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明日、私は誰かの妻になる のすべてのチャプター: チャプター 461 - チャプター 470

497 チャプター

第461話

「じゃあ、その人たちは父と私の会話を盗み聞いて、その消えたお金の手がかりを探そうとしていたの?」「今のところ一番怪しいのは記理子だ。おばさんのことを誰よりも知り尽くしているからな」「私がいつ父に会いに来るかを知っていたのは、諒助だけよ。何時に来るかまで筒抜けだった」答えは自ずと出た。諒助は記理子と和解し、また手を組んだのだあの日、あれほど裏切られて傷ついた様子を見せていたのは、今となっては、すべて演技だったのだと思えた。和久がちらりと助手席を見た。「何を考えている?」茜は不快感に眉をひそめた。諒助のことを思うと、生理的な嫌悪感で胸が悪くなった。「ううん、何でもない」「他人の醜さで自分を苦しめるな。俺たちの方向が合っているなら、偽証を依頼したのはおそらく記理子だ。そこから証人の足取りを辿ることができる」「うん」茜はこめかみを揉んだ。じわりと頭が痛くなってきた。和久が手を伸ばし、茜の眉間をゆっくりと親指でほぐした。「焦るな」「わかってるわ」そのとき、星羅から電話が来た。「茜ちゃん!母から連絡があって、うちの父、宝くじで大当たりしたって!」「ちょっと待って、そんな大金が当たったのにお母さんにすぐ話したの?」茜は不思議に思った。「それだけじゃなくて、もう近所中に知れ渡ってるみたい。あの人、昔から口は軽かったけど……とにかく、急いで帰ったほうがいいよね」「わかった、私たちもすぐ行く。でも焦って余計なことは言わないでね」茜はひと言念を押してから電話を切った。すでに和久が若彰に連絡し、車の準備をさせていた。「一緒に来てもらったら、あなたの時間が……」「今日は休みだ。彼女の友人の揉め事に付き合う時間くらいある」和久が「彼女」と言うとき、その目が静かに、でも深く茜を見つめた。茜の顔がさっと赤くなった。こんなに真顔でさらりと口説き文句のようなことを言えるのか。道中、和久が悠人に連絡を入れた。茜は慌てて付け加えた。「絶対に村で顔を出さないでって伝えて。あなたたちのその目立つ格好に、桐島先生の星羅ちゃんを見るあの熱の入った目が重なったら、星羅のお父さん、喜んでその場で娘を売り渡しかねないわ」「それはそれで話が早くていい」「何を言ってるの!金さえあればまた何度でもたかりに来
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第462話

茜が星羅の実家を訪れるのは、初めてではなかった。ただ、星羅の家はこの村の中でも肩身の狭い家だった。兄の辰哉は三十を過ぎても結婚相手が見つからず、それも父子そろって近所から軽く見られているせいだった。誰も自分の娘をあの家に嫁がせたがらず、結局、村の外で相手を探すしかなかったのだ。星羅から聞いた話では、今度の花嫁候補は県外から来た二十歳そこそこの若い女性で、見た目はいいらしい。弟がいるそうだ。話が進んでいた頃、彼女はまだ働いていて、辰哉とはビデオ通話を二回しただけだった。それなのに、急に縁談がまとまったらしい。愛子の話では、本人は決して乗り気ではなかった。けれど実家では、弟の結婚費用と家の借金返済のためにまとまった金が必要で、「嫌なら、どうしてビデオ通話なんてしたの」と娘を責め立てたという。結局、辰哉の家が支度金という名目で実家に金を渡すことで話がつき、相手の女性は泣く泣く頷いたそうだ。どうやって頷かせたのか、星羅にはだいたい想像がついていた。ただ、星羅が接触しようとしても、相手はまったく取り合おうとしなかったという。星羅のことも、あの兄の仲間だと思っているのだろう。茜は目の前の人混みを見渡した。星羅の家が、このまま繁盛していくとは到底思えなかった。むしろ、これから一気に転がり落ちていく嫌な予感しかしない。星羅が茜の腕を引き、あきれたように言った。「うちの父、本当に見栄っ張りでしょ。宝くじが当たったら、普通こっそり使うじゃない。なのに大声で触れ回って、今度はみんなにご飯まで奢ると言い出して……」言い終わる前に、星羅の父の高橋太輔(たかはし たいすけ)が、胸に赤い「当選」のタスキをかけたまま誇らしげに現れた。「さあさあ、遠慮せずに中に入って入って。もうすぐご飯ができるから」「太輔さん、すごいじゃない!まさか本当に大穴が当たるとはね。お金持ちになっても、私たちのこと忘れないでよ」「忘れるもんか。困ったことがあれば、何でもこの俺に言ってくれ」太輔は愛想よく手を揉みながら、集まってきた村の男たちにタバコを配り始めた。一見して、普段は吸わない高そうな銘柄だった。「お兄ちゃんは?止めなかったの?」茜が小声で聞いた。「うちの兄、今朝いきなり辞表を出したって。起業するんだってさ」星羅はもう呆れ顔だった。「あの人が?」
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第463話

