All Chapters of 黎明の風と永遠の指輪ー夜の世界で出会った二人、危険で甘い約束ー: Chapter 41 - Chapter 50

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第四十一話 氷の邂逅(こおりのかいこう)

会合が終わり、柊晴臣と蓮はホテルのロビーへと降りてきた。  深夜零時をとうに回っているにもかかわらず、空間はなお眩い光に満ちていた。  重厚なシャンデリアが天井から幾重にも光を落とし、磨き上げられた大理石の床には二人の姿が歪んで映る。  壁際には、黒いスーツを着た男たちが無言で立ち並び、目線ひとつ動かすことなく、そこに「在る」だけのように控えていた。 ――空気が違う。  蓮は思った。まるでこの一角だけが現実とは隔絶された異世界。  権力と金の匂いが、冷たい香水のように充満している。 晴臣が外へ出ようとしたその瞬間。  背後から、低く落ち着いた声が響いた。「……お帰りですか、柊会長」 その声に、晴臣も蓮も同時に振り向く。 そこに立っていたのは、一人の青年だった。  背が高く、均整の取れた体つき。  無駄のない所作で直立し、微動だにしない。  顔立ちは端正だが、その瞳には一切の感情がなかった。 漆黒の髪は一本の乱れもなく整えられ、  チャコールグレーのスーツは完璧に仕立てられている。  ネクタイの結び目ひとつ乱れず、ポケットチーフすら寸分のズレもない。 立っているだけで、周囲の空気がわずかに震えるような、  冷たく張り詰めた圧。 ――この男……只者ではない。 蓮は即座に察した。「……あなたは?」 蓮が問いかけると、青年はほんのわずかに口角を上げた。  その微笑は温かみのない、形だけの表情だった。「桐嶋龍一。桐嶋コンツェルンの社長を務めております」 その名を聞いた瞬間、蓮の喉がひゅっと鳴った。  ――桐嶋宗一郎の息子。  会合の席で何度も耳にした、“氷の男”と呼ばれる存在。 晴臣が丁寧に会釈した。 「これはこれは。お噂はかねがね。本日はご尊父にお世話になりました」 龍一は軽く頭を下げ、表情をわずかに緩めた。  それは笑みというよりも、社交辞令としての「形」だった。「父は少々、感情の起伏が激しいところがありますので。  どうかお気を悪くなさらぬよう」 穏やかな言葉。  だが、その声にはまるで温度がなかった。 蓮はその目を見て、息を呑んだ。  吸い込まれるような暗さ。  まるで深海の底で灯の届かぬ場所にいるような――  そんな静けさと孤独があった。 「あなたが……柊 蓮さん、黎明の社長ですね」
last updateLast Updated : 2025-12-05
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第四十二話 帰還

少し前の明け方。 黒いロールスロイス・ゴーストが、夜明け前の首都高を静かに滑っていた。  フロントガラスに映る街の灯が、まるで遠い星のように流れていく。  午前四時過ぎ。車内には低く響くエンジン音だけが満ちていた。 後部座席――玲は窓の外を見つめていた。  頬にはまだ涙の跡があり、手に握られた白いハンカチはしっとりと濡れている。  その指先はかすかに震えていた。  夜風のように細い声で、彼女はようやく言葉を絞り出した。 「……どこへ行くの?」 隣に座る男が静かに答える。 「……家だよ」 低く抑えた声。だが、その響きには抗いがたい威圧感と、微かな優しさが混じっていた。  玲は顔を上げた。  窓に映る横顔――冷たく整った輪郭、鋭い眼差し。  見間違えるはずもない。兄、桐嶋龍一。 「……兄さん……どうして……」 龍一は短く息を吐き、前方を見据えたまま答えた。 「父上には言っていない。お前が、男と別れて一人で泣いていると知ったら――何をするか分からないからな」 玲の胸に、鋭い痛みが走る。  兄の声は淡々としていたが、その一言には、幼い頃からの家の重圧、父という存在への恐れ、そして何よりも妹への思いやりが滲んでいた。 「……兄さん……」 玲は小さく呟いたが、龍一は答えず、静かに夜明け前の首都高を見つめていた。  “氷の男”――そう呼ばれる男の横顔は、どこまでも冷たく、どこまでも静かだった。  しかし、その指先は、ほんの僅かに震えていた。 「……俺が迎えに行くと言ったら、父上は驚いていた。  お前は“桐嶋の娘”だ。どんな形であれ、外で泣かせておくわけにはいかない」 玲は俯いた。  車窓に映る自分の顔が、やけに遠くに見える。  ――桐嶋家の娘としての自分。  ――柊 蓮を愛した女としての自分。  二つの“玲”が、心の奥で激しくぶつかり合っていた。 龍一はそんな妹の沈黙を見て、僅かに目を細めた。  彼の中で、何かが静かに動き始めていた。 桐嶋コンツェルン本社の情報管理室。  龍一の命令を受けた部下たちが、夜を徹して調査を進めていた。 神谷が報告を持ってきたのは、午前二時。  玲が泣きながら夜の街を歩いていたという報告を受け、龍一はただ一言だけ言った。 「――調べろ。なぜ泣いていたのか。誰と、どこで、何があっ
last updateLast Updated : 2025-12-05
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第四十三話

