花嶺桔梗。それが私の名前だと教えられた。年齢は二十八歳だとも告げられた。本来なら、そんな基本的なことは誰かに教えられるまでもなく、自分の口で自然に言えるはずのものだ。それなのに、いざ「あなたは誰ですか」と問われれば、私は何一つ答えられない。空白のまま、喉の奥で止まる言葉すらも出てこない。免許証や保険証といった公的な証明書を見せられ、それらの情報が正しいのだと頭では理解できた。私はそれらが何のためのものか知っているし、社会の仕組みも分かる。二十八年間で積み重ねてきた知識は、確かに私の中に残っている。それなのに、その知識を積み上げてきたはずの『私』という存在だけが、きれいに抜け落ちている。知識の器だけが残っていて、中身の記憶がごっそり失われているような、奇妙で不安定な感覚だった。お医者さんによると、私は解離性健忘という病気らしい。耐え難い何かから心を守るために、心が自分自身を切り離してしまった―――そう説明された。そんな仕組みが人間に備わっていることを、私はそれまで知らなかった。きっと、これまでの人生では必要のなかった知識なのだろう。あるいは、知る必要がないほど穏やかに生きてきたのかもしれないし、逆に、知る余裕すらないほど追い詰められていたのかもしれない。どちらにせよ、今の私には確かめようがない。―――人生のすべてを忘れるなんて、『私』は心が耐えきれないほどの不幸だったのか。それを尋ねたとき、心療内科医の先生は静かに首を振った。物事は単純ではなく、複雑に絡み合うものだから、原因が一つでも記憶が丸ごと抜け落ちることはあるのだと。長い文章を書き続けているうちに誤りに気づき、修正し、修正を重ねるたびに新たな矛盾が生まれ、どこが正しいのか分からなくなって、最後には「もう全部消してしまえ」とすべてを消去する―――それが今の私の状態に近いのだと説明された。その比喩は妙に腑に落ちた。私は何かを消したのではなく、消さざるを得なかったのだ。そんな私のお腹には、新しい命が宿っている。母子手帳には花嶺桔梗の名前が記され、妊娠の経過が丁寧に書き込まれている。鏡に映る自分の体を見れば、否応なしに現実を突きつけられる。膨らんだ腹部は、私がただの「空白の人間」ではないことを証明していた。母子手帳の間には、妊娠中絶手術に関する資料が挟まれていた。それを受け取ったにもかかわ
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