All Chapters of 明日、私は誰かの妻になる: Chapter 291 - Chapter 300

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第291話

その冷酷な理屈を、他の幹部たちも同時に悟っていた。自分たちは結局、ただの社員に過ぎない。絵美里にどれほど取り入っても絵美里にはなれないし、諒助を超えることもできない。次に茜と同じ運命を辿るのは、自分たちかもしれないのだ。空気の変化を察知した栞が、すかさず意見を述べた。「柏原社長。私の方からも、警察の捜査には全面協力するよう各部門に通達いたしました。すでにお客様の目に触れている以上、もはや情報を抑え込むことは困難です。ここはむしろ、逆の手を打つべきかと存じます」「続けてくれ」和久が静かに促す。栞は周囲を見渡した。「この場には、茜の成長を見てきた人間も少なくありません。お父様の件はひとまず置くとして――茜がどのような人間か、皆様もご存知のはずです。もし誰かが意図的に西園寺雲海の件を暴き立てなければ、あの子が父親と同じだなどと言えましたか?」何人かの幹部が、気まずそうに視線を落とした。栞は熱を込めて続けた。「私は、茜が斎藤美香様を害したなどとは信じていません。だからこそウォーカーヒルとして彼女を守る立場に立てる。評価を捏造してトカゲの尻尾切りをするよりも、社員を守り抜くウォーカーヒルという評判の方が、企業としてずっとましです」「ずいぶんと立派な綺麗事ですが、もし本当だったら誰が責任を取るんですか?斎藤家のご親族が言っていたことが嘘だとでも言うつもりですか?」自分に不利な流れになりつつあるのを感じ取った絵美里が、噛み付いた。再び会議室に沈黙が落ちた。和久は客室部の担当者へと目を向けた。「西園寺茜と斎藤美香様に個人的な取引があったと証言したのは、君か?」「は……はい」「斎藤家のどなたから聞いた?俺が直接確認へ赴いてもいいが、警察に伝えれば向こうが事情聴取に行くことになるぞ」和久の漆黒の瞳が、静かに相手を射抜く。すべてを見透かすような冷たい目だった。担当者の額に冷や汗がにじみ出た。数秒も堪えきれず、白状した。「……申し訳ありません、柏原社長。ただの噂を、耳にしただけでして……」「では、ウォーカーヒルの評判も、君にとっては耳にしただけの噂と同程度の重さしかないということか」和久はそのまま視線を外さなかった。担当者は顔面を真っ青にした。和久は静かに締めくくった。「主任の提案通りに進めなさい。茜やウォ
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第292話

茜に会いに行く――その言葉を聞いた瞬間、絵美里の顔が曇った。どうして茜が美香様に危害を加えたのかは分からない。しかし美香様が亡くなった以上、もはや茜に逃げ場はない。諒助さんがわざわざ、自らそこに飛び込む必要などないはずだ。「諒助さん、今はマスコミが警察署に張り込んでいるよ。茜さんに会いに行って写真を撮られでもしたら、どうするつもり?」諒助はバーカウンターへ歩み寄り、酒を一杯あおると、獰猛な笑みを浮かべた。「むしろ、撮られた方が都合がいい。和久の奴は茜の件を利用して、救世主気取りでいる。だったら俺が世間に知らしめてやるのさ――茜がどれほどの窮地に立たされているか、そしてそれを解決したのが誰かということをな。そう、茜にも会う。そして、ウォーカーヒルの管理権も俺が手に入れる」その言葉に、絵美里は息を呑んで動きを止めた。「諒助さん……茜さんを利用するつもりなの?でも、もし彼女が承諾しなかったらどうするの?殺人は重罪なのよ。彼女がそう簡単に認めるはずがないでしょう?」絵美里の胸の裡では、諒助が茜を地の底まで追い詰めることを期待していた。罪を認めさえすれば、茜は二度と這い上がれないのだから。「同意させるさ」諒助は絶対的な自信を滲ませて断言した。そこへ、聡史がすかさず言葉を添える。「諒助様。先ほどの会議中、小百合様よりメッセージが入っておりました。警察側は現在、西園寺さんが自供するのを待っている状況だそうです。彼女には、反論できる証拠が何一つ残されていないと」「斎藤美香様との関係については、まだ何か言っているのか?」諒助はずっとひっかかっていた。あの茜が、理由もなく美香様と密に連絡を取り合っていたとは思えなかった。聡史は周囲を警戒するように、諒助の耳元へ顔を寄せた。「西園寺さんについて探らせた結果です。西園寺さんが斎藤美香様の後ろ盾を利用して平野和人様の件を解決したのは、どうやら芙美さんに関する情報を引き出すためだったようです」「……やはり、あの二人には過去に繋がりがあったというわけか」諒助は不快げに眉間を寄せた。「西園寺芙美と斎藤美香は……」聡史はさらに声を潜めて耳打ちした。話の核心に触れるにつれ、諒助の表情が微かに歪んだ。あの芙美が、裏でそういう真似をしていたとは思いもよらなかった。だが同時に
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第293話

