All Chapters of 黎明の風と永遠の指輪ー夜の世界で出会った二人、危険で甘い約束ー: Chapter 51 - Chapter 60

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第五十一話

気まずそうに、申し訳なさそうに、そして何よりも言いづらそうに口を開いた。「……利衣子のこと、ですけど……」「なんや」 鷲尾は目を伏せた。 「……あいつ、柊 蓮を……完全に騙しきれへんかったんですわ」「なんやと?」「追い出されてきました……柊のマンションから……」 黒澤の表情が一瞬で凍りついた。 沈黙が、獰猛な獣のように二人の間に降り立つ。「……お前……」  黒澤の声は、血が滲むほど低かった。 「ワシに“使える”言うたやろ……その利衣子とやらは」「せやけど、アイツも……その……仏心が湧いたみたいで……柊 蓮のことを、ちょっと……本気で好きになってもうたらしくて……」 黒澤の顔の血色が、スーッと失われていく。  耳の奥から沸き立つ怒気の音が、部屋中に溜まった。「……好き、やと?」 黒澤は椅子を、ガッと蹴り飛ばした。  背後の壁にぶつかり、ドスッという鈍い音が響く。 鷲尾は完全に口を閉ざした。「ふざけんなやオラァッ!!」 怒号が、部屋を突き破るように響いた。「利衣子が失敗した? 仏心やと? そんなモン、報告することちゃうわボケ!!」 黒澤の拳が机に叩きつけられ、分厚い木製の天板がミシッと悲鳴を上げた。「――天城さんがおっしゃっとるんや!!」 鷲尾が思わず顔を上げた。  黒澤の目は血走っていた。「“黎明の女を連れてこな、港湾ルートの利権で桐嶋のクソジジイを脅す材料がない”っちゅうてなァ!!」 その言葉は、この場にいる誰より重く、痛烈だった。 桐嶋のジジイ。  東の大物、桐島コンツェルンの会長、桐島宗一郎。  その老人を脅す――それはただの誘拐劇では済まない。  関東・関西・天城、すべての勢力を巻き込む火種だ。 鷲尾は、改めて事態の深刻さを理解し、背筋が冷たくなった。「……黒澤の兄貴……そ、それは――」「つべこべ言うなッ!!!」 黒澤の怒鳴り声が地鳴りのように響く。「女を攫ってこいっちゅうとんのや!! “黎明の女”――成瀬 玲をなぁ!!」 机の上にあった灰皿が、怒りで震える黒澤の拳で吹き飛んだ。「攫えるまで――オマエは関西に帰ってくるな!ボケェ!!」 その一言は死刑宣告のように重く落ちた。 鷲尾は、深く頭を垂れた。 「……了解しました……」 返す言葉はそれしかなかった。 黒澤は息を荒げ、怒
last updateLast Updated : 2025-12-08
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第五十二話

 その夜、香坂麻美は一通のメッセージを見て息を呑んだ。 ――《麻美、久しぶりに会いたい。少しだけ、話したいことがあるの》 差出人の名を見て、思わずスマートフォンを握り締める。  “玲”。  あの夜以来、音信不通だった彼女からの蓮絡だった。 タクシーが止まった場所は、都心から少し離れた高台。  門構えを見た瞬間、麻美は言葉を失った。 白亜の壁、鉄製の重厚なゲート。  通用門ひとつとっても、ホテル並みの気品が漂っている。  中に入ると、広大な庭園が広がっていた。  噴水の音が静かに響き、並木の先に見える建物は――まるで美術館のようだった。 「……ここが玲の“家”?」  口の中で小さく呟く。  胸の鼓動が速くなる。  こんな世界に、彼女が生まれ育ったのか。 出迎えた老執事に案内され、玄関ホールへと通される。  白い大理石の床、天井まで届くシャンデリア。  足を踏み入れるたび、靴音が澄んで響く。 「お待ちしておりました。玲華様が、すぐにお見えになります」 ――玲華? 耳に残ったその呼び名が、どこか現実感を失わせた。 階段の上から、彼女は静かに現れた。  桐嶋玲華――それが、本当の名だった。 麻美は目を見開く。  「……玲、あなた……“桐嶋”って、あの……」  玲は穏やかに微笑んだ。  「そう、桐嶋コンツェルンの……会長の娘なの。」 その言葉に、麻美は息を呑んだ。  桐嶋――日本経済の裏表に影響を及ぼす巨大財閥。  政治、金融、医療、軍需。あらゆる分野にその名が刻まれている。 「玲……じゃなかった、玲華……あんた、すごすぎるって……」  「やめて。私のことは今までどおり“玲”でいいの。」  「そ、そう? でも……ほんとにびっくりしたわ……」 玲は苦笑を浮かべ、少しだけ目を伏せた。  「ごめんね、何も言えなくて。でも……今はもう、隠す意味もないから。」 階段を降りてくる途中、ふと廊下の奥から足音がした。  玲が振り向くと、黒いスーツの男が歩いてくる。  桐嶋龍一――彼女の兄だ。 彼の存在だけで空気が変わった。  姿勢は完璧、眼差しは冷静そのもの。  けれどその目の奥には、妹を守る氷のような情が潜んでいる。 「兄さん……」  玲が声をかけると、龍一は短く頷いた。  「久しぶりだな。……その子が
last updateLast Updated : 2025-12-09
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第五十三話 十八会の刻

