All Chapters of 月給80万円の偽装花嫁: Chapter 181 - Chapter 182

182 Chapters

第180話

「いきんでください」医師の声に、私は力を込めた。「っ……!」痛い。それでも止まれない。「蓮さん……」「ここにいる」蓮さんの手が、私の手を握り返した。「もう一回、いきんで」また力を込める。全部、搾り出すように。「頑張れ、咲希」蓮さんの声が、耳元に届いた。「もう少しだ」「もう一回です、頑張って」医師の声。助産師さんの声。蓮さんの声。それだけを頼りに、私は続けた。「もう一回!」私は、全力でいきんだ。そして──。「おぎゃあ!」静まり返った分娩室に、力強い産声が響き渡った。「……っ」蓮さんが握る手に、力がこもる。「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」医師の声が、遠く聞こえた。◇看護師さんが、小さな体を私の胸に置いてくれた。温かかった。こんなに小さいのに、こんなに力強く泣いている。「陽……」声が、かすれた。「会いたかった」小さな手、小さな足。泣きながら動いている。確かに、ここにいる。「陽……来てくれたんだね。ありがとう」涙が、止まらなかった。泣いているのに、笑っていた。こんな気持ちは、初めてだった。お母さんが言っていた。産んだら全部吹き飛ぶ、と。世界が変わる、と。本当だった。◇蓮さんが、陽の顔を覗き込んだ。「陽」低く、静かな声だった。「これからよろしくな」蓮さんが、小さな手にそっと指を触れた。陽の手が、ぎゅっと蓮さんの指を握った。「……っ」蓮さんが、肩を震わせた。やがて、彼の目から涙がこぼれた。声は出なかった。
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第181話

1月16日の午後。陽が生まれてから5日。ようやく、三人で家に帰る日がやってきた病院の正面玄関で、私は久しぶりに外の空気を吸った。一月の中旬、ツンと冷えた空気が鼻をくすぐる。陽を抱いた蓮さんが、隣に立っている。その姿は、数億円の商談をこなす時よりもずっと緊張しているように見えた。「……咲希、本当に歩いて大丈夫か。車椅子を用意させた方が良くないか」「蓮さん、もう平気ですよ。入院中も歩いていましたし」「だが、外は段差や傾斜がある。振動が君の体に響くかもしれない」退院の手続きを終えて、いよいよ三人での生活が始まるというのに、蓮さんの「過保護モード」は病院を出た瞬間からフルスロットルだった。「寒くないか」蓮さんが、冷たい風が入らないよう、陽の体をブランケットで隙間なく包み直した。「G(重力)がかかりすぎないよう、ゆっくり歩く。一歩につき、コンマ数秒の猶予を持たせて……」「蓮さん、歩くくらいなら大丈夫ですよ。陽、気持ちよさそうです」「そうか」蓮さんは、慎重すぎる足取りで陽の顔を覗き込んだ。陽はパパの緊張も知らず、目を閉じてすやすやと眠っている。「病院では、あんなに泣いていたのに。外に出ると、これほど静かになるとは」蓮さんが、不思議なものを見るような目で言った。「外の空気が、気持ちいいんじゃないですかね」蓮さんは答えなかった。ただ、もう一度陽を見た。「……俺には、まだこの子が俺たちの家族だということが、奇跡のように思えてならない。数字や論理では説明のつかない、圧倒的な奇跡だ」その目は、愛おしさと、まだどこか戸惑いが混ざったような不思議な色をしていた。◇ペントハウスに戻ったのは、夕方だった。玄関を開けると、見慣れたリビングが、今日だけは少し違って見えた。先にソファへ腰を下ろし、蓮さんからそっと陽を受け取る。
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