All Chapters of 没落令嬢の家政婦契約 ~冷酷CEOは、初恋を逃さない~: Chapter 201 - Chapter 210

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第201話 嵐のあとの静寂①

 大型の有機ELディスプレイの中で、無数のフラッシュが雷光のように炸裂していた。 青白い光の点滅が、薄暗いリビングの壁に不規則な影を落としている。 画面の中央、警視庁の正面玄関から出てきたのは、かつて「社交界の華」と持て囃された女だ。 顔を隠すように深く被ったコート。 護送車へと押し込まれるその姿に、かつての傲慢な女王の面影はない。ただの、怯えた小動物のようだった。 テロップには『高嶺商事・高嶺社長逮捕』『粉飾決算と特別背任の疑い』という角張った文字が躍り、コメンテーターたちが掌を返したように高嶺家の腐敗を糾弾している。 昨日の今日だというのに、世間の風向きは完全に変わっていた。「……終わったな」 征也がリモコンを操作した。 ふつり、と喧騒が途絶える。 リビングには、空調の低い駆動音と、遠くで鳴るジャズの音色だけが残された。 静寂が、耳に痛いほど染み渡る。 窓の外には、雨上がりの澄んだ夜空が広がっていた。 眼下に広がる東京の夜景。無数の光の粒が、宝石箱をひっくり返したように輝いている。 それは、私たちが血を流し、泥を啜って勝ち取った、平和の灯火のように思えた。「ええ……。長かったです」 私はソファに座る征也の隣に寄り添い、その硬い腕に頭を預けた。 上質なシャツ越しに伝わる体温。 征也の腕が自然に私の肩を回り、髪を梳くように撫でる。 その手つきは、戦いの最中に見せていた、私を守るための荒々しさではない。砂糖菓子を扱うような、とろけるほどに甘く、優しい愛撫だった。「お前のおかげだ、莉子」 頭上から降ってくる声が、私の鼓膜を震わせる。「お前がいなければ、俺は怒りに任せて暴走し、自滅していたかもしれない。……お前が、俺を人間に戻してくれた」「ふふ。……征也くんは、すぐ熱くなっちゃうから」 茶化すように言うと、征也はバツが悪そうに鼻を鳴らした。「うるさい。&hell
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第202話 嵐のあとの静寂②

 掌の熱が、皮膚を通してじんわりと広がる。「……大丈夫か。無理をさせた」「平気よ。この子も、今日はご機嫌みたい」 嘘ではない。 エリカとの対決の最中も、路地裏で震えていた時も、この子は一度も私を苦しめなかった。 まるで、母親と一緒に戦っていることを理解しているかのように、静かに、けれど力強く息づいていたのだ。「……動いたか?」 征也が、子供のように真剣な顔で聞いてくる。「まだよ。胎動を感じるのは、もう少し先だって」「そうか……。早く、こいつに会いたいな」 彼は上体を屈め、私のお腹に耳を押し当てた。 整髪料の清潔な香りと、彼自身の匂いが鼻をくすぐる。 世界で一番、安心する匂い。「聞こえるか? パパだぞ」 征也が、お腹の向こう側にいる小さな命に話しかける。「……お前のママは、世界一強くて、可愛い女性だ。……早く出てきて、ママを守ってやれ。俺と一緒に」「気が早いわよ。……それに、守るのはパパの役目でしょ?」「ああ。……違いない」 征也は顔を上げ、至近距離で私を見つめた。 その瞳に、吸い込まれそうなほどの愛おしさと、微かな独占欲が揺らめいている。 私のすべてを構成する要素――過去も、傷も、この身体も――その一つ残らず自分のものだと主張するような、重たくて心地よい視線。「莉子。……愛してる」「私も。……愛してるわ、征也くん」 唇が重なる。 触れるだけのキスではない。互いの存在を確かめ合い、魂の形を刻みつけるような、深く濃密な口づけ。 サファイアのネックレスが、二人の胸の間で微かに触れ合い、チリ、と澄んだ音を立てた。 幸せだ。 父の死、没落、家政婦として這いつくばった日々。 全ての理不尽と苦難は
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第203話 嵐のあとの静寂③

