Todos los capítulos de 義妹に溺れる彼を捨て、私は宿敵の妻となる: Capítulo 691 - Capítulo 700

806 Capítulos

第691話

「……ありがとうございます、先生。少しでも変化があれば、すぐに知らせます。それから……先生、どんな治療でも、どれほど僅かな可能性でも構いません。彼女を救う方法があるなら、何でも教えてください。試せるものはすべて試したいんです……!」すがるような州の言葉に、医師は痛ましげに目を伏せた。医師の言葉の裏にある『これ以上の積極的な治療は無意味だ』という残酷な事実を、州は痛いほど理解していた。とっくに覚悟を決め、運命を受け入れるべき時期は過ぎている。それでも、彼の心は激しく現実を拒絶していた。最愛の女性がこの世から消えてしまうという事実を、どうしても認めることができなかったのだ。「……わかりました。ですが、くれぐれも無理はなさらないでください」医師は短く頷くと、静かに告げた。「熱はすでに下がっていますので、まもなく意識も戻るでしょう。引き続き体温の推移には十分注意してあげてください。ひとまず、彼女をVIP用の特別個室へ移しましょう。何かあれば、すぐに私を呼んでください」そう言い残し、医師は足早にその場を立ち去った。手術室の前に残された州と、紫音、そして律。重苦しい沈黙の中、三人は顔を見合わせることもできず、ただ途方もない無力感に苛まれていた。どんなに絶大な権力を持っていようと、どれほど莫大な富を積もうと、人間の命を引き留めることなど誰にもできない。懸命に手を伸ばしても、指の隙間から命がこぼれ落ちていくのをただ見つめることしかできないのだ。……志津様の時と、同じね。紫音は、隣に立つ律の横顔をそっと見上げながら、密かに胸を痛めた。律を誰よりも愛し、拝島家の実権を彼に託して亡くなった絶対的権力者――拝島志津。彼女が病に倒れ、この世を去った時もそうだった。あんなにも強く偉大だった彼女が、最期の瞬間にどれほどの未練や悲しみを抱えていたのかは、誰にも分からない。けれどあの時、律をはじめとする残された者たちは、彼女のためにできるありとあらゆる手を尽くした。限界まで運命に抗い、やれることをすべてやり切ったからこそ、彼らは志津の死を「後悔」ではなく、静かな「受容」とともに見送ることができたのだ。兄さんもきっと、無意識のうちに分かっているんだわ。いつか必ず訪れる別れの時に、自分の中に一つでも後悔を残さないため
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第692話

ベッドに横たわる有加里の姿はひどく痛ましく、点滴とモニターに繋がれた体は、少しでも触れれば壊れてしまいそうなほど虚弱だった。過酷な処置に耐え抜いたばかりで、口を動かす気力すら奪われているように見える。それでも、ベッドの周りを取り囲む州や、駆けつけてくれた紫音と律の姿を認めると、有加里の青白い頬にわずかな安堵の色が浮かんだ。大好きな人たちが側にいてくれる温もりが、死の淵を彷徨っていた彼女に確かな安心感を与えてくれたのだ。だが、その温かな感情は、すぐに深い自己嫌悪と罪悪感によって黒く塗り潰されていった。私なんかのために……みんなにこんな顔をさせて。私は、ただの足手まといだわ……「……ごめんなさい……また、心配をかけてしまって……」酸素マスクを外された有加里は、掠れた声で苦しげに言葉を絞り出した。「みんなの気持ちは、本当に嬉しい……でも、私のために……ここで時間を無駄にしないで。心苦しくて、もう……耐えられないの……」「有加里……!何を言ってるんだ、時間を無駄になんて……」すがりつくように手を握りしめる州を見て、有加里の瞳からつうっと涙がこぼれ落ちた。「もう、絶対に元には戻らないことくらい……私が一番分かってる……だから、私のためにこれ以上、自分を犠牲にするのはやめて……」その弱々しい響きには、深い絶望が滲んでいた。私がいなければ。紫音も律も、そして何より州も、本来の華やかな世界で光り輝いているはずの有能な人たちだ。それなのに、不治の病に冒された自分のせいで、州は重要な仕事もすべて放り出し、四六時中この無機質な病室に縛り付けられている。愛する人の人生を、才能を、自分が食い潰してしまっている。その事実が、病魔以上に有加里の心を深く蝕んでいた。いっそ、このままひと思いに終わらせてくれたら……こんな苦しい思いなんて、しなくて済むのに。先の見えない闘病の痛みと、愛する者の未来を奪うという罪悪感。その二重の地獄から逃れるためには、もう自ら消えてなくなるしか道はないのだと、有加里は絶望の淵でそう思わずにはいられなかった。「そんなこと言わないで!お医者様も、今回はたまたま高熱が出ただけで、すぐに治るって言ってたわ」有加里の絶望的な言葉を遮るように、紫音は咄嗟に明るい声を張り上げた。「ベースの容態は安定しているし
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第693話

