All Chapters of あざとい女に夫も息子も夢中!兄たちが出動!: Chapter 651 - Chapter 660

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第651話

それを聞いて裕一はもう電話を切ろうとしなかった。彼の口元は上がっていたが、よく見るとその目は笑っていなかった。「俺たちの取引はもう終わったはずですよ。あなたが俺のビジネスに協力する代わりに、俺はあなたのために橋本からあの女を引き離してやりました。彼女を生かしておくか殺すかは、俺が決めることです」すると電話の向こうで、澪は怒りのあまり深く息を吸い込んでいた。その音は電話越しに裕一にも聞こえるくらいだった。「でも、健吾さんは今、D国まで追いかけていったでしょ!だからこの取引は無効よ!」そう言って澪は、ごね始めたのだった。だが、それにも増して裕一はもっと図々しかった。彼は、怒鳴りつけるように言った。「俺が有効だと言えば有効なんだ。なんで俺があなたの言うことを聞かなきゃならない?文句を言う前に、まず医者さんに診てもらったらどうだ?頭の中身が空っぽなんじゃないのか」その言葉は厚かましいだけでなく、非常に侮辱的だった。そう言われ澪は怒りで泣き出したようだ。彼女は少ししゃくりあげながら、自ら電話を切った。だが、それに対し裕一は鼻で笑うと、スマホをテーブルに投げた。「一体、何様のつもりだ?」そもそもあんなくだらない取引のことなど、裕一は最初から気にも留めていなかったのだ。それに比べて彼が唯一気にしているのは、健吾を宏の墓前に引きずって行き、なんとしても頭を下げさせることだった。それから裕一は少し考えを改めると、立ち上がって杏奈の部屋へと向かった。その時、杏奈は布団の中に潜り込んでいた。彼女は頭まで布団をすっぽりかぶり、全身を小さく丸めているのだった。一方、裕一は寝室のドアの前で少し立ち止まったあと、部屋の中へと入っていった。「出ていって!ハンバーガーとコーラなんていらないわ!」布団の中から、杏奈のくぐもった声が聞こえてきた。それは本来ならとても失礼な態度だが、今の彼女は追い詰められかなり苛立っていたので、なりふり構っていられなくなっているのだった。だけど裕一は、そんな杏奈をとても可愛いと思った。彼は笑いながら言った。「もうコーラとハンバーガーはやめましたよ。俺と一緒に下で食事でもどうですか?」裕一の声だと気づいたのか、杏奈は黙り込んでしまった。だが、裕一は誰かを待っていられるほど気が長くなか
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第652話

一方、裕一は面白そうに杏奈を見つめた。「俺が本当の目的を、あなたに話すとでも思います?」だが、杏奈は動揺することなく、背筋をぴんと伸ばして座っていた。「私はここに閉じ込められて、外との連絡も絶たれているのよ。だから、あなたが目的を明かしたところで、私には何もできないでしょ?」それを聞いて、裕一は黙って杏奈を見つめていた。そして彼は次第に笑みを浮かべて言った。「正直に言うと、あなたのその堂々とした態度は、なかなか気に入りました」ただ、健吾とさえ関わりがなければ、もっと気に入ったはずだ。しかし裕一は、結局何かを明かすことはなかった。こうして裕一に強要されて杏奈は食事をさせられたが、彼女は食欲がわかず、少ししか食べなかったのだ。それから杏奈が食事を終えると、裕一は彼女を部屋には連れ戻すことなく、邸宅の外へと連れ出したのだ。こうして杏奈は2日ぶりに太陽の光を浴びることができた。彼女は本能的に、その光をむさぼるように浴びた。裕一の邸宅はとても広く、白い小石を敷き詰めた道が続いている。その上を歩くと、まるで足裏をマッサージされているようだ。裕一は杏奈を連れて、あちこち曲がりながら進み、裏庭へとたどり着いた。すると杏奈は、花壇の真ん中に立つ、何も刻まれていない墓石にすぐ気づいた。これは、誰のお墓?そう思って杏奈はぞっとしたが、表情には出さず、平静を装った。「これは、俺の父です」杏奈が疑問を口にする前に、裕一は彼女の心を見透かしたように言った。だが、杏奈は何も言わなかった。むしろあなたの父親だからなんだっていうのと思ったくらいだった。彼女がお悔やみを申し上げる気は、毛頭なかった。そして、裕一もまた杏奈の様子を気に留めていないようで、彼は続けた。「俺の父は、自然死でも病死でもないんです。どうやって死んだと思いますか?」すると杏奈には、彼が振り返りざまに見せた笑みが不気味に思えた。この時、裕一から放たれる濃い殺気と、自分に向けられるあからさまな敵意と冷たさを、杏奈は肌で感じていた。そして彼女は思わず、数歩後ずさった。「どうやって亡くなったかなんて、私が知るわけないじゃない」だが裕一は杏奈の気持ちなどお構いなしに、一方的に続けた。「橋本に、殺されたんです」裕一はそう言うと、
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第653話

