All Chapters of お嬢様、あなたの『推し巫女(ヒーロー)』、私なんですが: Chapter 91 - Chapter 100

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6-2【灯火(ともしび)】

 延々と地下へと続く長い階段を、人間の集団が降りていく。 ランタンの灯りは彼らの周辺しか照らすことができず、進む先には光の届かない暗闇が広がる。 先を見通すことができない彼らには、この階段が地の底まで続いているのではないかと不安を抱くことだろう。 ただ一人、異なる世界の前世を記憶するアデーレは違った。 踏み入れた地下遺跡の階段を一歩ずつ踏みしめる度、前世で見た洋画のワンシーンを思い出す。 どこかに感圧式のトラップスイッチがあり、踏み込んだ瞬間壁や天井から槍が飛び出すような。 そんなシチュエーションを思い浮かべつつ、彼女は足元を警戒しながら階段を下りていく。 とはいえアデーレは集団の中ほどを歩いているため、真っ先にトラップを踏むことになるのは最前列を進む作業員だ。 トラップは考えすぎかもしれないが、万が一の事故は起こり得る。 今この瞬間は、全員の無事を祈るばかりだ。「だいぶ進みましたね。十分ほど下っているでしょうか」「分からん。だが私はひしひしと感じているぞ。この先に偉大なる先人の造り上げた地下都市が存在すると」 何だその感覚は、と呆れつつ、エヴァとダニエレの会話に耳を傾けるアデーレ。 ほとんどの者が恐怖の表情を浮かべているというのに、随分と余裕があるようだ。 そんなことを考えていた次の瞬間、前を歩く作業員が突然その場で立ち止まる。 慌てて足を止めたアデーレだったが、間に合わず前の人の背中と接触してし
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6-3【暴かれた生態系】

 エヴァと共に階段を下った先には、遺跡とも廃墟とも取れる建物群が建ち並んでいた。 岩を削って作られた大通りを挟むようにして、かつては店が並んでいたのだと想像を掻き立てる軒先が並ぶ。 元々屋根だったのだろう、朽ちた木片が所々に落ちているが、長い時を経てその原型はほぼ失われている。 灯火を頼りに、アデーレはエヴァと並んで地下都市を進む。 所々で作業員が話し合い、建物の中へと慎重に足を踏み入れる様子も見受けられる。「これで宝物とかあったら大変そうですね」 冗談交じりにエヴァがつぶやく。 だが真顔で言われると、アデーレにはそれがジョークなのかどうなのか判断に悩むところだ。 こういった場所での宝の奪い合いは、少なくともこの世界でも一般的な話らしい。 だが見る限り、外見からしてこの辺りは一般人の居住区であったことは明白だ。 こんな場所に宝物を守るためのトラップがあるとは、アデーレは一切考えていなかった。 こうなると、素人目で見ると遺跡と言ってもただの残骸だ。 決して面白いものではなく、退屈なものである。(気を緩めるわけにはいかないけど……) そう。あくまでアデーレがここにいるのは、人々を魔獣の被害から守るためだ。 万が一この場所を破壊しようと生物型の魔獣が現れた場合、安全と言える場所は多くない。 地下都市自体は広くとも、廃墟というのは意外に脆く、身を守るには不適当だ。 何より、出入口が先ほど降りてきた階段ただ一つである。 魔獣もまたそこから現れることを考えれば、今ここにいる人々は袋のネズミにならざるを得ない。 自らもそういった危機的状況に身を置いていることを考え、改めて胸を張り、気を引き締めるアデーレ。 軽く深呼吸をすると、古いほこりが舞う空気でむせ返りそうになる。 それを誤魔化すよう軽く咳払いし、念のためにと後ろを振り返り階段の安全を確認する。 そこでアデーレは、先ほど階段で起きた出来事を思い出す。「そういえば、階段降りてる最中の気配ってどう思います?」「作業員の方が気にしていたものですね。私は暗闇の中で感じた幻覚だと考えますが」 その問いに対し、エヴァの声は特段興味があるわけでもなさそうな様子だ。 アデーレ自身も気のせいだろうという気持ちが強く、何よりろくに食料もないこの場所で動き回るものがいるとは考えられなかった。 
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6-4【妄執の果てに】

