静かな幸せは、裏切りの匂いがしたー医師・渡辺楓が選んだ、愛という名の代償ー のすべてのチャプター: チャプター 91 - チャプター 100

166 チャプター

第91話  楓を守るための弁護団

その頃――。 楓の母・桜は、慎一の勤める法律事務所へと足を運んでいた。  ビルのエントランスに入った瞬間、受付のスタッフが驚いたように立ち上がる。「渡辺桜先生……! 本日はご予約を……?」「慎一くんと、所長に用があるの。急ぎよ。」 桜はきっぱりと言い切り、颯爽とヒールを鳴らしながら奥へ進む。  その姿は、敏腕弁護士として数々の問題を解決してきた“戦場に立つ女性”そのものだった。 慎一の勤める法律事務所――《桐山リーガル・アソシエイツ》。 大学病院とも深く関わり、医療系の案件も多く扱うことで知られている。  桜はその名を信頼していた。 応接室に通されると、すぐに桐山所長も姿を見せた。  グレーのスーツを端正に着こなし、穏やかな雰囲気の中にも鋭い視線を宿す男である。「渡辺先生、お久しぶりです。今日は……娘さんの件ですね?」 桜は頷き、ソファに腰かけると、堂々とした声で切り出した。「私が筆頭で弁護をするつもりですが、今回の件は、SNSでの拡散具合が早すぎて、止めることがもはや困難であると考えています。  早急に弁護団を結成して対処したいと思っております。つきましては、御社にもご協力いただきたいと思っております」 その言葉は強く、迷いがなかった。  彼女の眼差しには、母としての怒りと、弁護士としての冷静な判断が同時に宿っている。 慎一は隣でその姿を見つめながら、改めて思った。 (……桜さんって、本当に強い人だ……) 所長は、桜の言葉を最後まで聞くと、表情を引き締めて深く頷いた。「渡辺先生のご依頼でしたら、お断りする理由が見つかりません。  しかも、このSNSというのは、若者に悪用されかねない一面を持っております。こちらでも何件か対処したことがあります。  ぜひ、娘さんの名誉を取り戻しましょう。」 まるで待っていたかのように、二つ返事で了承が出た。 桜は、ふっと肩の力を緩めた。  しかしその声はなお鋭く、揺るぎない。「ありがとうございます。状況は刻一刻と悪化していますから、早急に動かなければなりません」 慎一は二人のやり取りを見て、胸が熱くなるのを感じた。(確かに……この訴訟で楓の名誉を取り戻すことができたとしたら。  インターネットで誹謗中傷された人々にとっても、ひとつの希望になるだろう) 正義という言葉は、軽
last update最終更新日 : 2026-01-28
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第92話

翌朝。  桐山リーガル・アソシエイツの会議室には、桜、慎一、そして桐山所長が並んで座っていた。 長テーブルの上には、すでに集められたSNSのスクリーンショット、投稿の時刻一覧、ネット掲示板のログが整然と並べられている。  昨日の夜遅くに桜が動いたことで、探偵の一次調査結果も届いていた。 桐山所長が用紙に目を通しながら言った。「なるほど……これは早めに手を打たないとまずいですね。拡散スピードが異常に早い」 慎一も頷く。「元の投稿は一つだけのはずなんですが……今は数十倍、数百倍に膨らんでいます」「“匂わせ”投稿が何件かありますね。これらは明らかに同一人物か、その周囲の友人でしょう」と桐山所長。 桜は背筋を伸ばし、鋭い声で言った。「私の娘の名誉が、根拠のないデマで踏みにじられているのよ。  情報が多すぎて追いつかない……だからこそ、早急に動かないといけないわ」 その横顔は、完全に“戦う弁護士”の顔だった。「では桜先生、法的措置としては?」 慎一が問うと、桜は即答した。「まず元の投稿者の特定。名誉毀損・侮辱罪の両面で争う。  まとめサイトにも削除要請を送るわ。並行して、楓を中傷したアカウント複数への開示請求。病院側にも、安全配慮義務違反として警告を入れる」 桐山所長は満足そうに頷いた。「実に手際がいい。では当事務所は、ネット関連法務と開示手続きを中心に担当しましょう。発信者情報開示は時間との勝負です。すぐに動きます」 慎一も決意を込めて拳を握った。 その頃――。 都心の別の場所。  レンガ造りの古びたカフェの奥の席で、数人の若者がテーブルを囲んでいた。  海斗とその仲間たちである。 海斗はスマホをテーブルに置き、薄く笑った。「おい、見てみろよ。昨日の投稿、また伸びてきたぞ。あの女医、完全に終わってるわ」「てかさ、もっとやっちゃえば?」 「証拠もどき作っちゃうとか?」 軽いノリで言う友人に、海斗がニヤリと笑った。「実は……ちょっと考えてるんだよな」 仲間が食いつく。「なになに?」「亜里沙がさ、“あの女医と亮が密会してた写真がある”って言えば、もっと燃えるってよ。 だったら俺らで“それっぽい写真”作れんじゃん?」「やば……それ、バレるだろ」「バレなきゃいいんだよ。ネットなんて、見た目がそれっぽけりゃ信じる奴い
last update最終更新日 : 2026-01-29
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第93話 崩れ始める均衡

