Tous les chapitres de : Chapitre 321 - Chapitre 330

330

スピンオフ第33話:留守番パパの受難③

 白い紙が、まるで吹雪のように宙を舞い、ラグの上へと次々に降り積もっていく。 一枚、また一枚。 引き抜くたびに、陽向は「キャッキャッ」と楽しそうに笑い声を上げている。「おい、待て! それはおもちゃではない!」 征也は慌ててソファから立ち上がり、陽向の元へと駆け寄った。 しかし、彼の手が届くよりも早く、陽向はティッシュ箱をひっくり返し、残っていた束を丸ごとラグの上にぶちまけた。 白くこんもりと積もったティッシュの山。 陽向はその上にダイブし、両手で紙をくしゃくしゃに丸め始めた。「……もったいない。それに、破れた破片を口に入れたらどうする」 征也は深いため息をつきながら、散乱したティッシュを拾い集めようと身をかがめた。 その隙を突いて、陽向が四つん這いになり、猛烈なスピードでハイハイを開始した。 目標は、テレビボードの引き出し。「あーっ!」 陽向は引き出しの取っ手に手をかけ、体重を後ろにかけて力任せに引っ張った。 ガラッという音と共に、引き出しが勢いよく開く。 中に入っていたDVDのケースや、リモコン、各種のケーブル類が、次々と床に放り投げられていく。 ガチャン、ゴトッ、という鈍い音がリビングに響き渡る。「おい! それは精密機器だ! 投げるな!」 征也は拾いかけたティッシュを放り出し、今度はテレビボードの方へと走る。 彼が散らばったケースを拾い、引き出しを閉めようとすると、陽向はその腕の下をぬるりとくぐり抜け、今度は窓際の観葉植物の鉢へと向かっていった。「だあっ! 土を触るな! 手が汚れるだろうが!」 鉢の黒い土を掘り返そうとする小さな手を、間一髪で掴む。 手首を握られた陽向は、一瞬きょとんとした後、顔を真っ赤にして泣き出した。「あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」「泣きたいのは俺の方だ。どうしてわざわざ危ないことばかりするんだ」 耳をつんざくような泣き声に耐えながら、征也は陽向を脇に抱え上げ、鉢から遠ざけた。 暴れる小さな身体。短い足が、征
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スピンオフ第34話:留守番パパの受難④

 たかが一歳半の子供一人。大の大人、しかも体力には絶対の自信がある自分が、なぜこんなにも息を切らしているのか。「……動きが早すぎる。それに、予想もつかない動きばかりだ。俺の計算がまったく通用しない」 ブツブツと呟きながら、陽向が麦茶を飲み終わるのを待つ。 マグマグをテーブルに置いた瞬間だった。 ぷりっ。 かすかな、しかし明確な破裂音が、陽向のお尻のあたりから聞こえた。 同時に、むわっとした特有の臭気が、鼻腔をかすめる。 征也の動きが、完全にフリーズした。「……おい。まさか」 陽向は、何事もなかったかのように「ん?」と首を傾げ、征也の顔を見上げている。 しかし、その匂いは急速に濃度を増し、疑いようのない事実を突きつけていた。「……最悪の事態だ」 征也の顔から、すっと血の気が引いていく。 オムツ替え自体は、これまで何度もやってきた。しかし、それは動き回るようになる前の、おとなしく仰向けになっていた時期の話だ。 最近の陽向は、オムツを替えようとすると、まるで命を狙われているかのように激しく抵抗し、寝返りを打って逃走を図る。 征也は陽向をラグの上の綺麗なスペースに寝かせ、オムツポーチから新しいオムツとおしりふきを取り出した。「いいか、陽向。動くなよ。これは俺とお前の環境を清潔に保つための、重要な任務だ」 ズボンのボタンを外し、引き下ろす。 オムツのテープに手をかけた瞬間、陽向が「きゃーっ!」と奇声を上げ、猛烈な勢いで体を捻った。「待て! 裏返るな! 中身が漏れるだろうが!」 征也は慌てて陽向の太ももを押さえつけるが、子供の関節は驚くほど柔らかく、ぬるりと手から抜け出していく。 仰向けに戻そうとすると、今度は両足をバタバタと激しく上下させ、征也の手を蹴り飛ばした。「痛っ……お前、どこでそんな足腰の強さを……」 格闘すること数分。 どうにかテープを外し
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スピンオフ第35話:留守番パパの受難⑤

