All Chapters of 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く: Chapter 331 - Chapter 340

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322:過去からの来客

 ホテル・サンクチュアリの受付ロビー。大理石のカウンターに、ルームキーが放り出された。 カシャン、と硬質な音がする。丁寧とは程遠い音だ。 黒崎翔吾はすぐに口角の角度を調整し、完璧な営業スマイルを作った。「ご滞在は、いかがでしたでしょうか」「……不愉快極まりないわ。さっさと手続きを済ませてちょうだい」 初老の女性客は翔吾の顔を見ようともしない。 手には高級ブランドのバッグが握られているが、視線は明後日の方向を向いたままだった。「かしこまりました。この度はご利用ありがとうございました」 翔吾は手元の端末を操作し、流れるような動作で明細書を印刷する。(想定内だ。ネット上のノイズが現実の顧客行動に影響を与える確率は、すでに計算済みだ) 心の中で繰り返す。 自身の思考システムに新たな要素を組み込むように、何度も言い聞かせた。 周囲には冷ややかな視線が満ちている。 あからさまに翔吾の担当を避ける素振りも少なくない。 昨日の朝から、ロビーの空気は一変していた。 週刊誌が書き立てたスキャンダルの中心にいるのは、翔吾だ。 兄である隼人の完璧な経歴に、アーク・リゾーツというブランドに、消えない汚れを付けてしまった。(せっかく隼人兄さんに認めてもらえたのに。居場所を見つけて、これからという時に。僕のせいで……) 胸の奥に、鉛のように重い罪悪感が沈んでいる。 だが、隼人と小夜子は『業務継続』という決断を下した。 ここで翔吾が感情に呑まれ、ホテルマンとしての振る舞いを崩すことは、2人の判断を裏切ることになる。 だから彼は、歯を食いしばってカウンターに立っている。 本当は逃げ出したくてたまらなかった。 自分が冷たい目で見られるだけならいい。だがそのせいで兄と小夜子に迷惑がかかるのが心苦しい。 今すぐにここを立ち去って、これ以上の醜態を晒さないようにしたい。 けれど
last updateLast Updated : 2026-05-27
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 一方、上層階の客室清掃フロアで。 山内実加は、パリッと糊の効いたシーツをベッドに広げていた。 ファサッ――という清潔感のある音が、室内に響いた。 マットレスの端にシーツを折り込み、シワ一つない状態に仕上げていく。 額には薄っすらと汗がにじんでいた。 清掃用のワゴンには、洗剤のボトルや大量のタオルが積まれている。「ねえ、やっぱりあの記事のこと、本当らしいわよ」 開け放たれたドアの外、廊下からヒソヒソ声が耳に入ってきた。 年配のパート従業員たちだ。「元ヤンなんでしょ? よく平気な顔して働けるわよね」「お客様の持ち物がなくなったりしたら、一番に疑われるのはあの子よ」「それに、子供を保育所に預けっぱなしって。本当に育児放棄じゃないの?」 言葉が実加の背中に次々と突き刺さる。 実加はシーツを掴む手に力を込めた。(上等だ。言いたい奴には言わせておけ) 腹の底で熱いものが煮えたぎる。 特攻服を着ていた頃なら、廊下に飛び出して胸ぐらを掴んでいた。 だが、今の自分はサンクチュアリの正社員を目指している。 何より、一つの命を預かる母親だ。 脳裏に、今朝の理玖の姿が浮かぶ。小さい手足を動かして、ハイハイで実加へ向かって来た。(あの笑顔を守るためなら、他人が何を言ったって平気だ) 実加は深く息を吸い込んだ。洗剤の匂いが胸を満たす。(今は、てめえの仕事をやり遂げることだけを考える。それ以外は全部後回しだ) そう考えて、無心で手を動かした。「よし、次だ」 独り言のように呟く。ベッドメイキングを終えるとバスルームの清掃へ向かった。 ◇  チェックインのピーク時間が近づくと、ロビーには徐々に客の姿が増え始めていた。 荷物を運ぶベルボーイの足音と、控えめなピアノのBGMが響いている。 洗練されたサンクチュアリの日常が戻り
