All Chapters of 幼馴染を選ぶはずの彼の心に、私が残っている: Chapter 241 - Chapter 250

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第241話

亮は朗らかに笑ってグラスを掲げた。「おめでとう!ほんとにお似合いだ!叔父として祝わせてもらうよ。いつまでも仲睦まじく、末永くお幸せにな!」隣にいた芳子も慌ててグラスを掲げた。顔には親しげな笑みを浮かべているのに、指先は無意識にグラスの脚をきゅっと握りしめている。「湊、明乃ちゃん。おめでとう。幸せな家庭を築いて、子どもにも恵まれますように」「亮さん、芳子さん、ありがとうございます」明乃は礼儀正しくお礼を言った。湊は口角をわずかに上げ、二人とグラスを合わせたが、その視線は芳子の震える指先に一瞬だけ止まり、すぐに何事もなかったかのように逸らした。メインテーブルでの挨拶を終えると、二人は他のゲストたちの席へと向かった。芳子は付かず離れずの後を追い、湊が持つグラスをじっと見つめていた。鼓動は激しく打ち鳴らされている。ようやく一通りの乾杯がひと段落すると、彼女はすぐに割り込んだ。「まあ、いちばん肝心な乾杯を忘れてたわ!大事な儀式でもあるからね!新郎新婦同士が乾杯すれば、縁起もいいしね!」そう言いながら、彼女は焦るように会場の隅へ視線を向け、声を張り上げた。「陸!早く、湊たちに新しいグラスを持ってきなさい」陸はうつむいてスマホをいじっていたが、その声を聞くと煩わしげに舌打ちし、のろのろとスマホを置いた。傍らには、赤い絨毯を敷いたトレイを捧げたスタッフが既に待機しており、そこには透き通った酒の入った二つのグラスが載っていた。陸はそれをちらりと見ると、トレイを受け取って長い足を揺らしながら歩み寄り、だるそうに言った。「ほら、酒だ」芳子は陸が持つグラスを、特に湊が受け取ろうとしている方を食い入るように見つめた。心臓は喉から飛び出しそうで、手のひらは冷や汗でびっしょりだったが、顔には無理やり笑顔を張り付けていた。湊は差し出されたグラスを淡い目で見やり、それから緊張しきった芳子の顔を窺うと、瞳の奥がわずかに深まった。彼は陸から差し出されたグラスを受け取り、指先でしっかりと支えた。「お前もこれで家庭を持つ身だな」グラスを受け取った瞬間、幸之助が思わず口を開いた。「わがままを抑えて、明乃ちゃんを大切にするんだぞ。もし泣かせるようなことがあれば、俺が黙っちゃいないからな」「ああ、分かった」湊はそっけなく答えたが、その視線は平静を装う
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第242話

パーティーの盛り上がりは相変わらずだった。だが芳子だけは、ソワソワしていた。顔に笑みを張り付けてはいるものの、視線は勝手に湊の方へと泳いでしまう。当の湊は明乃を連れて周り、にこやかにゲストと談笑していた。その眼光は少しも鈍っておらず、醜態をさらすどころか、異変のかけらも見当たらない。薬を仕込んだはずのあのグラスは、まるで海に投げられた石のように、波紋一つ立てなかった。これは……どういうことかしら?どうして彼は、ピンピンしてるの?少し離れたところでは、亮がグラスを手に周囲と挨拶しているふりをしながらも、目の端だけは同じように湊に釘付けだった。時間が経つにつれ、彼の顔からも余裕が消え、眉間のしわがどんどん深くなっていく。おかしい。彼はたまらず、近くにいた芳子の方へ目をやった。彼女は名家の夫人を相手に無理やり愛想を振りまいていたが、目はしきりに湊を追い、額には化粧でも隠しきれない脂汗が浮いている。亮は苛立ちを覚え、適当な口実を作ると芳子の手首をひっ掴んだ。悲鳴を上げそうなほどの力で彼女を引きずる。「ちょっと来い」彼は芳子を連れ、人混みを抜けて、人目に付かない静かな休憩室へと押し入った。カチャリ、とドアの鍵が閉まる。「どうなってるんだ!?」亮は彼女の手を振り払い、今にも怒りが爆発しそうな顔で詰め寄った。「もうどれだけ経った?なぜあいつは何ともないんだ!?」芳子もパニックに陥っていた。「わ……私だって分からないわよ!陸がお酒を運ぶのも見たし、湊も確かに飲んだわ!薬は……薬はあなたの言う通り、湊のグラスに入れたわ。念のため、私は……薬の量も増やしたのよ!」「薬の量を増やした?」亮の眉が不快そうに歪んだ。「薬が多すぎて、逆に効き目が遅れているのか?」彼はイライラと髪をかきむしった。大金を積んで手に入れた薬だ。売り手は即効性があると言っていたし、こんなはずはない……とはいえ、彼自身もその薬を使うのは初めてだった。業者は効果こそ保証したが、正確に何分で効くかまでは明言していなかったのだ。まさか、本当に遅れているのか?「もう少しだ、もう少し様子を見よう……」亮は荒い息を吐きながら、自分に言い聞かせるように呟いた。「おそらく……体質の違いで効きが遅いだけだ。落ち着け、自滅するんじゃないぞ!」
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第243話