 トカゲの住処となっていた建物から脱出を果たしたアデーレ。 しかし何がきっかけになったのか、廃墟のあらゆる隙間から結晶を背負うトカゲが姿を現し、瓦礫の上から人間たちを睨みつけてくる。 トカゲが積極的でないことに皆安心しつつも、何をきっかけに襲われるのか分からない。 大通りの円形広場に集まったアデーレたちは、トカゲを刺激しないよう物音を立てずに身を寄せ合っていた。「今は地上へ戻りましょう。このままでは危険です」「我々だけでは教授たちを捜索するのは無理だ。まずは地上に戻り衛兵への報告を……」 アデーレの向かいに立つ学者の小声に、作業員たちがうなずいて返す。 本来ならば、こういった判断は責任者であるダニエレに判断をゆだねるものだ。 だがこの場に彼と、同行していた一部の作業員の姿はない。 別行動になってしまった彼らが危険な状況にあるのは間違いないだろう。 しかし、まともに身を護る術を持たない者が居ても足手まといだ。 彼らが無理に行方不明者の捜索を行ったとしても、救出して戻るのは難しいだろう。 アデーレとしても彼らには早く地上へ戻ってもらい、自らは密かに行方不明者の捜索へ出向くのが最適と考えていた。「よし、それでは移動しましょう。皆さんできる限り音を立てぬよう慎重に」 学者の言葉に従い、彼を先頭に作業員たちが忍び足で移動を始める。 アデーレは最後尾に回るふりを見せつつ、作業員たちの目を盗み広場中央の石像に身を潜める。
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6-5【戦場跡】

 先程から行方をくらましていたダニエレの秘書、エヴァ。 彼女がなぜここにいて、危険な雰囲気を漂わせる結晶の前に立っているのか。 目の当たりにしたアデーレは言葉を失い、先を越されたダニエレは怒りを露わにする。 そんな各々の様子が、ただただおかしく見えるのだろうか。 結晶の上に立つエヴァは全員を見下ろし、まるで別人のような笑顔を見せていた。 品がありながらも全てを見下す、こちらを嘲笑するような笑顔だ。「ああ、お疲れ様です教授。相変わらずお早いご到着」「黙れ! そこは私が立つべき場所だぞっ、さっさと退けぇッ!!」 自らの発見と確信していたダニエレにとって、その場所に自分以外の者が立っていることは決して認められないのだろう。 威圧と激怒を剥き出しにした彼の怒号は、好物を奪われた子供にも似た強烈な絶叫だった。 それでもエヴァは、ダニエレに対し勝ち誇った態度を見せる。 上司であるダニエレの言葉に耳を貸す様子もなく、彼女は結晶の縁に腰を下ろし脚を投げ出す。「何を言いますか、教授。最初にこの場所の調査を提案したのはこの私ですよ?」 そう言うと彼女は挑発するかのように脚を組み、スカートの隙間から自らの肌を晒す。 口元に手を当て笑う様は妖艶で、まるで欲望を刺激する悪魔のようにも見える。 だが今のダニエレは性欲より探求だ。 淫らな姿に惑わされる様子は一切なく、代わりに自らを出し
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6-6【英雄は一人でいいのか】