有加里の声は、まるで消え入りそうなロウソクの炎のように震えていた。「……ううん。本当は、もう二度と元には戻らないってこと、とっくに気づいているのよ」「有加里……」「検査の結果なんて聞かなくても……みんながいくら『大丈夫だ』って慰めてくれても、自分の身体が確実に死に向かっていることくらい、痛いほど分かるの。だから……これ以上、私に構わないで」有加里はゆっくりと視線を動かし、ベッドの傍らで凍りついたように立ち尽くす州を見た。「あなたたちの貴重な時間を、こんなところで無駄にしないで。私はもう、誰の重荷にもなりたくない……!みんなが私のために怯えて、疲れ果てていく姿を見るのは……もう、耐えられないのよ……!」愛しているからこそ、彼を自由にしてあげたい。愛しているからこそ、彼の輝かしい未来の足枷にはなりたくない。それが、有加里の偽らざる本心だった。自分さえいなくなれば、彼らは皆、自分本来の素晴らしい人生を取り戻せる。もう誰一人として、怯えたり悲しんだりする必要はないのだ。誰もいない暗闇の中で、一人静かに朽ちていくこと。誰の手も借りず、誰にも迷惑をかけずに自ら消えていくことこそが、有加里にとって唯一の安らぎであり、最大の救いだった。これ以上、天使のように優しい彼らを、自分の地獄に巻き込むのは耐えられなかった。「……有加里。君が俺のそばにいてくれるだけで、俺はこれ以上ないほど満たされているんだ。何があっても、二人で一緒に乗り越えようって、そう約束したじゃないか」有加里の切実な願いを拒絶するように、州は彼女の手を痛いほど強く握りしめた。「弱音はもう吐かない、絶対に諦めないって、君自身も言ってくれただろう?……辛いのは分かってる。でも、俺のためだと思って、どうか耐えてくれ。今は苦しくても、この山を越えれば必ず良くなる。すべてうまくいくと、俺は信じてるんだ……!」州は、すがるような目で必死に訴えかけた。彼は今まで、有加里がどれほどの痛みに苛まれようとも、決して彼女の手を離そうとはしなかった。何度絶望の淵に立たされても「奇跡は必ず起きる」と狂信的に信じ込み、己のすべてを懸けて彼女を守り抜こうとしてきた。かつてのすれ違いを乗り越え、ようやく心を通わせ、真実の愛を手に入れた二人なのだ。彼女さえ生きていてくれれば、それ以外には
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第694話

