All Chapters of 輝く私の背中に、夫は必死に追いつこうとした: Chapter 691 - Chapter 700

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第691話

舞絵は拳をぎゅっと握りしめ、今にも火を噴きそうな目で望美を睨みつけた。――本当に性根の腐った女だ。やがて彼女は机の上のスイーツへ視線を移し、わざとらしく尋ねた。「社長、このスイーツ、とても可愛らしくて美味しそうですね。どちらのお店で買われたんですか?私も買って食べてみたいと思いまして」「これは望美が作ってくれたんだ」成哉は望美へ優しい眼差しを向けた。「お金を積んでも手に入らない特別なスイーツだよ」「そうなんですか?」舞絵は不思議そうに首を傾げた。「でも以前、社長は橋本さんはスイーツ作りができないとおっしゃっていましたよね……それはどういうことでしょうか」成哉の表情がわずかに曇る。望美へ向ける視線にも、探るような色が滲んでいた。ここ数日、監視カメラの件がずっと頭から離れなかった。何度も考えた末にたどり着いた結論は、望美は自分を愛しすぎるあまり、あの二人の子供の存在を受け入れられず、だからこそ自分を騙すような真似をしてしまったのだ、というものだった。望美の気持ちは理解できるが、それで彼女のやり方まで正しいとは思えない。たとえ自分があの子供たちを嫌っていたとしても、子供たちに罪はないのだから。「どういうことだ?」成哉は問い詰めるような口調で尋ねた。「このスイーツは君が作ったって言ってたよな」「私……確かに、お屋敷の厨房の人たちには少し手伝ってもらったわ」望美は成哉の手をそっと握った。「でも、あなたを愛してるっていう気持ちは本物よ。ただ、私、本当に料理が苦手だから、少し教えてもらっただけなの。それなのに、この女はこんなところで私たちの仲を裂こうとしてるのよ!あなたにどんな下心を抱いてるかなんて、もう見え見えじゃない」望美は舞絵を指差し、容赦なく言い放った。成哉は眉間を揉み、深く息をつき、苛立ちばかりが募っていく。目を覚まして以来、何一つ思い通りにならない。舞絵はすぐに口を開いた。「橋本さん、どうか落ち着いてください。私は通常の業務を行っているだけです。そのようなことをおっしゃるのであれば、きちんと証拠をお示しください」「自分のその格好を見てみなさいよ。私の言ってることにはちゃんと根拠があるわ」望美は舞絵の服装を指差し、値踏みするような目で見た。「どうせ何か
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第692話

成哉は目の上のたんこぶだった舞絵を追い払うことができ、ようやく胸を撫で下ろした。望美も、ようやくいつもの甘い笑みを取り戻す。「成哉、やっぱり私の味方をしてくれるって信じてたわ。それにしても、あなたの会社の従業員、本当に教育し直した方がいいんじゃない?クビになったくらいで、あんなふうに喚き散らすなんて」成哉はそんな望美の笑顔を見つめていた。だが次の瞬間、ふいに気持ちがすっと冷め、どっと疲労感が押し寄せてくる。成哉は椅子に深く腰を下ろし、ファイルを開くと、顔も上げないまま淡々と言った。「もういい。用がないなら先に帰ってくれ。まだ仕事が残ってる。君に構っている暇はない」突然の冷たい態度に、望美は胸の奥で強い屈辱を覚えた。それでも必死に笑顔を作り、何事もなかったように答える。「ええ、わかったわ。お家で待ってるわね」しかし成哉は、その言葉に何一つ反応を返さなかった。望美も、これ以上いても無駄だと悟り、仕方なく部屋を後にする。せっかく用意したサプライズだったのに、舞絵というあの忌々しい女のせいで、すべて台無しになってしまった。望美が立ち去るのを見届けると、成哉はようやく顔を上げた。誰もいなくなったオフィスをぼんやりと見つめながら、彼の頭の中は絡まり切った毛糸玉のように混乱していた。解こうとすればするほど、余計にもつれていく。望美と舞絵、二人の言葉が頭の中で何度もぶつかり合い、まるで耳元で延々と繰り返されているようだった。成哉はこの異常な感覚を、すべて交通事故の後遺症のせいだと自分に言い聞かせる。きっと最近、疲れが溜まりすぎているだけなのだろう。成哉は大きく息を吐くと、再び仕事へ意識を戻した。――舞絵は解雇された。彼女は天野グループのエントランスに立ち、振り返ってビルを一瞥する。案の定、受付の女性たちの目には、あからさまな嘲笑が浮かんでいた。舞絵は手のひらに爪が食い込むほど拳を握り締めたが、その痛みすら感じなかった。――全部、あのアマのせいだ。よくも私にこんな屈辱を味わわせてくれたわね。絶対に代償を払わせてやる。舞絵は踵を返し、そのまま会社を後にした。角を曲がるとスマホを取り出し、どこかへ電話をかける。「もしもし、私よ。成哉にクビにされたわ」電話の向こうで何
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第693話