 ――再び、「十八会」の夜がやってきた。 都心の中心、天空を突くように聳える五つ星ホテルの最上階。  そこは、日本経済の“裏と表”が交錯する場所だった。 煌めくシャンデリアの下、円卓が十八。  それぞれに、この国を支える企業の長たちが座る。  政治家、財閥、商社、そして表に出ぬ巨大コングロマリット。  彼らの一挙手一投足が、翌日の市場を動かす。 その中心に――桐嶋宗一郎。 白髪を後ろへ撫でつけ、背筋は一本の刀のように真っすぐ。  静かな笑みを浮かべながらも、その眼差しはすべてを見透かしている。  まるで“帝王”の名にふさわしい威厳がそこにあった。 その場に、黎明コーポレーションの会長・柊晴臣と、社長・柊 蓮の姿もあった。  黎明の席は中央寄り――第九席。  創業以来の安定した地位を保つ中堅企業としての象徴的位置である。 だが、今日の空気は違っていた。  どこかに緊張が漂い、誰もが視線を桐嶋宗一郎の動きに注いでいる。 晴臣は静かにグラスを置いた。  「……蓮。今日は、何が起こっても冷静に受け止めろ」  「はい」  蓮の声は硬い。  だが、その背筋は真っすぐだった。  桐嶋家との関係――そして、関西の件を考えれば、この夜を避けては通れない。 やがて、場の中央に小さな鐘が鳴る。  空気が一瞬で張り詰めた。 桐嶋宗一郎がゆっくりと立ち上がった。  会場の光がその姿に反射し、まるで黄金の彫像のように輝く。  「――諸君。本日もよく集まってくれた」 低く響く声は、会場全体を支配する。  穏やかな口調にもかかわらず、誰ひとりとして息を呑むことすら許されない。 「まずは関西圏の件だ」  宗一郎の言葉に、場がざわめく。  「関西のやっかいな組織が港湾ルートの利権獲得に躍起になっている。関西の天城会が名乗りを上げてきた。これに伴い、港湾物流・建設・金融の複数のルートが宙に浮いたままだ。」 彼はゆっくりと視線を巡らせる。その目が、やがてひとつの席で止まった。 「黎明コーポレーション――柊会長、そして社長」 静寂。  その一言に、他の十七社のトップたちが一斉に視線を向けた。  晴臣は即座に立ち上がり、深く一礼した。  「桐嶋会長。黎明の柊でございます」 宗一郎は微笑んだ。  「関西の港湾利権、進捗はどうかね?」
last updateLast Updated : 2025-12-09
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第五十四話 出発の前夜