「……よし、綺麗になった」 綺麗になったお尻に、新しいオムツを素早く滑り込ませる。 テープを左右均等に引っ張り、ビリッという音と共に固定する。 ギャザーがしっかりと立っているか確認し、ズボンを履かせる。「……どうにか、終わった」 征也はラグの上に仰向けに倒れ込んだ。 天井のシャンデリアが、ぐるぐると回っているように見える。 呼吸が荒い。心臓が早鐘のように打っている。 隣では、綺麗になってスッキリした陽向が、征也の顔を覗き込みながら「あー?」とよだれを垂らしていた。「……お前というやつは」 征也は大きな手を伸ばし、陽向の柔らかい頬を軽くつねった。「俺の体力をここまで削るとは、たいした男だ」 陽向はつねられたのが楽しかったのか、ケラケラと笑い、そのまま征也の胸の上にどすんと乗りかかってきた。 九キロの重みが、胃のあたりを圧迫する。「ぐっ……お腹に乗るな」 しかし、退かす気力はもう残っていなかった。 征也は目を閉じ、深く長い息を吐いた。 時計の針が、午後一時を回った。 本来なら、細かく刻んだうどんを昼食として与えなければならない時間だ。 だが、今はただ、このまぶたの重さに抗うことができなかった。 陽向もまた、ひとしきり暴れて体力を使い果たしたのか、征也の胸の上でコロンと丸くなり、小さなあくびを一つした。 一定のリズムで上下する、小さな背中。 首筋から漂う、ベビーパウダーと微かな汗の匂い。 征也の太い腕が、無意識に陽向の落ちそうな身体を支えるように回り込む。 秋の午後の日差しが、散らかり放題のリビングを暖かく照らし出していた。 引き出しから飛び出したDVDケース。 雪のように降り積もったティッシュ。 そんな惨状の真ん中で、大きな男と小さな男は、重なり合うようにして泥のような眠りへと落ちていった。 ◇ ガチャッ
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スピンオフ第36話:留守番パパの受難⑥

 その彼のお腹の上で、陽向がうつ伏せになり、口を半開きにして爆睡していた。 スースーという小さな寝息と、低く重いイビキが、見事な和音を奏でている。 私は持っていたバッグをそっとソファに置き、足音を立てないように二人の元へと近づいた。 征也の顔を覗き込む。 いつもは冷徹に引き締まっている眉間が、今は完全に緩みきっている。目の下にはうっすらとクマが浮かび、口の端が少しだけ開いていた。 どれだけ壮絶な戦いがあったのか、部屋の惨状と彼の顔を見れば一目瞭然だった。 私は思わず、小さく吹き出してしまった。 笑い声を殺すために、急いで口元を両手で覆う。「……ん」 私の気配を感じたのか、征也の長いまつ毛が震え、ゆっくりとまぶたが持ち上がった。 焦点の定まらない黒い瞳が、しばらく宙を彷徨った後、私を捉える。「……莉子」 掠れた、ひどく低い声。「おかえり。……美容院は、終わったのか」「ええ。ついさっきね」 私は床にしゃがみ込み、彼を見下ろした。 シャンプーの甘い香りと、新しく当てたパーマの薬品の匂いが、私の髪からふわりと落ちる。 征也はゆっくりと鼻から息を吸い込み、少しだけ眉を寄せた。「……いい匂いだ。花の匂いがする」「でしょ。少しだけ短くしたの」「……ああ。似合っている」 彼は重い腕を持ち上げようとしたが、途中で力尽きたように床に落とした。「……すまない。昼食のうどん、まだ作っていない」「いいわよ。陽向も寝てるみたいだし」「……ティッシュは、後で拾う」「わかってるわよ」 私は彼のお腹の上で眠る陽向の背中を、そっと撫でた。 そして、陽向を支えている彼の大きな手の上に、自分の手を重ねる。 彼の指先は少し冷たくなっていたが、手のひらには微かな汗の湿り気が残ってい
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スピンオフ第37話:大人気ない嫉妬と夜の報復①

