All Chapters of 義妹に溺れる彼を捨て、私は宿敵の妻となる: Chapter 651 - Chapter 660

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第651話

紫音が明るく言い放つと、しんみりとしていた空気がふわりと温かく和らいだ。最近の州は、自分の仕事すらも二の次にして、有加里の看病に心血を注いでいる。至れり尽くせりで彼女を世話する兄の姿に、紫音は心からの安堵を覚えていた。本当に、よかった……心から愛する人のそばにいられること。それがいかに幸福で、奇跡のようなことか。世の中には、どれほどお金や権力があっても、愛のない相手と結ばれて冷え切った人生を送る者などごまんといる。拝島家のドロドロとした人間模様を見てきた紫音だからこそ、その残酷さは痛いほどわかっていた。どんな困難が立ち塞がろうとも、決して互いの手を離さない。試練を乗り越え、魂から愛し合う兄と有加里の絆は、紫音にとって最高に眩しく、少しだけ羨ましくなってしまうほどに尊く、美しいものだった。「おいおい、二人とも。そんな深刻な顔をしてどうするんだ。すべては時間が証明してくれるさ。俺たちがこうして、ずっと一緒にいられることだけで、これ以上の幸せはないんだから」州が照れ隠しのように明るい声を出して、しんみりとした空気を吹き飛ばした。「それに、国内外の腕利きの専門医たちに診てもらった結果、有加里の病気は絶対に回復の希望があるって言われたんだ。今の状態を維持しながら前向きに治療を続けていけば、必ず道は開けるってな」その言葉を口にする州の表情は、どこまでも明るく力強かった。彼女を救うために八方手を尽くしたことは、決して無駄ではなかったのだ。有加里が希望を持って未来を生きられる――その事実が、州に途方もない安堵と喜びをもたらしていた。これは有加里にとってだけでなく、州にとっても新しい人生の始まりだった。ただ、未だに母親である琴音にどう向き合うべきか、明確な答えは出ていない。かつて琴音と交わした約束は、「二人の交際は認めないが、彼女が闘病している間だけは、責任ある男としてそばで看病することを許す」というものだった。いずれ有加里が完治したとき、再び母親という大きな壁にぶつかることになる。それでも州は、今度こそ絶対に逃げずに立ち向かう覚悟を決めていた。「そういえば……律の家のゴタゴタは、今はどうなってるんだ?」ふと、州が真剣な顔つきで紫音に尋ねた。「正直、一番キツいのは律の奴だろうな。親族たちを相手にするだけでも骨が折
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第652話

親友である律が、一人ですべてのトラブルを背負い込み、精神的に限界を迎えているのは州の目にも明らかだった。それなのに、律は決して周囲に弱音を吐かず、誰の前でも平然と「完璧な当主」を演じ続けている。そんな不器用で孤独な親友の姿が、州には痛ましくてならなかった。「私だって、何とかして彼の心を救いたいわ。志津様を失ったこと、律が誰よりも深く傷ついているのはわかってるもの。でも……」紫音は唇を噛み締めた。「私がその話題に触れようとすると、律はいつも『何でもない』『君が気にするようなことじゃない』って、平気なフリをしてはぐらかすの。ちゃんと彼を慰めたいのに、どう言葉をかければいいのかわからない。彼は絶対に私を巻き込みたくないから、全部ひとりで背負い込もうとする。……私、どうすればいいのか本当にわからないのよ」紫音の顔に、切実な苦悩と焦りが浮かぶ。律の強固な鎧を剥がして、本当の弱音を引き出してあげたい。けれど、そのための糸口が見つからなかった。彼が紫音を愛し、守ろうとしてくれるからこそ、その話題に深く踏み込むことを拒絶されてしまうのだ。愛する人が見えない鎖に縛られ、日々すり減っていく姿を、これ以上黙って見てはいられなかった。無理をして笑う彼の横顔を思い出すたび、紫音の心はナイフで抉られるように痛むのだ。こんな状況、絶対に早く終わらせなきゃ……彼を苦しめている拝島家の呪縛から、一日でも早く彼を解放してあげたい。これ以上、最愛の彼が孤独と悲しみに苛まれるのをただ指をくわえて見過ごすことなど、紫音には絶対にできない相談だった。「あいつのことは、俺からも機会を作って腹を割って話してみるつもりだ。ただ……見ての通り、俺もここ最近は自分のことで手一杯でな。俺がもっと上手く立ち回って、お前たちの力になってやれればいいんだが……」申し訳なさそうに眉を伏せる州の姿に、紫音は胸が締め付けられるような無力感を覚えた。兄は律のことを自分のことのように案じ、本気で助けたいと思ってくれている。しかし、今の州には彼自身の問題――母親である琴音に有加里との交際を認めさせるという、とてつもなく高い壁が立ちはだかっているのだ。いつ母親が折れてくれるのかすら見当もつかない状況で、これ以上兄に負担をかけるわけにはいかない。「お前も、あいつのことで自分を追い
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第653話