首筋に重苦しい痛みが走り、杏奈は裕一の腕を掴んで、なんとか引きはがそうとした。だが、裕一は手を緩めようとしなかった。それどころか、まるで杏奈の首をへし折ってしまおうとするかのようにさらに力を込めてきた。「どうしてどいつもこいつも橋本の味方ばかりするんだ!あいつはただの冷血な殺人鬼だぞ。あいつも、あいつの父もそうだ。俺たち親子をこんな見知らぬ国に追いやり、惨めな生活をさせたあげく、父を殺したんだ。なのに、どうしてあんなやつが、みんなに愛されるようになるんだ!」一方、杏奈は必死に裕一の腕を叩き続けた。ついに杏奈の呼吸が弱々しくなったところで、裕一はようやく手を離した。すると杏奈の体は力がぬけたかのように、床に崩れ落ち、むさぼるように新鮮な空気を吸い込んだ。彼女はせき込み、耳鳴りもやまなかった。だから、狂ったように叫ぶ裕一の声は、彼女には聞こえなかったのだ。代わりに喉の痛みがどんどん強くなっていき、ついに杏奈は、そのまま意識を失ったのだった。……一方健吾は、その小さな町に宿を取っていた。コーリンは、別の仕事を言いつけられて出かけて行ったのだった。そしてコーリンからの連絡を待っている間、健吾もただ待っているだけではなかった。彼は密かに周辺の地形を調べていたのだ。そしてひととおり調査した結果、裕一の邸宅は山の中腹にあることがわかった。裏手には手つかずの森が広がっていて、外側はフェンスで囲まれているが、未知なる危険に満ちていた。邸宅の外はたくさんのボディーガードが固めている。彼らはみな、裕一が長年かけて育てた手練れたちだ。だから、無謀に乗り込んでも、勝ち目はないだろう。そう思って、この時健吾は、見晴らしのいい塔の上に立っていた。彼は望遠鏡を下ろすと、その冷たい瞳の奥に、わずかな憂いを浮かべた。裕一は狂っている。あいつが何をしでかすか、まったく予測がつかない。もし、あの時のことで逆恨みして、杏奈に八つ当たりでもしたら……あまりのおぞましさに、彼はそれ以上考えていられなかった。とにかく一刻も早く、杏奈を助け出さなければ。そう思っていると、電話が鳴った。コーリンからだった。「健吾、フィーリアのやつらが柴田の地下施設に乗り込んだ。相当な騒ぎになって、地元警察も出動している」どうやら、潮時だな。そ
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第654話

