All Chapters of あざとい女に夫も息子も夢中!兄たちが出動!: Chapter 611 - Chapter 620

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第611話

そこで健吾は、ようやく杏奈が何か悩んでいることに気づいて、「どうしたんだ?」と声をかけた。杏奈は首を横に振った。「そうだ、千葉が明日、N市に帰るって」健吾は頷いて、「まあ、潮時だろうな」と言った。もう彼女の役目は果たしたんだから、京市にいてもらう必要はないのだ。健吾がそう思っていても、残念ながら澪の方は違った。飛行機のチケットはもう取ってある。でも、彼女は帰りたくなかったのだ。あの晩は佑が邪魔をしたせいで失敗したから、澪はどうにも諦めきれなかった。そう思って別の手で、健吾をモノにしようと、澪は健吾に電話をかけた。電話がつながると、彼女は切ない振りをしながら言った。「健吾さん、まだ怒ってる?」杏奈は健吾のスマホを持ったまま、どうしていいか分からなくなった。一方、向かい側にいる健吾は、彼女のスマホでニュースを読んでいるのだった。そして健吾は無関心な様子で、電話の相手には全く興味がないようだ。仕方なく杏奈は言った。「彼は今、手が離せないの。何か用なら私が聞くわ」すると、電話の向こうで、息を飲む音が聞こえた。それは相手が怒りを必死にこらえているようだった。しばらく間があってから、澪の声が聞こえてきた。さっきまでの甘えたか弱い声とは、まるで違っていた。むしろ、高飛車な響きがあった。「なんであなたが出るの?健吾さんは?」「手が離せないの」杏奈は同じ言葉を繰り返した。これ以上聞いても無駄だと悟ったのか、澪は深く息を吸い込んでから言った。「私、明日出発する予定だから、今夜家で一緒にご飯を食べようよ!」その言い方は不本意そうだったけれど、どこか期待している響きがあった。杏奈は、また健吾の方を見た。でも健吾は、相変わらず我関せずという態度だ。だから杏奈は、誘いを受けることにした。そして電話を切ると、健吾がやっとこちらを向いた。彼は眉をきつく寄せて聞いた。「なんであいつなんかと飯食わなきゃならないんだ?」「あら?もしかして、彼女の誘惑に負けちゃうのが怖いとか?」健吾はスマホを置くと、杏奈をぐいっと腕の中に引き寄せた。「もう変なこと言うな。本気で怒るぞ」あら、子犬みたい、ちょっと揶揄ったら怒っちゃって。そう思って杏奈は笑いながら、健吾の触り心地のいい銀髪をくし
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第612話

杏奈は、最近の感情の起伏はストレスのせいだと思った。それに健吾が注文してくれた料理が、全部彼女の好物ばかりだったから、それに免じて、杏奈はなんとか彼を許してあげることにした。食事の後、杏奈は健吾に付き合って急な出張へと向かった。出張先は、とあるオークション会場だった。どうやら健吾が会いたい人物が、そのオークションに来ているらしい。杏奈は健吾の後について会場に入ると、特に何も聞かずに彼に手を引かれ、ぼんやりと周りを見回した。それから、杏奈はちょうどよさそうな席を見つけて腰をかけると、オークションのカタログを手に取ってから、健吾の手を離し、出品リストに目を通し始めた。健吾は杏奈をちらっと見たが、特に何も言わなかった。そして彼も目当ての人物を見つけると、杏奈が入札したいものがあるのに気づき、彼女に自由に買うように言った。「欲しいものがあったら入札しろ。支払いは後で俺がやるから」杏奈は人差し指を立てると、健吾の目の前で軽く振ってみせた。「私もこれでも鈴木家の令嬢よ。これくらい自分で買えるわ。あなたは自分の用事を済ませてきて」そう言うと、健吾の返事を待たずに、さっき目をつけていた席へとさっさと歩いていった。そしてオークショニアが競りを始めるのを待った。それを見て健吾は首を振り、口元に優しい笑みを浮かべながら、その場を離れた。杏奈は今までもオークションに来たことはあったけど、今日のオークションは彼女にとって新鮮に感じられた。なぜなら、今日の出品物には、杏奈が気に入るものがいくつかあったからだ。中でも、一つのピンクダイヤモンドが彼女の目を強く引いた。あれを落札して、健吾のカフスを作ろうと杏奈は思った。彼の服は地味な色ばかり。あんなに素敵な顔立ちなのに、お洒落をしないなんてもったいない。この重大な役目は、やはり自分が引き受けなければ。この間、健吾のためにデザインしたモダンな着物があったけど、あのピンクダイヤモンドでカフスを作って合わせたら、きっと最高に似合うはずだ。そこまで考えると杏奈の頭の中には、自分が作った服を着て、そのカフスをつけた健吾の姿がはっきりと浮かんだ。とても似合っていて、きっと素敵な雰囲気になるはずだ。そう思い浮かべながら、杏奈は幸せそうな笑みを見せた。すると、杏奈の
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第613話