井上グループ。馨は父・光司のオフィスに座り込み、その腕にしがみついて甘えた声を出していた。「お父さん、お願い。このプロジェクトに投資してよ」光司は眉間を押さえ、深いため息をつく。この一人娘には、本当に頭が上がらない。「まったく、どうして急にモダン・コルセットのプロジェクトなんかに投資したいと思ったんだ?」どっと疲れたような声で尋ねる。娘がどれほどの実力かなど、父親である自分が誰よりもよく分かっているのだから。三日坊主。何をやっても長続きしない。思いつきで始めては、いつも中途半端なところで放り出す。これまで何年も投資してきたが、そのほとんどは水の泡になっていた。「今回は違うのよ」馨は父親へ本音を打ち明けた。「お父さん、やっぱり私は神谷理玖が一番好きなんだもん」「あのカーディーラーの営業はどうした?もう飽きたのか?あいつなら今でもあんたのそばにいるだろう」光司は首をかしげた。以前、娘がディーラーで騒ぎを起こしたことも耳に入っている。それなのに今になって、また理玖の名前を口にするとは。どうやら、また遊び飽きたらしい。案の定、馨は不満そうに鼻を鳴らした。「偽物はやっぱり偽物よ。本物には敵わないわ」馨は光司の肩にもたれながら、最近知った情報を打ち明けた。「お父さん、紬とあの元夫、離婚したのよ。前まではね、『私が手に入らないなら、理玖だって手に入れられない』って自分に言い聞かせてた。でも今は違うの。二人とも独身なんだから!」紬が離婚したと知ってからというもの、彼女は夜も眠れないほど焦っていた。今では、理玖にどこか似た冷たい雰囲気を持つ泰一を見ても、もう何のときめきも感じない。ただ退屈なだけだ。泰一のことを思い浮かべるたび、興味は冷めていく。高級車を一台与えたとき、最初は戸惑いながらも、やがて当然のように受け入れ、図々しくなっていく様子も全部見てきた。金になびく男など、身体の欲求を満たすだけで十分。心から惹かれるのは、やはり理玖のような男だった。「お父さん、私、本当に危機感を感じてるの」馨は真剣な表情で訴えた。「それで、どうするつもりだ?」光司も少し興味を引かれた。この娘の発想は、いつだって常識の外にある。時には彼ですら理解できず、次に何をし
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第694話