湊は彼女の指先を軽くつまみ、「運転手に送らせるよ」と言った。明乃が遠慮しようと手を振りかけた時、安藤家の両親と明斗がこちらへ歩いてくるのが見えた。「行くぞ……」明斗は明乃と湊を交互に見て、無愛想に湊を一瞥した。「明乃は連れて帰るからな」口調はぶっきらぼうだったが、以前のような一触即発の空気は消えていた。湊は眉をつり上げたが、珍しく言い返さずに「彼女を頼んだぞ」とだけ返した。明斗は鼻を鳴らして、頷いた。明乃は明斗の拗ねている様子に思わず微笑むと、湊に向き直って小声で聞いた。「じゃあ、行くね?」「ああ」湊は顔を寄せ、周りの目も気にせず彼女の額にキスをした。明乃は驚いて顔を真っ赤にし、慌てて両親の方を見た。加奈子は笑って視線を逸らし、義男は軽く咳払いをした。明斗はあからさまに嫌そうな顔をして「ベタベタするな」と吐き捨てた。安藤家へ向かう車内の雰囲気は穏やかだった。明乃はヒールを脱ぎ捨て、座り心地の良い後部座席に座ると、深く息をついた。加奈子が蓋を開けたペットボトルを差し出す。「お水飲んで。喉カラカラでしょう?」「ありがとう」明乃は受け取って、ちびちびと飲んだ。助手席の明斗がバックミラー越しに彼女を見た。「情けないな。半日立ってただけでそんなにバテるのかよ」明乃はボトルを置くと、前の座席をポカポカと蹴った。「お兄さん!たまには優しいこと言えないの?」明斗は鼻で笑った。「優しい言葉なら婚約者にでも言ってもらえ」義男が少し笑いながら口を開いた。「今日は盛大なパーティーだったな。藤崎家も相当力を入れていたようだ」彼は一呼吸置いて明乃を見つめた。「湊はちゃんとしてる子だ。明乃も見習ってな」「わかっているわよ……」明乃は小さく膨れたが、口角は自然と上がっていた。車はスムーズに走り、窓の外を夜景の光が流れていく。明乃はリラックスして加奈子の肩にもたれかかり、パーティーでの出来事をポツポツと話した。車内には穏やかな笑い声が響いていた。……一方、藤崎家の実家のリビングでは。幸之助がどっしりとソファに腰を下ろし、お茶を啜りながら湊を見た。「今日は上出来だったな」湊は傍らに立ち、淡々と「おじいちゃん、気にかけてくれてありがと」と言った。「次は結婚式の準備だ。明乃に辛い思いをさせるんじゃないぞ」と
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第244話