 凍てつくような北風が、分厚い窓ガラスの向こうでヒューヒューと低く唸り声を上げている。 完全に日が落ちた冬の夜。 設定温度高めの床暖房が効いたリビングは、外の刺すような寒さが嘘のように暖かく、ひっそりと静まり返っていた。 ローテーブルの横に散乱していたカラフルなブロックを、一つ一つプラスチックの箱に放り込んでいく。カチャ、コトッ、という乾いた音が、微かなエアコンの稼働音しかしない空間に吸い込まれていった。 最後の一つ、黄色い四角いブロックを拾い上げ、箱の蓋を閉める。 ふう、と短く息を吐いて立ち上がると、腰の関節が小さく軋むのを感じた。 二歳になった陽向は、ここ数ヶ月で「イヤイヤ期」という理不尽の極みのようなフェーズに突入している。 自我の芽生えと言えば聞こえはいいが、要するに何を言っても「イヤ!」と反り返り、全身のバネを使って暴れ回る小さな怪獣だ。 今日の夕飯時も凄まじかった。フォークの色が気に入らないと泣き叫び、ようやく食べ始めたと思ったら、今度は茹でたブロッコリーを床に向かって剛速球で投げつけた。それを拾い、宥めすかし、お風呂場へ連行し、格闘技のようにパジャマを着せるだけで、私の体力ゲージは完全に底をついていた。 寝かしつけにもたっぷり一時間半。 ようやく訪れた、夜の二十三時。 鉛のように重い身体を引きずり、温かいカモミールティーでも淹れようとキッチンへ向かって廊下を曲がった、その時だった。「……遅い」 薄暗いキッチンカウンターの奥から、低く、少し掠れた声が降ってきた。 ビクッと肩が跳ねる。 シンクの上のペンダントライトだけがぼんやりと点灯している空間に、大きな影が寄りかかっていた。 征也だ。 すでに風呂を済ませているのか、黒の薄手のシルク製ルームウェアを身にまとっている。少し湿り気を帯びた黒髪が額にかかり、その下から覗く双眸が、じっとこちらを見据えていた。 大理石のカウンターの上には、湯気を立てているマグカップが二つ並んでいる。 彼が、私のためにお茶を淹れて待っていたらしい。「&hellip
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スピンオフ第38話:大人気ない嫉妬と夜の報復②

 何百億という資本を動かす巨大企業のトップが、深夜のキッチンで本気のトーンでクレームをつけてきている。「……今日の夕食時」 征也は低く滑らかな声で、まるで重要なプレゼンを行うかのように語り始めた。「お前は陽向の口元についたトマトソースを拭くことに没頭し、自分の皿の上の料理にはほとんど手をつけていなかった。俺が『冷めるぞ』と声をかけたのに、お前は『後で食べるから』と一度も俺と目を合わせなかった」「それは……陽向がまたブロッコリーを投げそうだったから、目が離せなくて」「さらに、さっきの風呂上がりだ。陽向の頭をタオルで拭きながら、お前はあの子の頬に、何度もキスをしていたな」「……」 私は言葉に詰まった。「あれは……お風呂で泣かなかったご褒美というか、ただのスキンシップよ」「俺に対するスキンシップは、ここ数日、極端に減少しているが?」 真顔でとんでもないことを言い出す彼に、私は思わず瞬きを繰り返した。 かつての冷酷無比なCEOが、自分の息子相手に本気で嫉妬し、拗ねている。しかも、そのクレームの裏には「私がご飯を食べていないこと」への不器用な心配まで透けて見えていて、その事実があまりにも滑稽で、同時に、どうしようもなく愛おしかった。 笑いをこらえようと唇を噛むと、彼は私が笑っていることに気づき、さらに眉間を深く寄せた。「笑い事ではない。俺はお前という存在を、誰かとシェアするつもりはない。たとえそれが、俺たちの息子であろうとな」「二歳児相手に、本気で張り合わないでよ。大人げないわよ」「お前が俺を見ないからだろう」 低く、少しだけ拗ねたような響きが混じった声。 その不意の弱音に、私の心臓が小さく跳ねた。 彼が一歩、距離を詰めてくる。 私の背中が、冷たい大理石のカウンターにぶつかった。 逃げ道を塞ぐように、彼の両手が私の腰の横のカウンターにドン、と置かれる。 至近距離。 彼の大きな身体が、キッチンのペンダン
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スピンオフ第39話:大人気ない嫉妬と夜の報復③