そう思って杏奈は、ぱっと振り返って、少し先に立つホルを見つめた。ホルは背が高くがっしりした体格で、いかにも外国の屈強な男といった感じだった。そんなホルは裕一の一番の側近だ。そして、先ほど裕一が慌ただしく出ていった様子からして、何かよほどのことが起きたのだろう。それでも、裕一はホルを連れて行かなかった。どうやら、自分を見張ることが、それだけ重要だということなのだろう。そんな想いを巡らせながら、杏奈は無表情でホルをちらりと見ると、まっすぐ邸宅の玄関に向かって歩き出した。するとホルは、杏奈の前に立ちはだかった。「どこへ行く?」「外の空気を吸いに行くだけよ。何か問題でも?」この邸宅の中なら自由にしていいと、裕一は言っていたはずだ。だから杏奈はホルが、裕一の命令に背くとは思えなかった。案の定、ホルは裕一の言葉を思い出したのか、少し眉をひそめただけで道を開けた。そして杏奈が邸宅を出ると、やはり見張りがついてきた。だが、彼女は何も言わずに、ただ視界の端で少し後ろをついてくるホルをチラッとみただけだった。それから杏奈は、邸宅の敷地に沿って歩き始めた。敷地はとても広く、ゆっくり歩いて一周するのに1時間近くかかった。そしてふくらはぎがパンパンになるほどだった。さらにこの邸宅は電気柵によって、虫一匹入り込む隙間もないほど厳重に囲まれているのだ。中の人間は簡単に外へ行けず、外の人間もそう容易く中には入れない。だから、もし健吾が強引に助けに入ってくれば、彼自身が危険な目に遭うことになるだろう。杏奈がざっと見回しただけでも、敷地内にはかなりの数の人間がいた。使用人もいるが、大半は屈強なボディーガードたちのようだった。こんな状況では、健吾に無茶な行動をとってほしくないと彼女は思った。危険すぎる。「私を餌にして健吾さんをここにおびき出して、殺すつもりなんでしょ?」杏奈の突然の言葉に、ホルは少し驚いた表情を見せた。何よりも、その内容に驚きを隠せないようだった。この女は、自分たちが彼女をここへ連れてきたのは健吾をおびき寄せるためだと知っているのか?まさか、彼女自身で気づいたのか?いや、裕一が話したのか?ホルは杏奈の問いには答えず、「沈黙」を守り通した。一方杏奈は黙り込むホルを、振り返
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第655話

「あなたたちみたいなのが、よくも健吾さんを悪人呼ばわりできるわね?柴田の父こそ、健吾さんに殺意を抱かれるような、何かよっぽど酷いことをしたんじゃないの!」ホルは元々短気な性格だった。杏奈に何度も挑発されて、彼の我慢はとっくに限界を超えていた。すると、ホルは手を振り上げ、杏奈を殴ろうとした。だが、杏奈は身をかわしてその拳を避けると、冷ややかに彼を睨みつけた。「健吾さんはまだ来てないわよ。もし私を殴って怪我でもさせたら、柴田にどう説明するつもり?」そう言われ、ホルの拳は空中で止まった。彼は分かっていた。たとえ健吾のことがなくても、裕一が目の前のこの女に好意を抱いている限り、自分が彼女を傷つけるのを黙って見ているはずがない。そう思うとホルは腹立たしかったが、これ以上拳を振り下ろすことはできなかった。「ホルさん、入口で何かあったようです!」突然、遠くからボディーガードの声が聞こえてきた。ホルは杏奈を冷たく睨みつけると、手を挙げてボディーガードを一人呼びつけた。「こいつを見張っておけ」「はい」こうして杏奈を見張る人員が交代となった。そして、杏奈もこれ以上勘ぐったりしてはいられず、眉をひそめてホルが去っていった方向を見つめた。外で何があったの?もしかして、健吾が助けに来てくれたの?……一方、裕一がアジトに着いた時には、中はすでにめちゃくちゃに荒らされていた。彼の手下と、どこの誰とも分からない連中が、あちこちに転がっていた。誰もが傷だらけで、呻き声をあげているのだった。テーブルや椅子、設備はめちゃくちゃに壊されていて、広々としたアジトからいつもの賑わいは消え、そこには荒らされた残骸と、遠くから聞こえる鈍い打撃音とうめき声だけが残っていた。それを見た裕一の表情は、ますます険しくなっていった。彼は手下を連れて、奥へと進んでいった。すると黄金でできた大きなドアが開いていて、一段低くなった地下バーのフロアのソファに金髪の男性が一人座っていた。男性の見た目は若く、そして男にしては小柄だった。その身長はおおよそ160センチしかなく、幼い顔つきで、彼を知らない人が見たら、女だと見間違えるかもしれないほどだった。この時彼はソファに座ってスマホをいじりながら、そばで自分の手下が裕一の手下を殴
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第656話

