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第31話

尚子は汚い言葉を吐き捨てた。「なんて性根の腐った女なんだ。私のベッドも、シルクのシーツも台無しになっちゃった。あのあばずれめ。来希、今回ばかりは絶対に許してはいけないよ」二人の女の泣き声に、来希は苛立ちを募らせた。「泣くのはやめろ」その一言で、尚子と怜は静まり返った。しばらくして、怜が恐る恐る口を開いた。「兄さん、これからどうするの?」「どうするもこうもない、まずはホテルに行く」この家は便座まで取り外されている。これではとても住めたものじゃない。ガランとした部屋を眺め、来希はようやく悟った。どうやら今回、萌花は本気のようだ。もしはなのことで妥協しなければ、彼女は本当に離婚するつもりなのだ。萌花につきまとわれて十年、来希は初めて危機感を覚えた。一方その頃。萌花は親友の小春と和食レストランで夕食を共にしている。小春は丸一日働きづめで、仕事の愚痴をこぼしている。「聞いてよ、昨日先輩に押し付けられた客がすっごく厄介でさ。徹夜で残業させられて、もう体がボロボロだよ」小春は焼き魚定食を勢いよくかき込みながらも、萌花への気遣いを忘れなかった。「そういえば、昨日の夜はどうやって帰ったの?」小春は昨日ずっと残業でアパートに帰っていなかったため、当然ながら萌花も帰宅していないことを知らない。萌花は一瞬、どう切り出すべきか迷った。「小春、私、再婚したの」その言葉を聞いた瞬間、小春の動きが止まった。そして顔を上げ、怒りを露わにして萌花を睨みつけた。「あの幸田とよりを戻したの?萌花、いい加減しっかりしなさいよ!」口に含んでいたご飯が勢いよく飛び、萌花の服にかかった。萌花は嫌な顔一つせず、ティッシュでそれを拭き取った。小春は顔を真っ赤にして怒り、頬をふぐのように膨らませている。「彼じゃないわ」小春は驚いた表情を浮かべた。「じゃあ、相手は誰?」「時雄よ」その名前が出た瞬間、小春は卵が丸ごと入りそうなほど大きく口を開けた。折悪しく、その時萌花のスマホが鳴った。見知らぬ番号だったが、市外局番は海城ノ浦のものだ。彼女は電話に出ると、淡々とした口調で尋ねた。「どちら様ですか?」一瞬の沈黙の後、電話の向こうからからかうような声が聞こえてきた。「どうやら小林夫人は、新しい夫のことをもうお忘れのよう
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第32話

そこで、萌花はバッグを手に取って立ち上がった。「小春、先に帰るね。後で説明するから」萌花の車は、すぐに白蘭邸に到着した。屋敷全体が明るく照らされている。執事がにこやかに小走りで近づいてきて、車のドアを開けた。「奥様、お帰りなさいませ」萌花は驚きの表情を浮かべた。「私のことを知っているの?」「もちろんでございます。若様の寝室の壁には、もう十年も前から奥様のお写真が飾られておりますから。今日ようやくご本人にお目にかかれましたが、お写真同様、大変お美しいですね」「写真って?」萌花は訳が分からなかった。執事は説明せず、「中へ入れば分かりますよ」とだけ言った。家に入ると、家政婦の佳代が駆け寄ってきた。「奥様、やっと戻られたんですね!若様がどうしても自分で料理すると言い張って、今にも台所を爆発させそうなんです。早く止めてやってください!」萌花は、初対面なのに馴れ馴れしい佳代に構っている余裕もなく、彼女の案内で台所へと向かった。台所についた先、そこは黒煙に包まれ、パチパチと何かが弾ける音が響いている。時雄が煙の中で咳き込みながら、フライパン返しを動かしている。「何してるの?」萌花は思わず声を上げた。時雄は振り返り、萌花の姿を認めると、その顔に喜びの色が浮かんだ。火の柱が天井まで届きそうなのを見て、萌花は慌ててコンロの火をすべて止めた。鍋の中の黒焦げの物体を見て、萌花は眉をひそめた。「何これ?新型の固形燃料でも開発してるの?」時雄の顔に珍しく気まずそうな色が浮かんだ。