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第110話 七年前の夜を、プロポーズで塗り替えて②

「……本当は、もっと綺麗な言葉を考えてた」  晴紀が、静かな動きで、テーブルの上に小さな箱を置く。  胸が、大きく跳ねる。 「でも、君の前だと、たぶん無理だな」  箱が開く。  やわらかな灯りの下で、石がひとつ、静かに光を返した。 「朱音」  名前を呼ばれる。  その声に、七年前の夜も、病室の白い天井も、社長室の別れも、全部が重なって、それでも今だけは、ちゃんとひとつの場所にたどり着いた気がした。 「嬉しい時だけじゃなくて、しんどい時も。  喧嘩する日も、仕事で潰れそうな日も。  みっともない俺も、強すぎる君も、全部ひっくるめて」  一度だけ、息を吸う。 「これから先を、一緒に生きてほしい」  もう、涙がこぼれていた。 「結婚してほしい」  指先が震える。  言葉にしたいのに、胸の奥の方が先にいっぱいになってしまう。  晴紀は続ける。  たぶん、これを最後まで言うために、ここへ来たのだと分かる声で。 「答えを急がせたいわけじゃない。けど、もう君のいない未来を、正しいって言い聞かせるのは終わりにしたい」  低く、静かな声だった。 「朝、同じ家で目を覚まして、くだらないことで笑って、忙しい日は一緒に疲れて……そういう、当たり前の毎日を、君と生きたい」  その言葉が、胸のいちばん柔らかいところに落ちる。 「……一緒に家に帰ろうか」  その瞬間、私はほんとうに駄目になった。  七年前、ここで失ったはずのものが、まったく違う形で胸に戻ってくる。  待たされた夜。  選ばれなかった夜。  独りで帰った夜。  その全部に、今、答えが置かれた気がした。 「……そんなの」  涙で滲んだ視界の向こうで、彼がじっと私を見ている。 「そんなの……断れるわけ、ないでしょ……」  笑いながら泣くみたいな声になった。  自分でも情けないと思うのに、晴紀はそんな私を見て、泣きそうな顔で笑った。 「……うん」 「うん、って……何それ」 「よかった、って意味」  私は泣きながら、でもちゃんと頷いた。 「……帰ろう」  その一言で、晴紀の表情が崩れた。  救われたみたいに、安堵したみたいに。  七年前の私は、この場所から独りで帰った。  期待したぶんだけ傷ついて、何も持てないまま、俯いて。  でも今は違う。  
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最終話 水色の手帳は、過去になった

 プロポーズの夜から、数日が過ぎた。 七年前、あなたの未来から、私は一度消えた。 それでも今、私はあなたの隣を歩いている。 並んで歩く。何も言わなくても、距離は自然に近くなっていた。ふと、文具店の前で晴紀が足を止める。 ショーウィンドウに並ぶ、革の手帳。彼の視線が、一冊の水色の手帳で止まった。ほんの一瞬だけ。「入ろうか」 晴紀の言葉に、私は頷いた。 店内は静かだった。棚には、上質な革の手帳がずらりと並んでいる。黒、茶色、紺、深緑。 落ち着いた色の中で、私の視線はある一冊に吸い寄せられた。「……これ」 指先で触れたのは、透き通るような、けれど深みのある水色の手帳だった。七年前、私が彼に贈ったあのメモ帳と、同じ色。「また水色にするのか?」 隣で晴紀が、少し意外そうに私を見る。けれど、その目はどこか愛おしそうだった。 私は頷いて、その手帳を彼に手渡した。「晴紀の色だから」 彼の指が、手帳を受け取る。「今は『晴れ』を、誰かのために使える人だと思うから」 私の言葉に、彼は一瞬だけ目を見開いた。 かつての彼は、その名前の重さに縛られ、一人で嵐の中に立っていた。でも今は違う。 晴紀は水色の手帳を、愛おしそうに指先で撫でた。それから棚の奥へ手を伸ばし、今度は鮮やかな、けれど落ち着きのある赤い手帳を取り出す。「じゃあ、朱音はこれだ」「えっ、赤?」「ああ。朱音だし」 晴紀は少しだけ笑った。「それに、俺の心を溶かしてくれたのは、君のその熱さだったから」 まっすぐな目で、見つめられる。「これからは俺の隣で、ずっと赤く輝いていてほしい」 ストレートすぎる言葉に、顔が熱くなる。「……そういうこと、普通に言うようになったね」「君には、言い惜しみしたくない」 また、そんなことを言う。 七年前は、言葉が足りなかった。お互いに足りなくて、すれ違って、取り返しのつかないところまで離れてしまった。 だから今の晴紀は、少し不器用なくらい、ちゃんと言葉にしようとしてくれる。そのことが、嬉しかった。 レジで並んだ二冊の手帳。水色と、赤。 それはまるで、これから二人が紡いでいく新しい空の色と、そこに昇る太陽のようだった。「……大事にするね、晴紀」「俺も」 会計を終えて、店員から袋を受け取る。晴紀は水色の手帳を一度取り出し、表紙を確かめるよ
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