そしてすぐに裕一は、邸宅にいる杏奈のことを思い浮かべた。彼の目つきが、とたんに鋭くなった。「たとえお前が橋本の使いっ走りになって、加担したとしても、俺の邸宅には、鉄壁の包囲網が張り巡らされているから、あいつが現れようものなら、生きては帰らせないさ」そう言って裕一は口元を歪ませて、その声はまるで地獄から這い出てきたような残忍な響きを帯びていた。「だが、同じD国で生まれ育った仲じゃないか。俺たちの間に昔からの因縁があるのは認める。それでも、橋本みたいな赤の他人のために、俺に刃向かうなんてな。フィーリア、お前もずいぶん落ちぶれたもんだな」わけもわからず罵倒され、フィーリアの目つきが戸惑いから怒りへと変わった。このオカマ野郎が、自分が落ちぶれだと言うなんて。「落ちぶれたのはどっちだ!お前の父は、D国に来た1ヶ月目は俺の父の秘書をしていた。だが、その3ヶ月後にはうちの機密情報を盗んで独立しやがった。お前らが今、これほどの力を持っているのはそのおかげだろうが。そもそも落ちぶれはお前たちじゃないのか!だが、ツケは返ってくるものだ。お前の父が誰かに殺されたのも当然の報いだ。お前たち親子はいずれ、その意地汚さがゆえに破滅するんだろう!」一方裕一は、宏を侮辱されて我慢ならなかった。ついに堪忍袋の緒が切れた彼は、拳を握りしめてフィーリアに殴りかかった。二人が殴り合いを始めると、その後ろにいた手下たちも入り乱れて戦い始めた。こうしてアジトは、大混乱に陥った。そして同じ頃、裕一の邸宅でも混乱が起きていた。ホルは手下を連れて、門の前に立っていた。健吾が来たのかと思ったが、門の前に立っていたのはコーリンだった。コーリンの後ろに停まる黒いマイバッハ。その助手席には、スーツを着こなした銀髪の男が座っていた。男は俯いたままで、降りてくる気配はなかった。あの男が、健吾だろう。そう思ってホルは鼻で笑った。この状況でまだ車から降りてこないとは。今になっても恰好をつけるつもりか?でも残念だが、この邸宅全体が健吾を捕らえるための罠だ。たとえ奴が車から降りてこなくても、捕まえる方法ならいくらでもある。「橋本社長、わざわざお越しいただいたのに、なぜ車から降りてこないのですか?」一方それを聞いたコーリンは、ホルがマイバッハを見
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第657話

一方コーリンは軽く笑っただけで、何も言わなかった。……その頃杏奈も邸宅の入り口に誰かが来たことに気づいた。彼女は様子を見に行きたかったが、そばにいたボディーガードに冷たく止められた。「邸宅にお戻りください」杏奈は戻りたくなかった。だけどボディーガードの態度はすごく威圧的で、言うことを聞いて戻らなければ、多分殴って気絶させてでも連れ戻されてしまうだろう。そして今彼女がいる場所は裏庭だ。邸宅に戻るには、花壇を迂回して、表の石畳の道を通らなければならなかった。いずれにしても逆らうことができず、杏奈はゆっくりと邸宅のほうへ歩き出したのだった。その間、噴水のそばを通りかかったとき、ふと白いものが目に入った。彼女はとっさの思いつきで、その場にしゃがみ込んでお腹を押さえた。「うっ、お腹が痛い!」するとボディーガードは目の前の女を訝しげに見て、面倒だなと思った。そして彼が手を出そうと近づいた、その時だった。突然、首にチクリとした痛みが走った。手をやると、首には一本の針が刺さっていた。それが何か確認する間もなく、めまいがして意識が遠のき、彼はそのまま気を失った。一方横でドサッと人が倒れる音がしたのを聞いて、杏奈はすぐに演技をやめて、急いで立ち上がると噴水のほうへ走った。それと同時に、噴水の後ろから健吾が現れ、しっかりと杏奈を受け止めた。抱きしめた瞬間、健吾はもともと華奢だった杏奈が、さらにガリガリに痩せこけてしまったように感じ、彼は、胸が締め付けられるように痛んだ。そして、彼は杏奈を強く抱きしめ、優しく背中を叩いた。「ごめん、遅くなった」たった数日でこんなに痩せてしまうなんて。杏奈がこの数日間、どれだけ辛い目に遭ってきたのか、きっと想像を絶するほどなんだろう。一方、杏奈も鼻の奥がツンとして、慣れ親しんだ腕の中で、こらえきれずに涙をこぼした。そして、彼女はまたすぐに何かに気づいたように、急いで健吾の腕から離れた。そして恐怖に満ちた顔で健吾を見た。「柴田​は私を使ってあなたをおびき出したのよ。あなたを始末する準備はとっくにできてるはず。あなた……早く、逃げないと」でも、どこへ逃げればいいの?そもそも、健吾はどうやってここまで入ってきたんだろう?一方、健吾も時間を無駄にせず、彼女の手
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第658話

