彼は、何かを言いかけて──言葉を飲み込んだ。「いや、何でもない」氷室様はそれ以上何も言わず、そっと手を離して私から一歩下がった。頬に触れていた指先の熱がふっと消え、代わりに夜の冷気が入り込む。その喪失感が、胸をチリリと焼いた。「おやすみ、咲希」「おやすみなさい……」氷室様は、逃げるように部屋を出ていった。残された私は、手首のブレスレットにそっと指を這わせる。月と星。氷室様が、私のために選んでくれた光。それなのに、どうしてこんなに胸が痛いのだろう。嬉しくて、苦しくて、愛おしくて。この気持ちをどうすればいいのか分からないまま、私はただ、彼が去った後の静寂を見つめていた。◇翌、2月2日の夜。夕食を終え、私はリビングでお茶を飲んでいた。窓の外は冷たい雨が降っているのか、時折ガラスを叩く音が響く。氷室様は、いつもより静かだった。手元にある資料に目を落としているものの、そのページが一向にめくられる気配はない。「咲希」不意に名前を呼ばれ、私はティーカップを置いた。「はい」「もし、俺が……」氷室様は、何か言いかけて──そこでまた言葉を止めた。まるで、言ってはいけないことを口にしかけたような。「何ですか?氷室様」私は、逃げないように真っ直ぐ氷室様を見た。彼の黒い瞳には、正体の分からない暗い感情が渦巻いている。氷室様は、少しの間、苦しげに唇を噛んでいた。その沈黙が、永遠に続くのではないかと思えるほど長く感じられた。やがて──。「……すまない、何でもない」そう言って、彼は視線を逸らした。まただ。昨日も、そして今も。氷室様は、いったい何を言おうとしたの?「聞かせてください」と言えれば良かった。でも、
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