……オークション会場にいるのは、ほとんどが男性だった。彼らは大きな声で話している。その会話は、嫌でも杏奈の耳に入ってきた。杏奈は、なんだか呆れてしまった。女は噂好きなんて言うけれど、男の人が集まっても同じように噂好きじゃないか。そう思ったが、彼女は聞こえないふりをした。そしてオークショニアがピンクダイヤモンドを取り出した時、杏奈は再び札を上げた。「1億円」開始価格は8千万円。彼女はいきなり2千万円も上乗せした。さっき兄たちのプレゼントを買ったときは、少しずつ値段を上げていったのに。でもこのピンクダイヤモンドだけは絶対に欲しかったから、彼女はもう呑気にやっていられなかったのだ。ところが、隣に座っていた男性も札を上げて、低い声で言った。「2億円」杏奈は、思わずその男性の方を振り向いた。このオークションが始まってから、その男性が札を上げたのはこれが初めて。もしかして、彼もこのピンクダイヤモンドを狙ってるの?「あの、すみません。突然お聞きして申し訳ないのですが、このピンクダイヤモンドがお目当てなんですか?」男性は振り向くと、杏奈ににこりと微笑んだ。彼の顔立ちは優しそうで、にっこり笑うと白い歯がのぞいて、少年のような雰囲気があった。「はい。彼女へのプレゼントに、このピンクダイヤモンドを買おうと思っておりまして」杏奈は唇をきゅっと結んで言った。「でも、私もこれを彼氏にプレゼントしたいのです。だから、申し訳ないのですが」そう言って杏奈は、再び札を上げた。「2億2千万円」「4億円」隣の男性、かなりのお金持ちみたいだ。杏奈は、さっき兄たちのものを買うのに結構お金を使ってしまった。これ以上となると、手持ちのお金では足りなくなってしまう。だが、彼女は歯を食いしばった。「4億2千万円」「10億円!」すると、周囲から息をのむ音が聞こえてきた。このピンクダイヤモンドはたしかに希少だけど、さすがにこの値段は高すぎる。こうなると杏奈は、もう札を上げなかった。品物そのものの価値をはるかに超えたものを競り落としても、なんだかすっきりしないから。健吾には悪いけど、諦めるしかないかもしれない。それからオークショニアがハンマーを打ち下ろし、ピンクダイヤモンドは隣の男性のものになった。杏
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第614話