 翌日、神谷が再び報告を持ってきた。手には数枚の報告書。「指示通り、神威会と西條組の繋がりを洗いました。資金の流れは黒澤経由。表向きは建設事業だが、裏では覚醒剤と不正入札の資金が動いています。鷲尾はその運搬ルートを押さえており、神威会の“裏口座”にもアクセスできる立場です」「つまり――鷲尾を潰せば、神威会の裏金も止まる」「その通りです」 龍一は頷いた。そして別のファイルを開く。  そこには「黎明」「柊 蓮」「利衣子」「玲華」と記されたページ。「黎明の内部資金の一部が、神威会の口座と接続していました。ただし、それは直接的な関係ではなく、利衣子の個人口座を経由しています。この女は――西條組の鷲尾と密接に関係があり、鷲尾を通して神威会の黒澤とも接点がありました。柊 蓮本人はそのことを知らなかった可能性が高い」 龍一の指が止まる。  そして、ページをめくった。そこには玲の名前。「玲華は?」龍一の声は低く、静かな圧を帯びていた。 神谷は一瞬だけ視線を伏せ、慎重に言葉を選ぶ。「……黎明には形式上、監査役として名を連ねているという噂でしたが、実務には全く関与していません。完全なるデマです。玲華様は先日まで、“クリスタルローズ”という高級クラブを経営していました。もっとも――玲華様が家にお帰りになった日に閉店の手続きに入りました」龍一の眉がわずかに動く。「閉店?」「はい。社屋の明け渡し、スタッフの退職手続きも終わっています。  ……おそらく、あの夜の出来事が原因かと」神谷は一拍置き、さらに続けた。「玲華様は、柊 蓮の婚約者でした。しかし――その蓮が、利衣子という女性と関係を持った。その現場に遭遇し。玲華様は……そのまま柊のマンションを出て、夜の街を泣きながら歩いていたようです」龍一の表情が、わずかに曇った。だが言葉は発さない。 沈黙が、報告室の空気をさらに冷たくしていく。神谷は続けた。「玲華様が住んでいたマンションの部屋も、その朝すでに退去しています。  家具、衣類、全て処分するよう指示を出したのはご本人です。  “クリスタルローズ”の名義口座も閉鎖。……すべての“過去”を切り捨てようとしているようです」龍一はゆっくりと目を閉じた。 机上の資料に視線を落とし、無言でページをめくる。玲華の名が記された箇所で、指先が止まる。一瞬
last updateLast Updated : 2025-12-06
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第四十四話 黒幕の思惑

