All Chapters of 義妹に溺れる彼を捨て、私は宿敵の妻となる: Chapter 31 - Chapter 40

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第31話

「そこまでして策略を巡らせるのも、結局は不破家に入りたい一心なんでしょう?」佳代子は軽く顎をしゃくり、さも自分たちこそが特権階級であるかのように見下ろしてくる。その鼻持ちならない傲慢さと自己陶酔ぶりは、吐き気を催すほどだ。蛙の子は蛙、ね……紫音は今更ながら納得した。清也のあの根拠のない自信と選民意識は、間違いなくこの母親譲りだ。それにしても、よくもまあ今まで猫を被っていたものだ。土壇場になってようやく、その醜悪な本性が露わになったというわけか。「清也があれほどあなたに執着しているんだもの、私が鬼姑になって仲を引き裂くのも野暮というものね。だから紫音、あなたがいい子にして、清也の会社をもう一度立て直す手助けをするなら……」「――もういいかしら。その口を閉じて」紫音は冷たく遮った。心の底からのうんざり感が込み上げてくる。一体どこからそんな自信が湧いてくるのだろう。自分の息子が誰からも愛される極上の男だとでも思っているのか?今の紫音にとって、清也など靴の裏にこびりついたガムと同じだ。不快で、粘着質で、一刻も早く取り除きたいだけの存在。「蘭、警備員を呼んで。この人をつまみ出しなさい」紫音は佳代子を無視し、オフィスの扉に手をかけようとした。だが次の瞬間、腕を乱暴に掴まれた。「逃げるの!?待ちあがれ!」佳代子は金切り声を上げ、紫音の腕に爪を立ててくる。「この汚いメギツネ!お前のせいで清也は大事なプロジェクトを失ったのよ!会社の損失も、家のゴタゴタも、全部あんたのせいじゃない!それなのに、このまま知らん顔で済むと思ったら大間違いよ!」「言いがかりも甚だしいわ。すべて清也の自業自得でしょう?」紫音は冷笑し、佳代子の手を容赦なく振り払った。「あんなにお気に入りの芙花ちゃんが側にいるじゃない。清也も彼女もお似合いよ。私などに構わず、どうぞお好きな者同士、仲良くやっていらしたら?」その言葉を聞いた佳代子は、はっと顔を上げた。ふん、やっぱり……心の中でほくそ笑む。紫音がこれほど怒り狂っているのは、結局のところ嫉妬しているからなのだ。『お似合いだ』などと突き放してみせても、本心では清也への未練を断ち切れず、芙花との関係にヤキモチを焼いているに過ぎない。ここまで大騒ぎするのも、周りを巻き込んで気を引こうとしているのも、すべては「もう一
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第32話

蘭が足早にオフィスに戻ってくるなり、顔をしかめて愚痴をこぼした。「紫音さん、不破家の人たち、どうかしてます。まるで正気じゃありませんよ。あんなにしつこく付き纏ってくるなんて、本当に鬱陶しい!」「ふふ、彼らがいい気になっていられるのも今のうちよ」紫音は可笑しそうに笑った。「清也のバカ、私が関係を絶つためにやってること、全部『自分の気を引くための駆け引き』だと本気で信じ込んでるのよ。どれだけ自分に都合のいい頭をしてるのかしらね」「本当ですよ!あんな最低なクズ男、紫音さんの足元にも及びません!」「もう、蘭ったら。でも、その言い回し、確かにしっくりくるわね」紫音が軽やかに笑うのを見て、蘭の顔がぱぁっと明るくなった。紫音がすでに完全に清也を吹っ切っていることを改めて確信し、心底ほっとしているようだった。紫音は腕時計に視線を落とした。「さて、仕事に戻るわ。もしまた面会だの何だのと騒ぐ人が来たら、適当にあしらって追い払っておいて」一方、不破家。佳代子が息巻いて帰宅すると、リビングのソファに清也が虚ろな目で座り込んでいた。まるで魂を抜かれたような有様だ。「清也、あなたどうしたの?」心配した佳代子が駆け寄ると、清也は力なく顔を上げた。「母さん……紫音は、本気で俺を捨てるつもりなのかな」「何言ってるのよ」「じゃなきゃ、どうしてあんなに冷酷になれるんだ。自分の荷物を一切合切引き払っただけじゃない、俺の会社までこんなボロボロの状態にして……! あいつは、俺のことがそこまで憎いのか?」その言葉を聞いて、佳代子の胸にさらなる怒りが沸き上がった。あの小娘のどこにそんな魅力があるというのだ。私の可愛い息子をここまで腑抜けにするなんて、いったい何様のつもりか。佳代子は目をぎょろりと巡らせ、語気を強めた。「ちょっと、弱気にならないで!あなたたち、七年も一緒にいたのよ。今までだって喧嘩くらいしたでしょう?女なんてものはね、わざと拗ねてみせて男の愛情を試したくなる生き物なのよ」「……」「最近、あなたが芙花ちゃんのお世話ばかりしているから、あの子、嫉妬してどうにかなりそうなのよ。だからわざとこんな派手な騒ぎを起こして、あなたを焦らせようとしてるだけ!」「……本当に、そうなのか?」「当たり前じゃない! よく考えてみ
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第33話