杏奈はさっき起こったことを全部、健吾に話した。健吾はすごく不機嫌になった。「本当は彼女なんて口実で、そのダイヤをあなたにプレゼントしたかっただけじゃないのか?」杏奈は、健吾の奇妙な考えに呆れてしまった。「そんなことあり得るわけないでしょ?」「ありえなくもないだろ?くそっ、あなたにダイヤをプレゼントできるのは俺だけなのに!」健吾の言い方は強引で、それに子供っぽかった。杏奈は呆れて彼を見た。しばらくして、彼女は仕方なくため息をついた。「これ、どうしよう?タダでもらうわけにはいかないし。せめてお金だけでも渡さないと」でも、相手が誰なのかもわからない。健吾は杏奈の手から箱を受け取って開けた。中にはピンクダイヤモンドが入っていた。とてもきれいな色で、希少価値も高そうだった。健吾は箱を閉めると、杏奈の手を引いて会場の中に戻った。彼はスタッフを一人見つけて、監視カメラの映像を確認させてもらった。「杉浦家の末っ子、杉浦智(すぎうら さとし)だ」杏奈は健吾を見た。「知り合いなの?」健吾はうなずいた。「さっき俺が話してた相手が、あいつの叔父なんだ」なんだ、知り合いだったのか。杏奈は健吾の手を掴んで、急かした。「じゃあ、すぐに彼の叔父に連絡して、代金を渡そうよ」品物はもう返さないことにした。智がいらないと言うなら、自分が買い取ったことにしよう。彼に捨てられてしまうよりはましだと杏奈は思った。そう言われ健吾はうなずいて、引き受けた。すると、杏奈は少し考えて、何か思いついて健吾の袖を引いた。「私はもうお金がないから、あなたが立て替えて杉浦さんに10億円渡しといて」健吾は不思議に思った。「このダイヤ、プレミアがついてもそこまでの値段にはならないだろ?」「杉浦さんがね、彼女をびっくりさせようと思って、値段を吊り上げて落札したんだって。でも、その直後に彼女に振られちゃって、それで私に譲ってくれたの」彼女?それを聞いて、健吾はさらに首を傾げた。噂では、智は女性に興味がないはずだった。でも、健吾は他人のことに興味はなかった。ただ、もしかしたら智は本当に、杏奈がこのピンクダイヤを欲しがっていることを見抜いて、わざと高値で落札してから彼女に売りつけて、揶揄おうとしたのかもしれないな。そう
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第615話

杏奈は機嫌がよく、なんだか急に楽しみになってきた。1時間後、二人は橋本家の邸宅に着いた。澪は外の車のエンジン音を聞いて、健吾が帰ってきたことに気づいた。彼女はすぐに最後の一皿をダイニングテーブルに並べ、嬉しそうに玄関へと向かった。だが、玄関で健吾がしゃがみ込んで杏奈のスリッパを履き替えさせているのを見て、澪の顔の笑顔が引きつった。ムカつく。この女。一方杏奈は、澪がリビングからこちらを見ているのをチラッと確認した。彼女は少し考えると、いたずらを思いついた。そこで、健吾が靴を履かせ終わり、立ち上がろうとした瞬間。杏奈はかがんで彼の両頬を手で包み込むと、その唇にキスを落とした。「健吾さんは本当に、家庭的な素敵な人ね!」一方、健吾は杏奈が突然情熱的になったのに戸惑いながらも、まんざらでもない様子だった。「もちろんだ!」そう言って、健吾は杏奈の手を引き、キスを返そうとした。杏奈は避けなかった。でも、それを見ていられなくなった澪が、慌てて声を上げた。「健吾さん、おかえり!」すると、健吾の唇は、杏奈の唇からあとすこしというところで止まった。そして、彼の顔色は目に見えて険しくなった。杏奈は健吾の見事なまでの態度の変化を見て、思わず笑ってしまいそうになった。彼女はうつむいてくすっと笑うと、健吾の手を取った。「さあ、行こう。澪ちゃんがどんなご馳走を作ってくれたのか、見に行こう?」邸宅に入るとすぐ、食欲をそそるいい匂いが漂ってきた。電話で澪が夕食に誘ってくれたことや、エプロンをしているのを見ると、この料理はきっと彼女が作ったのだろう。健吾は、杏奈が澪を「澪ちゃん」と呼んだことに少し違和感を覚えた。しかし、彼は何も言わず、杏奈に引かれるままダイニングへと向かった。ダイニングテーブルには、肉料理も野菜料理もバランスよく並べられ、彩りも豊かでとても美味しそうだ。「澪ちゃん、こんなに料理が上手だったのね」杏奈は澪を褒めているようだったが、澪にとって、その「澪ちゃん」という呼び方は、吐き気がするほど不快だった。彼女は杏奈を睨みつけながら言った。「あなたと健吾さんはまだ結婚してないんだから、私たちはまだ家族じゃない。馴れ馴れしく呼ばないで!」「どうせすぐ結婚するんだし、早めに慣れておいた方
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第616話