「茜は一体、どれだけの人を敵に回しているんですか」和久はうなずいた。若彰の推測は自分と同じだった。「斎藤美香が茜に伝えようとしていたことと関係しているはずだ」和久は立ち上がりながら言った。「行くぞ。諒助が余計な真似をしている間に、斎藤琳果と話をする」……警察署。茜も、揺り起こされでもしなければ、これほど深く眠り込んでしまうとは思っていなかった。「西園寺、面会の方が来ていますよ」茜はぼんやりしたまま体を起こされ、外へ連れ出された。少し広い取調室に通され、椅子に腰を下ろす。頭上の電灯がちかちかと瞬いていた。扉が開いた瞬間、顔を見るより先に香水の匂いが鼻を突いた。嗅ぎ覚えのある匂いだった。絵美里だ。顔を上げると、案の定、最も会いたくない二人が向かいに座っていた。まさに疫病神の二人組だ。この二人は、私に付きまとわなければ、まともに交際もできないのだろうか。茜はこめかみを揉み、傍らの警察官を見た。「私が呼んだのは弁護士だったはずですが。カップルではなく」警察官はわずかに間を置いた。「諒助さんが弁護士を連れてきてくださったのです」茜は少し怪訝に思った。諒助に、そんな純粋な親切心があるとは思えない。「どうした?もうお兄様のことも信用できないか?」諒助が自らを「お兄様」と称したのは初めてだった。異常な振る舞いの裏には、必ず企みがある。「お兄様。この件については、弁護士の方と直接お話しした方がいいと思います」茜はあえてその言葉に乗ってみせた。「急がなくていい。少し話せるように、俺から話は通してある」諒助は隣の絵美里を見た。絵美里はすかさず、持参した食事を差し出した。「茜さん。諒助さんが、あなたが何も食べていないんじゃないかって心配して、わざわざ用意してくれたのよ」言いながら、わざとらしく髪をかき上げて首元を見せた。そこには真新しいエメラルドのネックレスが光っていた。こんな場所で、これほど高価な宝石を見るのは珍しい。茜は思わず視線を奪われた。絵美里はその視線に気づいて、さらりと言った。「ウォーカーヒルで人が亡くなって、私、少し怖くなってしまって。そうしたら諒助さんが、これで気分を落ち着かせなさいって、エメラルドのネックレスを贈ってくれたの。綺麗でしょう?」「ええ、綺麗ですね」
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第294話