龍一から二千万円の小切手を差し出された衝撃が抜けないまま、  麻美は白い大理石の床に立ち尽くしていた。 ――二千万円。  その数字を頭の中で何度繰り返しても現実感が伴わない。 夜の店の給料では、到底触れることもない額。  店で一番太い客でも、こんな金を使ってくれることはない。 そんなものを……  “休暇”という名目だけで、あっさり渡してくるなんて。 桐嶋家という巨大な権力が、目の前で静かに呼吸している。  そんな感覚だった。 龍一が階段を上りきり、姿が見えなくなってから、麻美はようやく声を漏らした。「……ねぇ、玲華。ううん。玲……これ……本気で言ってるの?」 玲は困ったように笑いながら、そっと麻美の肘に触れた。「そういう人なの……兄さんは。何かを動かすなら手段を選ばないし、力の使い方も容赦がないの。」「いや、動かすってレベルじゃないよ……! 国家レベルの動きなんだけど……」 麻美は思わず両手で顔を覆った。 玲は少し寂しそうに視線を落とした。「ごめんね、麻美。巻き込みたくなかったけど……あなたを呼んだ時点で、兄さんは気づいてるってわかってた」「巻き込むとかじゃなくて……え、だって。2千万よ? 2千万。店じゃシャンパン何本空けてもこの額いかないからね?」 麻美は混乱していて、いつもの軽口が過剰に口をついて出た。  玲はその様子に、少しだけ救われるような微笑みを浮かべた。「麻美が来てくれてよかった……本当に」「……不安だったんだね」 玲は静かに頷いた。「……桐嶋の娘としてじゃなく、“玲”として不安で押し潰されそうだった。  だから……麻美の顔を見て、やっと呼吸できたの」 その言葉に麻美の胸が強く締めつけられた。「当たり前でしょ。あんたが呼んだら、どこだって行くよ」 玲は少し潤んだ目のまま、微笑んだ。 2人は玲華の部屋に行き、麻美にソファに座るように促した、その時だった。 廊下の奥から、硬質で滑らかなノック音が響いた。「失礼いたします。小田でございます」 先ほど玄関で案内してくれた老執事とは違う。  背が高く、無駄のない動きの男が姿を現した。「玲華様、香坂様。明日の朝一番の便でご出発いただきます。  プライベートジェットの準備を進めておりますので……行き先を、お決めいただけますでしょうか」「……プライ
last updateLast Updated : 2025-12-09
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第五十五話 蒼海への旅立ち

その晩、麻美たちは桐嶋邸で夕食をとった。  ダイニングホールはレストラン以上の広さと気品を持ち、テーブルには高級フレンチのフルコースが並んでいた。「……玲。これ、ほんとに家……?」 「うん……ただの“家”だよ」 「いや、“宮殿”だからね?」 会話がかみ合わない。 豪華な客室に案内され、麻美はキングサイズベッドと、美術館のような調度品に目を丸くし続けた。「ねぇ玲……私、本当に来てよかったのかな……」 玲はそっと手を握って言った。「麻美がいてくれて……本当に心強いの。ありがとう。来てくれて」 その声には、本物の安堵と感謝が詰まっていた。 麻美は、ふっと笑った。「……しゃーないなぁ。じゃあ、明日からのバリ島旅行……全力で楽しもうか」「うん、一緒にね」翌朝――日の光が桐嶋邸の白亜の壁に反射する。 麻美は緊張で手を震わせながらスーツケースを持ち、  玲と共に車に乗って空港へ向かった。 そして―― 出発ゲートではなく、滑走路へ直接降り立つ。「……これが……」「プライベートジェット」 玲が穏やかに言う。 麻美の目に、純白の機体がまぶしく映り込んだ。  まるで映画のワンシーン。「ちょ、ちょっと待って……私……本当にこんなの乗っていいの……?」「もちろん。同行者なんだから」「ひえぇ……」 麻美は泣きそうになりながらも、玲に手を引かれ、タラップを上る。 静かな機内には革張りのシートが広がり、キャビンアテンダントたちが丁寧に頭を下げた。「ご出発の準備が整いました。行き先は……インドネシア、バリ島でよろしいでしょうか?」 麻美は息を呑んだ。「バ……バリ……島……?」 南国リゾートの代名詞。  青い海、白い砂浜、緑のライステラス、そして神々の島――バリ。 その名を口にしただけで、完全に現実味が飛んだ。 玲は穏やかに微笑む。「はい。麻美と、少し“休暇”を取りたいんです。ゆっくりできる場所がいいから……バリ島でお願いします」 CAが恭しく頭を下げた。「かしこまりました。バリ島のングラライ国際空港まで直行いたします」 扉が閉まり、機体が静かに滑走を始める。 麻美はシートに沈み込み、震える声でつぶやいた。「……私……何が起きてるの……?」 玲は隣でそっと目を閉じながら、小さく答えた。「大丈夫。向こうについたら……全部話す
last updateLast Updated : 2025-12-10
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第五十六話 蒼海への逃避行 ― バリ島 ―

