All Chapters of 輝く私の背中に、夫は必死に追いつこうとした: Chapter 821 - Chapter 830

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第821話

清彦は心の中で感嘆した。――こんな熱のこもった掛け声、本当にスタジオのような場所で聞けるものなのだろうか?紬は一体どうやって、こんなにも生き生きとした従業員たちを見つけてきたのだろうか?ぜひとも、そのノウハウを教えてほしいものだ!紬たちがドアを開けると、そこには呆然とした顔の清彦が立っていた。何の前触れもなく唐突に姿を現した清彦に、紬は一瞬、言葉を失った。雅乃はピタリと足を止めると、無意識に一歩後ろへ下がり、人混みの陰に縮こまった。心の中で「私のことは見えない、用がないなら早く帰って」と念じながら。紬が自ら声をかけた。「清彦さん、どうしてここに?」「ああ、ちょっとマルチ商法の……じゃなかった、君たち、会議中だったのか」清彦は先ほどの衝撃からまだ抜け出せないまま、逆に問い返した。紬は、先ほど清彦が何かを誤解したような気がしてならなかった。だが、それでも真面目に答えた。「ええ、会社の今後の展開と方向性について話し合っていたところよ。清彦さん、どうしてここに?」紬はたまらず、もう一度同じ質問を繰り返した。清彦は眉を上げた。「理玖の代わりに来たんだ。あいつ、もう子供たちを連れて俺のレストランへ食事に行ってるってさ。それで、紬さんのスマホの電源が切れてるから、俺が直接伝えに来たってわけだ」その言葉を聞いて、紬は初めてポケットからスマホを取り出し、バッテリーが切れていることに気がついた。会議中はいつもマナーモードにしているため、電源が切れたことにも気づかなかったのだ。「分かったわ。わざわざありがとう、清彦さん」紬は清彦と話しながらも、相手が上の空であることに気づいていた。背伸びをして後ろの方を覗き込んでおり、明らかに誰かを探している様子だ。カナがいつの間にか清彦の背後に忍び寄っていた。「清彦さん、雅乃を探してるんですか」「そうだよ、どうして分かっ……」清彦が振り向くと、そこにはゴシップ好きのオーラを全開にしたカナの顔があった。清彦はハッとしたように言葉を飲み込み、強引に話題を逸らした。「ワカメを焼くのも美味いんだよな。うちの店の新メニューでさ、アハハハハ」一同は言葉を失った。あまりにも苦しい言い訳に、どう反応すればいいのか分からなかったのだ。カナも口元を引きつらせ
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第822話

このカナという子は、なかなか気が利く――そう心の中で感嘆した清彦。雅乃を口説き落として結婚する暁には、絶対にこのカナを主賓席に座らせてやろう!本当に頼もしい!雅乃も紬の肯定的な眼差しと視線を合わせ、頷いて承諾の意を示した。紬さんもカナも、自分と清彦の仲を取り持とうとしてくれているのは分かっていた。しかし、どうしても自分で向き合わなければならないこともある。雅乃は清彦に視線を向け、仕方なさそうにため息をついた。「紬さんをレストランに迎えに来たんじゃないですか?」「違うよ、ただ知らせに来ただけだ」清彦は悪びれる様子もなく、堂々と言い放った。雅乃は言葉を失った。端正な顔立ちだが、どこか中二病じみた清彦の顔を見つめていると、一時、心の中に複雑な思いが交錯した。あんなにはっきりと断ったのに、どうしてこいつはまだ諦めようとしないのだろうか。紬は分かったと頷いた。「私はレストランに行くから。雅乃、私のことは気にせず楽しんでおいで」紬にそこまで言われてしまえば、雅乃はますます返す言葉が見つからなかった。仕方なく黙って清彦の前に歩み寄り、低い声で言った。「行きましょう」清彦の瞳に、隠しきれない喜びがパッと広がった。雅乃がそばに来てからというもの、彼の視線はずっと彼女の姿に釘付けになり、そのままじっと見つめ続けていた。雅乃は気まずそうに言った。「では、お先に失礼します」ここにいては、同僚たちの好奇の目に晒されるばかりだ。別にやましいことは何もないが、無性に居心地が悪かった。清彦は心を躍らせながら、雅乃の後に続いて部屋を出た。紬とカナの二人は身を寄せ合い、二人の後ろ姿を見送りながら、瞳に全く同じ好奇の光を浮かべていた。カナはゴシップ好きの顔をのぞかせた。「紬先輩、あの二人には一体どんな関係があるんでしょうね」紬は真剣にしばらく考えてみたが、結局答えは出なかった。「私もよく分からないわ。でも、これはあくまで二人の問題だから。私たちにできるのは、二人が一緒にいる機会を作って、ちゃんと話し合えるようにしてあげることだけよ」カナは深く頷き、最後にぐーっと伸びをした。「そうですね。私はオンラインストアの作業に戻ります。やらなきゃいけないことが山積みですから」「はいはい、そ
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第823話