 夜の街にネオンが光り、クラブの奥のVIPルームでは、亜里沙がワインを片手に笑っていた。「見てよ、このコメント。“女医、最低”“病院の恥”……ふふ、最高に笑える」 スマホ画面をスクロールしながら、さらに上機嫌になる。 仲間が覗き込み、「え、これ楓って人、マジでやばくない?」と眉をひそめる。「やばいのはあの女の方よ。亮を取ろうとしたんだから当然でしょ?」 その笑顔は完全に“勝者”のものだった。 スマホに新たな通知が来る。【海斗:例の写真、今加工中。すぐ送るわ】 亜里沙は唇を吊り上げた。「証拠の写真が出たら、一発でとどめね」 ――亜里沙の暴走は、もう誰にも止められなくなっていた。 その頃、亮は薄暗い病室のベッドで、ゆっくりと目を開けた。  白い天井が揺れる。ぼやけた視界の中で、何度も点滅する光景がよみがえる。 楓が泣いていた顔。  あの日、別れ際に見せた無理な笑顔。  そして――自分の名前を呼ぶ震える声。「……楓……楓……」 苦しげに呼ぶ亮の声は、自分でも驚くほど弱々しかった。(なんで……離れたんだよ、オレ……なんで……) 胸が締めつけられる。  そして、看護師が話していた会話が断片的に思い出された。──“亮さん、さっき寝言で楓さんって呼んでましたよ” その瞬間、亮の胸に雷が落ちたような衝撃が走った。(……俺は……まだ……楓を……) はっきりと認識した。 自分は、まだ楓を想っている。 そして―― (楓は……今どうしてるんだ……?) 胸騒ぎが止まらなかった。 翌日、桐山リーガル・アソシエイツでは、すでに緊急会議が進んでいた。 桐山所長が、スクリーンにSNSの投稿を映しながら言う。「こちらをご覧ください。 “楓と亮が密会していた”という噂の元になっている投稿です。拡散元アカウントは一つですが、ものの12時間で拡散率が20倍に跳ね上がっています」 桜が目を細める。「とても一般人ができる速度とは思えないわね」 慎一が資料をめくりながら言った。「このアカウント、過去にも数件“炎上の火付け役”として疑われているようです」「完全な悪質行為じゃないの!! 検挙される案件よ!」と桜。 桐山所長も頷く。「他にも、匂わせ投稿をしているアカウントが複数。  そのうち何件かは、地元の高校の同級生と思われます。そして―
last update最終更新日 : 2026-01-29
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第94話  偽りの罠、拡散の夜

