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1-3

Penulis: 海野雫
last update Terakhir Diperbarui: 2025-12-03 19:00:20

 自分のデスクに戻ると、颯は深く息をついた。モニターには先ほどの資料がまだ表示されている。開発統括:春海悠斗。その文字を見つめながら、これから始まる日々のことを考える。

 毎日顔を合わせることになる。会議で、レビューで、進捗報告で。上司と部下として、適切な距離を保ちながら仕事をしなければならない。過去のことは忘れて、プロフェッショナルとして振る舞わなければならない。

 できるだろうか。

 颯は目を閉じて、深呼吸をする。できるかできないかではない。やらなければならないのだ。これは仕事だ。個人的な感情を持ち込むべきではない。

 ――感情を判断に入れるべきじゃない。

 皮肉なことに、春海の言葉が指針になる。そうだ、春海のいうとおりだ。感情は邪魔になる。理性的に、論理的に、プロフェッショナルとして振る舞おう。

 午前中の仕事は、まったく手につかなかった。コードを書こうとしても、集中できない。変数名を打ち間違え、セミコロンを忘れ、簡単な論理ミスを繰り返す。ドキュメントを読もうとしても、文字が頭に入ってこない。同じ行を何度も読み返してしまう。

 春海の姿が、視界の端にちらつく。彼は自分のデスクで黙々と仕事をしている。時折、誰かが相談に行き、春海は的確にアドバイスを返している。その姿は、まさに理想の上司そのものだった。

 十一時頃、春海が席を立った。颯は画面を見つめるふりをしながら、その動きを目で追う。春海はコーヒーサーバーの前で立ち止まり、カップに注ぐ。その仕草さえも無駄がない。

 ふと、春海がこちらを見た。目が合う。颯は慌てて視線を逸らしたが、遅かった。春海は確実に、颯が見ていたことに気づいただろう。恥ずかしさで顔が熱くなる。

 ようやく昼休みになり、颯は屋上に向かった。エレベーターに乗り、最上階のボタンを押す。人気のない屋上で、春風に吹かれながら深呼吸する。

 空は青く澄んでいた。白い雲がゆっくりと流れていく。遠くに見えるビル群は、春の陽射しを受けてきらめいている。都会の喧騒が、ここまでは届かない。

 ベンチに座り、持参した昼食を取り出す。コンビニで買ったおにぎりとサンドイッチ。味はよくわからなかった。ただ機械的に口に運び、飲み込む。

 五年前のあの夜を思い出す。研究発表の準備で、二人きりで残った夜。春海が淹れてくれたコーヒーは、少し苦かった。でも、それが妙に美味しく感じられた。

『君の論理は美しいね』

 春海はそういって、颯のコードを褒めた。その時の嬉しさは、今でも覚えている。認められた喜びだ。でも同時に、寂しさも感じた。春海が見ているのは颯のコードであって、颯自身ではない。

 あの夜、もし勇気を出していたら――。

『春海さん、好きです』

 そう言えていたら、何か変わっていただろうか。春海は驚いただろうか。困っただろうか。それとも、やはり『感情を判断に入れるべきじゃない』といっただろうか。

 携帯電話が震える。メールの通知だった。開いてみると、春海からだった。

『高橋さん

技術レビューの日程を調整したいと思います。

今週中で都合の良い時間を教えてください。

春海』

 事務的で簡潔な文面。「さん」付けで呼ばれることに、妙な距離を感じる。大学時代は「高橋」だった。時には「颯」と呼ばれることもあった。今はもう、ただの部下の一人。

 颯は予定表を確認し、返信する。

『春海さん

木曜日の午後、もしくは金曜日の午前中が空いています。

ご都合はいかがでしょうか。

高橋』

 送信ボタンを押してから、何度も文面を読み返してしまう。変なところはないか。不自然ではないか。もっと別の書き方があったのではないか。考えすぎだとわかっていても、やめられない。

 すぐに返信が来た。

『木曜日の十五時からでお願いします。会議室Bを予約しておきます。』

 それきりだった。素っ気ない。でも、春海らしい。

 午後の仕事に戻る。少しは集中できるようになった。新しい機能の実装に取り掛かる。キーボードを叩く音が、規則正しいリズムを刻む。この音を聞いていると、心が落ち着く。コードの世界に没頭していると、余計なことを考えなくて済む。

if (emotion.isValid()) {

    return process(emotion);

} else {

    return suppress(emotion);

}

 ふと、そんなコードを書いてしまい、慌てて削除する。何を考えているんだろう。感情を処理する関数なんて、存在しない。

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  • リターン・ラブ--(return love:)   1-3

     自分のデスクに戻ると、颯は深く息をついた。モニターには先ほどの資料がまだ表示されている。開発統括:春海悠斗。その文字を見つめながら、これから始まる日々のことを考える。 毎日顔を合わせることになる。会議で、レビューで、進捗報告で。上司と部下として、適切な距離を保ちながら仕事をしなければならない。過去のことは忘れて、プロフェッショナルとして振る舞わなければならない。 できるだろうか。 颯は目を閉じて、深呼吸をする。できるかできないかではない。やらなければならないのだ。これは仕事だ。個人的な感情を持ち込むべきではない。 ――感情を判断に入れるべきじゃない。 皮肉なことに、春海の言葉が指針になる。そうだ、春海のいうとおりだ。感情は邪魔になる。理性的に、論理的に、プロフェッショナルとして振る舞おう。 午前中の仕事は、まったく手につかなかった。コードを書こうとしても、集中できない。変数名を打ち間違え、セミコロンを忘れ、簡単な論理ミスを繰り返す。ドキュメントを読もうとしても、文字が頭に入ってこない。同じ行を何度も読み返してしまう。 春海の姿が、視界の端にちらつく。彼は自分のデスクで黙々と仕事をしている。時折、誰かが相談に行き、春海は的確にアドバイスを返している。その姿は、まさに理想の上司そのものだった。 十一時頃、春海が席を立った。颯は画面を見つめるふりをしながら、その動きを目で追う。春海はコーヒーサーバーの前で立ち止まり、カップに注ぐ。その仕草さえも無駄がない。 ふと、春海がこちらを見た。目が合う。颯は慌てて視線を逸らしたが、遅かった。春海は確実に、颯が見ていたことに気づいただろう。恥ずかしさで顔が熱くなる。 ようやく昼休みになり、颯は屋上に向かった。エレベーターに乗り、最上階のボタンを押す。人気のない屋上で、春風に吹かれながら深呼吸する。 空は青く澄んでいた。白い雲がゆっくりと流れていく。遠くに見えるビル群は、春の陽射しを受けてきらめいている。都会の喧騒が、ここまでは届かない。 ベンチに座り、持参した昼食を取り出す。コンビニで買ったおにぎりとサンドイッチ。味はよくわからなかった。

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