「おい星羅、何をぼさっとしてるんだ!さっさとお茶を淹れて来い!」太輔が大声で娘を怒鳴りつけた。そのとき辰哉がくるりと振り返り、茜を見た途端、目をぎらつかせた。茜はこれまで星羅の両親とは顔を合わせたことがあったが、辰哉とはこれが初対面だった。上から下まで舐め回すような遠慮のない視線だった。茜にはその卑しい意図がわかっていたが、星羅の家でわざわざ騒ぎを起こす必要はない。今日の主役は自分ではないのだから。茜は星羅に身を寄せて小声で聞いた。「あのお父さんが、あの女の人を気に入ると思う?」「女なら誰でも気に入るわよ。村の未亡人にまで見境なく声をかけるような人だもの。以前、町のいかがわしいマッサージ店から出てくるところを見かけたことがあって、母に言ったら信じなかった。というか、現実を信じたくなかったのかもしれないけど」星羅には、母の抱える闇がよくわかっていた。心の奥底に何もかも押し込めて、見ないふりをして生きてきたのだ。このまま我慢が続けば、いつか必ず限界を迎える。そのとき崩れるのは、ただの家庭崩壊では済まなくなるかもしれない。人の心も、体も。だから、今日絶対に連れ出さなければならない。やがてタイトスカートの女が、色目を使いながら太輔のそばへと近づいた。「高橋さん、お久しぶりですぅ」「あなたは……?」太輔が鼻の下を伸ばしながら怪訝な顔で見た。「やだ、やっぱり忘れてたんですねぇ。子どもの頃、いつもあなたの後ろをついて回ってた、豊田(とよた)家の末娘ですよぉ。遠くに嫁に行ってたんですが、戻ってきてしまいました」「ああ!あのころと全然違う、ずいぶん色っぽくてきれいになったじゃないか」太輔が嬉しそうに言った。女は親しげに太輔の肩を軽く押した。「相変わらず口がうまいんだから。実は離婚してしまって、父母のそばに帰ってきたんです。あなたみたいに、もう一生お金の心配しなくていい身分とは違って、大変で……」そう言うと、女は色っぽい笑い声を残しながら離れていったが、太輔のいやらしい視線は、ずっとその尻を振る後ろ姿を追いかけていた。「あの男、絶対引っかかったわね」星羅が冷ややかに笑った。そのとき、辰哉がいつの間にか茜の近くに来ていた。「星羅、これがいつも話してる同僚の子?」「そうよ」星羅が牽制するように付け加えた。「
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第464話