last updateLast Updated : 2026-05-28
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 フロントカウンターの奥で、翔吾の思考が異常を知らせる警報音を鳴らしていた。 ヒョウ柄の服が視界の端に映る。安っぽい香水の匂いがする。 記憶の底に蓋をしていた、思い出したくない記憶がフラッシュバックした。『アンタなんか、産むんじゃなかった』 幼い頃、自分を置いて出て行った母親の言葉だ。 そうして預けられた父親の家で、翔吾はずっと肩身の狭い思いをしながら暮らしてきた。 辛い記憶の原点が迫ってくるようで、翔吾は思わず息を詰めた。 自分の浅い呼吸音だけが、耳元でやけに大きく響ようだ。 真澄はカウンターの方へずかずかと歩み寄り、翔吾の顔を見つけると下劣な笑みを浮かべた。「あら、こんな所にいたのね。立派なスーツまで着せてもらって。育ててやった母親が苦しんでるってのに、自分だけいい思いするなんて薄情な息子よねぇ」 金を無心しに来たことは明白だった。 彼女の瞳には、息子への愛情などこれっぽっちもない。あるのは、金づるを見つけた歓喜だけだ。 この女はいつもそうなのだ。 翔吾はカウンターに手をつき、肺に酸素を送り込む。(僕は……アーク・リゾーツの社員だ。私情を挟むな。システムを正常に稼働させろ) まばたきを一つする。 次に目を開けた時、翔吾の顔からは一切の感情が消え去っていた。 ネクタイの結び目をきつく締め直し、真澄の前に進み出る。「お客様、他の方のご迷惑になります。恐れ入りますが、お引き取りください」 氷のように冷たい声だった。 息子としての情も、過去のトラウマに怯える姿もない。 ただ、ホテルの秩序を守る完璧なホテルマンだけが存在していた。 ◇  同じ頃、バックヤードからロビーへ駆けつけた実加は、その光景に息を呑んだ。(そんな、あいつは……!) ジャージ姿の男、健太がいる。 彼の背中を視界に捉
last updateLast Updated : 2026-05-29
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(ここで壊されたら、誰が責任取ると思ってんだ) 理玖の笑顔と仕事への責任を思い出す。  今の実加には守るべきものがたくさんある。 それを思えばもう、あんな男は怖くなかった。 実加は床を蹴り、猛然とダッシュした。「やめろッ!」 実加は健太に体当りした。健太はバランスを崩し、無様に尻餅をついた。「な、なんだテメェ!」 怒り狂う健太を見下ろし、実加はホテルマンとしての矜持と、理玖を守る母としての強さを爆発させた。「ここはウチの職場だ。お客様に手ェ出したら、絶対に許さねえ!」 実加の瞳には、かつての怯えた少女の面影はない。  彼女は両足を踏ん張り、健太の前に立ちはだかった。 ◇  ロビーには、一触即発の空気が支配していた。  誰もが息を呑んで成り行きを見守っている。 そこに、硬質なヒールの音が響き渡った。 カツン、カツン。  規則正しく、少しの迷いもない足音が近づいてくる。 バックオフィスから姿を現したのは、アーク・リゾーツ総支配人の小夜子だった。  洗練されたネイビーのパンツスーツに身を包み、背筋をピンと伸ばして歩み寄る。 その佇まいだけで、場の空気が一変した。  小夜子は歩きながら、襟元のインカムマイクに的確な指示を出す。「セキュリティ、ロビーへ急行。フロントスタッフは、お客様をラウンジへ誘導してください。ドリンクのサービスも忘れずに」 落ち着き払った声は、混乱していたスタッフたちに正気を取り戻させた。『はい! すぐに!』 インカム越しに聞こえる返答に小さく頷き、小夜子はさらに歩みを進めた。 小夜子は真澄と健太の前で立ち止まる。「ここは、お客様のための安らぎの場です」 冷たく、しかし他を圧倒する威厳を放つ一喝だった。「あなた方の個人的な事情で、その空間を壊すことは決して許しません」
last updateLast Updated : 2026-06-01