翌日の桐嶋コンツェルン。龍一の机の上には、数枚の写真と報告書。  柊 蓮、利衣子、黒澤、鷲尾――それぞれの顔が一列に並ぶ。  そして、その最上段には、一つの名が記されていた。 ――天城会(あまぎかい)。 関西を中心に経済・政治・裏社会すべてを裏で繋ぐ、実質的な“頂点”の組織。  その頂点に君臨する男――天城壮真(あまぎ そうま)。  年齢は五十を少し越えたばかり。かつては国の要職にも顔を出していた元政商。  その冷徹な思考と、表も裏も自在に渡る交渉力から、“影の宰相”と呼ばれる存在だった。 龍一はすでに知っていた。  黒澤の背後に、この天城壮真がいることを。  神威会はただの駒にすぎない。  そして、黒澤と鷲尾に与えられた“命令”の内容も――。 ――柊 蓮を潰せ。そして、成瀬 玲をさらってこい。 目的は明白だった。  桐嶋コンツェルンを揺さぶること。  玲が実は桐嶋家の令嬢であり、柊 蓮の婚約者であることを、天城壮真はすでに掴んでいた。 黎明を落とすのは前哨戦にすぎない。  本命は桐嶋――日本経済の“影”を牛耳る巨大グループだ。 龍一は、報告書に指先を滑らせた。  視線の先には、玲の写真。  夜会で撮られた一枚。  その表情は穏やかで、しかし瞳の奥にかすかな不安が宿っている。  (……おそらく、もう嗅ぎつけられているな)  龍一の脳裏で、冷たい演算が始まった。 鷲尾を動かすのは神威会の黒澤、  神威会を動かすのは天城会。  だが、天城の狙いは黎明でも神威でもない。  “港”――それが鍵だった。 黎明グループが持つ関西港湾の物流ルート。  海運から陸送まで一貫した支配権。  それを、桐島コンツェルンが裏で支援している。  だからこそ、天城は黎明を落とせば、港湾の利権を丸ごと奪えると踏んでいた。 だが――。  龍一はその思惑を逆手に取ろうとしていた。 「……港を奪う前にやつらは破滅だ」 誰もいない社長室。  ガラス越しに広がるのは、冷たい光の海。  夜の街が足元に広がり、無数の車の灯が線となって流れている。  その景色を、龍一はまるで他人事のように見下ろしていた。 頭の中では、いくつもの線が組み上がっていく。  ――神威会と西條組を潰す段取り。  ――鷲尾を利用し、黒澤と同時に排除する手
last updateLast Updated : 2025-12-06
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第四十五話 桐嶋家の令嬢

再び、現在。  夜明け前の薄い光が空に滲みはじめ、車は郊外の高台へと差しかかっていた。長い坂道をゆっくりと上がると、朝靄の中から桐嶋家の本邸が静かに姿を現す。 桐嶋家――  政治家、財界人、法律家、国内外の要人が招かれる“十八会”の象徴であり、日本の黒幕とも噂される桐嶋家の牙城。  広大な敷地に広がる庭園は、夜露を含んだ草の香りを漂わせ、白亜の外壁は薄明の光を受けて淡く輝く。玄関へと続く大理石の階段は、まるで王宮のように重厚で、誰もが無意識に背筋を正す迫力を持っている。 車が静かに止まった。  運転席から降り立った龍一が振り返り、無言のままドアを開ける。黒いコートの裾が風に揺れ、その姿は、まるで夜明け前の影そのものだった。 「……降りろ。お前の部屋はそのままだ」 玲は小さく頷く。その動作ひとつにも、長旅の疲れと張り詰めていた緊張が滲んでいた。  震える足で地面へ降り立つと、冷たい石畳の感触が靴底を通して伝わってくる。  懐かしい庭の香りが胸に広がり、思わず息を吸い込んだ。 ――帰ってきた。 数年ぶりのはずなのに、まるで昨日までここで暮らしていたかのように、景色が胸の奥に染み入ってくる。だが同時に、その“帰還”は重荷のように彼女の心を押しつぶした。 玄関の扉が音もなく開き、老執事が深々と頭を下げた。 「お帰りなさいませ、玲華様」 その声音は温かい。しかし玲は微笑もうとしても、唇がわずかに震えただけだった。感情を整える余裕すら、今の彼女にはなかった。 廊下に足を踏み入れる。  天井の高いホール。左右に並ぶ絵画。足音を吸い込む厚い絨毯。  すべてが記憶の中のまま――時間だけが玲を置いて進んでしまったかのようだった。 案内されるまま、長い廊下を抜ける。  扉の向こうにあるのは、少女の頃を過ごした部屋。 ドアノブを握った瞬間、過去の記憶が一気に押し寄せ、胸が痛んだ。  扉を開けると、中は驚くほど変わらぬ姿で残されていた。 白いカーテンは柔らかく揺れ、淡い花柄のベッドカバーは新品同様。窓際の小さなピアノは、まるで玲がすぐにでも鍵盤に手を置くのを待っているようだった。  部屋全体が、玲の帰還を静かに迎えているようだ。 扉を閉めた瞬間――  玲の中で、堰が音を立てて崩れ落ちた。 蓮の顔が脳裏に浮かぶ。  テーブルの向こうで笑
last updateLast Updated : 2025-12-06
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第四十六話 囁かれた脅迫