今回、星羅がわざわざ茜を家に呼んだのには、もう一つ理由があった。実家の父から、仕事に戻るのを理不尽に止められていたのだ。「どういうこと?なんで仕事に行けないの?」「父が言うんだって。家に大金が入ったのに、自分の娘がウォーカーヒルで這いつくばって部屋の掃除をしてると人に知れたら、金持ちの恥だ、って」星羅はあきれて白い目を向けた。「じゃあお父さんは、いくら星羅ちゃんに分けてくれるの?」「一銭も。家にいるだけでご飯は食べさせてやる、だって。しかも、将来お兄ちゃんのところに来るかもしれないお嫁さんと、まだいない赤ちゃんの世話まで無償で手伝えってさ」茜には、彼らの浅ましい思考回路が手に取るように飲み込めた。「世襲の家内奴隷ってわけね」「……まあ、そうとしか言いようがないわ。私が将来娘を産んでも、また同じように縛られることになりかねない。絶対にごめんだけど」星羅が暗い顔で眉をひそめた。ふと、台所の方で忙しなく立ち働く自分の母親に目がいった。恨んではいない。あの人だって、理不尽で不憫な一生を送ってきたのだ。むしろこの庭に集まっている女性たちのほとんどが似たような境遇で、今は打算の顔を見せながらも、それぞれに深い疲労の目をしていた。「私があなたのために、お父さんたちにガツンと言ってあげましょうか?」茜が先回りして提案した。「そうね……茜ちゃんは今のウォーカーヒルでそれなりに役職もあるんだから、一言言ってくれたら助かる。私、この仕事は絶対に辞めたくないの」「わかった。でもまず、お母さんと話してみるわ」振り返ると、愛子の姿がそこになかった。太輔はタバコを一服しながら、また嬉しそうに豊田という女のそばにすり寄っていた。「母、たぶん台所でお茶を淹れてるはずだ。来て」星羅に連れられて薄暗い台所に向かうと、愛子が一人でぼんやりと虚空を見つめて立っていた。やかんでお湯が沸騰した音に気づいて慌てて取ろうとし、熱湯が跳ねて手を火傷してしまった。「お母さん、大丈夫!?」星羅がすぐに駆け寄り、手を取った。「大丈夫よ」愛子は無理に微笑みながら、慌てて台所の隅に置いてあったアロエの葉を手に取った。昔から火傷にはこれが効くと言われている、田舎の気休めのようなものだった。「そんなの効かないよ。ちゃんと病院に行こう」「やめなさい、
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第465話

「はい、行かせるわ。私からお父さんを説得してみる」「じゃあ、うまく運ばせたいなら私の言う通りにしてください。星羅ちゃんはもうすぐ昇進するところで、給料が倍になる予定だって言ってください。今辞めたらもったいないって。少なくとも将来の孫の養育費くらいは稼がせた方がいいって」「わかった」愛子はうなずいた。「先にお茶を持っていくから、二人は座っていて」「はい」愛子の背中が見えなくなってから、茜は星羅のそばに行った。「ほら、お母さんはちゃんとわかってるのよ。何が正しいかもわかってるし、どうすればいいかも。ただ、長年の呪縛のせいで、自分一人で心の壁を破るのはすごく難しいことなの。もう少し時間をあげて」「そうだね。でも、父が母の言うことを聞くと思う?」「聞かないわ。でもお金の話なら聞く。それともう一つ理由があって――お母さんが今ここで不満を抱えていないと、どうやって限界まで追い詰められる?これは残酷なプロセスではあるけど」「腐った肉を削ぎ落とすのは痛くても、それで助かるなら安いもんでしょ」星羅にはわかっていた。そのとき外が騒がしくなった。茜と星羅が駆けつけると、辰哉と相手方の家族が激しくもみ合っていた。「高橋辰哉、どういうつもりよ!支度金の額で話はついたんじゃなかったの?うちの息子の結婚費用を、少し前倒しで融通してもらえないかって頼んだだけじゃない。いずれ身内になるんだから、そのくらい都合してくれてもいいでしょう!」怒鳴っているのは相手方の母親だった。辰哉は歯で爪楊枝をいじりながら、見下すように言った。「あんたこそ何様のつもりだ?婚約もしてない、顔合わせもしてない。ビデオ通話をたった二回しただけで金を出せって?笑わせんなよ」「うちの娘が気に入ったのはそっちじゃないの!今さら逃げるつもり?」「逃げて何が悪い?証拠でも持ってきなよ」「あなた……あなた……!」「失せろ、この役立たずが」辰哉の口から出ると、なんとも締まらない滑稽な台詞だった。茜は黙って眺めてから、星羅を軽く押した。「あそこの角を見て」隅にいたのは若い女の子で、二十歳くらいだった。親と辰哉が自分の話をしているのを聞きながら、その表情は完全に失われていた。十八、九歳くらいの弟が隣でしきりに急かしている。「姉ちゃん、行ってくれよ。ちゃんとお
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第466話