最後、唯一の条件として、馨がプロジェクトの責任者を務めることになった。馨は赤い唇の端を吊り上げ、瞳には勝利を確信したような光を宿していた。紬を完膚なきまでに叩きのめしたあと、それでも理玖が、あんな魅力の欠片もない紬を愛し続けるのか、見ものね。――紬がモダン・コルセットを作るというのなら、それこそ私が最も得意とする分野だ。ならば、この場で私がどれほど彼女より優れているか、理玖に思い知らせてやろう。光司は、強い決意に満ちた馨の瞳を見つめ、それ以上は何も言わなかった。娘の性格は、誰よりも彼自身がよく理解している。まあいい。娘ももう立派な大人だ。一度、自分の力でやらせてみるのも悪くないだろう。――その頃、スタジオ・Nirvana。紬は図面の作成に没頭していた。一度モダン・コルセットをデザインすると決めた以上、中途半端なものを作るつもりはない。その時、オフィスのドアがノックされた。思考を遮られた紬は、顔を上げる。「入って」「大変です、紬先輩!」カナがタブレットを抱え、慌ただしく部屋へ飛び込んできた。顔には焦りが色濃く浮かんでいる。紬も思わず身を乗り出した。「何があったの?」普段のカナはお調子者でも、肝心な場面では冷静さを失わないタイプだ。そんな彼女がここまで取り乱している姿を、紬は初めて目にした。カナはタブレットの画面を表示し、そのまま紬の前へ差し出した。「情報を掴みました。SNSで新興ブランドがうちの公式アカウントをメンションして、堂々と挑戦状を叩きつけてきたんです。しかも、向こうもモダン・コルセットをメインにしているんですが、改良型モダン・コルセットを打ち出していて……」そんな偶然があるだろうか。紬は眉をひそめ、タブレットを受け取って内容をじっくりと確認した。案の定、見覚えのないブランド名がSNS上にあり、その投稿にはスタジオを挑発するような文面が並んでいた。それを読み終えても、紬の表情は少しも揺るがなかった。だが、カナは落ち着かない様子で部屋の中を行ったり来たりしている。「このブランド、どう考えてもわざとですよ」カナは苛立ちを隠せない様子で言った。「完全にうちを狙ってます。私たちがサブブランドの立ち上げを発表して準備を進めている、このタイミングを狙って
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第695話

紬は気持ちを切り替えると、カナに言った。「気にしなくていいわ。それより雅乃には、オンラインでの宣伝をもっと強化するよう伝えておいて。スタジオの知名度だけに頼るんじゃなくて、一番大事なのは作品そのものなんだから。カナもモダン・コルセットのデザインをもっと勉強して、決して手を抜かないようにね」「はい、わかりました」カナはタブレットを受け取り、瞳に強い決意を宿した。Nirvanaスタジオと勝負したいというのなら――どちらが最後に勝つのか、思い知らせてあげればいい!カナが部屋を出ていくと、紬は再び椅子に腰を下ろした。机の上に広げた図面へ視線を落としたものの、先ほどまでの集中力はどこかへ消え、なかなか考えがまとまらない。馨に対する印象は薄い。ただ、以前ディーラーで会った時の様子を見る限り、彼女は思ったことをそのまま行動に移す、裏表のない性格なのだろうという印象だけは残っていた。それ以外に、これといった接点はない。それなのに今になって、なぜ馨はモダン・コルセットを手掛け、わざわざNirvanaへ挑戦状を叩きつけてきたのだろう。紬はそれ以上、この件を深く考えるのをやめた。所詮、他人の選択に口を挟む権利など自分にはない。自分は、自分の信じる道を貫けばいい。そうして余計な雑念を振り払い、再びデザインに没頭しようとした、その時だった。理玖から電話がかかってきた。紬は小さく首を傾げた。――こんな時間に、一体どうしたのだろう。通話ボタンを押すと、受話口から聞こえてきたのは聞き慣れた理玖の声ではなく、愛らしい子供の甘えた声だった。「きれいなおねえちゃん、私だよ」紬は一瞬きょとんとしたが、すぐに目元を和らげて微笑んだ。「唯ちゃん。今、おじさんのところにいるの?」「うん。きれいなおねえちゃんに会いたくなっちゃって」唯の声には、少しだけ寂しさが滲んでいた。「だから、おじさんにお願いして電話してもらったの。お仕事の邪魔しちゃった?」紬は小さく笑って首を横に振った。「そんなことないわ。じゃあ、あとで唯ちゃんとおじさんに会いに行くわね」「やったー!」唯は嬉しそうに両手を叩いた。次の瞬間、受話口の向こうで元気いっぱいの声が響く。「おじさん!きれいなおねえちゃんが来てくれるって!早
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第696話