「キャラメルナッツを作ろうと思ったんだ。昔、好きだっただろ」萌花はふと、何年も前のことを思い出した。あれは一緒に林間学校に参加した時のことだ。閉鎖的な環境での訓練で、条件も厳しく、お菓子はすべて没収されていた。萌花はあの時どうしても甘いものが食べたくなり、担任の部屋から胡桃を盗み出して、自分たちで火をおこし、砂糖を入れてキャラメルナッツを作ったのだ。その後、事が露見してしまい、雪の中で罰走をさせられた。それ以来、萌花の名は合宿所で伝説となった。十年前の自分は、怖いもの知らずのいたずらっ子だった。萌花は疑わしげな目で彼を見つめた。「そんなこと、よく覚えてるわね」「忘れられるわけないだろう。君が走っている間、僕は合宿所からず
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第33話

佳代はまるで意に介さず、相変わらず萌花の腕を引いては、途切れることなく話し続けていた。しびれを切らした時雄は、そのまま萌花の手を取ると、有無を言わせず外へ連れ出した。長い廊下を抜け、階段を上り、最後に一つの部屋の前で足を止めた。萌花は、時雄にしっかりと包まれている自分の手を見つめ、ふと意識が遠のいた。本来、見知らぬ相手に触れられることが苦手だった。来希という人間の本性をはっきり見抜いてからは、彼に対して生理的な嫌悪感すら覚えるようになった。このところ、来希が二メートル以内に近づくだけで、理由もなく胸の奥がざわついた。けれど今、時雄に腕を掴まれていても、不快に感じることはまったくない。侵されているという感覚も、嫌悪感もない。それどころか、彼の気配は澄んでいて、手のひらは驚くほど温かいと感じている。立ち止まった時雄は、視線の端で萌花の表情をうかがう。彼女は二人の重なった手をぼんやり見つめているだけで、拒む様子はない。その瞬間、彼は迷いなく指を絡めた。そこでようやく、萌花は我に返り、慌てて彼の手から自分の手を引き抜いた。「時雄、何してるの?」「調子に乗ってるだけ。手を繋いでビンタされなかったら、次に行きたくなるに決まってるだろ?」あまりに率直な物言いに、萌花は言葉を失った。彼女はわざと手を上げた。「じゃあ、今から叩くわ」時雄は慌ててドアを開け、部屋の中へ逃げ込む。「助けてくれ!亭主殺しだ!」そんなじゃれ合いのまま、二人は部屋に入った。萌花は、ベッドの向かいの壁に掛けられた巨大な額縁を目にした瞬間、足を止めた。壁に飾られている一枚の写真が目に入った。そこには、十年前の萌花と時雄――まだ少年少女だった二人が、肩を並べて写っていた。二人で大会に出場し、チーム優勝を果たしたときの記念写真だった。トロフィーを胸に抱え、表彰台に立つ二人の背後では、花火と紙吹雪が舞っている。まさに、若さと誇りに満ちた瞬間だった。萌花は、しばらく言葉を失った。若き日の記憶が、堰を切ったように押し寄せてくる。食事、洗い物、終わりのない生活の雑事に追われ、かつて胸を焦がした情熱や栄光を、いつの間にか忘れていた。写真の中の少女が、時を越えてこちらを見つめ、まるで自分の選択を嘲笑っているように感じられ
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第34話

「僕の番号、ちゃんと登録してあるか確認させて」 時雄から電話がきた直後、萌花はついでにその連絡先を追加した。 しかし、画面を見た時雄はぐっと眉根を寄せて、そのまま鮮やかな手つきでスマホを操作し始めた。 数秒後、ようやくスマホを萌花に返した。 彼はわずかに眉を上げ、口角を上げて微笑んだ。「おやすみ、奥さん」 そう言い残して、時雄は萌花の部屋を後にした。 萌花はどこか腑に落ちない感覚を覚え、手元のスマホを覗き込む。もともと彼の名前で登録したはずの連絡先が、いつの間にか「ダーリン」に書き換えられた。 なぜだか、萌花は思わず吹き出してしまう。 だが直後、見慣れない「アホ」という名前の連絡先が増えていることに気づいた。 