「……有加里」泣き崩れる彼女の言葉に、州の顔から血の気が引いていく。その胸は、まるで鋭い刃物で何度もえぐられるように痛んだ。今まで、有加里はどんな過酷な治療にも耐え、州の前では決してこんな風に弱音を吐き出すことはなかった。だからこそ、今ここで爆発した彼女の悲痛な叫びは、州にとって計り知れないショックだった。なぜ、急にこんなにも自暴自棄になってしまったのか。――いや、違う。急にではない。彼女はずっと、この出口のない暗闇の中で、一人静かに絶望を募らせていたのだ。自分の存在が、愛する人たちを不幸にしている。これ以上生き延びたところで、周りの人間を深い沼に引きずり込み、共に破滅させるだけだ。その拭い去れない罪悪感が、病魔以上に彼女の心を苛み、ついに絶望の淵へと追い詰めてしまったのだろう。「州……私、知ってるのよ」嗚咽を漏らしながら、有加里は苦しげに言葉を紡いだ。「あなたには、情熱を注いでいる大切な事業がある。いつも計画的で、仕事に誇りを持っていたあなたが……私のせいで、そのすべてを放り出してしまった。自分の人生を犠牲にしてまで、こんなベッドの横に縛り付けられている……」「違う!俺は君と一緒にいたいから……!」「それが苦しいの!」有加里の悲鳴のような声が、病室に痛ましく響き渡った。「私がいるせいで、あなたがあなたらしく生きられない。それがどれほど私を惨めにするか……どれほどのプレッシャーになっているか、あなたには分からないでしょう!?」有加里は本来、自立心が強く、とても気丈でプライドの高い女性だ。だからこそ、自分の存在が愛する男の足枷となり、彼の輝かしい未来を奪っているという事実が、どうしても許せなかった。「……もう、疲れたのよ」涙でぐしゃぐしゃになった顔を歪め、有加里は自嘲するように笑った。「毎日毎日、全身が焼けるように痛くて……誰もこの苦しみを代わってはくれない。私がどんな思いで毎朝目を覚ましているか、誰にも分からないわ。……生きているのが、ただの地獄なのよ」痛い。苦しい。死にたい。彼女の口から零れ落ちる言葉は、生への執着を完全に断ち切った人間の、底知れぬ絶望そのものだった。愛する人の重荷になりたくないという強烈な自責の念と、終わりの見えない病への恐怖。その二つが完全に彼女の心をへ
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第695話

州の態度は圧倒的で、一切の妥協を許さなかった。一度彼女の手を握り直すと決めた日から、彼の中には「何が起きようと、一生この女と運命を共にする」という揺るぎない覚悟ができているのだ。有加里をこの世に繋ぎ止めるのは、もはや医療などではなく、州という男の狂おしいほどの深い愛情と執念だった。「州……違うの。私が一番傷つけたくない、絶対に足手まといになりたくないのは、あなたなのよ……」有加里の目から、再びとめどなく涙が溢れ出した。彼女の胸は張り裂けそうだった。目の前にいるのは、世界で一番愛していて、世界で一番自分を深く愛してくれている大切な男なのだ。そんな彼を突き放すような残酷な言葉など、本当は口が裂けても言いたくはない。それでも、彼を地獄の道連れにしないためには、今ここで完全に彼を切り捨てるしかない。「最初から……私たちは色んなことを経験して、痛いほど分かったはずじゃない。私たちは、やっぱり合わないのよ……だからもう、私を解放して……終わりにさせて……!」震える声でそう言い放つ有加里に、州は信じられないものを見るような目を向けた。「どうして……どうしてそんな嘘をつく!『足手まとい』だなんて、そんなこと俺は一度だって思ったことはない!」州は痛ましげに顔を歪め、すがるように有加里に訴えかけた。「君がそばにいてくれるだけで、俺は心底幸せなんだ。君を看病している時間だって、俺にとっては生きがいなんだよ!だから、そんな風に自分を卑下するのはやめてくれ……!一緒に乗り越えるって約束しただろう?あの時の言葉は、全部嘘だったっていうのか……!?」州の悲痛な叫びに、有加里はただ泣きじゃくることしかできなかった。愛するがゆえに彼を突き放したい女と、愛するがゆえに共に破滅することさえ厭わない男。彼らが互いを強く想い合っていることは痛いほど分かるのに、その愛情のベクトルが完全にすれ違い、お互いを深く傷つけ合っている。少し離れた場所からその凄惨な光景を見つめていた紫音は、やり場のない理不尽さに胸を強く締め付けられていた。どうして……どうしてお兄ちゃんたちが、こんな残酷な運命を背負わなきゃいけないの……すべてが順調にいきかけていた矢先に降りかかった、理不尽すぎる悲劇。あまりにも残酷な現実を前に、紫音はただ立ち尽くすことしかできなかった。
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第696話

