ってる姿を見ていたら、食べたくなってきちゃったんだって」 にこりとエラさんは笑って言うけど、それってどんな理論なんだろ……。「えっと…… 『アグニード・アマレティー』と、 『ネレディ・スパークゼリー』……?でしたっけ?」「お、そうそう!聞いてたんだ?」「お客さんもそう言ってたので……。どんな料理なんですか?」 「えとねー」と人差し指を立てるエラさん。 そこへ、エラさんの背後で「お待たせいたしました」とヴィラさんの声が聞こえた。 「あ、来たみたい」 届けられたのはパフェグラスのように細長い、逆三角錐のお洒落なグラスに青く透き通る何かが入っている。 一見液体のように見えるけれど、傾げても全くその水面は動きそうにない。 その未知なる料理に片眼鏡のおじいさんはスプーンを突っ込んですくい、口に入れる。 すると「むふぉう!」と(多分)歓喜の声を上げて、おじいさんは笑みを浮かべた。「このプルプル、そしてシビビッとくる刺激、たまらんのぅ」「わあ……美味しそう!」 おじいさんの様子を見てるとすごく美味しそうに見えた。 見た目ではデザート、なのかな。 そろそろお腹が空いてきたのも相まって、尚更料理がキラキラと輝いて見える。「そうだ、休憩中は一応お店の中でもご飯が食べられるんだよ!『まかない』なんだけど、お願いしてみる?」「え、いいんですか?」「基本的には夜もお仕事ある人用なんだけど、ルシーちゃんは転生者だから、この世界の料理ってなじみがないでしょ?だからメニューを覚えるためって言えば、きっとOKしてくれるよ!厨房の人とも、やっぱり仲良くなっておきたいし!ね?」 お店のご飯が食べられるなんて最高
last updateLast Updated : 2026-01-25
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63食目・万来堂のまかない

「お疲れ様でしたーっ」  それからお客さんはみんな帰っていって、最後の後片付けも終えて。 常連のおじいちゃん人には、去り際に『お嬢ちゃん、また来るね!』と笑顔で手を振られた。 どうやら私はすっかり気に入られたみたい。 エラさんにさり気なく「良かったね」なんて微笑まれてしまった。 「さ、ルシーちゃんご飯食べよ!」「はい!」「……おや、今日は君達も店内で食事をするのかい?」ら 「んじゃお先ィ。また後でねェ」と帰っていくラリエーヌさんと、「お疲れ様、ルシーちゃんまた明日ね」とヴィラさんも手を振ってホールを出ていく。 キュミーさんに至っては「んじゃおつサマ!私は1階に帰るのよーぅ」と表の扉から帰っていった。(それはアリなのかな?) そんな中エラさんに声をかけられて、返事をすれば物静かな低い声が聞こえた。 振り向けば、不思議そうな顔をしたセレンさんが近くに寄って、顔を覗かせている。 「君達も、ってことは……」「セレンはまかないの常連だからねぇ。いつもここで、夜まで過ごしてるんだよ」「どうせ夜も働かなきゃならないからね。それに、夜の方が大仕事だからここで休んだ方が後々働ける」  はあ、といつもの一息吐いて、セレンさんは物鬱げな表情を見せた。 その様子に、今日の出勤直後のセレンさんのような苦労を感じて疑問が沸く。 「ふえ……夜の方が忙しいんですか?」「昼と夜じゃ、多少客層の違いがあるからね。それよりも食事を選ぶんじゃないのかい?」「あ、食べる食べるー!私何にしようかな!メニュー見ると悩んじゃうよねぇ、お客様だと『さっさと決めて―』って言いたくなる時もあるけど!」「エラ、そういうのは我儘って言うんだよ。あと、看板娘が思っても口に出し
last updateLast Updated : 2026-01-26
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64食目・伝票係