そんな人物を登録した覚えは全くない。 ちょうどその時、その「アホ」から着信が入ってきて、萌花は好奇心に駆られ、そのまま電話に出た。 「萌花、ようやく電話に出る気になったか」 電話の向こうから聞こえてきたのは、来希の声だ。その声が低く、明らかに怒りを押し殺しているような気がした。 来希の声を聞いた瞬間、萌花の脳裏に浮かんだのは、時雄が書き換えたあの「アホ」という名前だ。 彼女は思わず口元を緩め、小さく呟いた。「子供っぽいんだから」 電話越しの来希には言葉までは聞き取れなかったが、彼女の声に含まれた笑みの気配ははっきりと伝わった。 「萌花、お前よく笑っていられるな!俺たちが今どこから電話しているか分かっているのか?みんなホテル暮らしを余儀なくされているんだぞ!」 「それが私と何の関係があるの?」 「お前が勝手に家を売り払ったりしなければ、こんなことにはなっていなかっただろ!」 「あの家は私の結婚前からの資産よ。売るも売らないもこっちの自由でしょ」 「萌花……お前、どうしてそんなに勝手な行動ができるんだ!」 ブツッ。 萌花はそのまま通話を切り、ついでに電源も落とした。 一方、ツーツーという無機質な音を聞きながら、来希は怒りに震えていた。 ソファに座って会話を盗み聞きしていた尚子も、怒りのあまり自分の膝を激しく叩いた。 「来希、あんな女とはもう離婚しなさい!痛い目を見ないと分からないなんて、何様のつもりかしら。この機会に別れてしまいなさい。私は、はなの方がよっぽどあ
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第35話

「小春さん、あなたは弁護士なら、もっと言葉を慎むべきじゃないか。萌花と長年付き合って、結婚して三年、ずっとお互いを尊重してきたし、家庭もいつだって円満だった。俺がいつ彼女をATM扱いした?むしろ、彼女が今食べているものや着ているものは、どれ一つとして俺の金で買ったものだよ」小春はあまりの言い草に、呆れて笑うしかない。「萌花のような稀代の天才エンジニアが、あなたのために家事や些細な日常の雑事に縛り付けられていたこと、少しも感謝していないのね。養ってやっていたとさえ思っているなんて。じゃあ聞くけど、もし彼女があなたと結婚していなかったら、今頃彼女は食べ物や服すら買えないとでも?」来希の表情が強張った。「それは全部、彼女が望んでやったことだ。俺は一度だって強制したことはない」「ええ、強制はしてないでしょうね。ただ彼女に見る目がなかっただけ。その代償はもう払ったわ」来希は不機嫌そうな顔をしたが、それでも尊大な態度は崩さなかった。「小春さんは独身だから分からないかもしれないが、夫婦喧嘩なんてよくあることだ。今回の家出だって、言ってみれば夫婦間のちょっとしたスパイスみたいなものだよ。俺が迎えに来て機嫌を取ってくれるのを待っているだけなんだ。もし彼女を冷遇していたら、あんなにわがままになるはずがないだろう?」小春は今度こそ本気で吹き出した。「離婚も夫婦間のスパイスだって?」「小春さん、そんなに俺と萌花を離婚させたいのか?昔から人の仲を裂くのは寺を焼くより罪深いと言うじゃないか。萌花とは今離婚調停の段階にあるけど、はっきり言っておこう。俺は離婚する気はない。今日ここへ来たのも、彼女とよりを戻すためだ。小春さんは彼女の親友なんだから、協力してくれとは言えないが、少なくとも俺たちの仲を壊すような真似はしないでほしいんだ」ここまで聞いて、小春の表情が変わった。こいつ、まさかまだ離婚が成立していないと思っているの?離婚届にサインした時点で、離婚は成立したのだ。来希はまだ調停中だと思い込んでいるらしい。萌花も彼に伝えていないのだろうか。それに、萌花がすでに電撃再婚したことなど、知る由もないだろう。萌花が言わないなら、自分がわざわざ教えてやる義理もない。それに、いつか来希が真実を知った時の顔が見てみたいものだ。自分と萌花はずっ
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第36話