 深夜零時。街は地震の余韻からの復旧作業を続けており、どこかぎこちない灯りが点滅している。  しかし、ネットの世界はそんな現実とは無関係に動き続けていた。 そして――その瞬間は突然訪れた。【亮と女医の密会写真】 【ホテルで二人きり】 【救急搬送時に揉めていたのは“痴情のもつれ”だった?】 画像が投稿されるやいなや、SNSはまるで火がついたように騒がしくなった。  写真には、楓と亮が「ホテルの入り口らしき場所で向き合っている」ように見える。 だが――それが完全な偽造写真であることは、当事者しか知らない。「出たぁ!!」 「え、これガチなの?」 「医者が患者に手を出すなんて最悪」 「この医者、前からメンヘラって噂あったよ?」 「亮くん可哀想……」 たちまちコメントが300、500、1000と増えていった。 拡散の発信者は、海斗。  亜里沙のために動いた男友達だ。 しかし、その画像を見た亜里沙は――  VIPルームのソファでスマホを掲げながら、満足げに笑った。「完璧。これであの女は、終わりね」 海斗は隣でシャンパンを煽りながら言う。「な?言ったろ?適当に合成すりゃ、ネットなんてだませるって」 亜里沙は脚を組み替えて、艶やかに笑う。 「これで楓はもう医者なんて続けられないわ。亮も……私だけ見てくれる」 しかし、彼らは知らなかった。  火をつけた炎は、彼女たちの手に負える範囲ではないことを――。 同じころ、地震の影響で仕事が休みになってしまった真琴と陽斗が、楓のマンションを今日も訪れ、楓を励まし続けていたが、楓は疲れ切ってソファにもたれたまま、うつむいていた。 そのとき、スマホが震えた。『楓さん……これ……大丈夫ですか!?』 後輩の医師からだった。 続けて看護師、同期のドクターたちからも同じようなメッセージが届く。(なに……?) リンクを開いた瞬間、楓の息が止まった。 ――自分と亮がホテル前で向き合っている写真。 手が震えた。  心臓の鼓動が一気に早まった。「うそ……こんなの……!」 真琴が覗き込み、次の瞬間、叫んだ。「誰よ!!こんなの作ったの!!? 合成じゃん!!!」 しかし、世間は合成だと気づかない。  むしろ「合成では?」というコメントすら一瞬で叩き潰されていく。『言い訳乙』 『バレたか
last update最終更新日 : 2026-01-29
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第95話 揺れる鼓動、病室を飛び出して

 転院先の病院は、昨夜から少しずつ落ち着きを取り戻していた。 地震の影響は最小限で、救急も通常業務に戻りつつある。 その一室―― 亮の病室。 白いカーテン越しに差し込む朝日が、静かに亮の頬を照らしていた。 点滴と包帯に包まれ、まだ体は本調子には遠い。 しかし、深く眠っていたはずの亮が、ふと眉を寄せた。 夢の中の声が、彼を揺さぶったのだ。(……かえで……) 名前を呼んだ瞬間、亮は目を開けた。 ゆっくりと視線を上げ、天井を見つめる。「……ここ、は……?」 意識を失ってから、もう何日経ったのか分からない。 しかし頭痛の奥に、なにか胸騒ぎのような違和感が残っていた。(楓……あのあと……どうなった……?) すると、看護師がカーテンを開けて入ってきた。「あ、佐々木さん。意識が戻ったんですね。よかった……!」 亮は弱々しく頷きながら、かすれた声で尋ねた。「……楓……先生……は……?」 看護師は一瞬だけ、困ったように眉を下げた。 しかし“患者に余計な心配をさせてはいけない”という表情に変えて答える。「楓先生……というのは、救命の先生ですか?」「……はい」「それでしたら……」 看護師が言い淀んだ。 亮は違和感に気づき、少し身を起こす。「……なにか、あったんですか……?」 看護師は口を結び、答えを避けているようだった。「い、いえ……ただ……その……。今、ちょっと大変みたいで……」「大変……?」 そのとき廊下の遠くから、「見た?あの写真」「やばすぎ……」「女医さん、終わりじゃない?」 そんな若い研修医たちのヒソヒソ話が聞こえてきた。 亮の体が、強張った。(……なにを……言ってる……?女医……楓のことか?) ベッド脇のテーブルには、亮のスマホが置かれていた。 看護師が気づく前に、亮は手を伸ばして掴む。 まだ頭がフラつく。 でも止められなかった。 スマホの画面をつける。 そして……目に飛び込んできたのは――【医者と患者の密会写真】【不適切な関係】【痴情のもつれか?】【救命女医、停職処分か】 さらに、動画まで添えられていた。「……は?」 亮の指が震える。「……これ……楓……? いや、違う……違うだろ……!」 写真の合成は雑だ。 亮にはすぐに分かった。 しかし、コメント欄は怒号のような誹謗
last update最終更新日 : 2026-01-30
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第96話 追跡の影、暴かれた火種