清也は申し訳なさそうに、だがはっきりと切り出した。状況が状況だ、芙花には物分かりの良い妹であってほしかった。「……うん、分かってるよお兄ちゃん」芙花はしおらしく俯いた。「全部わたしが悪いの。わたしみたいなのがそばにいるから、紫音さんを怒らせちゃって……ごめんなさい」潤んだ瞳で見上げられ、清也の胸がキュッと締め付けられる。なんて健気で可愛い義妹なのだろう。彼は愛おしそうに芙花の頭を撫でた。「お前が謝ることなんて何もないよ。安心しろ、あいつの機嫌さえ直れば、またすぐにたっぷり時間を作ってやるからな」「うんっ!お兄ちゃん大好き!」芙花は嬉しそうに破顔すると、人目も憚らず清也の胸に飛び込んだ。柔らかな肢体が密着し、清也の腕が芙花のきゃしゃな腰を抱き寄せる。上気して微かに紅潮した彼女の顔は、たまらなく愛らしく、男の本能をくすぐるものがある。……たまらないな。清也は陶然とした心地で、これこそが男の誉れだと感じていた。こんなにも自分を慕ってくれる可愛い義妹がいて、さらには美貌の婚約者からも執着されるほど愛されている。自分こそが、この世で最も恵まれた「勝ち組」なのではないか。「ねえ、お兄ちゃん」芙花が甘えるような声で囁く。「わたしとお兄ちゃんは昔からずっとこうだったから……紫音さんも分かってくれてると思ってたの。でも違ったみたい。ただの嫉妬で、お母様を激怒させて、会社まであんな目に遭わせるなんて」彼女は悲しげに眉を寄せた。「わたしが代わりにお母様に謝ろうかな。紫音さんもきっと、わざとじゃないと思うの。ただお兄ちゃんが好きすぎて、周りが見えなくなっちゃってるだけだよ」そして、そっと清也の頬に触れる。「でも、紫音さんはちょっと感情的になりすぎだよね。後先考えずに暴走しちゃうなんて……ここ数日でお兄ちゃん、すごく痩せちゃったもん。見てて辛いよ」芙花の声はどこまでも健気で、清也を案じる優しさに満ちているように聞こえる。だがその言葉の端々には、巧みに紫音を貶める棘が含まれていた。しかし、自尊心をくすぐられた今の清也には、その毒が甘露にしか感じられない。なんて良い子なんだ……芙花だって被害者なのだ。紫音に特許を取り上げられたせいで、確実視されていた学位取得の道を閉ざされ、酷く落ち込んでいたはずだ。それなのに、自分のことなどおくびにも出さず、ひ
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第34話

