ホテル・サンクチュアリの受付ロビー。大理石のカウンターに、ルームキーが放り出された。 カシャン、と硬質な音がする。丁寧とは程遠い音だ。 黒崎翔吾はすぐに口角の角度を調整し、完璧な営業スマイルを作った。「ご滞在は、いかがでしたでしょうか」「……不愉快極まりないわ。さっさと手続きを済ませてちょうだい」 初老の女性客は翔吾の顔を見ようともしない。 手には高級ブランドのバッグが握られているが、視線は明後日の方向を向いたままだった。「かしこまりました。この度はご利用ありがとうございました」 翔吾は手元の端末を操作し、流れるような動作で明細書を印刷する。(想定内だ。ネット上のノイズが現実の顧客行動に影響を与える確率は、すでに計算済みだ) 心の中で繰り返す。 自身の思考システムに新たな要素を組み込むように、何度も言い聞かせた。 周囲には冷ややかな視線が満ちている。 あからさまに翔吾の担当を避ける素振りも少なくない。 昨日の朝から、ロビーの空気は一変していた。 週刊誌が書き立てたスキャンダルの中心にいるのは、翔吾だ。 兄である隼人の完璧な経歴に、アーク・リゾーツというブランドに、消えない汚れを付けてしまった。(せっかく隼人兄さんに認めてもらえたのに。居場所を見つけて、これからという時に。僕のせいで……) 胸の奥に、鉛のように重い罪悪感が沈んでいる。 だが、隼人と小夜子は『業務継続』という決断を下した。 ここで翔吾が感情に呑まれ、ホテルマンとしての振る舞いを崩すことは、2人の判断を裏切ることになる。 だから彼は、歯を食いしばってカウンターに立っている。 本当は逃げ出したくてたまらなかった。 自分が冷たい目で見られるだけならいい。だがそのせいで兄と小夜子に迷惑がかかるのが心苦しい。 今すぐにここを立ち去って、これ以上の醜態を晒さないようにしたい。 けれど
Last Updated : 2026-05-27 Read more