一方、健吾は最初の銃声と同時に、塀に手をかけて飛び越えると、杏奈のそばに、すとんと着地した。それを見て杏奈はすぐに駆け寄り、心配そうに彼を見つめた。「大丈夫?ケガしてない?」健吾は首を横に振って、大丈夫だと伝えた。そして彼は木のはしごを蹴り倒すと、杏奈の手を引いて外へと走り出した。ただ、塀のこちら側には道がなく、相手に気づかれるのを恐れて、健吾も車をここまで回してはいなかったのだ。もともとは、彼は杏奈を連れてこのまま小道を通って、麓の道路まで下りる計画で、そこには迎えの車が待っているはずだった。しかし、健吾が杏奈を連れてその方向に数歩走ったところで、下の方から聞き慣れない声が聞こえてきた。D国の言葉だった。「やはりここに合流地点があったか。柴田様からの命令だ、最悪殺しても構わないから連れ戻せと!」それを聞いた健吾は即座に判断し、杏奈を連れて別の方向へと走り出した。その小道は歩きにくかった。杏奈は生い茂る草やツタに足を取られ、何度も転びそうになった。だが、彼女は健吾の手を必死に握りしめ、足元に気をつけながら、必死で彼について行けるように走った。こんな時に、健吾の足手まといになるわけにはいかない。そう思った次の瞬間、杏奈の体はふわりと宙に浮いた。健吾は走りながら、足を止めることなく、杏奈をひょいと背負い上げたのだ。「裏山を抜けていく。後で絶対に俺から離れるなよ。暗くなる前に山を下りないと」一方杏奈は彼の肩に掴まり、その真剣な口調を聞いて、胸に思わず緊張が走った。「そんなことしたら体力がもたないわ。下ろして、ちゃんとついていけるから」すると健吾が喉の奥で軽く笑うのが聞こえた。「あなたがついてこられないのを心配してるんじゃない。この先の道は険しいんだ。俺は昔、特殊な訓練を受けていたから、あなたが自分で歩くより俺がおんぶしたほうがスムーズだ。しっかり掴まってろ」そう言われると杏奈は、彼の首にぎゅっと抱きつくしかなかった。そして彼らが裏の塀から出たときは、まだ人の手が入ったような場所だったが、10分ほど走ると、あたりは雑草が生い茂り、空気中に漂う森の匂いもさっきよりずっと濃くなったのだ。気のせいかもしれないけど、杏奈はこちらの方が危険な気配が強いと感じていた。そして後方からは、未だにかす
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第659話