「人々に害を及ぼす存在なら、例え人間であっても容赦はしないものだよね?」 沈黙するベルシビュラに代わり、狼の腕輪がアデーレに問う。 胸を貫かれたエヴァが手を伸ばそうとするも、最後は力なく垂れる。 虚ろな瞳からは生気が抜け落ち、全てを利用し夢を成就しようとした彼女は息絶えた。 エヴァの死に合わせるかのように、大地がより強く鳴動する。 結晶の触手が暴れまわり、周囲の岩壁や柱を破壊していく。 結晶塊の位置を中心に岩壁にはひびが入り、いよいよ洞穴の天井にまでそれは広がる。 頭上から降る細かな石の破片を肩に受けながら、ベルシビュラは槍をエヴァの遺体から引き抜いた。 支えを失った遺体は膝から崩れ落ち、降りかかる石や土に覆われていく。 天井の崩落が始まったのはその直後だった。 アデーレは呆けるダニエレの傍に駆け寄り、彼の体を左腕で抱えてその場から飛び退く。 降り注ぐ岩を見上げていたベルシビュラも、すぐさま結晶塊の上から跳び崩落から離れる。 轟音を立てながら、大小様々な岩が結晶塊の上へと落下する。 舞い上がる土埃が結晶塊を飲み込み、洞穴の中は破壊の轟音に飲み込まれた。「ああ……」 その惨状を目の当たりにし、ダニエレが声を漏らす。 やがて崩落は終わり、閉ざされていた視界が晴れた先には、巨大な瓦礫の山だけが残されていた。 エヴァの遺体も、巨大な結晶塊も。 全てが岩に飲まれ、失われてしまった。 巨大な崩落現場に残ったのは、三人の生き残りだけだった。「かつて人類を苦しめた結晶の魔女たちも、これで終わりさ」 狼の腕輪がつぶやく。 それに呼応するかのように、今度はベルシビュラが血に濡れた二又の穂先をアデーレに向ける。 これほどの惨事が起きようとも、彼女たちの目的は変わらないのだろう。 アデーレとの決着。そして彼女を倒し、秘めた目的を果たすため。「その爺さんを巻き込みたくないだろう? さあ」 ダニエレを安全な場所に移動するまで待つという意思表示だろうか。 右手に持つ槍を軽く横に振り、アデーレに行動を促すベルシビュラ。 ここで不意打ちを行えば、間違いなくダニエレを巻き込むことになる。 少なくとも人々を守るという目的は一致しているだろうベルシビュラが、その様な行動に出る可能性は低いだろう。 それでもアデーレは警戒を緩めることはなく、ベルシ
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6-7【アデーレの想い(前編)】

 成す術もなく弾き飛ばされたアデーレの体が、岩壁に叩きつけられる。 受け身を取ることも、声を上げることも出来ず、そのまま彼女は地面へと落下する。 彼女が手にしていたフラムディウスも、彼女が元いた位置に突き立てられた状態だ。 予想外の状況に、敵であるはずのベルシビュラも驚くような仕草を見せる。 アデーレが地面に落ちるまでの一部始終を目で追い、彼女の体が地面に叩きつけられる瞬間、わずかに体を震えさせた。「何だって……?」 続いて、戸惑いの声を上げる狼の腕輪。 すぐにベルシビュラが瓦礫の山の方を見ると、崩れた岩を押し退けて何体もの結晶魔獣が姿を現しているところだった。 ここまでに、人型の結晶魔獣が姿を現してはいない。 つまり瓦礫を押し退け現れた魔獣の群れは、岩に埋もれながらその中で発生したということになる。「本当はあなたにヴェスティリアを始末させるつもりだったのですが、まぁ奇襲が出来たので良しとしましょう」 先程アデーレを弾き飛ばした触手が、乱暴に岩を砕く。 砕かれた岩の下からは更に別の触手が複数出現し、内側から瓦礫の山を崩していく。 轟音と土埃を立てながら崩れる山。 その下から現れたのは、埋もれていたはずの結晶塊と……。「後、殺される予定もなかったのですが手間が省けました。おかげで真理にいち早く近付けました」 岩によって引き裂かれ、無残な姿となった黒いドレスを纏う一人の女。 瓦礫に潰されたはずのエヴァ・アソニティスが、再びベルシビュラの前に姿を現した。 だがそこにいた彼女は、ただの人間であった頃の姿からはかけ離れたものに成り果てていた。 ベルシビュラに貫かれた胸の傷は結晶に覆われ、そこから皮膚に張り付くようにして彼女の左上半身を覆い、ドレスを引き裂いている。 傍から見れば、それは結晶を削り出して作られた青い裸婦像のような外見だ。 また、左腕も結晶がその大半を覆い尽くしており、おかしな方向に曲がった指がかつての体の名残として隙間から覗いている。 更に破けたスカートから覗く両脚は、結晶によって完全に置き換えられており、足は鋭い刃のような形状へと変化していた。 イェキュブのような異形の魔女とは違う。 だが間違いなく、今のエヴァは人間から逸脱した化け物である。「真理? 化け物に近づくことが真理だと?」 務めて冷静さを装うかのよ
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6-8【アデーレの想い(後編)】