そのコードは、今もなお国立博物館に収蔵されている。だが、約三年前、シャドウはテック業界から突然と姿を消した。今や、彼女と連絡を取れる者は一人もいない。これこそが来希を最も悩ませている問題だ。DSPSの特許利用期限はわずか三年。上場を果たすためには、期限が切れる前にシャドウを見つけ出し、契約を更新しなければならない。入り口で物音がし、来希は顔を上げた。萌花が入ってくるのを見て、彼の瞳に真っ先に浮かんだのは怒りの色だ。最近の彼女のわがままな振る舞いのせいで、仕事は立ち行かず、家もめちゃくちゃになった。だが、彼は込み上げる怒りを押し殺し、努めて冷静さを保った。それどころか、口元に無理やり笑みさえ浮かべてみせた。彼は立ち上がり、嬉しそうなふりをして声をかけた。「萌花、すぐに来てくれると信じていたよ」その声には、いくぶんか優しさが込められている。しかし、萌花の返答は冷淡そのものだった。「用件は何?」来希は、彼女のあまりの冷たさに驚きを隠せなかった。今回ばかりは、相当機嫌を損ねているらしい。彼は立ち上がり、萌花のそばへ歩み寄り、その手を取ろうとしたが、萌花にひらりとかわされる。来希の目に不快感が走ったが、それでも彼は言葉を続けた。「朝食を買ってきたんだ。お前の好物の鯛の雑炊だよ。食べながらゆっくり話そう」萌花は鼻で笑った。「それはあなたの好物でしょう。生臭いものが苦手だってずっと言っているはずだけど」その言葉に、来希は虚を突かれた。結婚してからの数年間、萌花が作る朝食にはよく鯛の雑炊が出てきた。だから彼は、てっきり彼女の大好物なのだと思い込んでいたのだ。「……すまない、勘違いだった。何が食べたい? 今から食べに行こう。老舗のパン屋とかどう?」萌花の声は、相変わらず突き放すようだった。「もう食べてきたわ。話があるならここで手短に済ませて」来希は気まずそうに鼻を擦り、本題に入った。「実は、新しい家のことで相談したいんだ。お母さんも怜も、今の仮住まいでは窮屈そうでな。早急に新しい家を決めてやりたいんだ。知っているだろう。以前から気に入った高級住宅街の邸宅があって、昨日、内覧に行ってきたんだが、やはりあそこが一番いい。ただ、少し値段が張るんだ……」萌花は冷ややかな目で彼を見つめた。「それで?」
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第37話

「あの家、12億円でしか売れなかったの。それじゃ足りないでしょう?」萌花がそう告げると、来希の目が鋭く光り、声が一気に冷え込んで、反射的に言葉が漏れた。「時価16億円の家を12億円で売るなんて、お前は本当に……」言いかけたところで、萌花の氷のように冷ややかな視線に気づき、彼は慌てて言葉を飲み込んだ。内心では激しい怒りと惜しさが渦巻いていたが、最後には諦めたように溜息をついた。「12億円ならそれでいい。まずは頭金にして、上場してから残りを払えばいいさ」来希の目には、萌花がすでに別荘を買うことを承諾したように映っていた。これまでの経験上、彼女が明確に拒絶しないのは、イエスと言っているのと同じだったからだ。すっかり安心した来希は、埋め合わせに食事でも誘おうかと考えたが、タイミング悪くも電話がかかってきた。来希はスマホの画面を確認し、萌花の顔を一度見てから、逃げるようにオフィスのバルコニーへ出て電話に出た。「来希さん、早く来て!赤ちゃんが大変なの……」電話の向こうで、はなが今にも消え入りそうな声で泣きじゃくっている。「……泣かないで、今すぐ行くから」バルコニーから入った来希は、萌花が冷めた表情で自分を凝視しているのに気づいた。彼は咄嗟に口実を作った。「急用ができた。一度会社に戻るよ」二、三歩歩き出すと、思い出したように振り返って釘を刺した。「今日中に、その十二億円を振り込んでおいてくれ。お母さんも怜も今、落ち着ける場所がないんだ。一刻も早く家を買わないと。そうすれば、お前も早く家に帰ってこられるだろう?」