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 それでも虚勢を張る健太の背後から、黒服のセキュリティスタッフ数名が駆けつける。2人を完全に取り囲んだ。「お引き取り願います。これ以上騒がれるようでしたら、警察を呼びます」 小夜子の目は、微塵も揺らいでいなかった。「クソッ! なんなんだよ!」「やめなさいよ!」 真澄は舌打ちをし、健太は悪態をつきながら、セキュリティに促されるようにして自動ドアの外へと追いやられていった。 騒ぎが収まり、ロビーに元の静寂が戻り始める。  小夜子は翔吾と実加の方を振り返って、かすかに頷いた。逃げずに立ち向かった2人への、最大の賛辞だった。 ◇  グラン・ヘリックス日本支社の社長室、白とグレーで統一された、人間の体温を一切感じさせない無機質な空間の中で。 御子柴玲二は最高級の革張りチェアに深く腰掛けて、デスクの上の大型モニターを眺めていた。 モニターには、サンクチュアリのロビーで起きた騒動の一部始終が映し出されている。  ロビーに居合わせた客、あるいは御子柴が事前に送り込んでいたサクラのスマートフォンからリアルタイムで配信された映像だ。「……チッ」 御子柴は忌々しげに舌打ちをし、手元のグラスに入った氷を揺らした。カランと冷たい音が響く。 翔吾が母親の出現にパニックを起こし、実加が元夫の暴力に怯えて泣き叫ぶ。  そんな無様な姿を期待していた。 だが、映像の中の2人は決して逃げなかった。 翔吾は冷徹なホテルマンの仮面を被り、実加は毅然として立ち向かった。  最後には小夜子が完璧なオペレーションで事態を収拾してしまった。 期待外れだ。  御子柴は忌々しげに画面をにらみつける。  しかし、すぐに薄い唇を三日月の形に歪めた。「……だが、映像はすでにネットに拡散され始めている」 高級ホテルに、暴力男と下品な女が押し入った。  その話題性と映像が持つインパクトは絶大だ。 実際にS
last updateLast Updated : 2026-06-01
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 ロビーでの騒ぎが収まった後、翔吾はバックオフィスに戻り、冷たい水で顔を洗った。 ひやりとした水の感触が、高ぶった心を少しだけ静めてくれる。 鏡に映る自分の顔を見る。 そこには、先ほどまでの冷徹なホテルマンの仮面は張り付いていなかった。 洗面台の縁を両手で強く握り込む。(危なかった。思考が――心が、完全に過去に飲み込まれるところだった) 母親の姿を見た瞬間、幼い頃の記憶が濁流のように押し寄せてきた。 翔吾にとって幼い頃の思い出とは、辛いことの連続である。 父親に預けられて表面だけは平穏だったが、家庭に居場所はなかった。 父の結婚相手、継母もわざと意地悪をするような人ではない。それでも疎まれていたし、疎外感は常につきまとっていた。 大学入学と同時に家を出てやっと自由になれると思ったのに、母親のせいで窮地に追いやられた。 その母・真澄の登場で足元が崩れるような思いがしたが、それでも踏みとどまれたのは、隼人と小夜子の存在があったからだ。 総支配人としての威厳は、いつでも彼の心を支えてくれる。 姿こそ見せなかったものの、隼人も必ず見守ってくれていると確信していた。 彼らへの信頼が、翔吾の心をもう一度奮い立たせたのだ。 ◇  実加はロッカールームのベンチに座り、膝を抱えていた。 荒くなった呼吸が、なかなか元に戻らない。 健太の顔を見た時の恐怖、身体が覚えている暴力の記憶が蘇る。 それでも、立ち向かえた。(ウチは、もうあの頃のウチじゃない。守るべきものがあるんだ) スマートフォンを取り出し、理玖の写真を眺めた。 画面の中の笑顔が、実加に力を与えてくれる。「山内さん、大丈夫ですか?」 心配そうに声をかけてきたのは、清掃チームの若い同僚だった。 悪意ばかりに見えた中でも、こうして心を配ってくれる人はいる。 その事実も実加にとっての力になった。
last updateLast Updated : 2026-06-02
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328:聖域の守護者