 歪む視界。 揺れる頭を押さえながら、アデーレは霞む目を凝らし、ふらつく足で立ち上がる。 想定外の攻撃は彼女に大きなダメージを与え、今も全身を痛みが襲う。 ぬるりとした感触が伝わり、頭から手を放す。 じっと見つめる手袋は、鮮血によって赤く染め上げられていた。 これまでの戦いにおいて、アデーレがここまで傷を負った経験はなかった。 敵がかつてないほどに強力なのか。それとも一人で戦っていることの弊害か。 どちらにせよ、今の彼女は敗北の瀬戸際まで追い詰められている。 それでも闘志が挫かれることはなく、手元にないフラムディウスを求めて周囲を見て回る。「あっ」 そんな彼女が目の当たりにしたのは、槍ではなく二本の剣を流れるような動きで操るベルシビュラの姿だった。 辺りを取り囲む結晶魔獣を両断し、敵を一切寄せ付けない冬の嵐を思わせる戦いぶり。 しかし魔獣の数が多すぎる。今もなお増え続ける結晶魔獣に対し、ベルシビュラの攻撃が間に合っていない。 このままでは、いずれ数に圧倒されることは間違いないだろう。 幸いなことに、アデーレに対して意識を向ける魔獣はいない。 だがフラムディウスではまともに攻撃をすることも出来ない結晶の魔獣に対し、自らが出来ることは皆無に等しい。 アンロックンの支援が間に合っていれば……。 そんな無念を覚えつつ、自身の無力さを噛みしめる。 しかし、だからこそ目の前の状況を見て思うことがあった。「彼女なら……」 ベルシビュラ。 冷気を操り、結晶魔獣の体であろうとも容易く破壊する力を持つ戦士。 敵対する間柄とはいえ、彼女もまた魔女と戦う者に変わりはない。 人々を守るための力を持つ存在であることに、変わりはないのだ。 そして今もなお増え続ける結晶の魔獣。 これを放置すれば、やがて魔獣は地上へと姿を現し、町や人々を襲うことは明白だ。 それなのに、現状唯一対抗できるベルシビュラがここで倒れたらどうなるだろうか。 アデーレにも、守護者としてのプライドはある。 しかし今必要とされているのは、目の前の敵を打倒すことができるベルシビュラの方だ。「やれるか、私……いや、やらなきゃだめだ」 赤く染まった右手を胸に当て、深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。 足取りも平常を取り戻し、自然と全身の痛みが引いていく。 自らの中で高まる熱
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6-9【彼女の独白】

 ――――の独白。 私の過去は最悪だ。 生まれは首都の外れにある貧民街で、家族は娼婦崩れの母と粗暴な父。 父はたまに日雇いに行ったかと思えば、稼ぎはほとんど酒場に落とす。 適齢期を過ぎた母に需要はなく、家計を支えたのは私のごみ拾いだった。 そんな両親なもので、当然私の扱いなんて酷いものだった。 父は私をいないものとして見ておらず、母は事あるごとに私を腫物のように扱い、虐待した。 どうやら私が父と思っている男とは血が繋がっておらず、母が娼館で働いていた時に通っていた貴族が本当の父親らしい。 でもそこに愛なんてない。 母が玉の輿を狙ってわざと種を受け入れ、その時に授かったのが私。ただそれだけ。 当然だが母の目論見は失敗した。あんなひどい所で暮らしているんだから当然だ。          ◇ 私の母にはある口癖があった。『アンタが女でよかったよ。最悪売れれば役に立つ』 五歳にも満たない私の体を、値踏みするように見てから言い放つ実の母。 店に並ぶカラカラに乾いたパンと変わらない、売り物を見るような母の目。 母から見れば、私には道具ということ以外に価値はないのだ。 はした金であっても生み出す、金の生る木とでも思っていたのか。
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6-10【二つ目の嘘】