「まったく、おませさんだな」理玖は手を伸ばし、唯の柔らかい小さなほっぺたをつまんだ。唯は不満そうに理玖の手の甲をピシャリと払いのけた。「おじさん、私、もうこどもじゃないんでしゅから!ほっぺたをつままないで。バカになっちゃう」唯の真面目ぶった小さな姿を見て、理玖はたまらず吹き出した。「はいはい。夜、きれいなおねえちゃんを落とすのを手伝ってくれたら、お前のおやつは全部おじさんが奢ってやるよ」唯は小さな胸をポンと叩き、キリッとした顔で答えた。「まかせて!」――レストラン・宵庭。理玖が唯を連れて食事に来ると聞いた清彦は、あらかじめ一番いい個室を用意して待っていた。二人が到着するや否や、清彦は熱烈に出迎えた。彼は唯をひょいっと抱き上げた。「いやあ、唯ちゃん、会いたかったよぉ!清彦おじさんのこと、寂しかった?」「清彦おじさん、お髭がチクチク!」唯は愛らしい顔をくしゃくしゃにしかめ、すり寄ってくる清彦の顔を一生懸命に手で押し返した。「おじさん、落ち着いてくだしゃい!私はただ、ご飯を食べに来ただけなんでしゅから」清彦は唯をからかおうと、わざと抱きしめたまま離そうとしなかった。「えー、髭なんてないよ……今朝剃ったばかりだもん。ほら、触ってみて。チクチクしないから」唯は今にも泣き出しそうだった。彼女は理玖に助けを求めるような視線を向け、その大きな瞳には涙がウルウルと浮かんでいる。理玖は冷ややかな目を清彦に向け、いい加減にしろと合図を送った。清彦はそこでようやく、しぶしぶといった様子で愛らしい小さな体を床に下ろした。足が床につくや否や、唯は慌てて理玖の背後に逃げ込み、大きな目をめいっぱい見開いて清彦を抗議するように睨みつけた。清彦は鼻をこすりながら尋ねた。「で、奥さんはいつ来るんだ?」紬と理玖はまだ付き合っているわけではないが、清彦の中では、二人はとっくに夫婦のようなものだった。この「奥さん」という響きは、理玖の胸の奥に心地よく響いた。野次馬根性丸出しの清彦に対しても、彼の態度はあからさまに軟化した。「もうすぐ着くはずだ」理玖は彼を横目で見た。「いつも彼女が好んで食べているものをいくつか見繕ってくれ。あとは、子供向けのメニューも頼む」唯が小さな手をピッと挙げた。
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第697話

やっぱり、もう愛されてないらしい。紬はしゃがみ込み、唯の小さな頭を撫でた。「私も会いたかったわ」唯は紬から体を離すと、彼女の背後を見て、ごく自然に尋ねた。「きれいなおねえちゃん、芽依ちゃんと悠真くんは?」しばらく会っていなかったので、彼女も少し二人のことが恋しかったのだ。紬の表情がスッと固まった。唯の質問にどう答えていいか分からなかったのだ。一瞬にして、その場の空気が少し気まずいものに変わった。理玖が絶妙なタイミングで口を開いた。「唯、こっちに来て好きなハンバーガーの味を選びなさい」清彦も目をくるりとさせ、理玖の言葉にすかさず調子を合わせた。「そうそう、うちの店はハンバーガーの種類がいっぱいあるんだぞ」彼もまた、先ほどの紬の表情の変化を敏感に察知していた。それに、彼は紬が離婚したという報せを聞いていた。どうやら、あの二人の子供の親権も問題になっているらしい。だが、紬は誤魔化すような素振りは見せなかった。彼女は唯の手を引き、理玖の方へ歩み寄ると、顔を伏せて優しく説明した。「芽依ちゃんと悠真くんはね、おじいちゃんとおばあちゃんのところにいて、私とは一緒にいないの」「そっかぁ……」唯はうつむき、あからさまにしょんぼりとした。彼女がおじさんの手伝いを引き受けたのも、二人と会えると思ったからだったのだ。以前は二人ともとても嫌な感じだったが、今はすっかり変わって良い子になっていた。彼女はやっぱり、芽依や悠真と一緒に遊ぶのが好きだった。紬は真剣な顔で唯に約束した。「もし二人に会いたくなったら、今度連れ出して一緒に遊べるようにするわね」それを聞いて、唯はコクリと頷いた。だが明らかに、先ほどほどの嬉しそうな様子はなかった。清彦は頃合いを見計らって席を外そうとした。「それじゃ、お前ら先に座っててくれ。俺は厨房の様子を見てくるよ。それから唯ちゃんのハンバーガーは、俺が特別に作ってあげるからな」その後半の言葉を聞いて、唯はようやく少し元気を取り戻し、甘えるような声で答えた。「清彦おじさん、ありがとう」清彦は目を細めて笑った。「おう、おじさんに遠慮なんてするなよ。その一言があれば、ハンバーガー一つどころか、十個だって作ってやるぞ」普段の気取った御曹司の態度は
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第698話