不倫相手。茜はその場で全身を強張らせた。すぐに合点がいった。諒助は、斎藤美香と自分の間にあった取引の裏を調べ上げたのだ。権力と金さえあれば、茜が時間と資金を費やして調べた真実にも、諒助は一声かけるだけでたやすく辿り着けるのだ。怒りが込み上げてきた。「母は、そんな人じゃありません!」「茜、俺は自分の目で見た事実しか信じない。お母さんと斎藤美香の件は、斎藤家の中でも知っている人間がいる。彼らが表沙汰になった時、お前の代わりに弁明してくれる人間がいるか?それとも、お前はお母さんの名誉などどうでもいいと思っているのか?」諒助はまるで赤の他人の話をするような冷淡さで言った。その目の底には、切り札を握った者の驕りがあった。茜は諒助の顔を見つめて、かつての少年の温かさを探そうとした。だが、何もなかった。「じゃあ昔、あなたが見ていたものはすべて嘘だったと言うんですか?」「人は変わるものだ。お前の両親も、お前の前でだけ、幸せな夫婦を演じていただけかもしれないだろう」諒助は、両親の愛が偽りだったと言い放った。その言葉を聞いて、茜は笑い出した。声を出して笑った。諒助は不快そうに眉をひそめた。「何がおかしい?」「その言葉が、あなたの口から出てくること自体が滑稽じゃないですか」茜は冷たく問い返した。「…………」諒助は何かを思い当たったのか、サッと顔色を変えた。しばらくの間、二人は無言で向き合っていた。やがて諒助が再び口を開く。その声には一切の温度がなかった。「茜、お母さんの件を世間に知られたくなければ、この自白書にサインして辞職しろ。ただ安心していい、俺がここから出してやる。今後の生活も面倒を見る。心配しなくていい」そう言いながら、諒助が茜を見る目がほんのわずかに柔らかくなった。「諒助さん、ずいぶん変わった趣味をお持ちですね」茜は氷のように冷たく言い放った。「手塚さんと結婚するために元彼女を愛人として囲うつもりだったのに、今度は殺人犯を愛人にするおつもりですか?警察が最初に捕まえるべきは、あなたじゃないかと思いますが」「茜!」痛いところを突かれた諒助は、顔をどす黒くして怒鳴った。「俺は、妹同然のお前を助けてやろうとしているんだぞ!」「なるほど。名義上の妹を愛人として囲う、と。それはなかなか悪趣
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第295話

そんな彼を見つめ、茜は一言一言、噛み含めるように言った。諒助の顔に一瞬、明らかな動揺がよぎった。茜の表情を探ったが、見えるのは圧倒的な冷たさだけだった。ギリッと歯を食いしばる。「記憶を失うだと?俺のことを忘れるというのか?ならお前が覚えていたいのは誰なんだ!誰だ!」その怒鳴り声に、弁護士がビクッと肩をすくめた。まずいと思ったのか、弁護士は慌てて諒助の腕を引いた。「諒助様、ご冷静に。ここは警察署です」それから茜に向き直って言った。「西園寺さん、諒助様のご提案はあなたのためを思ってのことです。身を守るためには世間の目から遠ざかるしかない。ウォーカーヒルの名誉も守れますし、何よりあなた自身の命も」「そもそも、『私が人を殺した』というのが、すべての前提ですよね」茜は凪いだ声で言った。「あなたは弁護士でしょう。殺人の罪がどれほど重いか分かるはずです。私が認めた瞬間から、西園寺茜という人間は消える。一生、あの男に飼い殺しにされることになる。今日脅してきた人間が、明日も明後日も、これからもずっと脅してこないとでも?ここにいるということは、私の一番の弱みを握っているということでしょう」弁護士は言葉を失った。諒助は全身が固まったようだった。一番触れられたくない核心を突かれた人間のように。「茜……俺はそんなこと……」「します。しかも、もうしています」茜は一切の感情を排して言った。見えない力で殴られたように、諒助はぎこちなく踵を返した。扉の前まで来て、ようやくいつもの傲慢さを取り戻す。「二日間だけ、考える時間を与えてやる。その間、ここでよく反省するんだな。次に俺に頼むときは、もっと謙虚な態度で来るべきだ。これが俺の最大限の寛容だ」「…………」ふう、と。茜は消えていく背中に、小さくため息をついた。かつて諒助と付き合うことにした理由の一つが、頭をよぎった。彼の、あの執着心の強さだ。最初、二人はじわじわと距離を縮めるだけで、何も言い出せなかった。茜は自分に諒助と並ぶ資格があるとは思えなかった。しかし諒助は少しずつ距離を詰めてきた。そうしているうちに、互いの気持ちが溢れ出した。当時の茜はあまりに純粋で、ハンターにとっての最大の悦びが「獲物を追い詰める過程」にあることなど、思いもしなかった。ただ、もし彼
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第296話