芳子の顔から血の気がさっと引き、瞳孔がきゅっと縮んだ。そして、照明の下で冷たい光をはね返す小さなガラス瓶を、食い入るように見つめた。ありえないわ!だって、この薬は確かに陸が運んでいったし、湊が飲み干すのをこの目で見たはずだわ。どうして……芳子は思わずに、ずっと握りしめていたクラッチバッグに手を伸ばした――空っぽだわ!内ポケットに隠しておいたはずのあの小瓶が、どこにもない。足元から頭のてっぺんまで冷気が突き抜け、全身が凍りついたように動かなくなった。歯の根が合わず、ガタガタと震え出す。湊はその反応をすべて冷徹に観察していた。唇の端を吊り上げ、馬鹿にするような笑みを浮かべると、指先で器用にその瓶を弄んだ。その声は低く、淡々としていたが、一言一言がナイフのように鋭かった。「そんな安っぽい小細工、何回やれば気が済むんだ?」湊は言葉を切り、顔色が真っ青になった芳子の顔を覗き込んだ。「今回は自分の息子の手まで使って、俺に毒を盛るなんてね……」「毒」という言葉が、静まり返った居間に爆弾のように響き渡った。幸之助が勢いよく立ち上がった。顔を真っ青に染め、手にしていた杖を「ドン!」と床に叩きつける。「毒だと、どういうことだ!?」幸之助の鷹のような鋭い視線が、震えが止まらない芳子に向けられた、「芳子!湊の言っていることは本当なのか!?お前……よくもそんな真似を……」「違うわ!お父さん!そんなことはしていません!湊が、私に濡れ衣を着せたの!」芳子は尻尾を踏まれた猫のように金切り声を上げた。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら床に崩れ落ち、這いつくばって幸之助の足にしがみつく。「お父さん!私のことを信じて!そんな恐ろしいことするわけないでしょ!?あの瓶、私のものじゃないわ!何なのか知らないわ!」彼女は声が枯れるほど泣き叫び、途方もない屈辱を受けたかのように見えた。湊は鼻で笑った。「濡れ衣を着せるって?」彼は手元の小瓶を軽く振ってみせた。「これには……まだ指紋が残っているはずだ。自分のだって認めないなら、話は簡単だ……」彼は顔を上げ、居間にいる人々の表情をゆっくりと見渡した。そして最後に、わずかに顔を強張らせた亮のところで、一瞬だけ視線を止めた。「今すぐ鑑定に出して、徹底的に調べさせよう。俺の指紋以外に、誰の汚い痕跡
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第245話

「どうやら今夜は長くなりそうだ」そう言い残すと、泣き叫ぶ芳子や顔をしかめる幸之助を放置して、湊は背を向けた。寄せ付けない殺気を漂わせながら、迷いのない足取りで大股に外へと歩き出していく。……一方、安藤家の車内では。明乃は一方的に切られたスマホを見つめて、ぱちくりと瞬きをした。「どうしたの?湊は何て言ってたの?」加奈子が心配そうに尋ねた。「……あとで、私のバッグを持ってきてくれるって」明乃は正直に言った。それを聞いた加奈子は、義男と顔を見合わせて思わず吹き出し、茶化すように言った。「あらあら、本当に……一刻も離れていられないのね。まだ別れて間もないのに。腰を落ち着ける間もなく追いかけてきたの?もう、惚れ込みすぎよ、湊ったら……」運転席の明斗はバックミラーを冷めた目で見ると、無表情に口角を歪めた。「ベタベタしやがって」加奈子にからかわれて明乃は顔が熱くなり、小さな声で弁明した。「バッグを届けてくれるだけだよ……」「はいはい、バッグね。バッグ」加奈子はニヤニヤと笑い、明らかに信じていない様子だった。車はすぐに安藤家の別荘の前に着いて止まった。明斗がサイドブレーキを引くより先に、明乃が声を上げた。「お兄さん、お父さん、お母さん、先に入ってて。私……ここで彼をちょっと待ってるから」加奈子はわざとらしくため息をつき、笑いながら首を振った。「全く、箱入り娘も嫁入り前にはこれだわ。はいはい、私たちは邪魔しないわ。一人で待ってなさい。夜は冷えるから、あんまり長く外にいないのよ」そう言い残して、義男と一緒に車を降りた。家族が家に入るのを見届けて、明乃はようやくホッとしてシートに背を預けた。手鏡を取り出して、少し乱れた後れ毛を整えてみた。口では「わざわざ悪いよ」なんて言いつつも、心の奥の喜びが、炭酸みたいにシュワシュワと湧き上がってくるのを感じていた。彼女は窓を開けて夜風に当たり、火照った顔を冷ましながら、湊の車が来るであろう道をじっと見つめた。待っている時間はやけに長く感じられたし、それでいてあっという間のようでもあった。彼女が何度目かの時間確認をした、その時――「ゴオオオーン!!!」何の前触れもなく、遠くで耳をつんざく爆発音が炸裂した!鈍く重たいその音は、何かが爆発したかのようで、明乃の乗った車も激し
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第246話

