でも、何かしなければならない。今すぐ動かなければ!杏奈は壁に手をつき、一歩、また一歩と、ゆっくりではあるが確かな意志を宿した足取りで、医師の診察室へと向かっていった…………数日後、三浦家にはめずらしく穏やかな日々が続いていた。あれほど濱海市で水面下に渦巻いていた不穏な気配も、まるで最初から存在しなかったかのように息をひそめ、世界はかりそめの静けさを取り戻したかに見えた。杏奈も、この数日はずいぶん落ち着いて過ごしていた。会社には顔を出さず、外の喧騒からひとまず遠ざかり、ほとんどの時間を家の中で過ごした。恵理子と他愛もないおしゃべりをしながら散歩に出かけたり、隆正と将棋を指しながらお茶を楽しんだり――久しく忘れていた、あたたかな家族の時間をゆっくりと味わっていた。だが、嵐の前の静けさというものは、いつだって長くは続かない。その日の午後、円香が息を弾ませて帰ってきた。いつもはおどけた顔に、めったに見せない真剣な色が宿っている。花を生けていた杏奈を見つけるなり、円香はまっすぐに近づいてきた。次の瞬間、その一言が、杏奈の心に暗い影を落とした。「杏奈、藤本家が動いたよ!」表向きは穏やかな日々を装っていたとはいえ、杏奈は彼らへの警戒を一度として緩めたことはなかった。凄腕の冴を密かに監視役として送り込んでいたのはもちろん、円香を通じて一流の探偵チームを大金で雇い、主要人物を二十四時間体制で追わせていた。紗里と達也が水面下でいったい何を企んでいるのか――それを白日の下に晒すつもりだった。円香の言葉を耳にした瞬間、杏奈の手の中のハサミがぴたりと止まった。その表情が、すっと引き締まる。「誰が?藤本達也がとうとう動いたの?」だが円香は首を横に振り、どこか腑に落ちないように言った。「違うわ。桐島佐弓よ」「探偵からの最新報告によると、今日の午後、佐弓がこっそり紗里と会ったみたい。会い終えたあと、佐弓は自ら、今まで見たこともない素性の知れない連中を数名引き連れて、車二台で郊外へ向かったって。どう考えても怪しいわ」「郊外……?」杏奈の眉がきつく寄った。胸の奥から、じわじわと嫌な予感がこみ上げてくる。「また何か企んでるの?まさか……また人殺しだったり……?」「今のところ詳細はわからないわ」と、円香の顔にも緊張が走った
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