「おおっ、思ったよりガッツリ系だね!一緒にライスセットはいかが?」 「ら、ライスセット……!?」 料理を決めると、エラさんからすかさず営業スマイルが来た。  えっ、もしかして、メインのステーキだけ……!?   「販促は素晴らしいけどお金を払わせる言い方しない。ルシー、こういった食事の1杯目は気にしなくていい」 「これも無料に入るんですか…!?」 「というよりは、メインだけ食う奴はいないだろう。まかないならスープは付かないが、最低限ライスだけはつく」 「あ、それでも十分嬉しいですっ」 「そういうことだから、看板娘は新人をいじめない」 「はぁーい。セレンママは真面目だねぇ」 「なんか言った?」 「イエ、ナンデモナイデース」 「冗談はこの辺にして、さっさと注文をしよう。お腹が空いただろう?」「やり方、教えるから」とセレンさんがカウンターへ向かい、その後ろを私とエラさんでついていく。  エラさんは「先に注文しちゃうね」とピーク時にヴィラさんがやっていたように、紙にメニューを書いて注文票を飛ばした。「それ、すごいですよね。もしかして皆できるんですか?」 「転生者は魔法使えないもんね。できる人はできるけど、苦手な人もいるよ。そういう人は、これからセレンがやるようにやってるよー」 そう言ってエラさんは紙の束に指を向ける。  すると風が紙の束をさらうように、パラパラとページをめくった。「ボクらはあんな曲芸はできないからね。ほらルシー、君の注文票だ」 「ありがとうございます……あ、私まだこっちの言葉を書けないんですけど……」 「そこは問題ない。君の言葉で注文票を書いて、名前を添えて」 「わ、わかりました……」 セレンさんに言われた通り、注文票に『テリュタロステーキ』と書いてフルネームで名前を添える。  本当に大丈夫?  そんな不安が過ぎるけど、セレンさんも見たことのない文字を紙に書いていた。  文字全部がまるくて、なんか授業でやった電子回路みたいな感じ。  これが文字なの?って、口に出したくなる不思議な文字だ。「書けたら店員を呼びつける。ファルマイスト、いるんだろう?」 「はいさー!まかないですか?……おや、噂の新人も一緒だ!」 セレンさんの呼びつけに、小柄な男の子が現れた。  前髪をカチューシャで留めた、ちょっとがらつ
last updateLast Updated : 2026-01-27
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65食目・空腹を埋めたい雑談

 注文を終えてホールに視線を戻すと、一番近い席でエラさんが「おいでおいでー!」と手を振っていた。 あまりにも眩しい笑顔で「注文ちゃんとできた?」と声をかけてくれるから、自然と私も心がほっこりしちゃう。「セレンさんに教えてもらいました!」「じゃあ、あとは待つだけだね」「え、取りに行かないんですか?」「休憩中なのに、そこまでして働きたい?」 ホールは私たちのお仕事場だから自分で回収するのかと思ったけど……そうだった、私たち休憩中だった。「あれ、でも厨房……」「あっちは15時半までなんだよねぇ。まかないを作るまでがお仕事。だから注文もできれば早めに、15時10分が限度かな!その分お仕事開始も17時半からで、その仕込みも一緒にやってるんだよ」「なるほど……」 雑談をしてると、厨房から何やら話してる声が聞こえた。 時折料理をしてる音がして、いよいよまかない料理を作ってるらしい。 一体どんなことをしてるんだろうなぁ、楽しみ。「……ん?なんか、ちょっと問題あったかな?」「なにかざわついた声が聞こえるね。なんの問題もないといいけど」 なんか、いつもと違うみたい? 2人の顔は少しだけ不安げで、こっちも心配しちゃいそう。 心がむずむずしてると、なんだかいい香りがしてきた。「あ、いい香り!カルスキュラだぁっ」「このスパイスの香りがくると、各家庭でカルスキュラが作られるんだよね。相変わらず、悪魔の香りだ」 嗅いでる香りは紛れもなく、カレー。 街の中で漂ってくるカレーって無性に食べたくなる。 なんかそういうのに似てるなぁ。(そういえば初めて運んだ料理もカルスキュラだな) いよいよそれが目の前にって思うと、楽しみになっちゃう。 不安な気持ちが楽しみになってくると、今度はジュワァ!と焼ける音に香ばしい香りが漂ってきた。「あ、この音はル
last updateLast Updated : 2026-01-28
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66食目・『カルスキュラ』と『ジェプチャップ』