紬は激しく心を揺さぶられた。唯の明るく澄んだ瞳と視線がぶつかり、彼女の赤い唇がわずかに震えたが、逆に何と言えばいいのか分からなくなってしまった。そうなのだ、どうして自分は物事をこんなにも複雑に考えてしまっていたのだろうか?理玖は軽く唯の小さな頭をポンポンと叩いた。「はいはい、おませさん。お前は何でも知ってるんだな」彼は顔を上げ、紬の方を見た。「紬、子供の言うことだ、気にしないでくれ。ただの無邪気な言葉だから、あまり真に受けず、自分の心のままにすればいい」紬が唯を見ると、彼女は「ふん」と鼻を鳴らして腕を組み、明らかに理玖を相手にする気はないようだった。「私はほんとのことしか言ってないのに!大人って変なの、こどもがほんとのことを言っちゃダメなの?」その小さな丸い顔は、ぷんぷんと怒ってまるでフグのように膨らんでいる。紬が手を伸ばして軽くつつくと、そのフグはプシュッと空気が抜けてしまった。紬はにっこりと微笑んだ。「わかったわ、唯ちゃん、もう怒らないで。唯ちゃんが私のことを想って言ってくれたのは分かってるから。あなたの言葉、ちゃんと考えさせてもらうわね」唯はようやく笑顔を見せた。「それならいいわ。ほんとは、私もふたりのこと、すごく会いたいんだ」そう言ってから、唯は居住まいを正した。「でも、きれいなおねえちゃん、ふたりにはナイショにしてよね。じゃないと、ふたりとも調子に乗っちゃうから」先ほど「会いたい」と言ったのは自分ではないとでも言うように、彼女は大真面目な顔をしている。紬は慌てて相槌を打った。「はいはい、わかったわ、内緒にしておくね。本当におませさんなんだから、いろんなことを考えるのね」理玖は、紬が唯に向けて見せたその笑顔に、思わず見とれてしまった。――こんな小娘相手に、あんなにも美しい笑顔を見せるなんて!彼は不機嫌そうに唯を見た。――このガキ、一体俺を手伝いに来たんじゃないのか?最初の任務を忘れてしまったんじゃないだろうな!理玖は少しそわそわして落ち着かなくなった。紬が部屋に入ってきてからというもの、この当てにならない小娘は、ずっと紬とあの二人の子供の話ばかりしている。やはり、子供に希望を託すなど間違っていたのだ。理玖は少しがっくりと肩を落とした。その端正な顔立
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第699話