どんな困難や死の恐怖に直面しようとも、有加里が真っ先に選ぶのは「最愛の男を手放すこと」だった。彼女の目には、自分が彼を奈落へ引きずり込む『お荷物』にしか映っていない。だからこその選択なのだ。しかし、彼女は分かっていない。それが州にとってどれほど残酷で、どれほど心をえぐる言葉であるかを。彼女が己を卑下すればするほど、彼女を世界で一番尊い存在として愛している州の想いは行き場を失い、深く傷つけられてしまうということに。有加里の拒絶を前に、州はついに力尽きたように肩を落とした。その背中には、隠しきれない深い絶望と悲哀が滲んでいた。「……有加里。君はまだ、俺がどれほど本気で君を愛しているのか、分かっていないんだな」州の声は、かすかに震えていた。「どうして……どうしてこういう事態になる度に、君が真っ先に手放そうとするのは、いつも俺なんだ?どうしていつも、俺から離れようとする?」「州……」「俺の愛が足りないのか?それとも、俺がいずれ君を見捨てるとでも思っているのか……!?」悲痛な叫びだった。これまでどれほどの犠牲を払い、どれほど深く彼女を愛し抜いてきたか。自分のすべてを捧げて彼女を守り抜くという覚悟は、なぜこうも彼女に届かないのか。自分がこれほどまでに心を砕き、懸命に言葉を尽くしても、彼女はどうして自分の愛を信じて一緒に歩んでくれないのか。もし彼女が本当に自分を愛しているのなら、どんな絶望の中でも、せめて自分と一緒にこの運命に立ち向かうことを選んでくれるはずではないのか。俺たちが共に生きていけば、いつか必ず奇跡が起きるかもしれないのに――州の胸には、拭い去れない徒労感と、彼女の本当の心が分からないという底知れぬ孤独が渦巻いていた。「……分かった。今日はこれ以上話しても無駄だな。お互い、少し頭を冷やそう」州は深く息を吐き出すと、これ以上ないほど疲れ切った顔で有加里を見た。「君も、今すぐ答えを出そうとしないでくれ。冷静になって、俺たちのことをもう一度よく考えてほしい。……君はいつもそうやって俺を突き放すけど、それで本当に君自身が救われるのか?俺にとって一番大事なのは、君が俺のそばで生きていてくれることなんだ。だから、足手まといだなんて馬鹿なことを考えるのは、もうやめてくれ」言葉を絞り出す州の表情には、
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第697話

重苦しい空気の漂う病室を紫音と律が後にしたとき、廊下に州の姿はすでになかった。彼は一度も振り返ることなく、足早にその場を立ち去ったようだった。愛する女性に徹底的に拒絶された果ての、行き場のない絶望と深い虚無感が、その場に残された足跡からすら滲み出ている気がして、紫音は胸を痛めた。「今は、彼女に少し冷静になる時間を与えてあげたほうがいい」隣を歩く律が、静かに口を開いた。静寂の落ちた廊下に響くその低く穏やかな声は、紫音の波立つ心をそっと包み込むようだった。「有加里さんのような人は、他人の無条件の愛情をすなおに受け入れるのがひどく苦手なんだ。自分が君のお兄さんの人生を狂わせるトラブルの種になっていると、固く思い込んでいる。おそらく彼女は……これまで世界に絶望し、誰かに心から愛され、守られるという経験を持たずに生きてきたのだろうね」律は前を向いたまま、どこか遠くを見るような瞳で言葉を紡いだ。「だから、誰かが優しく近づいてきても、自分が相手の足手まといになってしまうと過剰に恐れてしまう。あんな残酷な言葉で彼を突き放したのも、恐怖の裏返しだ。どうか、彼女の不器用な心を理解してあげてほしい」その言葉の響きには、単なる推測を超えた、確かな実感と共感が込められていた。温かく愛情に満ちた京極家で育った紫音や州には、有加里の屈折した自己否定感はすぐには理解し難いものかもしれない。だが、律には痛いほどよく分かった。彼女の抱える絶望的なまでの孤独が、自分自身の過去とひどく重なって見えたからだ。律もまた、そうやって生きてきた。拝島家という巨大な一族の中で、自分の居場所を確保するために。幼い頃から、祖母である志津に認められるためだけに、誰よりも優秀で完璧であらねばならないと必死に己を削り続けてきたのだ。そうして息を潜め、血を吐くような努力を重ねて、ようやく今の揺るぎない立ち位置を築き上げた。だからこそ、有加里の心がどれほど怯え、すり減っているかが手に取るように分かった。彼女は、根源的な安心感というものを知らないのだ。たとえ今、州がどれほど熱烈に愛を囁き、決して離れないと誓ってくれても、彼女の心の底には決して拭い去れない恐怖がこびりついている。『今はそばにいてくれても、こんな厄介な自分はいずれ重荷になり、いつか必ず見捨てられる』―
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第698話