……そう言ってボディーガードたちは顔を見合わせたが、誰も中に入ろうとしなかった。結局、ホルの指示を仰ぐしかなかった。その頃、ホルは正門でコーリンと銃を突きつけ合って睨み合っていた。そして邸宅の中の騒ぎが無線機から聞こえてきた時、ホルはコーリンと健吾にしてやられたと悟った。やつらは健吾が正門に来たように見せかけたので、彼は大勢の手下を連れて捕まえようとしたのだ。まさかこれが、敵の注意を逸らすためのおとり作戦だったとは。多分中にいるあの女を助け出すためなんだろう。そう思っていると、ホルのイヤホンに手下からの声が届いた。「女が男と一緒に裏山へ入りました。我々も追いますか?」ホルは、コーリンの後ろにあるマイバッハに目をやった。運転席の男は俯いてスマホを見ていたが、その体つきは健吾とそっくりだった。だが、彼はそれでも何かがおかしいと感じていた。「裏山に入ったのは橋本なのか?」一方コーリンも、健吾が裏山に入るなんて思わなかった。裏山は一度入ったら出てこられないと言われるほど、険しい原生林なのだ。健吾は頭がおかしくなったのか?人を助けるのはいい。でも、なぜあんな危険な場所へ向かうんだ?だが、コーリンは考える暇もなく、振り返って車に乗り込もうとした。するとホルが彼を大声で呼び止めた。「おい、待て!車に乗っているのは橋本じゃない!わざとやってるのか?柴田様と張り合ってどうなるか、覚悟はしているだろうな?」そう言って、ホルが持っている拳銃の安全装置は既に外され、指は引き金にかかっていた。そして銃口はまっすぐコーリンの心臓に向けられているのだった。しかしコーリンは彼に背を向けたままだったが、全く怖がっている様子はなかった。「車に乗っているのが健吾だとは一言も言っていないよ。今日はただ挨拶に来ただけ。会おうと思った相手に会えなかったので、これで失礼するよ。もちろん、俺を疑って撃つつもりなら、麓で待機している警察がお前たちを見逃さないでしょう」コーリンは準備万端で来ていたのだ。だから、ホルは、コーリンが車に乗り込み、走り去っていくのをただ見ているしかなかった。その悔しさから彼は激しく腕を振り下ろし、電話の向こうにいる手下に叫んだ。「探せ!中に入って探し出せ!生死を問わず、必ず見つけろ!」そ
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第660話

一方、健吾が杏奈を連れて裏山に入ってから、そう時間は経っていなかった。杏奈は健吾の肩をぽんぽんと叩くと、もう歩けるから降ろしてほしいと言い張った。「あなただって、いつまでもつかわからないじゃない。体力は温存しないと。私は大丈夫、一人で歩けるわ」そう言って杏奈は譲らなかった。すると、健吾はしかたなく彼女を降ろした。そして健吾の額に浮かぶ汗を見て、杏奈は胸を痛めながら眉をひそめた。彼女は自分の袖で健吾の汗を拭いてあげると、その拍子に、いつの間にか彼がリュックを手にしているのが目に入った。「これ、何?」健吾は手に持っていたリュックを少し持ち上げて見せた。リュックはそれほど大きくないけど、中に物がたくさん詰まっているみたいでパンパンだった。「あなたを助けに来る時、何事もなくうまくいくとは限らないからさ。万が一のために、このプランBを用意しておいたんだ。中身は全部、いざという時に役立つものだよ」「でも、さっきまでリュックなんて持っていなかったじゃない」そう言われ、健吾は笑いながら杏奈の頬をそっとつまむと、彼女の手を引いて山道を下っていった。そして歩きながら説明した。「あらかじめ外に隠しておいたんだ。さっき取りに行ったんだけど、多分一瞬だったからあなたが気づかなかったんだろう」それを聞いて杏奈は、健吾の用意周到さに改めて感心させられた。この男は、自分が思っている以上にずっと細やかなのだ。とりあえず、追手がすぐにこの裏山まで入っては来ないと分かっていたから、健吾は杏奈を急かすようなことはしなかった。だけど、のんびりもしていられない。この場所自体も安全とは言えないし、いつ追手が来るかもわからないからだ。そして健吾はリュックからチョコレートとジャケットを一枚取り出した。「ここは少し肌寒いだろう。これを羽織りなよ。あと、これを食べて体力をつけておかないと。山を下りるまで、まだ長い道のりがあるからな」そう言われ杏奈は、彼が薄い黒の長袖シャツ一枚しか着ていないのを見て、心配になった。「あなたはいいの?寒くない?」「俺はあなたより寒さに強いから平気だよ。ほら、早く着て」健吾は杏奈にジャケットを着せると、チョコレートの包みも破ってあげた。それから彼はじっと、杏奈を見つめた。彼女のかつて艶やかだっ
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