愛子が太輔を説得した後、その日のうちに、星羅は茜と一緒に実家を出た。別れ際、太輔はすでに入口近くに集まった人たちに向かって、みんなを町の料理屋に招待すると声を張り上げていた。二十テーブル以上予約したらしい。結婚式よりも賑やかで、あの父子はそれがたまらなく嬉しそうだった。村の入口の駐車場まで来ると、星羅は悠人も車で来ていたことに気づいて驚いた。「桐島先生、なんで?」「和久についてきただけだ」悠人はわざわざ心配して来たとは言わなかった。星羅はうなずいた。その顔には、ほっとしたような軽さがあった。人に迷惑をかけたくないという気持ちが人一倍強い星羅には、悠人がそれをわかっていて言葉を選んでくれることが伝わったのだ。「近くに美味しいレストランがあるけど、みんなでご飯でもどう?」茜が提案した。「行こう」和久がすぐに答えた。和久が言い出したのなら断れない。星羅も一緒についていくことにしたが、車に乗り込む前に自分から口を開いた。「私が払います」「それがいい」悠人が先に答えた。「うちでただで勉強を見てもらっていた分のツケもあるんだから」「私だっていっぱいお世話もしたんですけど!」星羅が言い返した。「さあ乗って」茜が笑いながら割り込んだ。「星羅ちゃんは桐島先生の車に乗って、道を教えてあげて」「はい」四人でレストランに到着した。料理が揃わないうちに、星羅がスマホでSNSを見てため息をついた。辰哉がまた得意げに投稿していた。【俺、起業するから、仕事がない奴は来い】辰哉の友人らしきアカウントの返信には、明らかな嘲りの色が見て取れた。【高橋社長、まずは俺たちにちゃんとした飯くらい奢ってくれよ】【最近ちょっと借金がありまして、ちょっとだけ貸してもらえません?これだけ儲かってるんだし】どちらもさもしい本音が透けて見えたが、辰哉はまんざらでもなさそうにしていた。「考えすぎないで」茜が声をかけた。「そういえば、あの計画ってどのくらいかかるんだろう。一ヶ月?」星羅が聞いた。茜と他の二人は顔を見合わせた。あの父子の自制心では、一週間も持てばいいほうだろう。「わかった、もう聞かなくていいです」星羅は察した。食事を終えてウォーカーヒルに戻り、和久と悠人はそれぞれ仕事があるからと先に帰った。「ねえ、桐島先生の
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第467話

「諦めてないわ。うちの父のことに手を伸ばしてきた」茜は冷ややかに言った。「え?まだそんなことを?いつまで自分本位でいるつもりなの?」星羅が憤った。「でも、おかげで少し新しいことがわかったわ」茜はかいつまんで、病院での盗聴器の件を説明した。星羅は言葉を失った。「頭がおかしい」茜も、星羅の言う通りだと思った。諒助は今、崩壊寸前の人間だ。少しでも何かが狂えば、周りの人間まで道連れにしかねない。「星羅ちゃん、私と仲が良いから、あなたも気をつけてね」「わかった。じゃあ、仕事しよう」「うん」その日の午後、茜は年末パーティーの下見に来た数組の客を丁寧に案内した。退勤時間になって外に出ると、冷たい雪が降り始めていた。そのとき初めて、あれから本当に長い時間が過ぎたのだと実感した。シャトルバスに向かいながら歩いていると、後ろで車のクラクションが短く鳴った。振り返ると、和久だった。「またわざわざ来てくれたの?」茜が微笑んで近づいた。「雪が降ってるからな」「だから?」茜が雪に遭うのは、これが初めてではない。和久は無言で歩み寄り、自分の首に巻いていたマフラーを外して、茜の首にそっと巻いた。「自分で考えろ」茜は俯いてマフラーを見てから、和久の腕にそっと手を添えた。「少し歩かない?」「いいな」和久は車を降りた若彰から傘を受け取り、広げた。二人で雪の降る大通りをゆっくりと歩き始める。「秘書の遠縁の証人に関して、少し情報が入った」和久が先に口を開いた。茜は顔を上げた。和久の情報網を改めて、すごいと思った。「どこにいたの?」「読飼市の中にいた。しばらく身を潜めていたから、なかなか見つからなかったんだろう。ずっと町工場の作業員として働いていた」「工場?お金をもらったって聞いたのに、それでも働かないといけないの?」茜は驚いた。「あの工場は人の入れ替わりが激しくて、管理も行き届かない。その中に紛れ込んでいれば、もらった金は好きなときに使えばいいから急がない」「つまり、かなり辛抱強い人ということね。それなら、親戚が目の前で殺されても通報しなかったのもうなずけるわ」茜が言った。「辛抱強いというより、怖かったんだと思う。調べたところ、その証人は秘書の従弟で、年が近い。秘書は西園寺家でおじさん
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第468話