「お父さんと同じ」というその言葉の響きが、茜の胸を鋭く刺した。茜は目の前の男を、改めてじっくりと観察した。記憶の底から、ある光景が浮上する。この人物は、かつて父の事件を担当していた警察官の一人、高崎理(たかざき おさむ)だ。当時は中心的な役割ではなく、あくまで補佐に過ぎない立場だった。だが、父に判決が下ったあの日。茜は廊下の長椅子で独り、彼らが談笑する声を耳にしていた。有力な目撃者を見つけた手柄を、笑い合いながら誇っていたのだ。直感が告げていた。その目撃者とやらを強引に「探し出した」のは、目の前のこの男だと。「……あなただったのですね」「ああ、そうだ。まさかこの仕事で、親子二代を刑務所に送り込むことになるとは思わなかったよ」得意げな口ぶりに、法を守る者としての矜持などは微塵も感じられない。茜は確信した。この男は父の件とも無関係ではない。偶然にしては出来すぎている。しかし、茜は感情を面に出すことなく、穏やかなトーンを保ったまま口を開いた。「高崎さん。発言には裏付けとなる証拠が必要です。ここで私を脅しても、何の意味もありませんよ」そう言いながら、茜は背後に隠していたコートをそっと肩にかけた。和久の家の家紋が、静かにその意匠を覗かせる。面会に呼ばれた時、虫の知らせがあったのだ。だからこそ、和久から借りたコートを咄嗟に隠しておいた。諒助に見られなかったのは幸いだった。もし見つかっていれば、さらに酷い言葉を投げつけられていたに違いない。理はコートの意匠を一瞥した瞬間、その表情を強張らせた。「……よく考えることだ」「肝に銘じておきます」茜は静かにうなずいた。理は忌々しげに立ち上がり、部下に茜を連れ戻すよう命じて部屋を去った。留置室へと戻ると、周囲は再び、底知れぬ静寂に包まれた。根拠のない恐怖が、じわじわと心の隙間に忍び込んでくる。茜はコートの襟をきつく引き寄せた。そこにはまだ、和久の確かな気配が残っている。冷たい壁に背を預け、茜はそっと瞳を閉じた。……ホテルの一室。琳果は、個室で待ち構えていた和久の姿を見て、わずかに目を見開いた。「柏原社長。もしウォーカーヒルの体面を守るための交渉なら、もう結構です。私は、西園寺茜の命で母の命を償わせたいだけですから!」和久は
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第297話

「そんなはずありません」「父から聞いた報告では、転落した時点ではまだ息があって、それを西園寺茜が……あるいは私が……」琳果の顔から、さっと血の気が引いていく。和久は冷静な声で告げた。「つまり、あの状況では、犯人はお前か茜のどちらかになる。お前なら、どっちを選ぶのか?」琳果は唇を強く噛み、沈黙を守った。「お父さんがそう言ったからと、疑いもせずに信じたのか?」「柏原社長。父が私を騙しているとでも言いたいのですか?何十年も連れ添った夫婦なのですよ」琳果は、その事実を頑なに拒もうとした。「何十年も連れ添った妻に対し、茜の母親が自分を誘惑したなどという嘘をつける男だぞ……海外にいる隠し子は、もう十歳になったよな?」「な……なぜ、それを……」琳果は驚愕に目を見開いた。和久は静かに茶を啜り、無言で示唆した。ここへ戻ってきた以上、知るべきことはすべて把握しているのだと。琳果は喉の渇きを覚えたように、残りの茶を一気に飲み干した。そして、自嘲気味に笑った。「……父は、なぜそんな残酷な真似を?」「お前自身が、一番よく分かっているはずだ。重大な局面において、お父さんの期待に応えられない。今まで家業を支えてきたのはお母さんであって、お父さんは今回、お前を選ばせているように見せて、実は本当の後継者のための生贄にしようとしているのだ」和久の言葉は容赦なく、琳果の逃げ道を塞いでいく。琳果は歯を食いしばった。「父は私を操っていた。でも、間違っているのは父の方でしょう!西園寺さんのお母さんに手を出して、母を裏切ったのは父なのに!」「本人は、それを過ちだとは思っていない。金もあれば、媚びてくる女もいる。お前を操るのもすべては家業のため。しかしお前はどう?平野に騙され、弄ばれ、あわや身を滅ぼしかけた。今さら表に出たところで、誰一人同情などしない。それどころか、父親が大義のために娘を切り捨てたと思われるのが関の山だ。この世界は公平ではない。父親の言いなりになるか、それとも己で決めるか」あまりにも率直な指摘に、琳果のプライドはズタズタに引き裂かれた。父の罪をなすりつけた茜を犯人に仕立て上げれば、父が喜んでくれると思っていた。自分を認めてくれると信じていた。だが、自分は最初から、盤上の捨て駒に過ぎなかったのだ。琳果は
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第298話