目の前の問題が山積みで、誰もがギリギリのところで踏ん張っている。紫音は兄の大きくて温かい手を見つめながら、せめてこれ以上、大好きな兄や有加里に心配をかけまいと、そっと微笑んで頷いてみせた。「本当に、仲のいい兄妹ね。なんだかすごく羨ましいわ。どんなことが起きても、世界で一番信頼できる味方がずっと隣にいてくれるんだもの」二人のやり取りを微笑ましく見つめていた有加里が、ふと目を細めてそう呟いた。「でも、二人とも毎日気を張っていて、なんだかすごく疲れが溜まっているみたい。……どう言えばいいのかわからないけれど、二人にはもっと肩の力を抜いて、楽に生きてほしいって思うの。そんなに何もかも、自分たちで背負い込まないで」有加里は困ったように笑いながら、兄妹の顔を交互に見比べた。この京極家の兄妹は、どこまでも似た者同士だ。いつでも自分のことより相手を第一に考え、大切な人のためなら我が身を削ることも厭わない。その純粋で不器用な愛情の深さに救われている反面、他人のために己をすり減らしていく二人の姿は、見ていてひどく危なっかしく、痛々しくもあった。「せっかく三人で集まれたんだから、暗い話はここまでにしよう」州がポンと手を叩いて空気を変えると、改めて真剣な眼差しを紫音に向けた。「会社を長く空けてた分、今お前がどれだけ仕事に追われてるかはわかってる。だがな、紫音。無理だけは絶対にするなよ。ちゃんと飯を食って、休める時は休むんだぞ。自分の身体を第一に考えろ」それは、兄としての嘘偽りのない心配だった。州はよく知っている。妹は自分と同じで、一度やると決めたらどこまでも徹底的にやり抜く、異常なほどの負けず嫌いで完璧主義者だ。だからこそ、仕事に没頭するあまり自身の健康を犠牲にしてしまうのではないかと、気が気ではなかった。そんな兄の小言を聞いて、紫音は大げさに肩をすくめてみせた。「もう、お兄ちゃんまでお父さんやお母さんみたいなこと言わないでよ!あっちの二人にも毎日毎日あれこれ言われて、ただでさえ息が詰まってるのに。お兄ちゃんまで小言のオンパレードなんて耐えられないわ!」紫音はわざとらしく頬を膨らませ、抗議の声を上げた。「それにね、私はちゃんと自分のことケアしてるわよ。むしろ最近、少し太ったんじゃないかって気にしてるくらいなんだから。ダイエットしな
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第654話