それを見て、雅乃の瞳に驚きの色が走った。こんな清彦の姿を見るのは、彼女にとっても意外だった。時々、清彦がラッキーにそっくりだと感じることがある。わざとおやつを焦らしてあげないでいると、あの子はいつもこんなふうにウルウルとした瞳で見上げてくるのだ。そんな目で見つめられると、雅乃の心はいつもとろけてしまいそうになる。今、それが清彦に当てはまっても、少しの違和感もなかった。慌てて目を逸らし、膝の上に置いた手をゆっくりと握りしめると、ようやく絞り出すように口を開いた。「もう何度も言ったはずです。あなたは金持ちの御曹司で、レストランのオーナーでもあります。私たちじゃ釣り合わないし、私なんてあなたには不相応ですよ」清彦にこんな目で見つめられるたび、雅乃は自分自身をどこかへ隠してしまいたくなった。まるで小動物のように、傷ついてもただ暗がりへ身を潜め、一人で傷口を舐めていたいのだ。あのどこの馬の骨とも分からない男を庇うための言い訳じゃないのか。清彦はそう口走りそうになった。だが、雅乃の伏し目がちな姿を見た瞬間、言おうとしていた言葉が喉の奥でつっかえてしまった。「恋なんて、本当に釣り合うかどうかで測るものなのか」その言葉に、雅乃は驚いた顔で顔を上げた。今の清彦は珍しく真面目な顔つきで、真剣な眼差しをこちらに向けている。そして、低く響く声で続けた。「雅乃、俺をどんな人間だと思ってるんだ?君が言うような家柄だの釣り合うだの、俺が本気で気にすると思うか。俺にとって、好きは好きなんだよ。余計な理屈なんかいらない。好きになったってことは、俺が君に決めたってことだ。俺は元々、ウジウジ考えるのは性に合わないんだ。今を楽しむことが一番大事で、先のことなんてあれこれ考えたりしない」清彦の言葉を聞いて、助手席に座る雅乃はしばらくの間、反応することができなかった。清彦がこんなにも真剣な態度を見せるのは初めてだった。普段ならレストランにいる時でさえ、ふざけたり駄々をこねたりしているような男だ。厄介なおばさまたちでさえ、彼の手にかかれば手玉に取られてしまう。それなのに、急にこんな真面目な態度をとられて、雅乃の心臓は制御が効かないほど高鳴っていた。そのことに、彼女自身すら気づいていなかった。清彦は、雅乃が何も言わずに
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第824話