背後から聞こえたその声に、紫音の表情から笑みが消え失せた。聞き間違えるはずもない、不快な声。「あ、でもお兄ちゃん……もう先客がいるみたい。どうしよう?」「関係ないさ。お前が欲しいと言うなら、誰にも譲る必要はない」傲慢な言葉と共に店内に入ってきた清也は、そこで初めて先客の顔を見て、凍りついた。まさか、こんな場所で彼女と鉢合わせるとは夢にも思わなかったのだろう。「お前……」「げっ、最悪……」蘭が露骨に嫌そうな声を漏らす。清也は気まずさを隠すように眉をひそめ、すぐに高圧的な態度を取り戻した。「なんだ紫音、お前もいたのか。まさか俺たちの後をつけてきたんじゃないだろうな?」「自意識過剰もそこまでいくと病気ね」紫音は呆れて天井を仰いだ。たった一日会わなかっただけで、この男のナルシシズムはどうやら悪化の一途を辿っているらしい。すると芙花は何か閃いたように表情を輝かせ、大げさに驚いてみせた。「紫音さんも来てたなんて!ちょうどよかった!今ね、お兄ちゃん会社のことで凄く悩んでるの。お願い、戻ってきて力を貸してあげて!……もしわたしのことが邪魔なら、わたし、紫音さんの目の届かないところへ消えるから」「おい芙花、そんなこと言うな。お前を追い出すなんて誰にもさせないぞ」清也は庇うように芙花の肩を抱き、紫音を睨みつけた。「紫音、いい加減にしろ。いつまで子供じみた癇癪を続けるつもりだ」「癇癪ですって?」紫音は乾いた笑いを漏らした。「どの口が言うのかしら。随分と素晴らしい面の皮をお持ちね」「貴様ッ!」清也が怒声を上げるが、紫音は冷ややかな嘲笑で返す。「図星を突かれて逆ギレ?哀れなものね」「やめて、お兄ちゃん!紫音さんを怒らないで!全部わたしが悪いの……」芙花が涙ぐみながら二人の間に割って入る。そのしおらしい姿に、清也の表情が苦痛に歪んだ。「……お前は悪くない。何一つ悪くないんだ」彼は芙花を優しく宥めると、吐き捨てるように言った。「もういい、紫音。せっかくの休日だ、お前のヒステリーに付き合ってる暇はない」「それはこっちの台詞よ。とんだ厄日だわ」紫音は呆れ返ってため息をついた。かつて感じていたはずの胸の痛みは、今や欠片も残っていない。ただ、滑稽なだけだ。目の前の男も、そして何より、こんな男を盲目的に愛し、すべてを捧げていた
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第35話

紫音は呆れて言葉も出ない。張り合う?誰が?私が?私の先に手に取った商品を、ただ買おうとしているだけなのに。どこをどう解釈すればそうなるのか、理解に苦しむ。清也の態度が紫音に対して硬化するのを見て、芙花は内心ほくそ笑んだ。ざまあみろ。お兄ちゃんもお義母さんも、わたしの虜なんだから。わたしが欲しいと言えば、何だってわたしのものになるのよ。彼女は心の中の嘲りを巧みに隠し、さらに追い打ちをかける。「もうやめて、お兄ちゃん。紫音さんを責めないで!悪いのはわたしなんだから……紫音さん、ごめんなさい。怒らないで……」「あのねえ」紫音は氷のような冷徹さで切り返した。「まず言っておくけれど、私は怒ってないわ。あなたたち如きに感情を動かす価値なんてないもの。それから、その馴れ馴れしい口調、やめてくださる?私たち、友人でも何でもない、ただの赤の他人でしょう?ましてや、あなたのような恥知らずな人間と関わり合いになった覚えはないわ」その言葉に、芙花は顔面蒼白になり、今にも泣き出しそうな表情を作った。潤んだ瞳が震えるさまは、守ってやりたいという男の庇護欲をそそるには十分すぎるほどの威力だ。清也はすっかりその魔力に当てられてしまった。「紫音ッ!言葉が過ぎるぞ!芙花が一体何をしたって言うんだ!俺たちの仲がこじれた腹いせに、無関係な彼女を攻撃するのはやめろ!」「『無関係』ねえ……七年付き合った彼女より、よっぽどベタベタくっついておいて?」横から蘭が鼻で笑って茶々を入れる。清也は深くため息をつき、やれやれと言った様子で首を振った。「はぁ……結局それか。紫音、お前やっぱり嫉妬してるんだな?何度も言わせるなよ、芙花はただの可愛い妹分だ。それ以上の関係なんてあり得ない」「話が通じない人ね。『どうでもいい』と言ってるの。店員さん、このネックレスを包んでちょうだい」紫音がぴしゃりと言い放つと、清也はこめかみを引きつらせた。「紫音ッ!お前、いい加減にしろよ!」せっかく下手にでて話を聞いてやろうというのに、まるで聞く耳を持たない。この女はいつからこんなに可愛げのない鬼嫁のような性格になったんだ?理不尽な怒りが腹の底から湧き上がってくる。俺に対してその態度は何だ?「は、はい、ただいま」店内で繰り広げられる修羅場に、しばらく呆気にとられていた店員が、我に返って
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第36話

