ホテルの部屋から追い出されたあと。 利衣子は、近くのビジネスホテルに部屋を取り、鏡の前に腰を下ろした。 頬に残る紅潮を指先でなぞりながら、ゆっくりと長い黒髪をとかす。 その動きには、怯えも動揺もない。 ただ、鏡の奥に映る自分を冷静に観察する女の目だった。 「――まさか、本当に寝ちゃうなんてね」 ポツリと呟いた声が、微かに笑っている。 唇の端がゆるやかに上がり、やがて妖艶な弧を描いた。 昨日の夜、確かに怖かった。 あの男――柊 蓮。 彼の視線は鋭く、獣のように研ぎ澄まされていた。 ほんの少しでも隙を見せれば、魂ごと射抜かれそうな危うさを持っていた。 そんな男が、今朝、自分の隣で無防備に眠っていたのだ。 腕の中で静かな寝息を立てるその姿に、思わず胸がざわついた。 ――これは仕事、ただの任務。 そう自分に言い聞かせながらも、心のどこかが甘く痺れていた。 バッグの奥からスマートフォンを取り出す。 そこには、昨夜こっそり撮った一枚の写真。 ベッドの上で、眠る蓮の隣に並ぶ自分。 シーツの皺、絡まる髪、そして男の腕。 男の首筋に残した、熱い口づけの跡。それだけで、十分すぎる“証拠”だった。 「本当に欲しくなっちゃったわ、あの男。でもこれで……逃げられないわね」 唇をなぞりながら、利衣子は笑った。 最初はただの“興味”だった。 若くして地位も金もあり、整った顔立ち。 いつも冷静沈着で、女を寄せつけないあの雰囲気。 まるで氷のような男。 その氷を溶かしてみたい――そんな軽い好奇心だった。 だが、ある日、鷲尾に呼び出された。 西條組の幹部であり、裏の密輸ルートを牛耳る男。 彼は煙草の煙を吐きながら、薄暗いバーの奥で彼女に言った。 「利衣子。お前にしかできねぇ仕事がある」 その声は低く、背筋に冷たいものを這わせた。 「例の黎明(れいめい)の若造――柊 蓮。あいつを堕とせ」 利衣子はそのとき、意味が分からなかった。 「堕とせ」とは、どういう意味か。 鷲尾は笑いながらグラスを回す。 「お前は顔がいい。体も使える。少し甘い声を出せば、男なんざ落ちる。 黎明の跡取りを堕とせば、西條の未来は変わるんだ。あのガキを壊せ」 そのとき、利衣子の胸に湧いたのは、恐怖ではなく奇
Last Updated : 2025-11-28 Read more