 サンクチュアリのフロントに、電子音が鳴り響いた。電話の音だ。 翔吾は間を置かずに受話器を取った。「お電話ありがとうございます。アーク・リゾーツ、サンクチュアリでございます」『あ、予約のキャンセルをお願いしたいんだけど。ネットの動画、見たわよ。あんなヤクザみたいなのが入り込んでくるホテルなんて、怖くて泊まれないわ』 電話の向こうで、女性の警戒心に満ちた声がした。「誠に申し訳ございません。ご不安な思いをさせてしまい、深くお詫び申し上げます」 翔吾は完璧な角度で頭を下げながら、端末を操作した。 端末にはキャンセルと空室の表示がずらりと並んでいる。 先日の騒動――真澄と健太がロビーで暴れた様子は、居合わせた何者かによって撮影されて、瞬く間にSNSで拡散された。 結果、アーク・リゾーツ社とサンクチュアリのアカウントは炎上。 各種のゴシップサイトに『高級ホテルにヤンキー乱入』『スキャンダル社員の末路』といった扇情的な見出しが踊り、アーク・リゾーツへのバッシングは過熱の一途を辿っている。 受話器を置くと、隣のスタッフが疲労の色を隠せない顔でため息をついた。「翔吾さん、これで今朝から20件目のキャンセルです」「わかっています。午後には新規のプロモーションプランを打ち出して、減少分を補填する算段を立てます」 翔吾はネクタイの結び目を直して、冷静を装った。 連日の対応で確実に疲労は蓄積していた。 宿泊稼働率のグラフは、無残な右肩下がりを描いている。 バックオフィスに戻り、モニタを確認する。 画面に表示されているのは、アーク・リゾーツの関連ワードで検索したSNSのタイムラインだ。 滝のように流れ続ける文字は、どれもサンクチュアリへの悪意に満ちていた。『サンクチュアリって一泊数万するんでしょ? 高い金払ってヤンキーの喧嘩見せられるとか最悪すぎ。返金レベルでしょ』『動画見たけど、あの金髪メッシュの清掃員、口調ヤバすぎ。お客様の前であんな態度取るのありえない。ホテルマン失格』
last updateLast Updated : 2026-06-03
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『あの清掃員の女、絶対客の部屋からアメニティとか財布パクってるよ。元ヤンなんて雇う企業体質がそもそもおかしい』『不買運動しようぜ!アーク・リゾーツ系列のホテルには絶対泊まらない!』 無責任な正義感は、匿名という安全な場所だからこそ放たれる。 好き勝手を言っても、自分は責任を取らなくていいからだ。 事実を面白おかしく歪めて、憂さ晴らしの道具にしているだけの言葉は、絶え間なく更新されていた。「……キャンセルの増加ペースが、想定のシステム数値を大きく上回っている」 翔吾は、乾いた唇を微かに動かした。 ネクタイの結び目がひどくきつく感じられる。(僕のせいで、兄さんと義姉さんの会社に損害を与え続けている。何とかしなければ) その事実が、重い鉛となって胃の底に溜まっていた。 ◇  客室清掃のフロアでも、異様な空気がはびこっていた。 実加が使用済みのリネンを回収していると、すれ違った若い女性客があからさまに顔をしかめた。「ちょっと、あの子じゃない? ネットで炎上してる清掃員」「うわ、本当だ。元ヤンなんだよね。目つき悪すぎ」「私、部屋に財布置いてきちゃった。盗まれてないか心配……」 ヒソヒソ声は、実加の耳に確実に届く音量だった。隠すつもりはないのだろう。 同僚だけでなく客からも、このような誹謗を受けるのは日常になってしまった。 実加はリネン袋の紐をきつく縛る。強く手を握りしめた。(ここで言い返したら、またホテルの名前に泥を塗ることになる。キレるな、耐えろ。アタシは理玖のために、ここで正社員になるんだ) 息を深く吸い込んで、実加は振り返ることなく次の客室へと足を進めた。 ◇  グラン・ヘリックス日本支社の社長室にて。 御子柴玲二は、タブレット端末でサンクチュアリの株価チャートを眺
last updateLast Updated : 2026-06-03