 空気が、一変した。 画面が切り替わる。 無数のフラッシュの中、演台に立つ初老の男。 銀髪をオールバックになでつけ、冷徹な銀縁眼鏡の奥から、爬虫類のような鋭い眼光を放つ男。 神宮寺蒼の父親――神宮寺頭取だ。 彼は、一枚の書類を手に、淡々と、しかし裁判官が判決を読み上げるような重々しさで宣言した。『当行は、本日付で、天道グループに対する全ての融資を打ち切ることを決定いたしました』「……なっ!?」 征也が身を乗り出した。「馬鹿な……! そんな急に!」 テレビの中の頭取は、感情のない声で冷酷に続ける。『理由としましては、天道グループの経営体質に重大な疑義が生じたためです。……反社会的勢力との繋がり、および不透明な資金の流れ。コンプライアンスを重視する当行としては、これ以上の支援は不可能と判断しました』 嘘だ。 反社との繋がりなど、あるわけがない。 それは高嶺商事の罪であり、天道グループは被害者だ。 だが、銀行はそんな事実などどうでもいいのだ。 理由をつけて、資金を引き上げる。ただそれだけのために用意された、もっともらしい「大義名分」。『また、現在貸付中の資金につきましても、期限の利益の喪失に基づき、即時一括返済を求めます』「ふざけるなッ!!」 征也が叫んだ。 ドォン、とテーブルを拳で叩きつける音が響く。 置いてあったグラスが跳ね、中の氷がカランと音を立てた。「反社だと!? 身に覚えのない言いがかりだ! それに、即時返済だと……!? 数百億だぞ!?」 彼のこめかみに血管が浮き上がり、呼吸が荒くなっている。「征也くん……!」 私は青ざめて彼を見た。 これは、ただの融資打ち切りじゃない。 報復だ。 息子である蒼くんを破滅させ、刑務所送りにした私たちへの、神宮寺家総出の復讐だ。 エリカのような、
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第204話 嵐のあとの静寂④

 頭取が、画面の向こうから私たちを見据えるように言った。 その目は、かつて蒼くんが私に向けたものと同じだった。 底知れない悪意と、獲物を甚振(いたぶ)る愉悦に満ちた、絶対強者の目。 リビングの空気が、一瞬にして凍りつく。 先ほどまでの甘い余韻は消え失せ、代わりに絶望的な現実が、冷たい刃物のように喉元へ突きつけられた。 屋敷も。 会社も。 地位も。 征也が血の滲むような努力で築き上げてきた全てが、明日にも奪われるかもしれない。 砂上の楼閣。 その言葉が、現実味を帯びて脳裏をよぎる。「……クソッ、神宮寺……ッ!」 征也が頭を抱え、苦悶の声を漏らした。 膝から力が抜けたように、彼はソファに崩れ落ちる。「俺を……俺たちを、路頭に迷わせる気か……」 彼の背中が、小刻みに震えているのが分かった。 恐怖ではない。 あまりにも理不尽な暴力に対する、激しい怒り。 そして何より――私を守りきれないかもしれないという、焦燥。 彼のその震えが、私に伝染しそうになる。 怖い。 足元から冷たい水がせり上がってくるような恐怖。 また、あの雨の日のように、すべてを失って放り出されるのか。 ――いいえ。 私は、ぎゅっと拳を握りしめた。 違う。 あの時とは、違う。 私は、そっと自分のお腹に手を当てた。 ドクン、ドクン。 まだ小さな、けれど確かな鼓動が、私の掌を内側から蹴るように脈打っている。 ここにいる。 守るべき命が、未来が、ここにある。 私はもう、一人じゃない。 ただ雨に打たれて震えていた、無力な「没落令嬢」ではないのだ。 私は立ち上がり、征也の隣に座り直した。 そして、顔を覆う彼の両手首を掴み、ゆっくりと、しかし強い力で引き剥がした。 行き場を失った彼の視
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第205話 嵐のあとの静寂⑤