杏奈と健吾は、この食事に裏があることを察していた。だから、澪が注いでくれたお酒を、杏奈は少し警戒した。ただ、この前も健吾が飲み物でひどい目に遭ったのを思うと、澪が何か企んでいたとしても、こんな子供だましはしないはずだ。それから、杏奈は手でどうぞというように、澪に座るように促した。「立ってないで、あなたも座って食べなよ。せっかくあなたが張り切って準備したのだから、食べないのは勿体ないじゃない?」そう言って、杏奈は澪にもおかずを取り分けてあげた。だが、杏奈のそんな振る舞いが、澪には気に食わなかった。この家の女主人みたいな顔をしちゃって。それじゃ、まるで杏奈がもう健吾と結婚したみたいじゃない。でも、澪にはまだ計画があった。事を荒立てるわけにはいかないから、今は我慢するしかなかった。「ありがとう」それから杏奈は健吾の分も引き続き取り分けてあげた。「さあ食べて。この後、まだ用事があるんでしょ?さっさと食べ終わったら仕事に行って。終わったら早く休んでね」健吾は一瞬きょとんとしたけど、すぐに杏奈が澪と二人きりになりたいのだと察して、頷いた。一方、澪は健吾をかばうように言った。「ちょっと、どういうつもり?健吾さんがいくら忙しくたって、ちゃんとご飯を食べる時間はあるでしょ。少しゆっくりしたって、大したことはないじゃない」「あなたは仕事をしてないから分からないでしょ。仕事って自分の都合だけじゃ動けないものなのよ」澪は、今たしかに働いていなかった。それに、この先仕事を見つけるのも簡単ではないだろう。この言葉は、澪の痛いところを的確に突いていた。彼女は怒りに満ちた目で杏奈を睨んだが、結局何も言い返せなかった。それから健吾は食事を終えると、2階へ上がって行った。彼はこれからすぐに智の叔父に連絡して、お金を返すつもりだった。あんな他人が杏奈にダイヤをプレゼントするのなんてとても許せないから。こうして健吾が書斎で杉浦家に連絡している間、杏奈は階下で澪を相手にしていた。一方、健吾が席を立った途端、澪の表情もさっと変わった。彼女の杏奈に向ける眼差しには、濃い憎しみがこもっていた。そして彼女は箸を叩きつけるように置くと、杏奈を睨みつけて言った。「わざとでしょ?」「何がかしら?」杏奈もちょ
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第617話

それから杏奈は立ち上がり、澪を見下ろして言った。「あなたが何を企んでいるかなんて、あなた自身が一番よくわかってるでしょ。健吾さんのことをまだ諦めてないのも、隠す必要はないわ。だって、私たちどっちも馬鹿じゃないんだから。小細工が通用しないとわかれば、さっさと諦めることね。そうしないと、いつか橋本家の人たちから嫌われるのがおちよ。そうなったら、たとえあなたの兄を盾にしたって無駄になるから」杏奈はそう言い終えると、立ち上がって2階へ向かった。一方、澪は杏奈の後ろ姿を、歯を食いしばりながら憎々しげに見つめた。彼女は腕を振り払い、テーブルの上のお皿を床に叩きつけた。かなり大きな物音がしたが、杏奈はちらりと振り返っただけで、無表情のまま2階へ上がっていった。そこへ、節子が慌ててダイニングにやって来て、床に散らばったものを片付け始めた。彼女は、怒りで顔を真っ赤にした澪を横目に、一瞬手を止めて言った。「千葉さん、何か私にできることがあれば、お手伝いしますよ」その言葉を聞いて、澪は初めて足元で割れた食器を拾っている節子に目を向けた。彼女はこの家の使用人たちのほとんどが、自分の味方であることを知っていた。なぜなら以前、橋本家にいた頃、彼女はたびたび使用人たちに心付けを渡していたからだ。だから、相手もそれで自分に義理をたててくれるはずだ。そう思って、澪は尋ねた。「どうやって手伝ってくれるって言うの?」「千葉さんは明日にはもう発たれるのですから、今夜、健吾様とご一緒になられてはどうですか?健吾様は責任感の強い方ですから、きっと千葉さんを放ってはおきませんよ」さすが年の功だけあって、そういうところは冴えているようだ。とはいえ、節子の考えが、自分とまったく同じだと分かると、澪も内心では喜んだ。ただ、彼女は困ったようにこめかみを押さえた。「でも健吾さんはもう書斎に戻っちゃったし、後で絶対あの女がべったりするわ。私にチャンスなんてあるわけないじゃない」すると、節子は笑いながら立ち上がった。「千葉さんがお望みなら、チャンスは作れるものですよ」それを聞いて、澪の目が輝いた。節子は身をかがめ、彼女の耳元でなにやら策略を授け始めた。1分後、澪の表情は一転、晴れやかになった。「すごいわ!あなたの言う通りにやる。うまくいっ
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第618話