多くの視線が注がれる中、成哉はついに箸を置き、周囲の者たちへ視線を向けた。「もう会ってきたよ」それを聞いて、絵美は慌てて口を開いた。「どうだった?お腹の子は一体誰の子なのか、はっきり言ったの?」そう言い終えてから、絵美は自分の質問があまりにも愚かだったと気づいた。望美が、お腹の子が成哉の子ではないと認めるわけがないではないか。絵美はコホンと軽く咳払いをした。「お腹の子はどうなの?」成哉も間髪を入れずに答えた。「切迫流産の兆候があるだけです。この先、しっかりと栄養を摂っていけば問題ないそうです」絵美はそこでようやく安堵した。何しろ、望美が治と関係を持ったとはいえ、妊娠していることも事実なのだ。考えてみれば分かることだ。子供のことで冗談を言うはずがない。あんな愚かな真似、あの女には本当にできるのだろうか。崇は成哉を見た。「成哉、お前はどう考えているんだ」「俺は……」成哉が言葉を続ける前に、崇が高圧的に言い放った。「なんと言おうと、あの女を天野家の嫁に迎えることだけは絶対に許さん」結婚式の日、あれほど多くのメディアに動画を撮られてしまったのだ。崇が人を遣って揉み消していなければ、今頃はXのトレンドを埋め尽くしていただろう。そうなれば、天野家の顔に泥を塗るどころの騒ぎではない。成哉の顔には表情が浮かんでいなかった。祖父の猛反対を受けても、心の中では不思議と大した問題ではないように感じていたのだ。「だが、子供は間違いなく天野家の血を引いている。それに、俺はすでに彼女と婚姻届を出しているんだ」そう口にした途端、成哉自身も少し後悔し始めていた。なぜ最初、頭に血が上って望美に結婚を約束してしまったのだろうか。記憶の中にある、あの美しく純粋だった望美の姿が、今の彼女とはどんどんかけ離れていくように思えた。崇の顔色も一気に険しくなった。入籍したという事実は、確かにうやむやにして済ませられる問題ではない。崇が鶴の一声を発した。「それなら、あの女とは離婚しろ!お腹の子供だけを残せばいい。あの女を嫁入りさせることなど、絶対にあり得ない。この天野家がそんな恥を晒すわけにはいかないんだ」そう言い放ちながらも、崇は心の底から紬に対して申し訳なく思っていた。何しろ、あの子のことは本
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第825話

凛花は手に持った箸を、少しだけ強く握りしめた。以前、兄が記憶を失っていた時でさえ、今のような様子ではなかった。ましてや、今の底知れぬ陰鬱な姿は、彼女にすら理解できないほどだった。征樹が不意に口を開いた。「成哉、あの二人の子供は、やはり一刻も早く紬のところから連れ戻すべきだ」自分の孫たちが、ずっと部外者のところに置かれているなど、どう考えてもおかしい。絵美は同調するように太ももをバンバンと叩いた。「そうよ!すっかり忘れるところだったわ!今や事態もほぼ片付いたというのに、子供たちをまだあそこに置いておくなんて、一体どういうつもりなの」しかし、崇は淡々と口を挟んだ。「紬だってあの二人の母親だ。しばらく子供たちと水入らずで過ごさせてやって、何が悪いんだ」だが、絵美は不満げに呟いた。「母親だからって何よ。あの子と成哉はもう離婚したじゃないの。今やあの女は神谷の若様に取り入っているのよ。もし自分の子供ができたりしたら、私の可愛い孫たちのことなんて覚えてるわけないじゃない」「お前……」崇はテーブルを叩き、目を吊り上げて絵美を睨みつけた。だが、今回ばかりは絵美も気が大きくなっており、意地を張って崇を睨み返した。子供たちを紬のところに預けておくのが、よほど気に入らないらしい。その頑なな様子を見て、崇も匙を投げた。なにしろ、これは結局のところ、成哉一家自身の問題なのだ。彼は大きく手を振った。「お前たちの好きにするがいい」そして立ち上がり、自室へと歩き去っていった。これ以上、この件には首を突っ込みたくないのは明らかだった。絵美の目には、勝利の喜びが浮かんでいた。崇に歯向かったのは、これが初めてのことだったのだ。彼女は気づかれないようにそっと胸を撫で下ろし、それから成哉を見て言った。「成哉、一刻も早く子供たちを連れ戻してちょうだいね!だいたい、大人の事情なんて子供たちには何の関係もないんだから」成哉は頷いた。「ああ、母さんの言う通りだ。明日、芽依と悠真を迎えに行ってくるよ」「できるだけ早くね」絵美は念を押した。子供たちがあの女と長く一緒にいれば、祖母である自分から心が離れていってしまう。紬の本性など、自分には分かりすぎるほど分かっていた!そう考えると、絵美は崇がいない
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第826話