そう言い残すと、来希は足早に去っていった。萌花は静かな眼差しでその背中を見送った。彼女には、今の電話がはなからのものだということは分かっている。だが、今の彼女の心には、もう何の痛みも走らなかった。来希が産後ケアセンターに到着すると、はなが小さな赤ん坊を抱き、止めどなく涙を流している。その姿に、来希の胸が痛み、愛おしさが込み上げた。彼は急いで駆け寄った。「はな、どうしたんだ?」はなは涙ながらに訴えた。「赤ちゃんが……さっき、ミルクを吐いたの」来希は絶句した。横にいるケアセンターのスタッフが口を開いた。「小林様にはご説明したのですが、赤ちゃんがミルクを吐くのはよくあることで、飲み過ぎ
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第38話

来希はためらいがちに言った。「いや、やめておこう。まだ産後の養生期間中だし、外出は無理だろ」「来希さん、家に閉じこもりきりで牢屋にいるみたいで嫌なの。ずっと外の空気を吸いたいと思ってて。それに怜から聞いたわ。狙ってるのは麗別荘の別荘なんでしょう?あそこなら私、詳しいの。知り合いに会えるかもしれないし、安くしてもらえるかもよ」そこで来希はふと思い出した。そういえば、はなの実家も麗別荘にあるはずだ。麗別荘には多くの別荘が点在しているが、立地や広さ、設備によって格差が激しい。例えばはなの実家は最高の一等地にあり、驚くほど広大だ。プライベートのゴルフ場まで完備されており、その価値は計り知れない。一方、来希が目をつけた物件は山麓に位置し、中心部からは離れている。価格はあのエリアでは破格の安さで、たったの20億円だ。とはいえ、麗別荘という住所は富裕層の証であり、上流階級のステータスであることに変わりはない。はなは本家の偽のお嬢様とはいえ、15年間もそこで蝶よ花よと育てられたのだ。コネはまだ残っているだろうし、本当に値引きしてもらえるかもしれない。「分かった。じゃあ、一緒に行こう」はなはウキウキしながら来希について外に出た。しかし、来希が乗ろうとしていたのは軽自動車だ。「来希さん、あのロールスロイスはどうしたの?」来希の顔に気まずさが走った。「二、三日前に追突されて、今修理に出してるんだ。これはうちの買い物用の車だよ」ロールスロイスの話になると、来希の腹の底に怒りが込み上げてきた。萌花への不満が、また一つ心に刻まれた。はなは心の中で舌打ちしたが、口ではこう言った。「可愛いけど、私のベンツで行ったほうがいいんじゃない?販売センターの人たちって人を見るから、この車じゃ敷地に入れてもらえないかも」はなの清純な笑顔を見て、来希は胸を打たれた。はなは萌花とは違う。今の萌花は金の亡者で、口を開けば金のことばかりだ。だがはなは、軽自動車すら嫌がらず、いつだって自分のことを考えてくれる。多少わがままなところはあるが、箱入り娘として育ったのだから当然だ。何より彼女は純粋で、心が美しい。そう思うと、来希の中で彼女への愛おしさが一層強まった。彼女は完璧だ。唯一の欠点は、あの子供だけ。とはいえ、あの子供の父親も只者で
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第39話

もちろん来希は一括で払うつもりだったが、萌花の手元には12億円しかない。そこで彼は言った。「頭金を入れてローンを組みます。ただ、頭金は6割入れましょう」とにかく萌花が家を売って作った金を先に使わせなければ。さもないと、彼女が何に使うか分かったものではない。最近、彼女は随分と変わった。金遣いも荒くなっている。マネージャーは頷いた。「少々お待ちください。経理担当をこちらに呼んでまいります」マネージャーが去った後、来希はソファに座り、銀行のアプリを開いた。萌花はもう12億円を振り込んだはずだ。そう確信してはいたが、なぜか胸の奥で微かな不安がざわついた。来希はまず自分の口座残高を確認することにした。残高を見た瞬間、彼の顔色は真っ青になった。