紫音は口元をひくりと引きつらせた。もうこれ以上、彼らの相手をするのは御免だ。「蘭、行くわよ」「はい!」蘭も寒気すら感じているようだった。一分一秒でも早く、この場を離れたい――二人の思いは同じだ。踵を返したその時だった。「お待ちください!お客様、申し訳ございませんが少々お待ちを!」不意に、店員が慌てた様子で駆け寄ってきて、必死に紫音を呼び止めた。紫音は足を止め、眉を「何か?」寄せて冷ややかな視線を向ける。その鋭さに店員はびくりと肩を震わせたが、それでも必死に言葉を継いだ。「申し訳ございません。お客様、こちらのネックレスをお忘れです」「さっき言ったはずよ。それはもういらないって。そちらの方が欲しがっているんだから、お譲りすればいいでしょう」「ふん、その通りだ。本人がいらないと言っているものを無理やり押し付けるとは、どういうつもりだ?」清也が目を細め、せせら笑うように口を挟む。店員の額に脂汗が滲む。まったく、とんだ貧乏くじを引いてしまった……と嘆きたいところだが、上乗せされたインセンティブを思えば引くわけにはいかない。彼女は覚悟を決めたように口を開いた。「京極様。こちらのネックレスは、当店のオーナーからあなた様への個人的な贈り物でございます。もはや商品として販売することはできません」「何ですって……?」紫音は絶句した。オーナー……まさか、彼のことか?あいつ、一体何を考えているの?まるで空気のように、気づけばいつも私のそばに気配を漂わせている。もしかして監視カメラでも仕掛けられているのではないか――そんな滑稽な妄想が脳裏をよぎるほど、あまりにタイミングが良すぎた。紫音は背筋が寒くなるのを覚えた。「さようでございます、京極様。実はこちらは特注品(オーダーメイド)でして、もともとお客様へお渡しするために保管していたお品なのです。確認不足で大変失礼いたしました」店員が恐縮しながら説明していると、店の奥から店長が小走りで現れた。その顔を見て、紫音は合点がいった。この店は以前から贔屓にしており、店長とは顔なじみだったからだ。……なるほど、そういうこと。つまり、拝島律はずっと前からこれを用意していたのだ。いつか自分が来店した時に渡せるように、この店に預けていたのだろう。さきほど一瞬でも「監視カメラでも仕
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第37話

思い返せばこの数年、彼女はずっと「与える側」だった。運命の愛だと信じ込み、自分のすべてを投げ出しても惜しくはないと、愚直なまでに尽くしてきた。けれど結局、一番愚かだったのは自分自身だ。気づかぬうちに他人の悪意の網に絡め取られ、自ら繭に閉じこもり、本当に大切にすべき人々の愛情を裏切ってしまっていた。でも、遅すぎなくてよかった。皮肉なことに、目を覚まさせてくれた芙花には感謝しなくてはならないかもしれない。紫音はふっと小さく笑った。胸の奥に残っていたわずかな不満や未練が、音もなく溶けて消えていくのを感じた。もちろん、清也を許すつもりはない。自分のものは何一つ奪わせないし、落とし前はきっちりとつけさせる。けれど、もう感情に振り回されることはない。「それじゃあ不破さん。愛しい芙花ちゃんとごゆっくり」手の中にあるネックレスの重みを感じながら、紫音は背を向けた。その重みは、誰かが自分を想ってくれた証だ。胸が温かくなる。隣では蘭が興奮を抑えきれずに頬を紅潮させていた。「すごい……紫音さん、これって最高にロマンチックじゃないですか!」「おい紫音!説明しろ!俺に隠れてコソコソ男を作っていたのか!そんなふしだらな女、もう二度と俺の隣に戻れると思うなよ!」背後で喚く清也の声など、もはや雑音にすぎない。まったく、どう育てばこれほど自意識過剰な男ができあがるのか。あの母親――佳代子の顔が浮かぶ。息子を世界の中心だと信じて疑わない溺愛ぶりが、この勘違い男を増長させたに違いない。あんな男を宝石のように崇めるのは、あの母親くらいのものだ。紫音は軽く首を振って微笑んだ。過去を切り捨てることが、こんなにも爽快だとは。まるで憑き物が落ちたように心が軽い。これまで感じていた苦しみは、清也への執着などではなく、無駄にしてしまった自分の時間と感情への「やるせなさ」だったのだろう。あれほど尽くしたのに、という悔しさ。けれど、それももう終わりだ。さようなら、私の愚かな過去。悪夢は過ぎ去った。目の前には、新しい人生の幕開けが待っている。「紫音!そこで待てと言っているんだ!」清也の怒号が響くが、紫音は一度も振り返ることなくその場を立ち去った。取り残された清也は、腸が煮えくり返る思いだった。あの女、一体どういうつもりだ?今まで俺の後ろを付いて回っ
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第38話