「はむっ……〜〜〜〜〜っ」 カルスキュラ、それは悪魔の料理だと腑に落ちる。 一口食べれば飛び上がるほど美味しくて。 一口食べれば更にもう一口食べたくなっちゃう。 美味しい、美味しすぎる。「ルシーちゃんならこの顔すると思った!」「こ、れは……急激にカルスキュラが美味しそうに見えてきたな……」 美味しすぎて表情が隠せないの。 咥えたスプーンが外せない。 いや、エラさんのなんだからお返ししないと……!となんとか離し、「ごちそうさまです……」とエラさんにカルスキュラをお返しした。「あれ、もういいの?」「全部食べたくなっちゃうので……」「あはは、じゃあ次回はこれかも!」 カルスキュラはカレーだった。 でも私が知ってるカレーよりもどろっとしていて、辛さは少ない。 どちらかというとビーフシチューに近くて、上の白い粉は多分チーズかな。 それが滑らかさを増やして、アクセントにぴったり。 未知の味だった。 とても美味しかった……。「うぅっ……」「ルシーが呻いてる」「まだまだ食べたいんでしょー?」「うう、とても美味しいですぅ……」「正直でよろしいっ」 気持ちを吐くと、「お待たせしました」とカルスキュラと同じシェフが現れて、セレンさんの前に料理が置かれた。 金属の器は鍋のようで、中には今もぐつぐつと泡を立てる黄金色のスープ。 上には白髪ネギのような細長く切られた野菜や炙られた薄切りのお肉が乗って香ばしさのある香りを立たせている。 熱そうだけど、こっちも見るからに美味しそうだ。「これが、ジェプチャップ……ですか?」「そう。食べてみる?」
last updateLast Updated : 2026-01-29
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67食目・悪魔で魅惑の『テリュタロステーキ』

「おっ、お待たせ、しました……っ!」 カルスキュラとジェプチャップを堪能して、いよいよ私の料理が来たみたい。 ジュワァという食欲をそそる音が聞こえて顔を向ければ、もう一人の担当シェフが料理を持って現れて……なんか、あれ、緊張してる?「あの、大丈夫ですか……?」「お、お気になさらず……えっと、どうぞ……っ!」 声をかけるとシェフは料理を置くだけ置いて、逃げるように厨房へと帰ってしまった。 ど、どうしたんだろう?「わあ、相変わらずのおっきい貝柱!美味しそう!」「テリュタロステーキって……こんなに輝いてたっけ?今度食べようかな……」 届いた料理にエラさんは目を輝かせて、セレンさんもちょっとびっくりした顔。 でも目の前に現れたテリュタロステーキは熱々の鉄板の上で焼ける音を立て、厚切りのお肉よりも大きくそびえ立っている。 琥珀色のソースと添えられた花が可愛らしくて、漂うのは香ばしさと花の香り……あ、これストゥリアを作ったときと同じ香り! ナイフで切り分けると引く必要もなくストンと落ちて、フォークを刺す。 スッと入った? なんかパティポットの時のテリュタロスを想定してたけど、それよりも身が違うような……?「はぐっ……――ッ??」 一口入れて思わず立ち上がる。 え、なんで立ったんだろう。 でも前食べたテリュタロスには越えられない壁を感じるぐらい美味しい。 美味しいは、美味しいんだけど……「る、ルシーちゃん?大丈夫?」「ど、どうしたんだ……?」 声を震わせるエラさんとセレンさん。 2人は顔を合わせて頷いて、そびえ立つテリュタロステーキを一口
last updateLast Updated : 2026-01-30
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68食目・総料理長ってどんな人?

 イードさんが作ったテリュタロステーキはとても美味しかった。 でもあまりにも美味しすぎたのと、これを全部食べると夜ご飯が食べられなくなってしまう気がして、私はこの一食を厨房のシェフ達も交えて皆で分けて食べてしまった。「これが総料理長の料理、か……。この高みにたどり着ける気がしないな……」「すげぇ、どんな火加減でこんな柔らかい貝柱になるんだ?テリュタロスの旨味とソースとの調和が取れてるどころじゃないぞ……?」「ううぅ、弾力と噛むたびに出てくる旨味が私の知ってるテリュタロスと違う……!」「これが3階の料理か……。このレベルばかりが出されると考えると、そりゃ客層の違いも出てくるだろう。これを祝い事に食べる気持ちも分かる」 皆が思い思いの感想を述べていく。 1つ目はカルスキュラとジェプチャップを作ったシェフさん。お名前はアドノールさん。 2つ目は元々私のテリュタロステーキを作る担当だった、焼きのシェフ・ブロッケンさん。(本当はもうちょっと長いお名前) それからエラさんに、セレンさん。 伝票係のファルマイスト君はさっきからずっと「すげー!うめー!なんだこれ!!これが料理か!?こんなの初めて食べたぞ!!!」と興奮して目を輝かせている。 イードさんの気持ちとは違うかもしれないけど、なんだかこんな光景を見てると、皆に料理を分けて良かったなって思っちゃう。 そんな満足感がちょっとだけあった。「ルシーちゃんはこの後帰るの?」「うん、そうします。お父さんが帰ってくるみたいだから、お母さんに伝えないと」「そうだね!総料理長も嬉しそうだったし、それがいいよ〜っ」「それにしても、君が総料理長の娘だとはね。総料理長のコネでってこと?」 にこりと微笑むエラさんの横で、じっ、と強い視線がセレンさんから向けられた。 合わせて他の皆からの視線が突き刺さる。「いえ!あの、こっちに来てすぐ、クリステフさんが選んで来た宿主
last updateLast Updated : 2026-01-31
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69食目・お迎えの準備