「上等じゃないですか」  私の口から飛び出した言葉に、征也が呆気にとられたように目を見開いた 。 蒼の父である神宮寺頭取による、なりふり構わぬ融資打ち切りのニュース 。それは、天道グループという巨大な城壁が音を立てて崩れ去る合図に等しかった。目の前で蒼白になっている男は、ほんの数分前まで、この国の経済を動かす冷酷なCEOだったはずだ 。 私は、彼の震える指先をそっと包み込み、ニッコリと微笑みかけた 。 それは恐怖を隠すための作り笑いなどではない。心の底から湧き上がる、勝気な、そして彼への絶対的な信頼を込めた笑みだ 。「家も、お金も、会社も……全部奪うって言うなら、くれてやりましょうよ」「な、何を言って……。莉子、事態がわかっているのか。俺は、お前をまた、あのどん底へ……」「でもね」 遮るように、私は彼の手を自分のお腹の上へと導いた 。薄いパジャマ越しに、微かな、けれど確かな命の拍動が伝わっていく 。 感じてほしかった。 ここに在る、神宮寺の権力をもってしても決して汚すことのできない、絶対的な希望を。「私たちの『心』までは、銀行だって差し押さえられないわ」「莉子……」「ゼロになるだけよ。マイナスじゃない。……あなたには、私がいる。この子がいる。そして、あなたの類まれな才能があるわ」 脳裏に、4年前の記憶が鮮烈に蘇る。 当時、私は月島ホールディングスの令嬢として、不自由ない世界にいた。一方、隣のアパートに住んでいた征也は、その日の食事にも事欠くほど貧しかったはずだ。 けれど、私はそんな彼が大好きだった。 安物の、生地の薄いスーツを肩にかけ、狭い部屋で「いつか世界を跪かせてやる」と熱く夢を語っていたあの頃の彼 。野良犬のような鋭い眼光を放ち、何者にも屈しないと誓っていた横顔。 あの頃の私たちは、立場こそ違えど、魂は誰よりも自由で、そして最強だった。 金や地位で繋がっていたのではない。ただ、お互いの存在だけ
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第206話 嵐のあとの静寂⑥

 征也が、数秒間、瞬きを繰り返した。 やがて、その瞳を覆っていた絶望の霧が、私の言葉に焼き払われるように消えていく。 濁流に呑まれかけていた光が、再び鋭い熱を帯び、野生的な輝きを取り戻していく。 腹の底から、あの不敵な光が――誰にも支配を許さない魔王の覇気が、明確に蘇ってくるのがわかった。 彼は、私の指を折れんばかりに強く握り返し、ゆっくりと立ち上がった。 その背中からは、もう「追われる者」の弱々しさは消えていた。 飢えた獣のような、獰猛な挑戦者の顔だ。「……そうだな」 征也が低く、地を這うような声で笑った。 それは窮地に追い込まれれば追い込まれるほど、本能が歓喜に震え出す、彼本来の残酷なまでに力強い笑みだった 。「俺には、お前がいる。……それだけで、俺は無敵だ。失うものなど、最初から何一つなかった」 征也はテレビ画面の中で冷笑を浮かべる神宮寺頭取を、射殺さんばかりの視線で睨みつけ、傲慢に口角を吊り上げた 。「上等だ、神宮寺。……喧嘩を売る相手と、その隣に立つ女を間違えたことを、地獄の底で後悔させてやる」 私たちは顔を見合わせ、深く、確かな意志を込めて頷き合った 。 もはや、言葉による確認など必要なかった 。 繋いだ手から伝わってくるのは、痛いほどの熱量と、決して離さないという執着の証だ 。 不安がすべて消えたわけではない。 明日の朝には、この豪華な屋敷さえ奪われているかもしれない。未来はまだ、悪意に満ちた分厚い霧の向こう側だ。 それでも、この手と手が繋がっている限り、私たちはどこへだって歩いていける。4年前、あの安アパートの階段を駆け上がった時のように。 嵐が来るなら、来ればいい。 この子と、そして何よりこの愛しい男を守るためなら、私はどんな汚れ仕事だって引き受ける。鬼にだって修羅にだってなってやる。 窓の外、夜明け前の空が白磁のように白み始めていた。 束の間の静寂は、今、完全に破られた。 けれど
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第207話 銀行頭取の復讐①