 雲の層を抜けた頃、機内アナウンスが静かに流れた。「――まもなく、インドネシア共和国・バリ島へ着陸いたします。  現地の天候は晴れ、気温は三十度。穏やかな海風が吹いております」 麻美は、ぼんやりしていた意識が一気に覚醒した。「……バリ島……ほんとに来ちゃった……」「うん。空港から車で三十分ほどのリゾートを予約してあるの」玲がまた、当然のような顔で言う。「予約って……玲、こんなスピードでどうやって……」「兄さんの部下が全部やってくれたの。  “玲華様がお休みになるのに不便があってはならない”って」「いや、その部下さん……絶対普通じゃない……てか、エスパー?」 麻美の呟きに玲が爆笑した。 機体が着陸すると、地上のスタッフが深く頭を下げて出迎えた。  プライベートジェット専用のゲートを通され、入国手続きは一瞬で終わった。 外へ出ると潮風の匂い、熱い太陽。  そして、椰子の葉を揺らす風の音。麻美は息を呑んだ。「……きれい……日本と空気が全然違う……」 玲は横で、南国の光を受けながら穏やかに笑っていた。「麻美と来られて、嬉しい」「こっちは嬉しいけど……現実味ないよ……」 空港の前には黒塗りの大型SUVが二台待機しており、スーツ姿の現地スタッフが深く礼をして車のドアを開いた。 向かった先は、海沿いの超高級リゾートホテル。  プライベートヴィラの専用棟で、玄関の扉を開けた瞬間――「……え、嘘……」 麻美の声が震える。 目の前にはガラス張りのリビング。  その中央には淡い光を反射するインフィニティプール。  そしてプールの向こうには、どこまでも続くバリの海。 海とプールの境界が溶けて見え、まるで空中に浮かんでいるような錯覚を覚える。「……これは……ドラマのセット……?」「ううん、本物だよ」「ねぇ玲? これ“家”じゃないよね?」「“家”じゃないけど……私たちの滞在先だから」「いやいやいや……桐嶋家、どんな金遣いしてるの……?」 麻美が倒れこむようにソファへ座ると、南国の風がふわりと吹き込みカーテンを揺らした。 玲は海を見つめながら呟く。「……ねぇ麻美。こんなふうに、誰かと旅行するの……初めて」「……そっか、蓮くんとも行ったことないんだ?」 玲の肩が一瞬だけ震えた。「うん……彼とは行けなかった。いつも“仕事があ
last updateLast Updated : 2025-12-10
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 第五十七話 波間に潜む影

 目を開けると、天井いっぱいに南国の朝の光が広がっていた。 白いカーテンがふわりと揺れ、風が花の香りを運んでくる。  ロビーとは別棟になっているプライベートヴィラは、まるで二人だけの家のようだ。「……ここ、バリ島なんだよね……?」 麻美は寝ぼけた声で呟き、シーツに顔を埋めた。 玲はすでに起きており、窓辺で朝の海を眺めている。「そうだよ。ほら、海。朝になると……こんなに綺麗なんだ」 麻美は上体を起こし、カーテン越しの光景を見た。 ――青。透明な青と、光の帯。  海面には小さな船が静かに揺れている。「……すご……」 寝起きの麻美から、素直な感嘆が洩れる。「今日は何する?」 玲が振り返る。バリ島へやってきて、すでに3日が経っていたが、何と聞かれても困る。s「え? 今日? ……えっと、あれよ。あの……“バリ島といえばこれ”みたいな……」「何も決めてないの?」「決められるかぁぁ!!昨日いきなりバリ島来たのに、スケジュール組めるほど器用じゃないの!!」 玲はくすっと笑い、トレイに並んだ朝食をテーブルへ運んだ。 カットフルーツ、バナナパンケーキ、バリのコーヒー。  どれも香りが豊かで、甘く、南国の朝を彩る。 麻美はパンケーキを口に運びながら、ぽつりと言った。「……ねぇ、玲。今日、どこ行きたい?」「麻美の行きたいところでいいよ」「そういうのが一番困るの!」 麻美の嘆きに玲が微笑む。「じゃあ……一緒に、寺院に行こうか」「寺院?」「うん。バリの寺院って、海の上に建ってたり、断崖絶壁の上にあったり……  すごく神秘的なんだって」「へぇ……いいね。行こう!」 麻美の顔がぱっと明るくなった。3日前。都内では、ひとりの男が携帯を耳に当て、低い声で話していた。西條組の鷲尾。「……確認取れました。柊の女と、その連れ……バリ島に行ってます」 相手は黒澤の部下。 鷲尾の額には汗が滲む。『バリか……あのガキ、逃げ足はえぇな』「はい……だが探せます。あの女……どこ行っても目立ちますから」『黒澤さんはブチ切れや。“連れて帰れんかったら、お前が帰ってくんな”言うとる』 その言葉に、鷲尾の顔が歪む。「わかってます……必ず捕まえます」『頼んだぞ。神威会の面子の問題や』 電話が切れる。 人混みの中でタバコに火をつけると、鷲尾はギラついた目で
last updateLast Updated : 2025-12-10
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第五十八話 夜の侵入