それは兄としてだけでなく、経営の先輩としての切実なアドバイスでもあった。本当なら、妹が困っている時は自分が手腕を振るって助けてやりたい。だが、今は有加里の件や母親との対立で自分自身が手一杯であり、妹を物理的にサポートしてやる余裕がない。だからこそ、顔を合わせた時くらいはと、せめて言葉で導こうとしてくれるのだ。「もう、わかってるわよ、お兄ちゃん。心配しすぎ」紫音はクスッと笑って、わざと明るい声を出した。「自分のことは自分でちゃんとケアするわ。それに……私の隣には、律がいるもの。彼はすごく過保護だし、私のことなんて彼が完璧に面倒を見てくれているんだから。だからお兄ちゃんは、自分の愛する女性のことだけを最優先にして、しっかり守ってあげてね」そう言って笑い合いながらも、紫音の胸の奥には、ふと一抹の切なさが風のように通り過ぎていった。ああ……私たち、本当に大人になったんだな。かつて、京極家の兄妹は互いが互いのすべてだった。一番親しい家族であり、絶対的な味方であり、世界で一番近くにいる存在だった。けれど今、お互いに「生涯を添い遂げるべき愛する人」を見つけ、それぞれの帰るべき場所ができた。それは喜ばしい成長であり、自立の証拠だ。しかし同時に、かつての「二人だけで完結していた世界」が終わってしまったことをも意味していた。幼い頃から、州は父親のように紫音を守り、その無条件の愛情のすべてを、たった一人の妹である彼女に注ぎ込んでくれていた。その大きくて温かい愛情が、今は「妹」から、「一人の愛する女性」である有加里へと注がれている。兄が幸せになることは、紫音にとって何よりも望んでいたことだ。有加里のことも、本当の姉のように大好きだ。それでも――かつて自分だけに向けてられていた兄の深い愛情が、別の誰かと分け合うものに変わってしまったことに、微かな寂しさを覚えてしまう。私ったら、いつまでも子供みたい……奪われたわけではない。愛の形が変わっただけだ。理屈ではわかっているのに、置いてきぼりにされたようなセンチメンタルな感傷を捨てきれない自分がおかしくて、紫音は胸の奥でそっと自嘲した。永遠に続くと思っていた子供の時間は終わり、誰もが大人になっていく。少しの寂しさと、それ以上の温かい祝福を胸に抱きながら、紫音は目の前の愛する家
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第655話

「……ええ、そうね」州の言葉に、紫音は憑き物が落ちたようにふっと微笑んだ。今は自分の会社を立て直すことで精一杯で、拝島家のドロドロとした内部事情まで抱え込める余裕はないのだ。それに、どんな決断を下すにせよ、それは現在の当主である律自身が決めるべきことだ。彼がもし「すべてを捨てて縁を切る」と決めたなら、諸手を挙げて賛成しよう。逆に、もし「拝島家と戦い続ける」と決断したのなら、どんな地獄だろうと最後まで彼に付き合おう。彼がどんな道を選ぼうとも、自分は決して揺るがない。一番近くで彼を支え、無条件でその背中を守り抜く絶対的な味方でいようと、紫音は改めて心に固く誓った。州や有加里との心温まるディナーを終え、紫音は自宅へと帰路についた。しかし、玄関のドアを開けた瞬間、並べられている見慣れない高級なヒールに目を奪われた。胸の奥で小さな疑問符を浮かべながらリビングへ足を踏み入れると、そこには思いもよらない人物の姿があった。「……朱美さん?どうしてこちらに?」紫音は思わず目を丸くした。ソファに優雅に腰を下ろしていたのは、律の母親である朱美だったからだ。朱美はここしばらく、ずっと海外に滞在して気ままな旅暮らしをしている。先日、志津が亡くなった際、もちろん訃報は伝えたものの、朱美は「帰らない」と言っていたはずなのだ。それも無理はない。拝島家には、かつて彼女を裏切り、心に深い傷を負わせた元凶――律の父親である宏がいる。あんな男の顔など二度と見たくないという朱美の痛切な思いを、紫音もよく理解していた。それなのに、なぜ彼女は今日になって突然帰国したのだろうか。「どうしてって、あなたたち二人の顔が見たくなったからに決まっているじゃない」朱美は立ち上がると、ふわりと上品な香水の香りを漂わせながら紫音に近づき、彼女の両手を優しく、けれど力強く握りしめた。「それにしても水臭いわね。家でこんなに色々なことが起きているのに、あなたたちったら、私には『お義母様が亡くなった』としか教えてくれないんだもの。でも、後になって冷静に考えてみたら、あのハイエナのような親族たちが大人しくしているわけがないって気づいたのよ」ふん、と朱美は美しい顔に微かな怒りを滲ませて鼻を鳴らした。「だから、私があなたたちを守るために来たの。私がいる限り、あの連中
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第656話