「ええ、とても気に入ったわ。ありがとう。……でも、どうして私がこのデザインを好きだって分かったの?」紫音の声には、本心からの喜びが滲んでいた。「分かっていたわけじゃない。ただ、君に似合いそうだと思っただけだ」「ふふ、適当ね。貴方は私に会ったこともないのに」「……会ったことはあるよ」紫音の動きが止まる。えっ、と問い返そうとした瞬間、電話の向こうから複数の話し声や紙をめくる音が聞こえてきた。「すまない、今は会議中なんだ。後でかけ直してもいいかな」「ごめんなさい!会議中だなんて知らなくて……ううん、大丈夫。お仕事頑張って。お礼はまた今度、改めて直接言わせて」紫音は申し訳なさそうに眉を下げた。律には助けられてばかりだ。近いうちにきちんと時間を設けて、この溢れる感謝の気持ちを伝えなければならない。「気にしないでくれ。大したことじゃない」律の声は穏やかで、そこには普段の彼からは想像もつかないような微かな温かさが滲んでいた。「安心して。すぐに会えるから。……君からの礼、楽しみにしているよ」「ふふ、自分からお礼を催促するなんて、変わった人ね。拝島さんには敵わないわ」「構わないさ。これからは長い時間をかけて、ゆっくりお互いに慣れていけばいい」紫音の頬が、じわりと熱を帯びる。なんだか気恥ずかしい。まるで一昔前のドラマの口説き文句みたいだ。『これからの人生を共に歩もう』とでも言われているような、くすぐったい響きがある。けれども、その不器用な言葉が胸の奥を温めたのは事実だった。紫音は苦笑しながら首を振り、浮つく心を戒めようとする。本当に私は単純だ。少し優しくされただけで、すぐに絆されてしまう。だが――確かに、拝島律という男は他の誰とも違う気がした。通話が終わると同時に、今度は兄の州から着信が入った。「もしもし?おい紫音、いつからそんなに売れっ子になったんだ?」「もう、嫌味な言い方しないでよ」兄の不満げな声に、紫音は思わず吹き出した。「たまたま電話中だっただけよ。まさかこのタイミングでお兄ちゃんからかかってくるとは思わなかったし……で、何か用?」「用がなきゃ電話しちゃ悪いか?偉くなったもんだな、紫音」「うるさいわね、わざとじゃないって言ってるでしょ。用件があるなら早く言って。ないなら切るわよ!」「ちっ、相
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第39話