成哉が上の空になっていたその時、ノートパソコンの画面右下にエンタメニュースがポップアップしたのが目に留まった。眉をひそめ、閉じようとした瞬間、その視線は「綾瀬紬」という名前に釘付けになった。ニュースの見出しは、簡潔で分かりやすいものだった。【Nirvana代表・綾瀬紬、新古典主義デザインコンペのランウェイでプレタポルテを披露!プロ顔負けの圧倒的な美しさで会場を魅了!】その見出しを目にした成哉は、ウィンドウを閉じるはずだった手で、何かに取り憑かれたかのように動画をクリックしていた。すぐに、紬のこの上なく精巧で美しい顔が、遠くから近づいてくるように成哉の視界へ飛び込んできた。ネットユーザーがつけたリズミカルなBGMに合わせて、紬の身のこなしは一挙手一投足に至るまで、見事に音とシンクロしていた。その動きを追うにつれて、成哉の心の底に幾重もの波紋が広がっていく。成哉の目には、もはや紬が身に纏っている衣装など映っていなかった。その暗い瞳の奥は、紬の姿だけで満たされていたのだ。動画はわずか十五秒の短いものだったが、成哉は堪えきれず、何度も何度も繰り返し再生した。健一が車を停め、声をかけてくるまで。「社長、病院に到着しました」「ああ、分かった」成哉はそこでようやく我に返った。素早くノートパソコンを閉じると、その瞳の奥に微かな、しかし自分でも気づかないほどの後ろめたさを滲ませた。どうして、紬のような残酷で毒蛇のような女の動画を見てしまったのだろうか。成哉は咄嗟に、心の中で自分自身を叱った。ただ、少しばかりの美貌を鼻にかけているだけではないか。腹黒い女がいくら顔が美しくても、何の意味があるというのか。成哉の暗い瞳は少しだけ冷静さを取り戻し、健一を車に待たせたまま、ようやく病院へ向かって歩き出した。望美の病室の前に着いたというのに、脳裏には未だに紬の姿が渦巻き、どうしても振り払うことができなかった。そのせいで、成哉の顔はさらに険しくこわばっていた。ドアを押し開けて中へ入ると、ベッドに横たわる望美の姿が目に入った。物音を聞きつけて振り返った彼女は、成哉が来てくれたのを見て、瞳の奥に喜色を浮かべた。やはり、昨日の賭けは間違いなく勝ったのだ。望美は嬉しそうに声を上げた。「成哉、来てくれたのね!
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第827話

望美は優しい表情でお腹を撫で、一人で語りかけながら、全身から母性のオーラを放っているようだった。その様子を見ても、成哉は感情を微塵も感じさせない声で言った。「それなら、帰ろうか」「えっ?」望美は驚いた顔で顔を上げた。成哉を言いくるめるために、あれこれと言葉を尽くす覚悟をしていたのだ。それなのに、まさか相手がこんなにあっさりと承諾するとは思わなかった。望美は赤い唇を微かに開き、信じられないという顔をした。「成哉、本気なの?」「嫌ならこのまま病院に残ってもいい」「待って!今すぐ一緒に帰るわ。病院なんかにいたくないもの」望美はもう尋ねるのをやめ、慌てて顔を拭うと、立ち上がって荷物をまとめ始めた。望美はまだ体に力が入らないのか、荷物をまとめる様子もどこか弱々しかった。それを見て、成哉は先ほどまでずっと紬のことばかり考えていた自分に気づき、脳裏に浮かぶ記憶も相まって、珍しく少しばかりの罪悪感を覚えた。長い脚を踏み出して望美の方へ歩み寄り、彼女の頭上から声を降らせた。「俺がやるから、お前は休んでいろ」「えっ、いいの?」望美はまるで夢を見ているかのように、無意識のうちにご機嫌を取るような態度を見せた。特に、今の成哉が自ら荷物をまとめてくれているのを見て、ますます狐につままれたような気分になった。入籍したことを持ち出してすらいないのに、どうして成哉は急に態度を軟化させたのだろうか。だが、成哉は望美の態度を気にも留めず、ただ無言で荷物をまとめた。ほどなくして、彼はバッグを手に持ち、望美へ視線を向けた。「行くぞ。時間を無駄にするな」そう言い終えるやいなや、彼は足早に外へと歩き出し、望美を待つ素振りなど微塵も見せなかった。彼にはまだ海外の業務を処理する必要があるのだ。この女にはっきりと言い渡すつもりがなければ、わざわざ自ら足を運んだりはしなかったはずだ。望美は何度も頷き、成哉の後ろをぴったりとついて行きながら、口早にまくしたてた。「成哉、やっぱり私のことを心配してくれていたのね。心の中では、私のことが気がかりだったに違いないわ。安心して、これからは私もちゃんと……」次の瞬間、望美は鼻を押さえて小さな悲鳴を上げた。その痛みに、生理的な涙がとめどなく溢れ出した。彼女はわけが分か
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第828話