「……はい。最近はグループの仕事に加えて、ご親族の対応など、本当に処理しなければならない問題が山積みで……」紫音は少しだけ目を伏せ、寂しげに微笑んだ。「私としても、少しでも律の負担を分かち合いたいと思っているんです。でも……」『君が気に病むことは何もない。君は自分のことだけを考えていなさい』――律はそう言って、紫音を頑なにあの家の問題から遠ざけようとする。彼が紫音を泥沼に巻き込まないために、ひとりで全てを抱え込もうとしているのは痛いほどよく分かっていた。だからこそ、手を差し伸べることすら許されない自分の無力さが、いまの紫音にはたまらなくもどかしかった。「本当のことを言うと……時々、彼を見ているのが辛くなるんです。律は本当に疲れているのに、私にはどうすることもできなくて。どう助ければいいのかも分からないんです。彼は何があっても全部一人で背負い込んでしまうし……」紫音は、胸の奥に抱え込んでいた苦しい思いを吐露するように、ギュッと両手を握りしめた。「それに、拝島家の内情はあまりにも複雑です。ご親族の方々はみんな、自分の利益と私欲のためだけに動いている……私では、彼が直面している問題を直接解決してあげることはできないから……」だからこそ――と、紫音は顔を上げ、真っ直ぐに朱美を見つめた。「だからこそ、朱美さんにはこの問題に関わってほしくないんです。これから何が起きても、私たち二人で立ち向かいます。朱美さんは、どうかこの泥沼には足を踏み入れないでください。その方が、朱美さんのためでもあります。……私は、朱美さんが心配なんです。長年、あの家でどれほど苦労されてきたか、どれだけ辛い思いをされてきたかを知っているから……」紫音は心底、朱美を気遣っていた。彼女がまた拝島家のドロドロとしたお家騒動に巻き込まれ、頭を抱えるような姿など見たくなかったのだ。あの強欲で醜い親族たちと同じ土俵に立って、口論などしてほしくない。そんなことに時間と労力を割くこと自体が無意味で、彼女のこれからの美しい人生の無駄遣いのように思えてならなかった。「紫音さん……」朱美はふっと目を細め、紫音の気遣いに応えるように優しく微笑んだ。だが次の瞬間、その唇の端が上がり、どこか凄みのある笑みへと変わった。「あなたが私のことを心から心配してくれているのは分
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第657話

朱美は、諭すように温かく、それでいて揺るぎない口調でそう語りかけた。――ここ数ヶ月、海外で自由気ままな日々を満喫し、ようやく自分らしい生活を取り戻せたと思っていた朱美。しかし、まさか留守の間に拝島家がここまでドロドロに荒れ果ててしまうとは予想もしていなかった。さらに輪をかけて朱美を呆れさせたのは、夫である宏が、見知らぬ女を連れ込んでまで自分に離婚を突きつけてきたことだ。宏との夫婦関係など、とうの昔に破綻している。本来ならさっさと離縁して終わらせるべき縁だった。あんな男に対する愛情などとうの昔に冷めきっており、微塵も残っていない。ただ、自分がこれまで受けてきた屈辱を考えれば、「はいそうですか」と簡単に身を引くのは癪に障るという意地があった。本当にどうしようもない男だ――頭では完全に割り切っているはずなのに、積年の恨みや複雑な思いが絡み合い、簡単にはこの因縁を手放せずにいたのだ。「朱美さん……朱美さんのそのお気持ちは、本当に痛いほど分かっています。私と律が出会った頃から、朱美さんはずっと私を実の娘のように可愛がってくださいました。その優しさには、心から感謝しているんです」紫音は、朱美の手をそっと包み込むように握り返した。「だからこそ、朱美さんにはあの人たちと同じ土俵に立ってほしくないんです。朱美さんが、あの道理の通じない親族たちと口論して心をすり減らす姿を見るのは、私にとってもすごく辛いから……」あの連中とまともにやり合ったところで、一体何の意味があるというのか。善悪の区別もつかず、ただ自分の利益だけを追求する強欲で自己中心的な人間たち。そんな道理の通じない相手に消耗するくらいなら、いっそのこと拝島家と完全に縁を切り、彼らから遠く離れてしまいたい――最近の紫音は、心の底でそう思い詰めることさえあった。一方、紫音の切実な声を聞きながら、朱美は密かに決意を新たにしていた。――私が戻ってこなければ、この家は本当に修復不可能なほどめちゃくちゃにされてしまう。愛する子供たちが血の滲むような思いで守り抜いてきたものを、あんな卑劣な連中に奪われるのだけは絶対に許せない。あのハイエナ共に、拝島を乗っ取る資格など微塵もないのだから。「朱美さんが私たちのために戦おうとしてくださるのは、本当に嬉しいです。でも……律も私も、朱美さんを心から大切に
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第658話