 街灯に照らされたアスファルトが、夜露でわずかに光っている。 玲は、戻って来た実家の、1人では広すぎるベッドに横たわりながら、眠れないまま瞳を見開いていた。 ――蓮が関西へ出張に行ってからおかしくなってしまった。  あの夜のことが、どうしても頭から離れない。  蓮のマンションの部屋で、蓮は怒っていたがあの女性は…白く細い裸の肩。 その白い肌に残った赤い口づけの跡。シーツを胸元まで引き上げながら、勝ち誇ったように自分を見てきたあの瞳。  そのわずか数秒の光景を見てしまった瞬間から、玲の心は揺らぎ続けていた。 胸が締め付けられ、呼吸すらままならなくなる。 ――どうして? 蓮は優しい。自分だけを愛してくれると信じていた。  指輪を贈り、結婚を約束し、一緒に歩む未来について語った。 あれらは全部、嘘だったの? 思考が暗い深みに落ちていくその時――スマートフォンが震えた。 【非通知設定】 普段、関係者以外からの非通知は入らない。  警戒しながらも、玲はその着信を取った。「……はい」 玲は静かに応える。 その直後、低く、冷たく、異様に落ち着いた男の声が響いた。『成瀬 玲か』「……どなたですか?」『名乗る必要はない。だが、お前は知っておくべきだ。“柊の女”でいるには代償がいる』 その一言で、玲の背筋に悪寒が走る。「……蓮に、何か……?」『柊 蓮のことはどうでもいい。聞きたいのは――“黎明の資金ルート”だ』 黎明の資金ルート? 自分が知るはずもない。「意味が分からない……私は会社の人間じゃありません。そんなもの、知りません」『嘘をつくな!!』 男の声が、ひどく冷たく変わった。『お前の男のスマホには、内部の連絡が大量にある。メッセージも、アカウントも、全部だ。俺の女が抜き取ってきた。お前は黎明の資金の流れを知っているだろう?』「俺の女?蓮のスマホから内部の連絡先……まさか、あの女性……?」『そうだ。蓮はもうアイツなしではいられん体になった。週に三回は俺の女の部屋に通ってる。一晩中熱く愛してくれると話していたぞ』 心臓を氷の指で鷲掴みにされたような感覚だった。「蓮が……そんな……」『信じたくなければ好きにしろ。だが写真は見たんだろ?今度は動画も撮って送ってやろうか?………あの男がどうやって女を抱くかはお前もよく知っている
last updateLast Updated : 2025-12-07
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第四十七話 “闇を歩く者”

 ――関西の港湾利権を、再び奪い返す。 その決意だけを胸に秘めて、柊 蓮は再び関西へ向かおうとしていた。 だがその意思は、父である柊晴臣と、長年の腹心である神崎隼人に強く止められた。 「今はまだ動くな。傷が深すぎる。今行けば、戻れなくなるぞ。蓮」 その言葉に従うしかなかった蓮は、ひとり新しいマンションに閉じ込められた。 利衣子が無断で合鍵を使って押しかけてきた旧居をすぐに引き払い、  “もっと安全で、もっと豪華で、もっと蓮にふさわしい場所”――  父が手配したセキュリティ完備のラグジュアリーマンション、《GRANDIO REX TOWER(グランディオ・レクス・タワー)》  ──天空の王宮(キングダム) そこに蓮は移った。 最上階のペントハウスは、天井まで届くガラス壁が360度の夜景を映し、  黒大理石の床には水面のように光が揺れている。  広いリビングも、大きすぎる寝室も、豪奢な家具も、玲のいない蓮にはすべて無意味だった。この場所は“守る”ための箱であって、“帰る場所”ではなかった。 蓮は毎晩、ひとりでソファに座り、何度もスマホの画面をつけては消した。 ――玲。  ――お前は今、どこにいる。 その想いだけが、胸の奥に渦巻き続けていた。 蓮はじっとしていられる性格ではなかった。 隼人に「外に出るな」と言われていたが、夜になると、どうしようもなく呼吸が苦しくなる。 ――玲を探さないと、息ができない。 その焦燥が理性を食い尽くし、蓮は夜ごと、繁華街へ姿を消した。 黒いパーカーにキャップを深く被り、身分証も持たず、ただひたすら──歩いた。あらゆる繁華街を、玲の影を追って彷徨った。 だがクリスタルローズに勤めていた従業員すら、誰ひとり見つからない。 彼女たちの住んでいた寮も、跡形なく消えていた。  まるで“最初から存在していなかった”かのように。 ――鷲尾の仕業か……  ――あるいは、もっと大きな組織が動いているのか。 考えるほど、胸が焼け付く。 蓮の表情は日に日に鋭く尖り、玲と過ごしていた頃の柔らかな面影は完全に消えた。 街の影を歩く蓮の目は、獲物を追う獣そのもの。 酒に酔ったチンピラが肩をぶつけてきた夜、蓮は静かに振り返った。 「なんだオラァ? 謝れよ」 蓮は言葉を返さず、ゆっくりと歩み寄る。  そ
last updateLast Updated : 2025-12-07
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第四十八話 蓮の孤独