しばらく歩くうちに雪が強くなり、二人は仕方なく車に乗り込んだ。それでも和久は茜の手を放さなかった。茜も抵抗せず、そのままにしていた。気づくと、自然に彼の肩に頭を預けていた。マンションの部屋に戻り、茜が鍵を開けようとすると、不意に背後から腰に腕が回った。気づいたときには、ドアに押しつけられていた。冷えた体に、温かな息が顔にかかる。柔らかな口づけが、その温もりとともにゆっくりと深くなっていった。茜は受け止めきれなくなって、両手を和久の胸に当ててそっと押し返した。「何するの……」「別に。こうしてると温かいと思っただけだ」和久が少し低く掠れた声で言った。「これのどこが温かいのよ。一緒に眠るわけでも……」言ってから、茜は自分の不用意な言葉に固まった。顔に一気に熱が集まるのがわかった。「ち、違う、そういう意味じゃない!」「俺は大歓迎だが、今はまだその時じゃないな。今日は早く休め」和久はからかうように茜の頭をひと撫でした。「玉城がもうあの証人の男を追っている。今は下手に刺激しないほうがいい」「もしかして、何かを待っているの?」「ああ。見つけた以上、こちらが動かなくても誰かが焦って尻尾を出すはずだ。こちらが逃げ回るより、先に仕掛けたほうがいい。わざとあの人物の居場所を仄めかしておいた。待ちきれない人間が必ず接触しに来る」茜は胸の中がふっと楽になった。十年待ってきたのだ。今さら急がなくてもいい。特に父が目覚めたという事実は、まだ明かすわけにはいかない。「じゃあ、帰るね」「ああ」……三日後、茜はウォーカーヒルでとある企業の年末パーティーの手配を忙しくこなしていた。そこへ星羅から慌てた様子で電話がかかってきた。「茜ちゃん!母が倒れたの。一緒に来てくれる?」「わかった、すぐ車を手配するから、ウォーカーヒルの入口で待ってて」茜は同僚にひと言断りを入れてから、急いで表に出た。星羅はスマホを握りしめながら、血の気を失った顔で立っていた。「星羅ちゃん、どうしたの?」「母が入院したの。今朝、玄関先で倒れてたところを、朝早く仕事に出た近所の人が見つけてくれたって」星羅の声が恐怖で少し揺れた。「お父さんとお兄ちゃんは?」「二人とも電話が繋がらないの。兄の友達に連絡を頼んだら、兄は昨日一日中、町
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第469話