「お母さん、ただいま帰りましたっ」「あらあら、ルシーちゃんお帰りなさい!今日もご飯を食べてきたのかしら?」「うん、お店でまかないの食べ方教えてもらったんだ」「そうなの!いいわね、まかないご飯!店員さん用のご飯って感じがするわ!」 家に帰ると相変わらず満面の笑みでエリザさんが迎えてくれて、「またお話を聞かせて!」とテーブルに案内された。 ウキウキとしてるエリザさんは昨日と同様にハーブティーを用意してくれて、「どうぞ」と目の前に置いてくれる。 その匂いを嗅いで喉に流すと、まかないのテリュタロステーキを思い出した。「あ、この香りストゥーナだ」「あらあら正解よ。ルシーちゃんったらすっかりフォス=カタリナの住人ね!」「えへへ、そうかな……。お父さんがまかないのテリュタロステーキを作ってくれたから気付けました!」「お父さんって……イード!?」 ガタ、と勢いよくエリザさんが立ち上がる。 あ、まだイードさんについて言ってなかったな。 「ふえっ、あ、はい」「ルシーちゃんのご飯を作りに来たの!?」「は、はい。……あ、遅くなるけど夜にこっちに来るあって言ってましたよ」「こっちに……家に!?」「少し恥ずかしそうでしたけど……ってお母さん?どうしたんですか?」「わわ……あわわ……!!」 なんかエリザさん、すごく焦った顔してる? 固まっちゃったんだけど、どうしたんだろう。「お母さん……お母さん……?」「はっ…!!ルシーちゃん、今すぐお料理……いや、ここは何も準備しない方がいいの?どどど、どうしたらいいのかしら!?ねえ、今日来ること以外何か言ってた!?」「ふぇ!?な、なんにも言ってないと思いますけど
last updateLast Updated : 2026-02-01
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70食目・帰宅

「すまないが、先に失礼する」「全く、珍しいな。しっかりサービスしてこい」「ああ」 同僚に見送られて、店を出る。 前回はルシーへの合格通知の為だったか。 こうして店を途中で上がって家に帰るのは…………そんなにないな。 初めてではないが、エリザに泣かれた時くらいか。 仕事終わりまで働くと寝る時間になるのが早い。 だから切り上げさせてもらったが、20時でも夕食を考えればやはり遅い時間だろう。 食べておけ、と伝えておけばよかったか? こんな時間では空腹に耐えかねてしまわないだろうか。 手に持った料理にいくら火魔法をかけても、料理の味が落ちる速度を緩める程度。 本当ならば出来立てを食べてもらうのが一番なのだが。「……サービス、か」 独り言ちる。 サービスとは何か、など仕事上でしか考えていなかった。 だからこそ、嫁に愛想を尽かされたのだろうと思う。 それなのに未だこうして縁があるのは……それが丁度いいと考えているのだろうか。 私には料理しかない。 だからこそエリザは離れたのだろうに、そんな私にサービスなどというものが出来るだろうか?「……今から私が行うのは、サービスからはほど遠いものだな」 自嘲だ。 許されようなどとは思わない。 ただ、自分がどういう人間かを理解してもらうためだけの舞台。 ただ嫁に自分という存在がどんなものかを再び理解してもらうためだけ。 新たに来た娘に、父親がどういうものかを認知してもらうためだけ。 そこに情などというものは求めていない。 ただ求めているのは……――美味い料理を食べた時だけに見せる、客の幸福そうな笑顔だけだ。「…………ふう」 エリザの家の前についた――が、らしくないな。 手には出来立てとは言えない料理がある。 あとはそれを振る舞うだけなのに、緊張のような感覚が脳と体を巡る。 早くせねば味は落ちる。 求めている笑顔は遠のくだけなのに。(私は、何に不安を感じている? ……ああ、以前エリザを泣かせた――離婚を決めた時を被せているのかもしれないな)「だが、このままでいれば再びあの顔を見てしまうだけ、なのだろうな。……はあ、行くか」 大きく息を吐き、覚悟を決める。 敷地に入り、玄関の扉に手をかけると――ふわりと花の香がした。 それはよく嗅ぐ身近な食材に感じたが、一体なんだろう。
last updateLast Updated : 2026-02-02
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