 翌朝。  桐山リーガル・アソシエイツの大会議室には、異様な緊迫感が漂っていた。 長机には複数のノートPCが並び、スタッフたちがSNSのログ、スクリーンショット、データ解析結果を次々と貼り出している。「アクセス元のアカウント……非公開垢を複数経由しています」 「明確な“意図的操作”が見られます。自然拡散ではありません」 「投稿のタイミングが妙です。亮さんの怪我と同時に、関連ワードが検索上昇しています」 スタッフの報告が次々と飛ぶ。 桜は腕を組み、鋭い目つきでスクリーンに映るログを見つめていた。「……どれもこれも、素人の嫌がらせの範囲を超えてるわね。  意図的、計画的……“組織的”と言っていい」 慎一も、資料を握りしめながら静かに頷いた。(こんな……ただの嫉妬だけで、ここまでやるのか……) そのとき、ITフォレンジック担当のスタッフが低い声で言った。「桐山所長、桜先生……。 “最初の投稿者”らしき人物を絞り込みました」 桐山所長と桜が同時に身を乗り出す。「誰だ?」 スタッフは、数十枚の解析画像をまとめた資料をテーブルに置いた。「アカウント名【@RK-night】。 最初に“亮くんがかわいそう”“救命女医のくせに”という文言を投稿し、後続のデマ投稿者の多くが、このアカウントを基点に拡散しています」「アカウントの持ち主は?」 スタッフは深く息を吐いた。「……IPアドレスは、繁華街のクラブビル周辺から複数回発信されています。  そして――」 慎一が息を呑む。  桜も目を細める。「“海斗”という名前が、複数の裏アカに紐づいています。  SNSの内輪グループで“亜里沙のためにやる”と発言していました」 桜の瞳が冷たく光った。「やっぱり……裏に誰かがいると思ったわ。他の人間も関わってる可能性は?」「はい。少なくとも3人以上の複数アカウントが連携しています。  いずれも“海斗”という人物の仲間と思われます」「証拠は固いか?」  桐山所長が重い声で尋ねた。「決定的とは言えませんが、訴訟に踏み切るには十分です。  さらに、合成写真の元画像も解析しました。加工の痕跡多数……素人の細工ですね」 桜は深く頷いた。「合成写真の元画像は?」「ネットのフリー画像から切り抜いたものと、亮さんの病院での実際の写真……。 ただし、
last update最終更新日 : 2026-01-30
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第97話  夜の街へ出る勇気

 その日の夕方。 楓はまだ布団にくるまったまま、ほとんど動けずにいた。 ネットでは自分の名前を含むまとめ記事が更新され続け、誹謗中傷のコメントは止まらない。 病院からは謹慎。 亮は病院を抜け出し倒れた。 自分は何もできない――そんな無力感が胸を押しつぶしていた。 そんな楓の部屋を、真琴が勢いよく開けた。「……楓。もう限界ね」 楓は布団から出たくない子どものように、ぼんやりと真琴を見た。 真琴は腕を組み、キッと楓を見下ろす。「ねぇ、変装して出かけない?」「……へ、んそう……?」 楓は、半分魂の抜けたような声で聞き返した。「そう、変装!!めっちゃおしゃれして出かけよう!!」「いや、無理……私いま外なんて……」「ダメ!!!」 真琴は何の前触れもなく楓の手首を掴み、そのまま浴室に押し込んだ。「えっ、ま、真琴!?ちょっと……!」「シャワー浴びて!五分で戻ってきて!!」 有無を言わせない迫力だった。 観念した楓は、久しぶりに熱いシャワーを浴びた。 洗い流される湯の中で、乱れていた心も少しずつ解けていくような気がした。 浴室から出ると、真琴はすでに化粧道具とドレスを広げていた。「はい座って!詐欺メイクしてあげる!!」「詐欺って……」「文句言わない!」 真琴の手さばきは早かった。 楓の顔はいつもの素朴さが嘘のように変わり、流れるようなアイライン、大人の色気を含んだ艶のあるリップ。 目元は涙跡すら感じさせないほど美しく整えられていく。「……真琴、これ……別人なんだけど……」「別人でいいの!変装なんだから!!」 楓が唖然とする間に、真琴は黒のドレスを手渡した。「これ着て!背中、私が締めるから!」 楓は半ば強制的にドレスを着せられ、アクセサリーをつけられた。 真琴も同じように、楓のクローゼットから勝手に服を選んで着替えていく。「うん、完璧!!さぁ、行くわよ!!」 真琴は有無を言わさず楓の腕をつかみ、マンションの外へと引っ張った。 久しぶりの夜の街。 地震の余韻は消え、街のネオンは以前と変わらず煌めいていた。 人々はそれぞれの夜を楽しみ、笑い声や音楽が街を染めていく。 だが楓は――うつむいて歩いていた。(誰かに気づかれたくない……ネットを見た誰かに……声をかけられたら……) 恐怖で背筋が冷たくなる。 そ
last update最終更新日 : 2026-01-30
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第98話