紬はそれを聞き、確かにその通りだと思った。彼女もそれ以上、深く考えることはしなかった。唯が美味しそうに頬張る姿を見ているだけで、紬の胸にも自然と温かな喜びが込み上げてくる。紬は自分の取り皿に山盛りになった肉を見て、思わず口を開いた。「私の世話ばかり焼いてないで、あなたも食べて」理玖は今度は唯の取り皿にも料理を取り分けながら微笑んだ。「もちろん。レディーファーストだからね。俺はいつでも食べられるし、まずは君たちが先だ」唯は左右をきょろきょろと見比べ、小さな頭で一生懸命考え込んでいた。「大人って、どうしてこんなに変なんだろう」そう言うと、自分の皿にあったエビフライを一本ずつ紬と理玖の皿へ乗せた。「もう遠慮しなくていいんだよ。みんなで仲良く食べるのが一番なんだから。きれいなおねえちゃんも、おじさんに遠慮しなくていいよ。おじさん、おねえちゃんのお世話をするのが大好きなんだから。いつもは、ほかのおねえちゃんにはこんなことしないんだよ」唯はもっともらしい口調で紬に言い聞かせた。理玖は軽く咳払いをする。「こら、唯。ハンバーガーを食べながらでも、そのおしゃべりは止まらないのか」唯はふんと鼻を鳴らし、少しも悪びれずに言い返した。「おじさん、照れなくていいの。いい年なのにまだ結婚してないから、私が心配になっちゃうんだもん」そう言って左手で紬の手を、右手で理玖の大きな手を引き寄せ、二人の手をそっと重ね合わせた。「ほら、すっごくお似合いでしょ。あとはほんの少し勇気を出すだけなのに。両思いなんだから、どうして言わないの?」重なり合った二人の手を見つめた理玖は、胸の奥で花火が弾けたような高揚感に包まれた。よし。唯のこの見事なキューピッドぶりに免じて、帰ったらおやつもお小遣いもたっぷり奮発してやろう。――本当によくやってくれた。文人の奴より、よほど頼りになる。紬の頬は一瞬で真っ赤に染まった。慌てて手を引こうとしたものの、理玖にしっかりと握られ、そのまま逆に指まで優しく絡め取られてしまう。視線が重なった瞬間、紬は自分の鼓動が一気に速くなったのをはっきりと感じた。耐えきれなくなった紬は、慌てて話題を変えた。「このおませさん、そんなこと誰に教わったの?」唯はぺろっと舌を出した。「テレビで
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第700話

その先をどう口にすればいいのか、紬自身にも分からなかった。ただ、ゆっくりと指先を握り締める。信号待ちの間、理玖は振り返って彼女をちらりと見やり、どこか諦めたようにため息をついた。「紬。時には俺たち大人のほうが、子供より物事をまっすぐ見られないこともあるんだよな」その言葉に、紬は顔を上げて理玖を見つめた。どこか影を宿したその深い眼差しを見た瞬間、彼女の胸の中に何かが静かに落ちていくような感覚が広がった。――天野グループ。成哉は眉間に皺を寄せながら、健一が持ってきた契約書に目を通し、一つひとつ決裁を下していた。数年分の記憶が抜け落ちているせいで、彼の頭の中にはぽっかりと空白が広がっている。そんな状態で、いきなり数年分のプロジェクトを引き継ぐのは、想像以上に骨の折れる作業だった。何もかも、一から覚え直さなければならない。成哉は眉間を揉みほぐすと、内線で健一を社長室へ呼び出した。ほどなくして健一がノックをし、部屋へ入ってくる。「社長、お呼びでしょうか」成哉は視線を上げ、静かに口を開いた。「ここ数年分の天野グループのプロジェクト契約書を、すべて持ってきてくれ」「ここ数年分の書類を、すべてですか」健一は思わず目を丸くした。どうして急に、そんな膨大な資料が必要になったのだろう。すべてに目を通すとなれば、とてつもない作業になる。成哉は冷ややかな視線を向けた。「同じことを二度言わせる気か」「と、とんでもありません!すぐにお持ちします」健一は慌てて部屋を飛び出していった。彼が出て行くと、成哉は深く椅子にもたれかかった。交通事故によって失われた記憶を、自分の手で少しずつ拾い集めていかなければならない。しばらくして健一が戻ってきた。後ろには二人の社員も続き、三人それぞれが契約書でぎっしり詰まった段ボール箱を抱えている。健一は額の汗を拭いながら息を整え、報告した。「社長、こちらがここ数年分の資料です。ご確認ください」成哉が軽く手を振ると、健一は空気を読んで部屋を後にした。だが健一は胸の内で、最近の社長はどこか様子がおかしいと感じずにはいられなかった。何を考えているのか、長年仕えてきた自分ですら分からないことが増えすぎている。成哉は辛抱強く資料をめくり続けた。
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