 夜明けの光は、私たちが抱いた希望の熱を冷ますように、どこまでも白く、そして無機質だった。 リビングの巨大な窓から差し込む朝日は、昨日までの華やかな生活の残骸を容赦なく照らし出している。 床から天井まで届く厚いガラス越しに見下ろす東京の街は、まだ青白い靄に沈んでいるというのに、この最上階の部屋だけがひんやりとした乾いた空気に満たされている。空調の微かな稼働音さえ、耳の奥をざらざらと撫でていくように不快だ。足元の毛足の長い絨毯は、素足の裏からじわじわと体温を奪っていく。 テーブルの上に散らばったままの週刊誌。飲みかけで完全に冷え切ったコーヒー。そして、絶え間なく震え続ける征也のスマートフォン。 ブブッ、ブブッ。 バイブレーションの単調なモーター音が、胃の腑を直接削るように響く。 分厚いガラスの天板の上で、硬質な金属がぶつかる音が、神経の糸を一本ずつ引きちぎるように繰り返される。隣に座る征也の吐息は、熱を帯びてひどく荒かった。血走った瞳の奥には、徹夜で対策を練り続けた極度の疲労がどろどろと渦巻いている。シャツの第一ボタンは乱暴に外され、露わになった首筋には、じっとりと冷たい汗が光っていた。「……橘か。状況はどうなっている」 征也はソファに浅く腰掛けたまま、通話ボタンを押した。 その横顔は、数時間前に私と手を取り合った時の獰猛な覇気を保ってはいるものの、隠しきれない疲労が目の下の濃い隈となって表れていた。『社長。……最悪の事態です』 スピーカーから漏れ聞こえる橘秘書の言葉は、張り詰めた空気をさらに数度下げるほど、冷たく重かった。『神宮寺銀行の会見を受け、メインバンクを含めたすべての取引銀行が、当座の融資枠を凍結しました。……明後日の手形決済、資金がショートします』「……海外のファンドや、個人の投資家への根回しは」『全滅です。高嶺商事と神宮寺銀行が裏で手を組み、「天道グループへの支援は、当行への敵対行為とみなす」という通達を金融界全体に回しています。……完全に、兵糧
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第208話 銀行頭取の復讐②

 橘さんが、苦しげに言葉を区切った。 何か、さらに決定的な絶望が口にされるのだと、本能が警鐘を鳴らす。『……社長の個人資産に対する、仮差押の執行命令が下りました。口座はすべて凍結。このマンションも、複数の車両も、動かすことはできません』 征也の顔から、さっと血の気が引いた。 呼吸が止まり、スマートフォンを握る指先が白く変色する。「……新居の工事は」 その低い声は、祈るように微かに震えていた。『……ストップしました。あちらの土地も、差し押さえの対象です。現在、裁判所の執行官が現場に向かっています』「……っ!」 征也は奥歯を強く噛み締め、ギリッと骨の軋む音をさせた。 旧月島邸跡地。 彼が私のために買い戻し、私たちが三人で暮らすはずだった、未来の城。 あの場所に根を下ろした、父の形見の薔薇。 それすらも、彼らは無慈悲に奪い去っていくのだ。「分かった。……後の対応は指示する。お前は少し休め」 征也はそれだけ言って、通話を切った。 カチャン、とスマートフォンがガラステーブルの上に放り出される。 静寂。 何百万という人々が蠢く巨大な都市の頭上で、音という音がすべて消え失せたような錯覚に陥る。窓の外を飛ぶ鳥の羽ばたきすら届かない、真空の密室。重たすぎる沈黙が、鼓膜を内側から圧迫してくる。 彼は深く頭を垂れ、両手で顔を覆った。「……まただ」 指の隙間から、血を吐くような呻き声が漏れる。「また、お前から『家』を奪ってしまった」 彼の肩が、小刻みに震えている。 自分が築き上げた会社を失うことよりも、全財産を失うことよりも。ただ、私に約束した「帰る場所」を守れなかったことが、彼を最も深く傷つけているのだ。 私はゆっくりと立ち上がり、彼に近づいた。 その震える背中に腕を回し、そっと抱きしめる。 ワイシ
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第209話 銀行頭取の復讐③