そして、朱美の声が一段と低く、張り詰めたものに変わる。「でも、一つだけ約束して。私たちが動く上で絶対に最優先しなければならないのは、あなたたち二人の安全よ。紫音さん……少し前に、あなたが不自然な事故に巻き込まれたでしょう?私はずっと、あれはあの連中の誰かが裏で糸を引いているんじゃないかって疑っているの。まだ確たる証拠は掴めていないけれど、今は絶対に油断しちゃいけないわ」紫音はハッと息を呑んだ。――朱美も、あの事故が単なる偶然ではないと勘付いていたのだ。「紫音さん……私、あなたには本当に申し訳ないと思っているのよ。本来なら、あなたはこんな泥沼のお家騒動なんて無関係だったのに。律と一緒にいてくれるというだけで、あの親族たちから理不尽な嫌がらせを受けたり、冷たい言葉を浴びせられたり……本当にごめんなさいね。私、あなたのお母様である琴音さんに、どう顔向けすればいいのか分からないわ。琴音さんとは、昔からの大親友なのに……」朱美の瞳が微かに潤み、声が震えた。「昔ね、私が琴音さんと約束したのよ。『紫音さんを私の実の娘だと思って、絶対に大切にします。うちの家に入っても、絶対に悲しい思いなんてさせません』って。それなのに……うちに関わってからというもの、あなたに心から笑ってもらうどころか、重荷ばかり背負わせてしまった」朱美は後悔を滲ませるように目を伏せた後、再び力強く顔を上げた。「だからこそ、私はあなたのために帰ってきたの。謝罪の言葉を並べるだけじゃ済まされない。あなたは、私の大切な娘よ。自分の娘が不当な扱いを受けているのを、黙って見過ごす母親がどこにいるっていうの?」その言葉は、紫音の胸の奥底に熱く、そして深く響いた。まさか、朱美が心の底でそこまで自分を思い、母親に対する罪悪感まで抱えていたなんて思いもしなかった。拝島家の人間たちは、誰も彼もが損得勘定だけで動き、他人を蹴落とすことしか考えていない。彼らにとって、血の繋がらない律や、その婚約者である紫音など、端から見下すべき『よそ者』でしかないのだ。そんな冷酷で計算高い人間たちばかりの家で、朱美がどれほどの孤独と戦い、苦労を重ねてきたか。紫音は痛いほど理解していた。だからこそ、損得抜きで自分を「娘」と呼び、守ろうとしてくれる朱美の無償の愛が、たまらなく嬉しかった。「朱美さん
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第659話