轟音が鼓膜を震わせる。遠くに立ち上る火柱と黒煙は、まるでおぞましい巨獣のように、夜の街を飲み込もうとしていた。スマホから聞こえる無機質な呼び出し音は、死のカウントダウンさながらに、明乃の鼓膜を一つ一つ叩きつけた。明乃は、見えない手で心臓を思いきり握りつぶされたような気がした。一瞬、鼓動が止まり、その直後に狂ったように跳ね始め、胸を突き破らんばかりに暴れだす。「藤崎さん……」彼女は低く呟くと、迷うことなくドアを開けて運転席に飛び乗った。エンジンが唸りを上げ、車は放たれた矢のように急発進した。タイヤが地面を削る耳障りな音を立て、ちょうど家から出てきたばかりの明斗と加奈子を仰天させる。「明乃!どこへ行くの!?」加奈子が叫んだ。明斗が真っ先に反応し、数歩で駆け寄って止めようとしたが、明乃はすでにアクセルを一気に踏み込んでいた。車は弾かれたように飛び出し、耳をつんざくタイヤの摩擦音と排気ガスだけを残して走り去った。「くそ!」明斗は毒づくと、すぐに自分の車へと走り出した。「父さん、母さん、家で待ってろ。俺が追いかける!」その頃、ハンドルを握る明乃の指先は、力が入りすぎて白く変わっていた。手の甲には青筋が浮き出している。頭の中はガンガンと鳴り響き、ただ一つの思いが彼女を突き動かしていた。あそこへ行かなきゃ。今すぐ!一秒でも早く!交通ルールも、自分自身の安全も、すべて頭の隅に追いやられた。アクセルを全開にし、誰もいない夜の道を狂ったように飛ばす。窓の外を流れる景色は恐ろしい速さで後退し、すべてがぼやけた影に溶けていく。心臓は胸の中で激しく鼓動し、外へ飛び出さんばかりに激しく脈打っていた。明乃はひたすら湊に電話をかけ続けた。一回、二回、十回……けれど返ってくるのは、いつまでも冷たい呼び出し音だけだ。その「プー、プー」という規則的な音は、まるで切れ味の悪い刃物のように、彼女の心をじわじわと切り刻んでいく。そんなはずない……あんなに強くて、何でも見通せるような彼が、どうして……ただの偶然。たまたま方向が同じなだけだわ。湊であるはずがない。あんなに運の強い人が、無事でいないはずがない。彼女は必死に自分に言い聞かせるが、目元は熱くなり、視界はみるみる滲んでいく。彼女は強引に瞬きをして涙を追いやり、前方
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第247話

足元から一瞬で全身に走る冷気が、血液さえも凍りつかせるようだった。明乃はどこから湧いてきた力か、遮ろうとする警官を力任せに突き飛ばすと、なりふり構わずあの火の海へと駆け出した。「ちょっと!止まってください!行っちゃだめです!」背後で警官や消防士たちが叫ぶ。数歩も走らないうちに、大柄な消防士が素早く彼女を制止し、腕で彼女をがっちり抱え込んだ。「放して!放してよ!あの人が中にいるの!藤崎さん!藤崎さんが中にいるの!」明乃は狂ったようにもがき、消防士の厚い防火服に爪を立てた。ついに涙が溢れ出し、煙のすすと混じりながら顔を汚していく。「お嬢さん!落ち着いてください!今は近づいちゃダメです!危なすぎます!」防火マスク越しの声が、低く緊迫した響きで届く。「落ち着いてなんていられるわけないじゃない!あれは彼の車かもしれないの!彼が中にいるかもしれないのよ!」明乃は喉を振り絞って叫んだが、その声はボロボロに引き裂かれていた。そのとき、現場の調整役を務める別の消防士が足早に近づいてきた。眉間に皺を寄せ、声まで低く沈めて言う。「そちらの女性の方、落ち着いてください!お気持ちは分かりますが……」明乃は咄嗟に彼の腕を掴んだ。まるで最後の救いにすがるように。涙の跡が残る顔を仰ぎ、声にならないほど震えながら必死に問いかける。「車……あの黒い車……ナンバー……ナンバーはあ56-34じゃない?」彼女は湊の高級車のナンバーを口にした。消防士は一瞬呆気に取られた。彼女が正確なナンバーを言い当てるとは思わなかったのだろう。手元のタブレットを確認し、火災現場の方へ目を向けると、その顔にいたたまれないような表情が浮かんだ。彼は重々しく頷いた。「……現時点での確認ですが、爆発して燃えている車両のナンバーは、確かにそれです」「ゴオーン!」明乃の頭を巨大な槌が殴りつけたような衝撃が走った。目の前が真っ暗になり、耳をつんざくキーンという音が外の景色をすべて奪い去った。本当に彼の車だった……本当に……彼女は最後の力を振り絞り、爪を手のひらに深く食い込ませた。全身の力をかき集めて、喉の奥から絞り出すように聞いた。「じゃあ……車に乗っていた人は?」消防士は、彼女の顔色がみるみる血の気を失い、身体も今にも崩れ落ちそうなのを見て、どうしてもその答えを口にするのが忍び
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第248話