節子は、橋本家に古くから仕えている使用人だ。そしてこのところ、杏奈を一番あからさまに無視している人物でもあった。人が入ってきたので、杏奈はとっさに健吾の腕の中から起き上がろうとした。でも、健吾は彼女を抱く腕の力を緩めなかった。杏奈は腕の中から抜け出せなかったけど、入ってきたのが節子だとわかると、むしろこのままでいいかなと思った。一方、節子は二人をちらっと見ただけで、テーブルにホットミルクを二つ置くと、すぐに踵を返して出て行った。すると健吾はホットミルクには目もくれず、顔をしかめているだけだった。彼はそのまま、杏奈を抱きかかえたまま書斎を出て、寝室に戻った。「ホットミルク、飲まないの?」牛乳アレルギーなのは杏奈だけで、健吾は飲めるはずだった。「飲まない。これからも飲まないよ」健吾も長い間世を渡ってきただけあって、節子の今の行動から、色々なことが読み取れた。杏奈が橋本家に住み始めたとき、健吾は彼女が食べられないものをリストにして、キッチン担当の使用人に渡していた。節子はここの使用人で一番の古株だから、彼女にも直接リストを渡しておいたはずだった。それなのに、節子は全く覚えていなかったようだ。年を取って物忘れがひどくなったのか。それとも、はじめから気にも留めていなかったのか。でも、普段は澪の苦手なものなんかはしっかり覚えている。記憶力の問題じゃないのは明らかだ。そう思うと健吾は、いざとなったら使用人たちを入れ替える必要があると感じた。その頃、寝室には、ふんわりとアロマの香りが漂っていた。健吾は杏奈を抱いたまま部屋に入ったが、すぐに足を止めた。そしてその表情はもはや「不機嫌」という言葉では表現しきれないほど凍り付いていた。その緊迫した感じは杏奈にもひしひしと伝わってくるくらいだった。杏奈はアロマの匂いに気づかなかったけど、健吾が急にすごく怒りだしたことだけはわかった。彼女は、「どうしたの?」と尋ねた。健吾は杏奈を見下ろし、口元だけで笑った。「今夜はここで寝るのはやめよう」「じゃあ、どこで?」杏奈は不思議に思った。寝室で寝ないなら、一体どこで寝るっていうんだろう?健吾は杏奈を抱いたまま、隣の部屋へ向かった。その部屋は女の子らしい内装で、暖かい色合いの家具が置かれていた
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第619話