 バリ島の夜――その闇は、どこか日本とは違う濃さを持っていた。 湿った風がパームツリーを揺らし、波の音が遠くで低く唸るように響き続ける。星は濃密で、空は深い藍色。それが逆に、不吉な気配を際立たせていた。 夕食を終え、二人はヴィラのプールサイドに寝転んでいた。  ゆったりとした南国のリゾートのひととき――のはずだった。「玲……星すごいね」「うん。ここまで綺麗に見えるのは初めて」 玲は夜空を見つめながら、長いまつげを揺らした。「……ねぇ麻美。こんな夜が……ずっと続けばいいのに」「続くよ。少なくとも1ヶ月は居ていいんでしょ?」「そうなんだけど……」 玲は言葉を濁し、胸の奥の重みを押し隠した。あの日の黒澤の言葉が忘れられない。今、蓮はどうしているのか…… だが麻美の笑顔を見ると、少しだけ肩の力が抜けた。 その時だった。 ――ピシッ。小さく、しかし鋭い音が聞こえた。 麻美が身を起こす。「……今、なんか音しなかった?」「え……? 風じゃない?」 玲はそう言ったものの、胸の奥がざわついた。 次の瞬間―― ヴィラを囲む植物の影が、揺れた。「…………!」 風の揺れではない。  “何かが歩いた”音だった。 麻美が囁く。「玲……誰か……いる?」 玲が答える前に、ヴィラの外の暗闇から、低い声がささやかれた。「――続報。標的の一人、外にいます」 聞き慣れない言語。  だが“標的”という単語だけは、耳に刺さった。 麻美は凍りつき、玲の手をぎゅっと握る。「……っ、麻美、部屋に入ろう」「う、うん……!」 二人が部屋へ駆け込もうとした瞬間。 ――カチッ。 背後で、金属の音がした。「玲!!」「伏せて!!」 二人は反射的に床へ身を投げ出す。 直後、プールサイドの石畳に黒い影が落ちた。  ヴィラの壁に張り付くように現れた男――鷲尾だった。 月光を背に、鋭い目が二人を捕らえる。「……やっと見つけたで、成瀬 玲ちゃん」「誰……!?」 玲の声が震える。「お勤めご苦労さんやなぁ。けど、そろそろ帰ってきてもらうで?」 鷲尾は片手を上げる。  すると植え込みの向こうから、黒い服の男が三人現れた。「囲まれた……!」「麻美、後ろ下がって!!」 玲は麻美をかばうように立ち、震えている手でスマートフォンを握り締めた。 しかし――「電
last updateLast Updated : 2025-12-11
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第五十九話 影の護衛