明乃が目を覚ました時、まぶたが重くて開けられなかった。視界にはまずぼんやりとした薄黄色の光が広がり、徐々に天井の見慣れたシャンデリアに焦点が合った。部屋にはほのかなラベンダーの香りが漂っている。彼女の寝室でいつも使っている安眠スプレーの匂いだ。顔を横に向けると、明斗がベッド脇のアームチェアに座っているのが見えた。昨日のままのシャツの襟元をだらしなく開き、顎には青黒い無精髭が浮いている。膝に肘をついて額を指で押さえている姿は、眠っているようにも見えた。「お兄さん……」声を絞り出したが、喉が焼けるように乾いていた。明斗ははっと目を覚まし、目を上げて彼女を見た。その目は真っ赤に充血していて、一晩中起きていたかのようだった。明乃は体を起こそうとしたが、全身がだるくて力が入らなかった。明斗は慌てて手を貸し、彼女の背中に柔らかい枕を当てて支えた。「私、どれくらい寝てたの?」彼女はズキズキするこめかみを押さえながら言った。「すごく怖い夢を見てた気がする……」明斗の動きが、一瞬だけ固まった。明乃は気づかずに、寝起きのぼんやりした声で続けた。「夢の中でね……藤崎さんの車が爆発して。みんな、彼が……彼が見つからないなんて言うの……」彼女は嫌な光景を追い払うように頭を振った。その目は少し潤んでいる。「本当に怖かったわ」明斗の唇が動いたが、言葉にならなかった。彼は顔を背けると、サイドテーブルのコップを手に取って彼女に渡した。明乃はそれを受け取り、ぬるま湯で喉を潤すと、少しだけ落ち着いた。彼女は布団をめくり、スリッパを求めて足を床に下ろした。「藤崎さんのところに行かなきゃ」彼女は当たり前のように言った。「私のバッグは彼が持ったままなの。届けるって約束したのに……きっとまた仕事で忘れてるんだわ」立ち上がろうとしたが、足に力が入らずによろめいた。明斗が立ち上がり、彼女の手首をがっちり掴んだ。骨がきしむほどの強い力だった。彼は彼女を見つめ、声を押し殺して、歯の間から絞り出すように言った。「明乃、落ち着け!あれは夢じゃない!」明乃の動きが止まった。顔を上げ、茫然と明斗を見つめる。「……え?」明斗は一度目を閉じ、再び開けた時にはその目も赤くなっていた。彼は彼女の手を強く握りしめたまま、一つ一つの言葉を氷のように
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第249話