当事者たちの感情に巻き込まれない第三者だからこそ、律の目はどこまでもクリアだった。愛と罪悪感に溺れて身動きが取れなくなっている二人の歪みを、彼は冷静に、もつれた糸を解きほぐすように的確に言い当てていた。確かに、律の言う通りだった。彼の分析はあまりにも的確で、残酷なほど真理を突いていた。病に倒れる前でさえ、名門京極家と自分の間にある途方もない壁に有加里は苦しんでいたはずだ。そこに不治の病という絶望が重なり、彼女は州の隣に立つ資格も、その底力も、完全に失ってしまったのだろう。『自分はどうせいつか捨てられる運命なんだ』――そんな根深い恐怖を抱える彼女にとって、州が与えてくれる無償の愛は、いつか奪われるのが怖いからこそ、最初から信じてはいけないものなのだ。完全に愛想を尽かされて惨めに捨てられる前に、自ら彼を突き放す。それが彼女なりの自己防衛であり、女として、そして人間として残された最後の『尊厳』を保つ方法だったのだ。「……あなたの言う通りね。有加里さんが兄を突き放すのは、誰よりも兄を愛していて、これ以上彼を自分の不幸に巻き込みたくないからだってことは分かってる」紫音は力なく唇を噛み、沈んだ声で言った。「でも……いくら頭で理解できても、あんなふうに心をすり減らしていく兄を見ているのは、本当に耐えられない。あんなにボロボロになって、悲しみに暮れる兄なんて、今まで一度も見たことがなかったもの」震えるその声には、妹としての切実な痛みが滲んでいた。「兄は昔から、弱音なんて絶対に吐かない人だった。どんな重圧も自分一人で背負い込んで、人に負担をかけるのを何よりも嫌う人が、今はあんな風に壊れかけてる……私だって、これが妹の身勝手なエゴだって分かってるわ。でも、ただ兄に本来の自分を取り戻して、幸せになってほしいだけなの」紫音の瞳から、堪えきれずに涙がひとしずくこぼれ落ちた。「有加里さんのことも心底不憫に思っているわ。彼女がどれほど過酷な人生を歩んできたかも知っている。それに……私自身、過去に彼女に対して取り返しのつかないひどい事をしてしまって、ずっと償いたいと思ってきた。でも、事態がここまで拗れてしまったら、私にはもう、何一つ手出しできないじゃない……!」両手で顔を覆い、紫音はどうしようもない無力感に打ちひしがれた。
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第699話