 跳ね返るスプリングの反動。 身を起こそうとした瞬間、大きな影が上から覆い被さってきた。「……っ」 両手首を頭上に縫い付けられ、シーツに沈み込む。 強く押さえつけられているわけではないのに、彼の手のひらの重みと熱さだけで、指先一つ動かすことができない。 私の足の間に彼の膝が割り込み、逃げ道を完全に塞がれた。 間接照明の光を背に受けた彼の瞳は、暗くねっとりとした熱を帯びて、私だけを真っ直ぐに捉えていた。「……征也」「声を出すなよ。……陽向が起きるかもしれないからな」 意地悪く囁く彼の声が、耳たぶを震わせる。 防音室だから泣き声以外は聞こえないはずなのに、その言葉だけで、私の背筋にゾクゾクとした緊張感が走った。 彼の手が手首への拘束を解き、私の着ていたニットの裾へと滑り込む。 冬の冷たい空気とは裏腹に、彼の手のひらは火傷しそうなほど熱かった。その熱い手が、素肌の起伏をなぞりながらゆっくりと上へと這い上がってくる。「……ひゃっ」 肋骨をなぞり、背中へと回された長い指が、ブラジャーのホックを外す。 布越しではなく、直接肌に触れる硬い指の腹。 少しだけざらついた親指が、背骨のラインをなぞるように滑り、その度に微かな痺れが全身に広がっていく。 彼がニットを頭から引き抜くと、冷たい空気が素肌を刺した。 しかし、寒さを感じる暇はなかった。 彼自身のシルクのルームウェアが脱ぎ捨てられ、むき出しになった分厚い胸板が、私の肌に直接押し付けられたからだ。 肌と肌が密着する。 彼の圧倒的な体温が、私の疲れ切った身体を芯から溶かしていく。「……莉子」 名前を呼ばれると同時に、唇が塞がれた。 先ほどの首筋へのキスとは違う、深く、息の詰まるような口づけ。 少しだけ強引に唇をこじ開けられ、熱い吐息が流れ込んでくる。顔を逸らそうとしても、彼の大きな手が私の後頭部を
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スピンオフ第40話:大人気ない嫉妬と夜の報復④

 真っ直ぐに絡みつく視線。 その奥底には、隠しきれない独占欲と、私を完全に自分だけのものにしたいという圧倒的な渇望が渦巻いていた。 彼の手が私の腰からお尻へと下がり、パジャマのズボンごと強く揉みしだく。 そのまま指先が内側の柔らかな肌へと侵入し、熱を確かめるようになぞられた。「……こんなに熱くして。俺を待っていたのか」「ちが……っ、あなたが……いじわる、するから……っ」「言い訳は聞かない。……罰だと言ったはずだ」 深いキスが再び落ちてくる。 今度は優しく、甘く、とろけるような口づけ。 彼の指先が、私の最も敏感な熱を的確に撫で上げる。 直接的な行為でなくても、彼の体温、匂い、重さ、そして耳元で囁かれる低い声のすべてが、私の理性を完全に溶かしていく。「ぁ……っ、せいや……っ」 彼の名をつぶやくと、彼は満足げに目を細め、さらに深く私を抱きしめた。 肌と肌が擦れ合う微かな音と、熱を帯びた吐息だけが、オレンジ色の光に包まれた寝室を満たしていく。 ベッドのスプリングが軋む。 彼が与える熱の波に飲み込まれ、私はただ、その波に身を委ねるしかなかった。 視界が白く明滅し、甘い痺れが指先からつま先までを貫いていく。 息ができないほどの圧倒的な熱。 彼にすべてを明け渡し、完全に溶け合っていく感覚。「……っ、りこ……っ」 耳元で名前を呼ばれる声と同時に、私の中で最も強い波が弾けた。 全身が震え、彼にしがみつく腕に力が入る。 彼もまた深く息を吐き出し、私を包み込むように強く抱きしめた。 ドクドクと脈打つ彼の鼓動が、密着した胸を通して直接伝わってくる。 息が詰まるほどの解放感と、熱。 私たちは固く抱き合ったまま、しばらく動くことができなかった。
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スピンオフ第41話:息子からの「ママと結婚する」宣言①

