どのような悲劇を目の当たりにしようとも、正体を隠している以上普段の生活を疎かにはできない。 長年使用人を務めているメリナの仕事ぶりは、友人の死を目の当たりにしたにもかかわらず、周囲からは違和感のないしっかりしたものだった。 しかし、同じく長年彼女を見ている者からは、わずかな違和感に気付かれることもある。「メリナさん、ちょっとやつれてない?」「え? そうかな……」 廊下で鉢合わせたラヴィニアに顔を覗かれ、作り笑いを見せるメリナ。 だがその笑顔には、自分でも分かるほどに力がこもっていなかった。「あまり無理しないで、困ったことがあったらちゃんと言ってね」 メリナに「またあとでね」と告げて、ラヴィニアは足早にその場を立ち去る。 彼女は現在、名目上休みをもらっているアデーレに代わりエスティラの世話係を務めている。 エスティラの意向でアデーレが世話係に割り当てられているが、本来はラヴィニアのようなベテランが就くものだ。 自らに次いで長くバルダート家で働くラヴィニアならば、安心してエスティラの世話を任せられる。 そんなことを思いつつ彼女の後ろ姿を見送るメリナだったが、その胸中は穏やかではない。 喪失感や孤独、後悔。 あらゆる思いがせめぎ合い、メリナの心を蝕む。 自らの右手首に左手を添える。 長袖の下には狼の腕輪が隠されており、金属の感触が布越しに伝わってくる。(何やってるんだろう、私) 心ここにあらず。 長年の経験がそれを覆い隠しているだけであり、今の彼女はあまりにも危うい。 ラヴィニアの気遣いも、ベルシビュラというもう一つの姿を隠している以上頼ることは出来ない。 昨日の出来事を全て受け止めるには、メリナの精神は未熟過ぎた。『私、メリナさんのことを信じていますから』 今際の際に告げられた、アデーレの願い。 敵対し、傷つけあった相手に告げるにはあまりにも温かい言葉。 それはメリナにとってあまりにも重い十字架であり、そして今の彼女を突き動かす唯一の原動力となっていた。 ラヴィニアの背中が曲がり角の向こうに消えるまで見送った後、メリナは進むべき方へ向き直り歩き始める。 その足取りは重く、辺りには誰もいないため表情も暗い。「……仕事。仕事しないと」 今の彼女には、唯一務めを果たすことだけが精神を保ち続ける手段となっていた。
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