 その日、島は異様な静寂に包まれていた。 遺跡での事件は、脱出に成功した調査隊の口から島中へと広がり、衛兵隊によって厳戒態勢が引かれることとなった。 夜間外出は制限され、裏切り者であるエヴァ・アソニティスの行方は今もなお不明のままだ。 時折夜風が窓を叩く。 小さな家鳴りが人の足音のように響き、息をひそめる人々は聞き耳を立てる。 珍しく晴れた空からは、満天の星と欠けた月が静かなロントゥーサ島を照らし出していた……。          ◇ メリナは一人、寝室に戻らず貯蔵庫に籠っていた。 鍵をかけたドアに背中を預け、膝を抱えながらうずくまって座る。 普段仕事で被っているキャップは床に投げ捨てられ、まとめていた茶髪もくしゃくしゃに乱れていた。 小さな窓からは月が放つ銀の光が差し込み、テーブルに乗せられたカモミールの花を照らす。 使用した分を補充するため今日メリナが用意したものであり、この後は乾燥させ瓶にて保存するものだ。 茎から取られた花々は、今もその白い花弁に瑞々しさを残している。 それらは丁寧に板の上に並べられており、後は乾燥棚に移動させるだけである。 だが、今のメリナに仕事を行う気力はない。 影の差す暗い中で、全ての現実から目を背けることしかできなかった。「メリナ……」 服の右袖に隠されていた、あの狼の腕輪が語り掛けてくる。 アデーレに対する高圧的な口ぶりではなく、持ち主であるメリナを明確に気遣っている様子だ。 しかしメリナは声掛けに答えない。 膝から顔を上げるようなことはなく、まるでその声を聞いていないかのように微動だにしない。 今の彼女は、何もかもを受け付けることを拒否していた。 相棒である存在も、優秀な使用人という立場も。 何より、あまりにも愚かであった自分自身の存在を。 脳裏に繰り返されるのは、アデーレの最期と彼女の言葉。 どうして正体を知ってもなお、自分の事を頼っていたのか。 どうして嘘にまみれた自分を、最後まで信じてくれたのか。 そんな彼女を、どうして自分は死なせてしまったのか。「あのさ」 幾度となく繰り返された記憶を見送り、ようやくメリナが重い口を開く。 その声は普段の彼女からは想像できないほどに沈んでおり、顔馴染みが聞けば別人かと思えるほどだ。 それほどまでに彼女の受けた衝撃は強く、大きな
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7-1【夜の暗闇が濃くなるころに】

 ――――の独白。 夜明け前が一番暗いとは、よく言ったものだと感心する。 私にとって最も深い絶望は、まさに終わりを告げる最後の暗闇だったんだと今なら分かる。 醜男に顔を踏みにじられ、嫌というほど地面の味を味わっていたあの時。「何ですか、この騒ぎは」 それは聞き慣れない、中年の女性の声だった。 自分たちに向けられたその言葉で、私を踏みつける足の力が緩むのを感じる。 それでも押し付けられていることには変わりなく、私は自分の頭上で何が起きているのか分からずにいた。「誰だぁアンタ? ちょっと取り込み中なんで放っておいてくれませんかねぇ」「そうでしたか。ですが私も事情をお尋ねするよう旦那様に仰せつかりましたので」 旦那様。つまりこの人はどこかの主人に仕える使用人か。 どうせ私を助けるつもりはなくて、そいつの好奇心の為に小間使いにされているだけなのだろう。 別にそれでいい。今更誰かに助けを求めようだなんて微塵も思っていない。 しかし、なぜだろうか。 私を詰る男の足がゆっくりと持ち上がる。 靴裏から私の頭は解放され、それどころか男の方からはガタガタと歯を鳴らす音が聞こえてくる。 何だ。今更何を恐れる。貧民の娘を前に傍若無人を振りかざすアンタが。「そ、そんな……いやぁ、まさかこのような場所でお会いすることになるとは」 先ほどまでの威圧的な態度から一転。 男は何者かに対し、媚びへつらうような態度を見せているようだ。 これは一体どういうことだろうか。 突然窮地から解放されたせいか、どうにも頭が働かない。 この期に及んで安心感から気が緩んでしまっているのか。 男と何者かの会話がうまく耳に入ってこず、私はただ地面から起き上がれずにいる。 いつしか気は遠くなり、私の意識は眠気に引きずり込まれていく。 しかし、何者かの手によって私の体が起こされたことで、全身が一気にこわばる。「やめろッ!!」 私は何者かの手を振り払い、後ずさって距離を取る。 ……目の前にいたのは、身なりの良い男女だった。 醜男や母だった女は既に逃げた後のようで、その二人だけが落ち着いた様子で捨て犬のような私を見つめていた。 見た目だけで分かる。この二人も上流階級の存在だ。 私からすれば異世界の者であり、何を考えているかも分からない怪物と同じ。 関われば
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