 ふわりと、少しだけ湿り気を帯びた春の風が、リビングの白いレースカーテンを大きく揺らした。 開け放たれた窓の向こうから、どこかの家の庭先に咲く沈丁花の甘い香りが、かすかに流れ込んでくる。 陽光はすでに冬の鋭さを失い、床の無垢材の上に柔らかく四角い光の模様を落としていた。 ぽかぽかとした、まどろむような昼下がり。 私はソファの足元に敷かれた厚手のラグの上にペタンと座り、目の前で広げられている色鮮やかな絵本を見つめていた。「ママ、これ、なに?」 隣にぴったりとくっついて座っている小さな熱源が、短い指先で絵本のページの一部をトントンと叩いた。 二歳半になった陽向だ。 ここ数ヶ月の間に、陽向の言葉は驚くほどのスピードで増えていた。単語の羅列から、「ママ、これ、おいしい」といった二語文、三語文へと移行し、今ではすっかり一丁前に会話のキャッチボールができるようになっている。 その分、「なぜ?」「これは?」という質問攻めの日々が始まり、私の頭の中は常にフル稼働を強いられていた。「ん? これはね、馬車よ。お姫様が乗る、車みたいなもの」「ばしゃ。おひめさま」「そうそう。それでね、王子様がお姫様を迎えに来て……」 私がゆっくりとページをめくると、厚みのある紙が擦れるカサッという音がした。 見開きのページには、美しいドレスを着たお姫様と、王冠を被った王子様が手を取り合い、たくさんの人々に祝福されている場面が描かれている。 陽向は、くりくりとした大きな目をさらに丸くして、その絵に釘付けになっていた。「ママ、これ、なにしてるの?」「これはね、『結婚』してるのよ」「けっこん?」「そう。大好きな人と、ずっと一緒にいますって、みんなにお約束することよ。それで、ふたりはずーっと幸せに暮らしましたとさ。おしまい」 私が絵本をパタンと閉じると、陽向は少しだけ小首を傾げ、何かを真剣に考えているように眉間に小さなしわを寄せた。 その表情が、父親である征也の難しい顔をした時にそっくりで、私は思わず口元をほころばせた。
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スピンオフ第42話:息子からの「ママと結婚する」宣言②

 背後から、地を這うような低く冷ややかな声が落ちてきた。 ビクッと肩が跳ねる。 振り返ると、リビングと廊下を繋ぐドアの枠に寄りかかるようにして、大きな影が立っていた。 征也だ。 今日は午後からリモート会議だと聞いていたが、いつの間にか書斎から出てきていたらしい。春らしい薄手のネイビーのニットに、グレーのスラックスというラフな出で立ちだが、その顔には、かつてライバル企業を容赦なくねじ伏せていた頃の「氷のCEO」の冷徹さが、なぜかひっそりと張り付いていた。 彼の右手には、空になったお気に入りのチタン製マグカップが握られている。「……えっと。征也、いつからそこに……」「『ずっと一緒にいますって、みんなにお約束することよ』のあたりからだ」 ほぼ最初からじゃない。 彼はゆっくりと歩み寄り、ローテーブルの上にコツンと音を立ててマグカップを置いた。 そのまま、ソファの端にドカッと腰を下ろす。長い足を組み、腕組みをして、私の膝の上にいる陽向を真っ直ぐに見据えた。「いいか、陽向。お前は今、俺にとって非常に聞き捨てならないことを言った」「きき……?」 陽向は私の首にしがみついたまま、不思議そうに瞬きをした。「そうだ。莉子は俺の妻だ。俺が誰よりも先に、莉子と『ずっと一緒にいる』と約束をしたんだ。だから、お前とは結婚できない」「……ちょっと、征也。相手は二歳半よ? そんな真面目に……」「真面目な話だ。事実を正確に伝えるのが親の義務だろう」 真顔でとんでもない理屈をこね回す彼に、私は呆れてため息をついた。 しかし、当の陽向は、父親の難しい言葉の意味は分からなくとも、その「拒絶」の空気だけは敏感に感じ取ったらしい。 陽向は私の胸元から顔を上げ、征也に向かって小さな人差し指をビシッと突きつけた。「だめ! ひなた、ママとけっこんするの!」「だから無理だと言っている。莉子は俺の妻だ。俺のものだ」「
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