杏奈は首をかしげて健吾を見た。その目には非難の色が浮かんでいた。「わざとでしょ?」わざと何も言わないで、彼の寝室に自分を泊まらせたのね。健吾は気まずそうに視線をそらすと、意を決して話題を変えた。「母が、あなたにもう一つサプライズを用意してくれたんだ」健吾は杏奈の手を引いてベッドサイドへ行くと、サイドテーブルの引き出しからアルバムを一冊取り出した。本来なら杏奈はもっと健吾を問い詰めるつもりだった。でも、アルバムを見た瞬間、彼女の注意はすっかりそちらに奪われてしまった。それって、健吾の子供の頃からのアルバム?心の中でそう思ったとき、健吾がその疑問に答えてくれた。「そうだよ。俺の小さい頃からの写真だ」杏奈は新しいおもちゃを手に入れた子供のように、健吾からアルバムを受け取ると、最初のページからめくり始めた。最初のページは、健吾が生まれたばかりの頃の写真だった。顔はしわくちゃだけど、整った顔立ちの面影がなんとなく見てとれる。写真の横には、赤いペンで、【うちの宝物が、やっとこの世に生まれてきてくれたね】と書いてあった。その下には、大きなハートが二つと小さなハートが一つ描かれていて、生まれた日も添えられていた。それは健吾の両親が心を込めて作ったアルバムだということが、一目で分かった。そう感じて杏奈は、すっかりそのアルバムに引き込まれていた。彼女には、自分のアルバムというものがなかった。真奈美が久保家に来るまでは、養父母は杏奈によくしてくれた。でも、そこに本当の親の愛情を感じたことは一度もなかった。こんなふうに子供の成長を丁寧に記録した思い出の品なんて、彼女は今まで見たことも聞いたこともなかった。だから、杏奈にとって、それはとても新鮮な体験だった。こうして杏奈は、ページをめくった。1歳になった健吾は、まるでお人形のように可愛らしい赤ちゃんで、小さな手でお札を握りしめて楽しそうに遊んでいた。横の書き込みにはこう書いてあった。【この子、1歳のときからお札を掴んで離さないなんて、きっと大きくなったら金に目がなくなるわ……いや、もしかしてそれだけ金運がいいってこと?】それを見て杏奈は、思わずぷっと吹き出した。健吾って、お金が大好きだったの?杏奈には、とてもそうは思えなかった。だっ
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第620話

健吾に名前を呼ばれた節子は、先ほど澪と話していた時の落ち着きをすっかりなくしていた。給料を払ってくれている雇い主に、裏工作がばれてしまったのだ。これはかなりまずい状況だ。彼女は慌ててうつむいた。「私はただ、健吾様と鈴木さんが最近お疲れのようだったので……よく眠れるようにアロマを焚いただけです。私は橋本家で10年以上も働いておりますし、このアロマは以前、奥様にも使っていたものです」節子が言っている「奥様」とは、香織のことだった。つまり彼女は、自分は橋本家の古株だと言外に匂わせたのだ。そうすれば、健吾も腹を立ててはいても、長年の勤めに免じて大目に見てくれるだろうと踏んだのだ。しかし、節子は健吾という人間を甘く見すぎていた。「10年以上も働いている、ね」健吾は、その言葉を口の中で転がすように呟いた。それから、彼は薄ら笑いを浮かべた。「なら、雇い主を敬うことも知っているはずだが。俺が杏奈さんを連れてきた時、彼女が食べられないものはすべて伝えておいただろ。しかも橋本家の古株であるお前にも、特に念を押したはずだ。それでも杏奈さんが飲めないホットミルクを持ってきた。それがベテランの仕事ぶりか?」健吾にそう言われ、節子の顔はみるみるうちに青ざめていった。そうだ。確かに健吾が杏奈を連れてきた時、そう言いつけていた。だが、自分はキッチン担当ではないし、杏奈のことなど気にもかけていなかったので、すっかり忘れていた。そして今日、たったそれだけのことで、すべての企みがバレてしまったのだ。この仕事は給料も待遇も良い。こんな形で失うわけにはいかなかった。そう思って節子は慌てて謝った。「申し訳ありません、健吾様。私の不注意でございました。今後は気をつけますので」「もう今後はない」健吾は冷たい声で言った。「今夜中に荷物をまとめてくれ。明日、執事が給料を精算するから」それはまるで青天の霹靂だった。節子は信じられないという顔で健吾を見た。「健吾様!そんな……私を追い出すなんておやめください!私はここで10年、真面目に働いてきたんです!私……辞めたくありません!」節子はすっかり動転してしまった。澪は、節子のために何か一言口添えしようかと思った。しかし、健吾が本気で怒っていて、しかも彼がすべてお見通しであることがわかったので
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