 落ち着いた榊との会話で癒され、久しぶりに心から笑って話せた――そんな時間だった。  Bar― Night Indigo―を出た楓と真琴は、夜風に頬を撫でられながら、ほろ酔いの心地よさに包まれて歩いていた。  夜の街は、金曜日ということもあり、少し浮ついたような空気がある。  道路沿いの街路樹に飾られたライトがゆっくり瞬き、二人の影を柔らかく照らしていた。「ねぇ、この後どうする?」  真琴が少し弾んだ声で尋ねた。  飲んだとはいえ、足取りはしっかりしている。楓の隣でスキップでもしそうな勢いだ。 だが楓は、立ち止まりそうなほど、申し訳ないといった顔で呟いた。 「私……こんなことして遊んでていいのかな」 真琴が「え?」という顔をした瞬間、楓はぽつりと続ける。 「ママや慎一が必死で名誉挽回に頑張ってくれてるときに……しかも、亮も病院を抜け出そうとして、また倒れたって……。真琴。私って……肝心なときに役に立たない人間よね……」 その声は、夜の喧騒に溶け込んでしまいそうなくらい弱くて細かった。  街灯が落とす影の中で、楓の肩が小さく震えているのが分かる。 次の瞬間――真琴の感情が弾けた。「楓は役に立たない人間なんかじゃない!!」 思い切り語気を強めて言う真琴に、楓が目を瞬かせる。「自分だって被害者なのに、地震で傷ついた人をいっぱい助けたじゃない!!  誰よりも落ち着いて、冷静で……あんたがいたから救われた人、絶対いるよ!」 真琴はさらに続ける。 「みんな、ちゃんと誰かの役に立ってるの! それは楓も同じ!  ――現にあたしだって……」 その声が一瞬だけ震えた。  強く見せようとして、必死に立っているのが分かった。 楓は真琴の顔を見つめる。  涙を溜めた瞳が、街の光を反射してきらりと揺れた。「ごめん……」  楓は絞り出すように言った。 「真琴のおかげで私、今立ってられてる。  今、真琴が一緒にいてくれて……本当に感謝してるよ」 その言葉を聞いた瞬間――真琴の表情がぐしゃりと崩れた。「かえで~~!! 元気出そうよ~~~!!」 人目なんてお構いなしに、真琴は楓に飛びついた。  二人は道の真ん中でぎゅうっと抱きしめ合う。  肩と肩がぶつかり、真琴の髪が楓の頬に触れ、温かい体温がじんわりと伝わってくる。 突然のことで周
last update最終更新日 : 2026-01-31
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第99話  “動き出す捜査と、広がる圧力”