口座には、たったの100万円しか入っていないのだ。つまり、萌花はまだ12億円を振り込んでいないということだ。来希は怒りと同時に、奇妙な違和感を覚えた。萌花は本来、何事もテキパキとこなすタイプだ。以前なら、彼が金を必要とすれば、少しほのめかすだけですぐに送金してくれた。一分の遅れもなく。学生時代から現在に至るまで、十年間その習慣は変わらなかった。だからこそ、彼はあれほど自信を持っていたのだ。今日はっきりと彼女に伝えたのだ。だから、彼女が法律事務所を出たら、脇目も振らずに銀行へ向かうとばかり思っていた。だが今、空っぽの口座残高を前にして、彼の心に恐怖が芽生え始めた。はなも彼の表情がおかしいことに気づいた。「来希さん、どうしたの?」来希は答えず、すぐに立ち上がって外へ出ると、萌花に電話をかけた。しかし、何度かけても繋がらない。まさか、何か急用ができて振り込みが遅れているだけだろうか?そうこうしているうちに、マネージャーが経理担当を連れて戻ってきて、来希は中に入るしかなかった。「幸田様、頭金のお支払いをお願いできますか?」あの12億円がなければ、彼の手元には4億円しかない。しかし彼はふと思い出した。以前入った会社の配当金4億円も、萌花の口座に入ったままだ。今日は使うこともないだろうと思い、自分の口座に移していなかったのだ。来希は口を開いた。「申し訳ないですが、資金の移動に少しトラブルがあって。こちらの最低頭金はいくらからいけますか?」マネージャ
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第40話

すぐに、来希の口座に2億円が入金された。支払いの手続き中、マネージャーが念を押した。「幸田様、これはあくまで手付金です。万が一、本契約に至らなかった場合、手付金は違約金として没収され、一切返金されません。本当によろしいですか?」来希は一瞬、迷いを見せた。その時、はなが口を挟んだ。「マネージャーさん、紹介し忘れてたわ。来希さんは幸林テクノロジーの社長なのよ」マネージャーの目の色がさっと変わった。「小林様、それを早くおっしゃってくださいよ。ただのご友人だとばかり……でも考えてみれば、小林様のご友人が一般の方であるはずがありませんね。余計な心配をしてしまいました」「幸田社長、大変失礼いたしました。どうかお気になさらないでください」マネージャーの態度は、より一層卑屈で愛想のいいものに変わった。こうなると来希は、見えない手に背中を押されているようで、サインせざるを得ない雰囲気に飲み込まれていった。もっとも、大した問題ではないと彼は思っていた。どうせこの家は買うつもりだったから、明日、萌花に急いで金を振り込ませれば済む話だ。結局、来希は契約書にサインをして支払いを済ませ、マネージャーの熱烈な見送りを受けながら販売センターを後にした。はなを産後ケアセンターに送り届けた後、来希はすぐに萌花のもとへ向かった。だが、萌花は法律事務所にはいない。小春に聞いても、頑として「居場所は知らない」の一点張りだ。萌花のスマホに何度かけても、繋がることはない。来希の胸の内では怒りの炎が燃え盛っているが、それをぶつける相手もいない。だが、まさか萌花がそのまま丸三日も行方をくらますとは、思いもしなかった。この三日間で、来希の感情は怒りから苛立ちへ、そして最終的には制御不能な恐怖へと変わっていった。萌花は一体どこへ行ったんだ?二日続けて小春の家を訪ねてみたが、萌花がそこにいる気配はない。萌花は、以前とはまるで別人のようになってしまったようだ。この二日間、数え切れないほどの電話をかけ、メッセージを送ったが、すべて梨のつぶてだった。なぜか心にぽっかりと穴が開いたような気がした。その穴の中を覗き込むのも怖くて、巨大な不安が胸に広がっていくばかりだ。萌花がいなくなることなど、これまで考えたこともなかった。もし、彼女が本気で離婚しようと
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