「彼は死んだんだ!」明斗が低く唸るように叫んだ。その声には、やり場のない苦痛と苛立ちが混じっていた。「遺体すら見つからないんだ!これでわかったか!?」その言葉は凍てつく刃となって、明乃の心臓を容赦なく貫いた。彼女の動きが、一瞬で止まった。明斗に抱かれたまま、体は石のように強張ってピクリとも動かない。数秒が経ち、彼女はようやく、絞り出すように一文字ずつ繰り返した。「い、た、い?」彼女は猛然と振り返ると、血走った目で明斗を射抜いた。その眼差しは、別人のように冷たくて恐ろしかった。「もう一回言って?」明斗は彼女の様子を見て、心臓を抉られるような思いがした。彼は一度目を閉じ、再び開けたとき、その瞳も真っ赤に染まっていた。「昨夜、藤崎家の実家の近くで爆発があった。湊の車は……跡形もなく吹き飛んだんだ。消防も救助隊も一晩中捜したけど……生存者は……一人も見つからなかった」明斗が言葉を重ねるたびに、明乃の顔から血の気が失われていく。最後には完全に真っ白になり、唇を震わせながらも、何一つ声が出せなくなった。彼女は明斗を見つめたまま、ただ呆然としていた。その言葉の意味が、どうしても頭に入ってこないようだった。「ありえないわ……」彼女はか細い声で呟いた。「彼はあんなにすごいのに……何だって計算できて……何だって読めて……それなのに、どうして……」彼女は明斗を突き放し、よろよろと後ずさりした。そのまま、冷たいドアに背中をぶつける。「嘘よ……また私をからかってるだけだわ……」彼女は首を振り、焦点の合わない目で空を仰いだ。「私を驚かせるのが好きなんだから……でも今回はやりすぎよ……」異変に気づいた加奈子と義男が、慌てて部屋に駆け込んできた。「明乃!」加奈子は魂が抜けたような明乃の姿を見て、胸を締め付けられる思いで目を潤ませ、抱きしめようと歩み寄る。けれど明乃は怯えたようにその手を拒み、部屋の隅へ逃げて自分を抱きしめるようにうずくまった。「触らないで……」彼女は顔を膝に埋め、肩を微かに震わせた。「みんな、私を騙してるんでしょ……口裏を合わせて……私だけを……」義男は明乃のその様子を見つめ、重く息を吐いた。まるで一夜にして、ひどく老け込んだかのようだった。彼は明斗に、先に部屋を出るよう促した。明斗は拳を固く握りしめ、
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第250話

加奈子は絶句した。「明乃、水南地方に行ってどうするの?今こんな状態で……」「事務所で片付けなきゃいけない仕事が山ほどあるの」明乃は淡々とした声で遮った。「いつまでも家に閉じこもっているわけにはいかないわ」明斗はタバコを揉み消すと、顔を上げて彼女を見た。「俺もいく」「いいわ」明乃はきっぱりと拒んだ。「事務所は普通に回っているし、私は溜まっている仕事を処理しに行くだけよ」その言い分は理にかなっているように思えた。けれど、不自然なほど凪いだ瞳が、胸の奥に嫌なざわめきを残した。結局、安藤家の両親も彼女の頑なさに折れるしかなかった。明斗は自ら車を運転し、明乃を空港まで送った。道中、二人の間に会話はなかった。空港が近づいた頃、明斗はようやく重い口を開いた。「明乃……もし辛くなったら、いつでも帰ってこい」明乃は窓の外を流れる景色を見つめたまま、小さく「うん」とだけ答えた。水南地方に戻り、見慣れた事務所に足を踏み入れると、すべてが以前と変わらないように見えた。徹は彼女の帰宅に一瞬喜んだが、すぐにやつれた頬と目の下の隈に気づき、表情を曇らせた。「ボス!大丈夫でしたか?」「大丈夫よ」明乃は自分の執務室へ真っ直ぐ向かった。「至急処理が必要な書類を持ってきて」彼女は取り憑かれたように仕事に没頭した。これまで以上に必死だった。朝から晩まで、最低限の食事と短い休憩以外、ほとんど部屋から出てこない。デスクには記録が山積みになり、彼女はそれを一つずつ精査し、指示を出していく。そうして脳を動かし続けていないと、認めたくない現実が頭をもたげてくるのを分かっているかのようだった。徹や他のスタッフも彼女の異変を感じ取っていたが、誰も深くは追求できなかった。ただ一人、陸だけは違った。湊の事件の後、誰もが彼が藤崎グループかヒカリスバイオに戻ると思っていたが、彼は相変わらず派手な金髪をなびかせて事務所で好き勝手に振る舞っていた。彼は自虐的なまでに働き続ける明乃の姿を見て、眉間のシワを深くした。ある日の午後、連日の徹夜と低血糖が重なり、明乃は目の前が真っ暗になって倒れそうになった。徹が慌てて駆け寄り、ポカリスウェットを用意した。陸はドアの枠に寄りかかり、青白い顔で水を啜る明乃を眺めていたが、唐突に冷たい声を投げつけた。
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