深夜三時。  GRANDIO REX TOWERのペントハウスに戻った蓮は、  ソファに座り、真っ暗な部屋の中で一人煙草を吸った。 煙が上へ立ち昇り、天井に届くころには消える。 「……玲」 目を閉じれば、玲が微笑む姿が浮かぶ。 「蓮、無理しないでね」  「あなたが帰ってきてくれるだけで、私は幸せだから」 その声が、胸を締め付ける。 「……ごめん……」 蓮は頭を抱えた。 何もできない自分が許せない。  探しても見つからない現実が、蓮の心を容赦なく削っていく。 玲がそばにいたときは、蓮の世界は光で満ちていた。 だが今──  蓮の世界は完全な闇だった。 どれだけ煙草を吸っても、胸に溜まる重さは消えなかった。 蓮は深く息を吐く。  その音さえ、広すぎるペントハウスに吸い込まれ、虚しく消えていった。 玲がいたあの日々――  同じ部屋でも、息ができるほど温かかった。 今は、冷たすぎる。 この空間は、豪華で広大で、誰もが羨む“天空の王宮”だというのに、蓮にとっては孤独を増幅させる牢獄にしか見えなかった。 不意に、枕元に置かれたスマートフォンが震えた。 画面に浮かんだ通知は、隼人からのものだった。 『……社長。今、よろしいですか』 『少しお耳に入れたい話が』 蓮は面倒そうに目を細め、煙草を灰皿に押しつける。 「……なんだよ。こんな時間に」 だが、隼人が“こんな時間に連絡してくる理由”が、ただ事でないのはわかっていた。蓮は通話ボタンを押す。 「……隼人か。どうした」 電話越しの隼人の声は、いつもの冷静さを失っていた。 『社長……関西の港湾ルートの件で……少し不穏な噂が流れてます』 蓮は眉をわずかに動かす。 「……なんだと」 『天城会が、黒澤ではなく……“直接”関西ルートを押さえに動いているという話です』 蓮の指が止まった。 天城会――  関東最大の“影の財閥”とも呼ばれる組織。  東の桐嶋、西の神威、そして天城。  この三つの勢力は、日本の裏社会の均衡を保つ支柱のような存在だった。 その天城が、関西港湾ルートに手を伸ばすとなれば――  「均衡崩壊」を意味する。 蓮は息を呑む。 「ありえねぇ……そんなこと、天城会がやる必要がねェ」 『ですが……動いています。しかも、かなり早い』 隼人の声は震え
last updateLast Updated : 2025-12-07
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第四十九話 十八会の影