望美はむせび泣きながら力強く涙を拭ったが、拭えば拭うほど涙は溢れてきた。成哉がまじまじと見つめる中、どこか病的なほどに青白い望美の顔は、こすられて赤く染まっていた。顔に広がった赤い痕が、ひときわ痛々しく目を引く。成哉の心に、一瞬だけわずかな同情が芽生えた。「もういい、泣くのはやめろ」成哉は辛抱強く慰めの言葉をかけたが、次の瞬間にはこう付け加えた。「あまり泣きすぎると、お腹の子の発育に障るぞ」成哉の心境は複雑だった。何しろ、生まれてくる自分の子の脳に障害が出るような事態だけは避けたかったのだ。望美は言葉を失った。ようやく彼が心を入れ替えてくれたのかと思いきや、結局は何も変わっていなかった。あろうことか、心配していたのは子供への影響だけだったのだ。目元で零れ落ちそうになっていた涙が、気まずそうに頬で止まった。彼女は慌てて頷くしかなかった。「分かったわ。気をつける」望美がこれほど素直に従うのを見て、成哉の胸につかえていた鬱憤もようやく少し晴れた。使用人たちは、まさか望美が成哉と一緒に戻ってくるとは思っておらず、内心ひどく驚いていた。結婚式での騒動については、使用人たちも多かれ少なかれ耳にしている。何しろ名門一族の醜聞である。むやみに言いふらすような真似はできないが、掃除をしている最中に、絵美が陰で凛花に話しているのを盗み聞きしていたのだ。それにしても、この望美という女は本当に大した手腕を持っている。あんな事件を起こしておきながら、まさか無傷で戻ってこられるとは。絵美が部屋から出てくると、成哉の後ろについて歩いてくる望美の姿が目に入った。たった二日間入院していただけで、望美が纏っていたあの高圧的なオーラはすっかり鳴りを潜めている。それを見て、絵美は鼻で笑った。「あら、これはこれは。とんだスキャンダルを引き起こしてくれた橋本さんじゃないの」絵美は腕を組み、冷ややかな皮肉を投げかけた。成哉は眉をひそめた。「母さん、少しは黙っててくれよ」玄関を入って早々こんな言い争いを聞かされては、頭が爆発しそうだった。使用人たちは掃除をしているように見せかけて、その実、事の顛末を少しでも聞き出そうと聞き耳を立てていた。凛花も絵美の腕を引き、軽く首を横に振って、もうやめるように合図をした。
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第829話