「信じている」それだけを残し、和久は部屋を後にした。琳果は静かに閉まるドアを見つめ、しばし物思いに耽った。数分後、彼女は意を決して立ち上がると、スマホを取り出し、長年母に仕えてきた老使用人へと電話をかけた。「土田(つちだ)さん。母が西園寺さんに会いに行く直前、何か変わった様子はありませんでしたか?何か口にしていたこととか」電話の向こうの土田の声は濡れていた。主人の死をまだ受け入れられずにいるのだろう。「いえ、特には……」「どんな些細なことでもいいの。思い出して」「そういえば……奥様がいつも大切にされていたブローチ。あの一点物のダイヤのブローチです。毎日欠かさず身につけていらしたのに、あの日、西園寺さんに会いに行く直前にだけはそれを外され、銀行の金庫に預けてほしいと私に託されたのです」「ブローチですね……?」琳果は、母が自慢にしていた、形を変えられる豪奢なブローチを思い出した。埋め込まれたダイヤはすべて父から贈られたもので、ブローチにもネックレスにも、ブレスレットにもなる逸品だ。母は宝石に合わせて服を選ぶほど、そのブローチを愛用していた。今までは深い愛情の証だと思っていたが、今の状況で聞くと、それが異様な行動に思えてならなかった。「土田さん。このことは、父を含め誰にも話さないで」「承知いたしました」電話を切り、銀行へ連絡を取ろうとしたその時、ノックの音が響いた。ロビーに来客があるという。琳果は表情を引き締め、ロビーへと向かった。こんな時間に一体誰が――ホテルの外には記者が張り付いているはずだというのに。ソファに座る人物の姿を認め、琳果は目を見開いた。「諒助さん。それに……手塚さんも」「失礼する」諒助は洗練された動作で席を勧めた。絵美里が淑やかな仕草でお茶を注ぎ、声をかけた。「琳果様、この度は心よりお悔やみ申し上げます」琳果は眉をひそめ、差し出されたカップには手を触れなかった。「諒助さん。この時期に、いささか早すぎるご訪問ではありませんか?用件を伺いましょう」「茜のことで来た」琳果はわずかに沈黙した。目立たないようにしてきたつもりだったが、まさか立て続けに二人の男が茜のために動くとは。「諒助さん。どうするつもりなんです?」和久の提示した条件は、琳果
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第299話