会ったこともない相手なのに、いつの間にか好意を抱き始めている自分に気づく。何かお礼をしたい。けれど、拝島家の御曹司ともなれば欲しいものなど何ひとつないだろう。彼への贈り物を考えるのは、想像以上に難題だった。ふと、自嘲の笑みが漏れる。かつては清也のために、男性が喜ぶプレゼントを必死でリサーチし、事あるごとに贈っていた。だが彼は、紫音が心を込めて選んだ品々をまるでガラクタのように扱った。封も切らずに遊び仲間に横流しし、紫音の心を踏みにじったのだ。それでも「彼に尽くす自分」に酔い、七年もの間、その足元にすがりついていた。なんと安っぽい女だったことか。どうしようかな……スマートフォンの画面を指でなぞりながら、律へのメッセージを打っては消し、打っては消しを繰り返す。好みを聞きたいけれど、まだ顔も合わせていない相手に唐突すぎるだろうか。そんな迷いが指先を鈍らせる。【何かあったか?】突然画面にポップアップした通知に、紫音は心臓が止まるかと思った。え、どうして?メッセージは送信していないはずなのに。それとも、彼も同じタイミングで連絡しようとしていたのか。【丁度仕事が終わって、君に連絡しようと思っていたところだ。今日のネックレス、気に入ってくれたならいいんだが】【ええ、とても気に入ってる。本当にありがとう】慌てて返信を打ち込む。お礼の言葉に続けて「何かお返しがしたい」と書きかけたところで、また新しい吹き出しが表示された。【喜んでくれたなら何よりだ。これからも君に似合いそうなジュエリーを見つけたら贈らせてほしい。女性は宝石が好きだと聞いたから】紫音の指が止まった。律からの何気ない一言が、心の奥底に沈めていた古い記憶を呼び覚ましてしまったのだ。まだ清也と付き合い始めて間もない頃のこと。実家と絶縁し、自分の稼ぎだけで生活していた紫音は、あるネックレスに一目惚れした。それを清也に話した時の、彼の困り切った顔を今でも覚えている。彼は優しく紫音を抱き締め、諭すように言った。「気持ちは分かるよ。でも今の俺たちには、そんな贅沢品を買う余裕なんてないだろう?もう少し我慢してくれないか」「ごめんな、紫音。俺がもっと稼いでれば、お前にもいい暮らしをさせてやれるのに」その瞳に浮かんだ深い自責の色を見て、紫音は胸が締め付けられた。自分がな
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第40話

律からの返信はなかったが、紫音は気にならなかった。スマートフォンを抱いたまま、久しぶりに深い眠りに落ちた。別れて以来、悪夢にうなされることもなくなり、朝までぐっすりと眠れるようになったのは皮肉なものだ。清也という重石が取れたおかげだろうか。翌朝、目覚めは爽快だった。窓から差し込む光に目を細めながらスマートフォンを手に取ると、しかし、その表情は瞬時に凍りついた。【あの男は誰だ!紫音、俺に隠れて不貞を働くなんてどういう度胸だ!?】【このふしだらな女め。自分が何をしているのか分かっているのか?】【今すぐ電話しろ。さもないと一生許さないからな。俺が芙花と婚約してもいいのか?本当にそれでいいのかよ!】画面を埋め尽くす清也からのメッセージ。紫音は無表情のまま、手際よく着信拒否設定にした。どこからこんな湧いてくるのかと思うほどの執念深さだ。手を変え品を変え、あらゆる連絡手段を使って爆撃してくるそのエネルギーには呆れるほかない。必死ね……会社が傾きかけて追い詰められているのだろう。かつては自分をゴミのように捨てておきながら、利用価値があると分かった途端にこのざまだ。私がみっともなく縋りついてくるとでも思っているのか。「復縁してください」と泣いて謝るとでも?滑稽すぎて笑いも出ない。コンコン、と控えめなノックの音が静寂を破った。「京極様、おはようございます。もうお目覚めでしょうか?」扉の向こうから聞こえる声は、夢を壊すまいと気遣っているかのように柔らかい。紫音は軽く伸びをしてから、スリッパを鳴らして扉を開けた。「おはようございます。ええ、もう起きているわ。何か?」「拝島様よりご朝食の用意を承っております。お気に召していただければ幸いです」燕尾服に身を包んだホテルのマネージャーが微笑み、うやうやしく一歩下がった。その後ろから、銀のクロッシュを載せたワゴンを押す給仕が入ってくる。「……拝島さんに、ありがとうとお伝えして」紫音の瞳が揺らめき、胸の奥にまた温かいものが広がっていく。本当に、どこまでもマメな人だ。なぜこれほどまでによくしてくれるのだろう。二つの家、京極家と拝島家の結びつきを強めるため――つまりは政略的な配慮、あるいは義務感からくるものなのかもしれない。冷静に考えればそれが答えだろう。けれど、たとえそれ
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