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 数日後の午後。 サンクチュアリのロビーは、チェックインを待つ客たちで賑わっていた。 キャンセル数は相当に増えたが、サンクチュアリのファンは根強い。 完全に客足が途絶えることはなく、ロビーは相応の賑やかさを見せていた。 いつも通り完璧に整えられたロビーは、柔らかな間接照明で照らされている。 クラシックのBGMは控えめな音量で流れて、客たちを上品に出迎えていた。 その穏やかな空間は、突如として破られた。「ああああっ! ひどい! あんまりじゃない!」 金切り声が上がる。自動ドアから転がり込んできたのは、派手な紫色の口紅を塗った真澄だった。 彼女はわざとらしく大理石の床にへたり込み、両手で顔を覆って泣き真似を始める。「息子たちに捨てられて、その日のご飯を食べるお金もない! 大金持ちの息子がいるから、生活保護も受けさせてもらえない。なのに、あの薄情な息子たちはこんな豪邸みたいなホテルでぬくぬくと暮らしてるなんて!」 その背後から、酒焼けした顔の健太がずかずかと踏み込んでくる。「ふざけんなよ! 俺は悲劇の夫だぞ! 妻に子供を誘拐されて、毎日夜も眠れねえんだ! おい、責任者を出せ!」 先日の騒動の再来に、ロビーの客たちは一斉に後ずさった。「またあの人たちよ!」「どうなってるの、このホテルは……」「警察、早く警察を呼んで!」 騒ぎを聞きつけて、フロントの奥から翔吾が飛び出してきた。 ほぼ同時に、リネン室から駆けつけた実加もロビーに出る。 2人は真澄と健太の姿を視界に捉えて、固い表情になった。 翔吾が前へ出ようとした、その時。 真澄と健太の背後から、カメラを構えた薄汚い身なりの男が2人、フラッシュを焚きながら近づいてきた。 パシャッ、パシャッ! シャッター音が連続で響く。「週刊『真実』の者です! 黒崎翔吾さん、お母様を捨てたというのは本当ですか!」「山内実加さん! お子さんを無断で連
last updateLast Updated : 2026-06-04
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「メガネ、どうすりゃいいんだ」「落ち着いて。挑発に乗ってはいけません。今は耐えるんです」「……分かった」 実加も状況を察し、スカートの生地をきつく握りしめて立ち尽くす。 カメラのレンズが、身動きの取れない2人を容赦なく狙い続けていた。「ほら見ろ! 何も言えねえじゃねえか!」 健太が勝ち誇ったように声を張り上げる。「俺の子供はどこだ! こんなブラックなホテルで、どうせロクな世話もされてねえんだろ!」 健太の目が、ロビーの奥にある従業員専用エリアの扉を捉えた。「あっちか! 社内保育所とかいう場所に隠してんだろ! 俺の子供を返せ!」 健太は制止しようとするベルボーイを乱暴に突き飛ばした。バックヤードへ向かって歩き出す。 その瞬間。実加の頭の中で、張り詰めていた糸がプツンと切れた。 理玖の安全を脅かされる。その一点において、実加の中でホテルマンとしての理性が吹き飛んだ。「ふざけんなッ!!」 実加は床を蹴り、健太の前に猛然と立ち塞がった。「あ? なんだテメェ、女のくせに盾突く気か!」「どの口が父親面してんだよ! ギャンブルで借金作って、あの子の、理玖のミルク代までパチンコに突っ込んだのはどこのどいつだ!」 実加の怒声が、吹き抜けのロビーに響き渡る。 カメラマンたちが「おっ、いいぞ!」と声を上げ、レンズを実加に向ける。「毎日ウチを殴って、アザだらけにしてたから逃げたんだろうが! 理玖には指一本触れさせねえぞ! あの子はウチが守るっ!」「うるせえ! 女の分際で、旦那に向かって偉そうな口叩きやがって!」 健太の顔が紅潮し、額に青筋が浮かぶ。 実加はキッと睨み返した。 記者が、まさにその瞬間を狙ってシャッターを切る。激昂する元ヤンの清掃員。最高のゴシップ写真だ。 記者は巧みに角度を調整し、健太は映らないようにしている。彼らが欲しいのは、あくまでサンクチュアリ側の落ち度だ。
last updateLast Updated : 2026-06-04
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