 そこに立っていたのは、現地で龍一の“影”と呼ばれる男――リュー・カイだった。 長身で、肌は褐色。  目は深い琥珀色で、月明かりすら射抜くような鋭さを放つ。  だが、その佇まいには荒々しさはなく、むしろ静かな死の気配を湛えていた。 鷲尾の背筋が、ほんのわずかに震える。「……誰や、お前」 カイは答えなかった。  ただ、鷲尾のこめかみに冷たい銃口を押し当てる。「一歩でも動けば、撃つ」 低く、よく通る声だった。  流暢な日本語。それが逆に、鷲尾の警戒心を煽る。「おい……部下ども!」  鷲尾が叫ぶより早く、闇の中で音がした。 ――ドッ。鈍い音。  植え込みの向こうにいた黒服の男の腕が、不自然な角度で折れ、地面に崩れた。 さらに二つ。  乾いた息とともに影が倒れる。 気づけば、鷲尾の部下三人は、全員が沈黙していた。  悲鳴を上げる暇すらなく、静かに“消された”のだ。 玲も麻美も、その異様な光景に息を失い、立ちすくむ。「……なんやねん、お前……」 鷲尾の声は震えていた。 カイは表情を変えず、淡々と告げる。「桐嶋龍一様の命令だ。“成瀬 玲と麻美を必ず守れ。鷲尾は連行しろ”と」 鷲尾の顔色が変わる。  桐嶋龍一――桐嶋家の若き当主。  天城会と神威会を翻弄し、裏で均衡を操る“怪物”だ。「な、なんでヤツが……ここに?」 「龍一様はここにはいない。だが、お前の動きは全て追っていた」 カイの目は冷たい。  獲物を仕留めるのに感情はいらない――そう語る目だ。「玲さん、麻美さん。部屋へ」 玲は麻美を抱き寄せ、一歩下がる。  だが震えが止まらない。 鷲尾は必死に間合いを詰めようとしたが、カイの銃口がそれを許さない。 ジリジリと後退させられ、プールサイドの端へ追い込まれた。「クソが……! 黒澤の命令やぞ……!お前みたいな得体の知れんやつに――」 ――バチッ。 銃声ではない。  カイの足払いが、鷲尾の膝を一撃で砕いた音だった。「ぐああッ!!」 鷲尾が片膝をついた瞬間、カイは迷いなくその襟元を掴み、頭を下げさせる。「……龍一様の作戦を邪魔した。あなたの命運は、もう決まっている」 そう言うと、カイは短く口笛を吹いた。 暗闇から、数人の男たちが無言で現れる。  皆、同じ黒装束。  ジャカルタの私設武装部隊――龍一が
last updateLast Updated : 2025-12-11
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第六十話 悪夢の夜のあとで

 ――まぶしい。 まるで白いフィルターを通したような強烈な光が、閉じたまぶたの裏に差し込んできていた。  玲はゆっくりと目を開けた。窓から差し込む南国の朝日は、優しいというより容赦がない。現地時間はすでに昼前。時計の針は十一時を少し回っていた。「……寝過ぎた」  身体を起こすと、隣で小さくうめき声がする。 真っ白なシーツに包まっているのは――麻美だった。(そういえば、昨夜……) 激しい緊張。 鷲尾に襲われた恐怖。  そしてリュー・カイと黒装束の部隊が現れ、鷲尾を連れ去った。 すべてが現実離れしていて、まるで映画のワンシーンのようだった。 そのあと麻美は、涙混じりに言った。『玲……お願い、一人でなんて眠れないよ……同じベッドに入ってもいい?』 玲は笑って受け入れたが、麻美は本当に怯えていた。  気づけば、麻美は玲に腕を絡めたまま眠り、朝まで離れなかった。 あの恐怖を考えれば無理もない。  玲自身も、眠りに落ちた瞬間――兄の名前を呼びそうになっていた。「龍一兄さん……」 小さく呟いてしまう。(兄さんなら、全部……片づけてくれる) そう思うと、胸がじんわり熱くなる。  そして蓮――蓮が無事でいることも、兄の動きから察していた。(蓮……会いたい……) ふと、麻美が寝返りを打ち、目をしぱしぱさせて起きた。「……ん……玲……? 朝?」 「昼近いけどね」 「えっ……そんなに寝たの?」 「うん。そりゃあれだけのことがあったら……」 麻美は思い出した瞬間、肩を震わせた。「昨日の……あれ……夢じゃないよね……?」 「夢じゃない。でも、もう大丈夫。カイさんたちが全部……」 「……そっか」 麻美は胸に手を当て、ようやく安堵の息を吐いた。「玲が無事でよかった……私も……」 玲は麻美の頭を軽く撫で、穏やかに言った。「じゃあ、まずはお昼食べよう? 何か温かいものでも」「そうだね……お腹すいた」 二人はようやくベッドを抜け出し、シャワーを浴び、それぞれラフなリゾート服に着替えた。 雲ひとつない青空。 波の音。 ゆったりとした風。 昨夜の地獄のような光景が、嘘のようだった。 昼食をとったあと、二人はホテルビーチのパラソルの下でジュースを飲みながらくつろいでいた。「ソーダ、美味しい……」  麻美はストローをくわえながら
last updateLast Updated : 2025-12-11
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