  ジリリリリリリッ! リビングの隅に置かれた固定電話が、突如としてけたたましい音を立てた。 普段、誰もかけてくることのない番号。 その暴力的な着信音は、まるで私たちの僅かな安らぎを引き裂くように鳴り響く。 征也はゆっくりと立ち上がり、電話機へと歩み寄った。 受話器を取り上げ、スピーカーのボタンを押す。「……天道だ」『おはよう、天道社長。……今日の朝日は、さぞかし格別だろうね』 スピーカーから流れ出たのは、爬虫類のように冷たく、粘り気のある声だった。 神宮寺頭取。 蒼くんの父親であり、今、私たちを奈落の底へ突き落としている張本人。「神宮寺……。何の用だ。わざわざ嫌味を言うために電話してきたのか」『嫌味? とんでもない。これは親切心からの忠告だよ』 電話の向こうで、氷がグラスに当たるような、カラリとした音が聞こえた。『君は優秀な若者だった。……だが、私の息子を陥れ、刑務所送りにした罪は重い。あれは神宮寺家の恥だ。……その代償は、君の人生すべてをもって支払ってもらう』「蒼の自業自得だ。お前が息子を甘やかして育てた結果だろうが」『口の減らない男だ。……だが、それも今日までだよ』 頭取の声が、一段と低く、そして愉悦に満ちたものに変わった。『君の口座は一円残らず凍結された。クレジットカードも止まり、住む家も追われる。……君は今日から、文字通りの無一文だ』「……」『どうだね? すべてを失った気分は。……君が大事に囲い込んでいる、月島の娘はまだそこにいるのかな?』 私の名前が出た瞬間、征也の顔から表情が消え、絶対零度の殺気が全身から立ち昇った。『金も、権力も、住む家さえも失った男に……果たして、女がついてくるかな?
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第210話 銀行頭取の復讐④

 彼は私の肩を両手で掴み、真っ直ぐに私の目を見た。 その手は、冷たく、そしてどこか頼りなかった。「今日中に、このマンションを出なければならない。……だが、俺の行く先は、お前を安全に住まわせられるような場所じゃない」「え……?」「俺は、これから泥の中を這いずり回って、神宮寺を潰す方法を探す。……だが、お前を巻き込むわけにはいかない」 彼の言いたいことが、嫌というほど分かってしまった。 数時間前、テレビの前で「一緒に戦う」と誓い合ったはずなのに。 現実の残酷さを前にして、彼はまた、自分一人で全てを背負い込もうとしているのだ。「……お前だけでも、逃げろ」 その一言が、静かなリビングに重く落ちた。「俺の知り合いに頼んで、安全なホテルを手配する。お前の母親のいる病院の近くがいいだろう。……費用はどうにかして捻出する。だから、お前はそこで……」「嫌よ」 私は彼の言葉を、冷たく、そして力強く遮った。「……莉子、我が儘を言っている場合じゃない。お前のお腹には……」「あなたこそ、我が儘を言わないで」 私は彼の腕を振り払い、一歩後ずさった。 怒りではない。 この期に及んで、まだ私を「守られるだけの弱い存在」として扱おうとする彼に対する、呆れと、どうしようもない愛おしさだった。「……私を、誰だと思っているの」 私は彼を真っ直ぐに見据え、言い放った。「私は、あなたが金で買った『プロの家政婦』よ。……どんなに汚れた場所だって、どんなに狭い部屋だって、ピカピカに磨き上げて、快適な空間にしてみせるわ」「だが……!」「それに、私はあなたの妻よ」 私は自分のお腹に手を当て、彼に向かって一歩踏み出した。「病める
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