「蓮司さん?」夜の静けさの中で自分の声がやけに大きく響いた気がして、思わず周囲を見回した。誠司が久しぶりに夜泣きをして、しばらく抱いてあやしていたらすっかり目が冴えてしまった。寝直すには意識がはっきりしすぎていて、温かいものでも飲めば少し落ち着くかもしれないと思い、キッチンに足を運んだ。冷蔵庫の中を見ていた蓮司さんがこちらに顔を向ける。暗がりの中、冷蔵庫の白い光だけを浴びているせいか、蓮司さんの整いすぎた顔立ちがかえって非現実的で、少しだけ怖い。けれど、その存在に安心している自分もいるのが不思議だった。「桔梗、ただいま」振り向いた蓮司さんが挨拶をするのには、わずかに動きの間があった。今日は酒席があると言っていたから、おそらく軽く酔っているのだろう。顔にはほとんど出ていないけれど、いつもよりほんの少しだけ反応が遅い。それでも彼は必ず「ただいま」と先に言ってくれる。「お帰りなさい」と返しながら、胸の奥がじんわりと温かくなる。どちらが先でも同じはずなのに、この順番にこだわる自分の気持ちは、きっと他人には理解されにくいだろう。でも、蓮司さんには教えてある―――説明させられたのほうが正しいかもしれない。以前、「ただいま」を先に聞きたくて、わざと「おかえり」を遅らせてしまったことがあった。どうしたのかと不思議そうに尋ねられて、体調不良ではないかと心配され、慌てて説明した。屁理屈みたいで恥ずかしかったけれど、話して良かったと思えるのは、それ以来、蓮司さんは必ず先に言ってくれるから。でも、このことで言っていないことが一つだけある。「ただいま」は“あなたのところに帰ってきた”という意味で、あなたのいる場所が自分の帰る場所なのだということを示す言葉だと―――私に実感させてくれたのが蓮司さんだ。蓮司さんの「ただいま」を聞くと、誠司と一緒に退院した日のことを思い出す。.その日は、天気が良かった。病院の入口には蓮司さんだけでなく、お義父様やお義母様、そして朋美さんまで来てくれていた。担当の先生が「素敵なご家族ですね」と微笑んだとき、私は曖昧に笑うことしかできなかった。家族―――その言葉を自分が使っていいのか分からなかったからだ。入院中に入籍は済ませていたけれど、それは書類上の変化でしかなく、結婚したという実感はほとんどなかった。大きな家だから迎えの車は二台用
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