琳果は諒助を見据えた。同じような境遇を経験してきた者として、茜への異常な執着を、はっきりと感じ取っていた。なぜこれほどの仕打ちをするのか、到底理解できなかった。諒助は茶碗を置き、さりげなく言った。「茜は母親の件で、美香さんを訪ねたんでしょう?」琳果はわずかに固まった。すべてを知っていたのか。ならば、母親が茜にとってどれほど大切な存在かも分かっているはずだ。つまり、諒助が茜に罪を認めさせるための手段は、母親の秘密を切り札にすることだった。「なるほど、見事な方法ですね。思い通りになるといいですね」「…………」諒助は眉を深く寄せ、静かに言った。「茜は、母親がお前のお父さんと不倫していたという事実を受け入れられず、言い争いになり、誤って突き落としてしまった。衝動で他人の命を奪ったのなら、罰を受けるのは当然のことだ」語る男の目の底には、暗い欲望が渦巻いていた。事実などどうでもいいと言わんばかりの目だった。茜の罪を裁いているのではない。茜を閉じ込めるための黄金の鳥籠を作っているのだ。琳果は微笑んだ。「まさか諒助さんが、私と同類の人間だったとは思いませんでした。では、良い知らせをお待ちしています」この男も同じだ。自分のことしか考えていない。「どういう意味?」諒助が問い返す。「何でもありません。処理しなければならないことが山ほどありますので。私は被害者の遺族として申し上げますが、外の記者にはこの面会を報道しないよう、お取り計らいいただけますか?」琳果は背を向けて立ち去った。諒助は険しい顔をした。琳果を甘く見ていた。今回あえてロビーを選んだのは、記者に二人が会っている写真を撮らせて、後で美香の件を収束させるための布石を打つためだった。絵美里が心配そうに言った。「諒助さん、記者へリークするの?」「いらない。警察署と茜に圧力をかけるだけで十分だ。二日以内にすべて片付ける」諒助は立ち上がり、外へ向かった。……茜は警察署で一日一晩、慌てる様子もなく眠り続けた。担当の刑事はいささか困惑していた。取り調べに来ているのか、仮眠を取りに来ているのか。翌日の夕方、また面会者が訪れた。星羅だった。差し入れの食事を持ってきた星羅は、茜の顔を見た瞬間、あっけに取られた。「仕事をしている時より、
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第300話

星羅が身を乗り出して何かを言おうとしたとき、茜の羽織っているコートのボタンが目に入った。ウォーカーヒルの古参なら、柏原家の家紋を知っている。星羅は目を丸くし、口元を押さえて息を呑んだ。「……柏原社長?」「うん」茜はうなずいた。星羅は複雑な顔をした。何かを言いかけてやめる。「どうしたの?」「茜、この二日間、彼はウォーカーヒルに顔を出していないのよ。こんな状況で、どうやってあなたを助けるっていうの?それどころか諒助さんが二度も会議を開いて、変なことを言うな、マスコミに何か聞かれてもウォーカーヒルは無関係だと突っぱねろって念押ししていたくらいだし」「誰かに圧力をかけるためだと思う。でも大丈夫、もうすぐ出られるから」茜は静かに言った。星羅はまだ心配そうだった。「茜ちゃん、本当に社長が動いてくれると信じてるの?」以前から、和久の茜を見る目が普通ではないとは感じていた。しかし殺人の罪がかかっている今、あの和久が本当に手を差し伸べてくれるのだろうか。「信じてる」そう言ってから、茜は少しぼんやりとした。疑ったことなど、一度もなかった。和久も、茜が美香を殺したとは欠片も思っていない。信頼というのは、お互いのものだ。茜は顔を上げ、静かに言った。「星羅ちゃん、私のことはよく分かっているでしょ。一つの手段に全てを賭けるような真似はしないわ」「なんか全然焦ってないと思ったら、最初から何か手を打っていたのね。教えて」星羅は身を乗り出して机に近づいた。茜も顔を近づけて声を潜める。「この二日間、ずっと考えていたことがあって。なぜ私の記憶が欠落したのかって」「茜ちゃんまで記憶を失ったの?」星羅が目を丸くする。「斎藤様に会いに行くときの記憶だけが曖昧なの。絶対におかしいわ。あの日、朝ごはんは自分で作ったものを食べた。いつもと違ったのは、厨房で出してもらった生姜茶だけよ」茜は記憶をたぐり寄せながら言った。「生姜茶に薬でも盛られたってこと?警察には言ったの?」「担当の刑事が、お父さんの事件をでっち上げた刑事だったのよ。諒助さんと同じで、ただ罪を認めるように勧めてくるだけ。話したところで、まともに動いてくれると思う?」茜は警察をまったく信用していなかった。星羅の心臓が跳ねた。小声で尋ねる。「私、今何ができ
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