絵美は冷たく鼻を鳴らした。「私の目の前をうろちょろさせないで。さっさと遠ざけてちょうだい!」今でも目を閉じるだけで、結婚式で望美と治の二人が、いかにして自分の息子に恥をかかせたかという光景が脳裏に蘇ってくる。あの二人の生々しい喘ぎ声すら、耳の奥にこびりついて離れないのだ。絵美は堪えきれずに吐き捨てた。「本当に、破廉恥にもほどがあるわ」そう言い残すと、彼女は凛花を連れてその場を後にした。リビングには、望美と成哉の二人だけが立ち尽くしていた。成哉は軽く咳払いをした。「行こう。使用人に荷物をまとめさせる」望美が遠慮しようと口を開きかけたその時、傍らから使用人が歩み寄ってきた。流れるような動作で望美の手から荷物を受け取る。「こちらへどうぞ、望美さん」使用人の顔からは、一切の感情が読み取れなかった。だが、望美も馬鹿ではない。落ち目になれば周囲の手のひら返しに遭うという道理くらい、痛いほど理解していた。ましてや今の彼女には、味方と呼べる人間など一人もいない。完全に孤立無援の身なのだ。望美はにっこりと微笑んだ。「それじゃあ、お願いするわね」今は成哉が見ている前だ。何としても、最高に淑やかで心優しい自分を演じきらなければならない。しかし、成哉はその様子を見ていなかった。望美を部屋へ案内させると、そのまま背を向けて書斎へと歩き出したのだ。一方、望美が通されたのは、以前のような立派なゲストルームではなく、ごくありふれた普通の客室だった。用意されている調度品やアメニティも、以前と比べれば明らかに質が落ちている。そのすべてを目の当たりにして、望美は思わず拳を強く握りしめた。いつか必ず、すべてをこの手に取り戻してみせる!――成哉は書斎に戻るとノートパソコンを開き、海外支社の継承権に関する業務を再開しようとした。だが、画面を立ち上げると、ブラウザはまだ紬がランウェイを歩くあの動画のページで止まったままだった。成哉はふと視線を奪われ、動画を閉じるはずだった手が、なぜかピタリと止まって動かなくなった。画面の中の紬の洗練された美しい顔つきを、呆然と見つめる。彼女が纏っている煌びやかな衣装でさえ、今の彼女を引き立てる単なる飾りに過ぎないように思えた。成哉は堪えきれず、ディスプレイ越しの紬
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第830話

成哉は、望美の細く透き通るような手に痛々しい水ぶくれができているのを見て、結局、拒絶の言葉を口にすることはできなかった。ただ、「ああ」とだけ短く返事をした。望美はさりげなく顔を上げ、成哉のパソコンの画面に視線を向けた。そして、画面下部のタスクバーに「綾瀬紬」という文字が流れているのを、目ざとく見つけた。――どういうこと?成哉は、紬の動向を気にしているの?もしかして、何か思い出したのかしら?望美は思わず手を震わせ、雑炊をこぼしてしまった。成哉は冷ややかな声で言った。「何をしている」望美はそこでようやく我に返った。「ごめんなさい、成哉。ちょっと手が滑っちゃって」成哉は、望美がまたすぐにでも泣き出しそうな顔をしているのを見て、ピクリと眉をひそめ、ただただ呆れ果てた。「もういい、君はやらなくていい。後は自分でやる」その言葉には、明らかな退室の促しが込められていた。望美は空気を読み、大人しく部屋を出て行くしかなかった。ドアを閉める瞬間、その瞳の奥には、底知れぬ暗い光が揺らめいていた。一方、書斎に残された成哉は、もう紬の動画を見る気分ではなくなっていた。心の底に芽生えかけていた淡い感情も、すでにすっかり消え失せていた。手元に置かれた雑炊を見ると、さらに腹立たしさがこみ上げてきた。成哉は眉間を揉みほぐした。今の望美は、記憶の中の彼女とはあまりにもかけ離れているような気がしてならない。どうしようもないこととはいえ、ぽっかりと抜け落ちた記憶のせいで、苛立ちは募るばかりだった。――翌日の午前。紬はスタジオには行かず、家で過ごしていた。昨晩、成哉からメッセージを受け取っていたのだ。今日の午前中に、二人の子どもを迎えに来るという内容だった。そのメッセージを見た瞬間、紬の心はぼんやりと霞んだ。天野家のゴタゴタは、もうすべて解決したのか?本当はそう尋ねたかったが、結局、その言葉を口にすることはなかった。ずっと言ってきたように、二人の子どもは天野家の人間であり、子どもたちを連れ帰るのは成哉の権利でもある。自分にそれを引き止める資格はない。紬は一つため息をつき、家で成哉が来るのを待つことにした。一方、二人の子どもたちは、朝食を食べながらすでに顔を見合わせていた。普段なら、ママはこの時
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