扉の向こうに気配がないことを、何度も確かめてから。 悠斗は、ようやく一人きりになったことを受け入れた。 地下の静けさが、重くのしかかる。 自分の呼吸だけが響く。 壁時計はない。それでも、感覚でわかる。 ——男は、一時間で戻ると言っていた。 もう、あまり時間は残っていない。 ゆっくり手首を動かす。 金属が微かに擦れる。右の手錠に、わずかな遊びがある。 坂東に痛いと訴えて付け直してもらったとき—— 彼はロックをかけ忘れた。 いや、かけることを知らなかったのだろう。 それが、今、突破口になる。 床の隙間に落ちた小さな金属片—— 壊れたボールペンのクリップだろう。 薄く、硬く、先が少し曲がっている。 それを右手の指で拾い、鍵穴の下部に差し込む。 角度を45度に傾け、軽く持ち上げるようにずらす。 カチ……。 小さな音。 心臓が跳ねる。 そのまま金属片を固定し、手首をゆっくり反時計回りに。 ラチェットの歯が、一つずつ逃げる感触。二つ目、三つ目—— 最後の歯が外れた瞬間、手錠がするりと開く。音は、ほとんどしない。 同じ手順で、左手を外す。 悠斗は立ち上がり、ポケットに手を入れる。 そこには、すでに拾っておいた地下室の鍵がある。 坂東のポケットから滑り落ちたものだ。 鍵穴に差し込む。 ひと呼吸置いて、回す。 カチ、と、小さな手応え。 鉄扉が、わずかに開いた。 隙間の向こうに、暗い廊下。 その先には、さらに深い闇と、出口の気配。 悠斗は一度だけ振り返った。 暗い地下の奥。 もう誰もいないはずの場所に、まだ坂東の気配だけが残っている気がした。 ……自分が、このまま消えたら。 坂東は、どうなるのだろう。 すべてを吐き出したあとで、「これで家族は守られる」と信じきっていた、あの顔。 逃げ切れたとしても、彼が無事でいられる保証なんて、どこにもない。 それでも―― 今は、立ち止まれなかった。 悠斗は視線を切り、静かに外へ踏み出した。 この先は、森だ。 建物を抜ければ、夜の木々が待っている。 もう、戻るつもりはなかった。 *** 車内。 夜の高速を、ワイパーの音だけが刻んでいる。 フロントガラスを
最終更新日 : 2026-02-20 続きを読む