愛子は震える手でポケットから一枚の紙を取り出した。「星羅、お父さんはどういうつもりなの?」星羅はその紙の内容を見て、内心はっとしたが、顔には出さなかった。あの女はやるとは聞いていたが、まさかこれほど見事だとは。太輔に離婚協議書まで署名させるとは。「おばさん、おじさんはもう、その女の人と行ってしまったみたいです」茜が静かに現実を告げた。愛子はすとんと枕に身を沈め、全身の力が抜けたようにそこに横たわった。星羅はおばさんを病室の外まで送り出し、外で小声で頼んだ。「おばさん、村中で少しこの話を広めてもらえませんか」「何でそんな恥を晒すようなことを?」「父が母にしてきたこと、今までずっと見てきたでしょう。今日あなたが見つけてくれなかったら、どうなっていたかわからない。あの二人がもう一緒にいてほしくないんです」「そうよね、こんな目にあってかわいそうに。わかったわ。あなたも気をつけてね」「ありがとうございます」病室に戻って、星羅は記入済みの離婚届を愛子に差し出した。「サインして」「嫌。サインしたら、家族がバラバラになる」愛子は体ごと拒絶した。星羅が苛立って説得しようとしたところを、茜が静かに制止した。茜は小さい頃、芙美から、この土地の女性たちはどこにも本当の意味で自分の家を持てないのだと聞かされていた。生まれた家では、家のためにどれだけ役に立つかで値踏みされる。嫁いだ先では、妻というより、家事と介護と跡継ぎを担うための存在として見られる。そうして少しずつ、どれほど理不尽な扱いを受けても、「家」を保つことが人生のすべてになっていくのだ。おかしいとわかっていても、この家を壊さないために耐え続ける。やがて自分も、かつて自分を苦しめた姑と同じように、苦い顔で誰かを縛る側へ回ってしまう。茜はバッグから一枚の紙を取り出した。「おばさん、一つお仕事のお話があるんですが、興味ありますか?」こんな絶望的な場面で仕事の話をされるとは思っていなかったのか、愛子は目を丸くした。「何の仕事……?」「住み込みの家事代行です。高級住宅のお宅で、雇い主の方が、できればしがらみのない独身の方を希望されていて。お給料は……月六十万円です」「え、六、六十万?」愛子はずっと細々としたお金をやりくりしてきた。夫から生活費をもらうたびに
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第470話

サインされた離婚届を受け取って、星羅はほっと深く息をついた。母に少し休むよう言い残して、茜と一緒に病室の廊下に出た。「茜ちゃん、さっきのあのお仕事、作り話じゃないよね?」「本物よ。私が作ったんじゃなくて、桐島先生が用意してくれたの。お母さんは『誰かに必要とされないと落ち着かない人』だって。それなら、感謝されない家族のためじゃなく、自分のお金のためにその性質を使えばいい、って言ってたわ」「先生に、ちゃんとお礼を言わないといけないな」「先生の意図がわかってくれてよかった」茜は安堵して、星羅を温かい飲み物に誘った。「それで、あの豊田さんは父をどこに連れていったの?」「お金を使わせる場所でしょうね。おじさんから引き出せるだけ引き出すのが彼女の報酬みたいなものだから。それが彼女の『お仕事』だったわけだし」「でも、離婚したって言ってなかった?」「おじさんを釣るための嘘よ。彼女は他の土地で、男相手の商売で稼いできた人よ。もうそこでは続けにくくなって戻ってきたところ、ちょうど桐島先生からの仕事の依頼が来た。彼女自身が選んだことだから、こちらがとやかく言うことじゃないけど。おじさんをあの家から追い出してくれたのは、結果的に良かったわ」話しながら歩いていると、遠くの廊下に見慣れた後ろ姿が見えた。兄の辰哉だった。病院まで急いで来てくれたのを見て、星羅は少しだけ胸が温かくなった。いくら身勝手な兄とはいえ、さすがに実の母が倒れたとなれば心配して飛んでくるのだろう。声をかけようと病室に戻ろうとしたところで、中から辰哉の激しい怒鳴り声が聞こえてきた。「なんで親父を止めなかったんだ!」「それは……」「金は?おい、どこかに隠してるだろ?あいつのカードを持ってるんじゃないか?」辰哉が母を血走った目でじっと見た。母が自分のカードなど持っているはずがないのは、辰哉だって知っているはずだ。あの父が妻に大金を渡すわけがない。それでもこういうことを言う。結局、母の体調などどうでもよく、自分の金のことしか頭にないのだ。「知らないわ。お父さんが私にお金を渡すはずがないでしょ」「役立たず!親父に変なそぶりがあったのに、なんでもっと早く気づかなかったんだ!」「辰哉、それはどういう意味?豊田さんのこと、あなたはずっと知ってたの……」愛
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