「紫音さん、あなたもこの数ヶ月、本当に色々なことを経験して辛かったでしょう。うちの複雑な事情のせいで、あなただけでなく、ご家族にまで迷惑をかけてしまって……私、それが本当に心苦しくて、申し訳ないと思っているの。でもね、正直に言えば、今の私たちにはあなたが必要不可欠なのよ。あなたと律がお互いをどれほど深く思い合っているか、私には痛いほどよく分かっているわ」朱美は慈愛に満ちた眼差しで紫音を見つめ、静かに言葉を続けた。「二人が心から笑い合い、幸せそうにしている姿を見られるのは、母親として本当に嬉しいことなの。以前の律は……あの子ときたら、女の子の影なんて全くなくて、誰かを特別に思うことなんて一生ないんじゃないかと思っていたくらい。でも、あなたに出会ってからのあの子は違うわ。本当にあなたを大切にしていて、心の底から深く愛している」朱美の瞳が、ふっと柔らかく細められた。「だから……あなたには感謝してもしきれないわ。私が海を渡って離れていた間、あの子の傍にいて、温かい『家族』になってくれて本当にありがとうね」「朱美さん……」「私は海外をフラフラしていたけれど、決してこっちの状況を完全に放置していたわけじゃないのよ。家で何が起きているか、裏でどんな動きがあるか、常に情報は探らせていたわ。だから、これから何が起ころうと、私が全力であなたたちをサポートして一緒に解決していくからね。これまでは、あえて表に出なかっただけなんだから」朱美はそう言うと、紫音の手をそっと自分の両手で包み込んだ。その手のひらは、とても温かかった。「あなたはね、まるで天使みたいに私たちの前に現れてくれたのよ。あなたのおかげで、律の人生も、私の人生も、以前とは比べ物にならないくらい明るく意味のあるものに変わったわ。だから……本当にありがとう。あなたたち二人には、これからもずっとずっと幸せでいてほしいの」朱美が紡ぐ言葉は、飾り気のない、一つ一つが嘘偽りのない本心から出たものだった。それは、紫音をただの「息子の相手」としてではなく、大切な『家族』として、そしてこれからの未来を共に歩むかけがえのない存在として、完全に認めている証だった。その深い愛情に触れ、紫音の胸の奥がじんわりと熱くなり、思わず目頭が潤んだ。――なんて心強いのだろう。朱美がこの家にいてくれる。た
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第660話

紫音の言葉は朱美の心に響いてはいたが、現実は紫音が考えるほど綺麗なものではない。朱美には朱美の、譲れない戦い方があるのだ。「朱美さんのためを思って言ったことですが……でも、朱美さんがご自身で『そうする』と決めたのなら、私はご決断を尊重します。ご自分の信じる道を、迷わず進んでください」紫音はふっと柔らかく微笑み、自らの思いを口にした。「私自身も、今自分が選んだこの生き方が、自分にとって一番合っているし、これまでの人生で最も正しい選択だったと思っています。少なくとも、この選択を後悔したことは一度もありません。自分で決断した以上、この先どんな結末が待っていようと、絶対に後悔しない覚悟があります。だから……朱美さんにも、ご自分の選択に胸を張って、後悔のない人生を歩んでいただきたいんです」静かに、けれど確かな熱を帯びた声で語りながら、紫音は自分自身の心にも小さなさざ波が立つのを感じていた。――この数ヶ月で、本当に色々なことがあった。拝島家の泥沼のような権力闘争に巻き込まれ、理不尽な悪意に晒され、時には命の危険すら感じるような不自然な事故にも遭った。かつてのように、ただ目の前の仕事をこなし、温かい家族と平穏な日々を過ごしていた頃の無邪気で単純な自分は、もうどこにもいない。今の紫音は、何か一つ決断を下すにしても、それが律や周囲にどんな影響を及ぼすか、最悪の事態になったらどう対処すべきか、すべての結果を冷静に予測し、考え抜かなければならない。ただ思いつきや感情のままに動けるような生き方は、とうの昔に終わりを告げていたのだった。「あなたの言いたいことは、よく分かっているわ。……私、あなたみたいに素敵な人と出会えて本当に幸運だった」朱美はふっと目を細め、どこか遠くを見るような優しい表情になった。「これから先、私たちが『家族』という形で繋がっていられるかどうかは分からないけれど……それでも、あなたがこの拝島家に来てくれたことには心から感謝しているのよ。私ね、あなたとは『嫁と姑』というよりも、年の離れた親友のような気がしているの」「そう思っていただけるなんて、光栄です」紫音もつられて、柔らかな笑みをこぼした。「私も、朱美さんとは共感できる部分がたくさんあると感じていました。私にとっても、朱美さんは頼りになる『大人の親友』のよう
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