分かっている。頭では、律の言う通りだと理解しているのだ。他人の恋愛に外野が口を出したところで何の意味もない。結局のところ、二人の関係をどうするかは、当事者である彼ら自身にしか決められないのだから。それでも、これまで自分を守り続けてくれた大好きな兄が、底なし沼でもがくように傷ついている姿を前にすると、紫音は感情を抑えきれなくなってしまうのだった。そんな彼女の心の葛藤を見透かしたように、律は紫音の背中を優しく撫でた。「私を信じて。今はただ、州に少し時間を与えてあげよう。彼はもともと優秀で、どんな難局も乗り越えてきた人だ。どれだけ時間がかかっても、必ず自らの手で彼女との関係に答えを出すはずだよ」そして、律は少しだけ声を落とし、物事の核心を突くように言った。「物事は、相手の立場に立ってみると見え方が全く変わるものだ。有加里さんにとって一番の呪縛になっているのは……君のご両親が、二人の関係を頑なに認めようとしないことだ。その『最大のしこり』が解けない限り、彼女の心に平穏は訪れないだろうね」律の言う通りだった。母である琴音は、最初から今まで一度だって有加里を受け入れようとはしなかった。病に侵され、死の恐怖と孤独の中で戦い続けている有加里は、心のどこかで州の家族から――せめて母親から、たった一言だけでも労いの言葉をかけられることを、密かに待ち望んでいたのかもしれない。「……あなたの言う通りね。母は、絶対に彼女を認めようとしない」紫音は力なくうつむき、絞り出すように言った。「でも、母の気持ちも痛いほど分かるのよ。親なら誰だって、息子には釣り合いの取れた相手と結ばれて、平穏で幸せな家庭を築いてほしいと願うものじゃない?母からすれば、家柄も違い、その上重い病を抱えた有加里さんは、京極家の跡取りの重荷にしか見えないのよ」紫音はギュッと拳を握りしめ、言葉を紡ぎ続けた。「私はずっと信じてた。どんな困難があっても、兄なら必ず有加里さんとの関係を守り抜いて、いつか母に認めさせることができるって。でも……まさか彼女がこんな病に倒れて、二人がここまで追い詰められるなんて、思いもしなかったわ。世の中には、どれほどあがいても自分たちではコントロールできない、どうしようもない運命ってあるのね……」仕事において、紫音はどんな絶望的なトラ
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第700話

病院の重苦しい空気から逃れるようにして、二人は静かなプライベートルームへと場所を移した。張り詰めていた糸がふっと緩むような、久しぶりの静寂だった。紫音の会社で起きた極秘データの盗用事件、そして有加里の絶望的な病状――最近はあまりにも多くの悲劇とトラブルが立て続けに起こり、二人とも心身ともに限界まで疲弊しきっていた。どんな絶望的な状況でも、彼らは互いを唯一の理解者とし、背中を預け合って戦ってきた。しかし、今の紫音の心の中は、かつてないほどの無力感と悲哀で満たされていた。やはり、兄のことが気がかりでならない。あんなにも誇り高く、どんな困難にも信念を持って立ち向かってきた完璧な兄が、たった一つの愛のためにあそこまでボロボロになってしまうなんて。「……何があっても、私が君のそばにいる」沈黙を破ったのは、律の深く、甘い声だった。「君が背負う重荷は、すべて私が一緒に背負いたい。これからは、何もかも君一人で立ち向かおうとしないでほしい」その言葉には、切実なまでの愛情が込められていた。律にとって、拝島グループの権力闘争など、本当はどうでもよかった。彼が唯一執着し、心から大切にしているのは、目の前にいる紫音ただ一人なのだ。彼女には、毎日を笑顔で過ごしてほしい。自分が心から愛する会社経営という仕事にキラキラと輝きながら打ち込んでいてほしい。他人の恋愛のもつれや、泥沼の権力闘争に巻き込まれて、その美しい眉間に絶望の皺を刻むような日々など、絶対に送らせたくなかった。初めて彼女と出会った頃のことを思い出す。あの頃の紫音は、若き女性社長として仕事に完全に没頭し、自信に満ち溢れ、自分の人生を心から楽しんでいた。それなのに、今の彼女はどうだ。まともに食事をとる時間すらないほど、日々のトラブルに追われ、精神をすり減らしている。……すべては、私のせいだ。律の胸の奥に、鋭い自責の念がチクリと走った。自分と関わったせいで、彼女をこの絶え間ない嵐の中に引きずり込んでしまったのだ。自分を誰よりも愛してくれた祖母・志津の死は、律だけでなく、祖母を慕っていた紫音の心にも深い傷を残した。そして、それが引き金となって始まった拝島家の醜い後継者争いが、紫音から平穏な日常を奪ってしまった。もし自分と出会わなければ、彼女はもっと穏やかで、幸せな
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