 時は少し前。会議室の空気は、緊張と怒りで張りつめていた。  桐山リーガル・アソシエイツは、今回の件を“名誉毀損・業務妨害・偽造画像による悪質攻撃”として、法的手段に踏み切ることを決めていた。「サイバー犯罪対策課との連携が取れました」  桐山所長の横にいた若手弁護士の一人、石井が説明する。 「拡散元アカウントと“匂わせ投稿”の一部について、すでに警察がIPアドレスの開示請求を準備中です」「早いわね」  桜の声には、弁護士としての冷静さと、母としての怒りが入り混じっていた。「サイバー犯罪課の捜査員が、すでに二人を“要注意人物”としてマークしています」 「二人?」と慎一が問い返す。石井は資料を指した。 「はい。“宮原亜里沙”と“黒川海斗”です」 慎一の表情が固まった。 「やっぱり、あいつか……」「まだ決めつけはできませんが、少なくとも“拡散のスピードと方向性”が不自然です。通常の噂では起こりえない“組織的な拡散”が確認されています」 桐山所長が付け加えた。 「警察は、クラブ仲間の一部アカウントも調査対象に入れています。“偽造写真”が作成されている形跡があるとの報告も」「偽造……」  桜は拳を握りしめた。 「娘の人生を壊すために写真まで作るなんて、絶対に許せない!」「名誉毀損での告訴はもちろん、偽造画像の制作・拡散が確定すれば“私電磁的記録不正作出・供用罪”も視野に入ります」  慎一が静かに言う。 「警察も本腰を入れています。……でも、問題はそれだけじゃない」「病院のほうね?」  桜が目を向けた。慎一は苦い顔をした。 「父が――後藤教授が、楓の病院に“この噂は本当か”と問い合わせたらしい。  病院のコンプライアンス委員会が緊急招集されたって」「……最悪ね」 「楓さんは無関係だ。噂だけで彼女に傷がつくなんて――絶対に阻止する」 桐山所長が前を向き直る。 「病院側には、こちらから正式に文書で“法的対応中であり、事実無根である”旨を通知します。コンプライアンス委員会にも、誤解を払拭するため桜先生が同行して説明に伺ってください」「もちろんよ」  桜の目は鋭く燃えていた。 「娘を守るためなら、誰の前にだって立つわ」――そのころ。 都内某所、薄暗いマンションの一室では、サイバー犯罪課の捜査員がモニターを見つめて
last update最終更新日 : 2026-01-31
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第100話

 その頃――  消毒液のかすかな匂いが漂う、静かな病室の中で、亮はゆっくりと意識を取り戻した。 白い天井。  規則正しく点滅するモニターのライト。  心電図の一定のリズムを刻む音。 現実の世界へ浮かび上がるように、亮は薄く目を開き、ぼんやりと視界をさまよわせた。「……ぁ……」 声を出そうとすると喉が張り付いたように痛む。  それでも何かを確かめたいという本能だけが、彼を無理やり現実に引き戻していた。 ちょうどその時、亮の腕に軽い刺激が走った。  脈拍を測っていた看護師が、亮の微かな動きに気づいて顔を上げる。「あっ、佐々木さん。目が覚めましたか?」 柔らかい口調だが、どこか驚きと安堵の混じった声だった。  亮は看護師の顔をじっと見つめ、少し遅れて状況を把握しようとするように瞬きを繰り返した。 そして、まるで迷子の子どものように弱々しい声で囁いた。「……渡辺楓先生を……呼んでください」 看護師は、一瞬だけ顔をこわばらせた後、困ったように眉を下げた。  その反応は、亮が望んだものとはまるで違っていた。「意識がない間も、ずっと“かえで”と呼んでいましたけど……  この病院には“渡辺楓先生”という方はおられませんよ。夢でも見ていたんじゃないですか?」 亮の呼吸が止まったように見えた。  まるで空気が急に薄くなったかのように、胸が重くなる。「……そんなはず……ない……」  震える声で亮は言い返した。 「救命センターに……居る。渡辺楓先生……だよ」 看護師の表情が完全に「これは重症患者の混乱だ」と言いたげなものに変わる。「佐々木さん、この病院には救命センターはありません。  きっと……まだ意識が混乱しているんですよ。勘違いです」「……違う……違うんだ……」  亮は必死に上体を起こそうとした。 しかし、腕に走る痛み、点滴ラインが引っ張られ、看護師が慌てて亮の肩を支えて制止した。「無理に起き上がっちゃダメです! 今は安静が一番なんです!」 押し戻される形でベッドに横たわりながら、亮の視線は虚空をさまよった。  その瞳には、恐怖に似た色が浮かんでいる。 本当に……夢だったのか?  自分が必死に呼び続けたあの名前。  病院の廊下を駆ける後ろ姿。  自分に伸ばされた白い手。  名前を呼ぶ声―― あれは……全部、
last update最終更新日 : 2026-01-31
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