タクシーを降り、自宅の鍵を開けた。 玄関の灯りがついた瞬間、ようやく息が戻った気がしたのに──休むという発想は一度も浮かばなかった。(まず……さっき渡した草稿を、もう少し練るだけでも) ノートPCを開き、指をキーボードへ置く。 ──けれど、今日上司に渡してきた公式の文言以上のものは、 もう、何も書けないと分かっていた。 火を広げないための最低限の措置は、 迅速に、そして誠意をもって行う。 マーケでも広報でも、それは常識だ。 私もずっと、その側にいた。 だからこそ分かってしまう。(表に出る人間の一挙手一投足が、どれだけ火種になるか) カーソルが、画面の上で瞬いたまま止まる。 次の一文字が、どうしても浮かばない。 その空白だけが、異様に目についた。(……まさか、自分がその表側になる日が来るなんて) 胸がきゅ、と痛む。 炎上の仕組みを何度も見てきた。 火がつく瞬間も、燃え広がる導線も、沈静化のセオリーも、全部知っている。 だからこそ──理解できてしまう。(今ここで、私が何かを言えば……完全に燃え上がる) 文字を打つ前に、責任の重さが落ちてくる。 鴨川の夜。 浮気と見なされた一枚。 社内のざわめき。 いずみの嘲笑。 晴紀の顔色。 全部、繋がってしまう。(私はもう、炎上のアイコンなんだ) その事実だけで、指先の温度がすっと消えた。 スマホが震えた。 画面を見なくても分かる。Dだ。《家着いた?》《何かあったらすぐ言って》《一人で背負わないで》 優しい言葉は、今の私には受け取れない刃だった。(……ごめん、D) 画面を裏返し、未読のまま置いた。 本当は、Dにすがりたかった。 声を聞くだけで泣けるほど、疲れていた。 でも──私はあの夜、Dを裏切った。 たとえ未遂でも、その事実だけが胸に刺さっている。 それに、Dは逃げ場じゃない。 ずっと肩を並べて戦ってきた人だ。 ここで甘えてしまったら、 私はもう二度と自分の足で立てなくなる気がした。 だから、優しさにすがる気にはなれなかった。 逃げたくないのに、優しさを受け取れば、崩れる。 その確信だけがあった。 机の端に置いてあった社員証が目に入った。 朝つけて出たときと同じ形。 でも今は、まるで
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