 十八会――  日本の巨大な企業連合を裏で繋ぐ、十八の家門と企業群からなる秘密会合。 政治家も、大企業の会長たちでさえ、顔色を伺う組織。  黎明コーポレーションも、その一角を担っていた。 次の会合は三日後。 よりによってその場で、  「関西港湾利権を失った」という失態を、柊晴臣――黎明コーポレーションの会長である蓮の父が叱責される可能性が高かった。 隼人が続ける。 『……会長は、かなり落ち込んでおられます。今回の件で、“柊家の面子が潰れる”と……』 蓮は拳を握りしめた。 「……俺の責任だ」 『社長……』 隼人の声が苦しげに揺れる。 『社長は……あの女に嵌められただけです。それは間違いじゃない。  でも……十八会は、そんな情を理解しない。数字と権力だけで動く場所です』 蓮は喉を鳴らした。 利衣子もこの利権に関して1枚かんでいた…俺を嵌めて玲と別れさせ… しかしその結果――関西港湾の利権を黒澤に奪われ、今度は天城会までもが介入を始めた。 父、晴臣の顔が浮かぶ。 “お前は私の誇りだ、蓮”、“だが、この世界は甘さを許さない” その言葉が胸に刺さる。 「……父さんは叩かれるのか」 『それだけじゃありません』 隼人は息をのむように言った。 『桐嶋会長が……今回の件で、“柊家の力はもう落ちたのではないか”と話しているらしいと』 蓮の目が鋭く光った。 「……桐嶋のジジイ……好き勝手言いやがって……」 『まだ噂段階です。ですが……天城が関西に手を伸ばしてくるなら、桐嶋家はそれを許さないでしょう。 むしろ、“蓮さんが失敗したから”と、火に油を注ぐはず……』 蓮の胸がざわりと波打つ。 逃げ出したくなるほどの罪悪感と、爆発しそうな怒りが共存していた。 「……隼人。お前はどう思う」 『俺は……社長に動いてほしくない』 即答だった。 『関西はもう危険です。黒澤の動きも、天城の動きも不可解すぎる。  社長が行けば……玲さんの件も含めて、もっと危険になる』 蓮は一瞬黙った。  そして、かすかに目を細める。 「……それでも、行くしかねぇだろ。玲のことも……港のことも……全部、俺の問題だ」 隼人は唇を噛みしめていた。 『……知っています。社長がそういう人だって。でも……俺は……』 隼人の声が初めて感情を露わにした。 『
last updateLast Updated : 2025-12-08
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第五十話 神威会・黒の執行部屋

関西。大きな川沿いの古い倉庫街――その一角に、神威会の巨大な本部ビルがそびえていた。  夜の街灯が流れていくようなネオンの光を受け、漆黒の外壁はぬらりと黒光りしている。  関東の桐嶋コンツェルン、黎明コーポレーションとはまったく異質の“暴力の匂い”をまとった場所。  その最上階の奥まった部屋――通称《執行部屋》。 黒革のソファと、打撃音を吸い込む壁。  硝煙と古い酒の香り、そして血の匂いがまだ消えていない。 その部屋に、二つの影が向き合っていた。  一人は、神威会の黒澤剛士。  もう一人は、西條組の若頭・鷲尾。 机を挟んで向かい合う二人の間には、薄い煙の層が漂っていた。  黒澤は葉巻をくゆらせ、鷲尾は汗ばんだ手を膝に置いたまま目線を落としている。 沈黙は、重い石のように落ちていた。 黒澤が葉巻を灰皿に押しつける音が、やけに大きく響く。「……鷲尾」 低い声が、部屋を震わせた。  鷲尾の肩がビクリと揺れる。「ワシは……言うたよな」こういった場ではいつも関西弁を使わないようにしていた黒澤も、言葉を選んでいられないくらいの怒りをこめて鷲尾を見た。  黒澤は細い目をさらに細め、獲物を舐める蛇のような視線を落とす。 「“黎明の女・玲を連れてこい”、と。……言うたよなァ?」 鷲尾は喉を鳴らし、うつむいたまま答える。 「……そ、その件ですが、黒澤の兄貴……あの女、ちょっと想定外の動きしよりまして……」「想定外?」  黒澤の声は、笑っているようで全く笑っていなかった。 「オマエの想定なんぞ、ワシの知ったこっちゃないんじゃ。結果が全てやろが!!」 鷲尾は、ぎゅっと拳を握る。  黒澤の視線が、喉元を掴むように冷たい。 それでも言い訳を絞り出すしかない。「呼び出しはしたんです。場所も時間も送った。けど……女は来ぃひんかったんですわ…」「あぁん?」  黒澤が片眉をぴくりと動かした。  鷲尾の背筋に冷たい汗が流れる。「言うときますが、ワシは罠も張った。逃げ道も封じた。桐嶋の私兵がついとる気配もなかった。そやけど……あの女、動かへんかったんですわ」 黒澤の口元がゆっくりと歪む。「動かん?」「は、はい。聞けば――柊 蓮とのことでメンタルぐちゃぐちゃで、部屋から出ぇへんようになっとる……て」 黒澤は机をドンッと叩いた。「そんなも
last updateLast Updated : 2025-12-08
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