All Chapters of 義妹に溺れる彼を捨て、私は宿敵の妻となる: Chapter 721 - Chapter 730

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第721話

もともと、二人はあまりにも違う世界で生きてきたのだ。極端なまでに自己防衛本能が強く、すべてを拒絶しようとする有加里と、一度決めたら絶対に手放そうとしない執着心の強すぎる自分。歪に絡み合った二人の歯車は、どれだけ互いを深く愛し合っていても、決して噛み合うことはなかった。この数日間の苦悩と深思熟考の末、州はようやくその残酷な真理を悟り、狂おしいほどの執着を手放す覚悟を決めたのだった。もはや、これ以上交わす言葉はなかった。愛する女性に静かな別れを告げると、州はゆっくりとその場から背を向けた。胸の中に渦巻く感情はあまりにも複雑で、到底言葉にできるものではなかった。ただ今は、誰の目にも触れず、一人きりで静かに息をしたかった。「……有加里さん」州の背中が見えなくなった後、紫音は静かに口を開いた。「事ここに至っては、私もこれ以上何も言わないわ。過去のことはすべて水に流して、今はただ、あなたの身体が少しでも楽になることだけを祈っている。……私はこれで失礼するけれど、もし何か困ったことがあったら、遠慮なく私を頼ってちょうだいね」紫音は短くそう告げると、静かに会釈をしてその場を後にした。足早に廊下を歩き、病院の入り口近くで立ち尽くしていた兄の姿を見つけると、紫音はそっと歩み寄った。「紫音……」妹の姿に気づいた州は、ひどく掠れた声で言った。その顔は限界まで疲労しきっており、虚脱感に満ちていた。「母さんの容態はまだ不安定だから、お前には苦労をかけるが、もう少しだけ母さんの傍についていてやってくれないか。何かあったら、すぐに連絡してくれ。……ごめん、俺は今、少しだけ一人になりたいんだ。少しの間、母さんのことはお前に任せる」それだけを言い残し、州は逃げるように病院の出口へと向かっていった。今は誰とも話したくなかったし、何も考えたくなかった。ただひたすらに、心を閉ざしてしまいたかった。この数年間、すべてを懸けて愛し抜いた女性との完全なる決別は、彼のような精神力の強い男でさえも、根こそぎ心をへし折られるほどの決定的な打撃だった。「分かったわ、お兄ちゃん。……母さんのことは私に任せて!」紫音は遠ざかる兄の背中に向かって、必死に明るい声を取り繕って叫んだ。「お兄ちゃんは昔から、どんな困難にも負けない強い人じ
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第722話

親である自分が折れたのだ。どんな反対を押し切ってでも有加里を守ると言っていた州の覚悟を認め、家族として受け入れると決めたのに。障害はすべて消え去り、二人はようやく幸せになれるとばかり思っていた。「有加里さんの決意は、私たちが想像する以上に固かったの。自分の病が、お兄ちゃんの人生を道連れにしてしまう……一番綺麗な記憶のまま、お兄ちゃんを解放したいって」紫音の言葉に、病室に重く息苦しい沈黙が落ちた。「そんな……だから、州は一緒に戻ってこなかったの……?」琴音の声が小刻みに震え始める。「ショックで……また一人でどこかで苦しんでいるんじゃないの?あの子は昔からそう!大きな傷を負えば負うほど、誰にも助けを求めずに全部一人で背負い込もうとする……っ」愛する我が子の、今まさに血を流しているであろう心が手に取るように分かり、琴音は顔を覆った。「ああ……なんてことなの……」ポロポロと、後悔の涙がシーツに染みを作っていく。「身分が合わないと、あの子と一緒になることを反対していたけれど……州が不幸になることのほうが、ずっと、ずっと耐えられないわ……!」胸が張り裂けそうだった。なぜ、優しい息子がこれほどまでに残酷な運命に弄ばれなければならないのか。「私がいけなかったのね……私が、最初から二人の交際を認めていれば……有加里さんを精神的に追い詰めることもなく、こんな結末にはならなかったのかもしれない……っ」幼い頃から優秀で、親に心配など一つもかけたことのなかった自慢の息子。その州が今、どれほどの絶望の底に突き落とされているのかと思うと、琴音は己の過去の傲慢さを呪わずにはいられなかった。「お母さん、自分を責めないで」紫音はベッドに寄り添い、涙に暮れる母の華奢な肩を優しく抱き寄せた。「有加里さんがお兄ちゃんを突き放したのには、他の誰でもない、彼女自身の強い決意があるの。……彼女はただ純粋に、お兄ちゃんのことを愛しすぎているだけなのよ」自分の命が長くないと知っているからこそ、愛する人の未来を、時間を、これ以上無駄にしてほしくない。お兄ちゃんには、日の当たる場所で真っ当な幸せを掴んでほしい。その切実なまでの願いが、有加里に過酷な決断をさせたのだ。「自分の身を引いてでも相手の人生を第一に想えるなんて……お兄ちゃんが自
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第723話

何としてでも母の身体を治したい。その一心で語りかける紫音だったが、琴音は困ったように小さくため息をついた。「大げさよ、紫音。昔から心臓が弱いのは分かっていることじゃないの。ストレスを溜めずに、毎日しっかりお薬を飲んでいれば、そのうち落ち着くわよ。だから、手術なんて……」強がる母の言葉の裏には、手術そのものへの恐怖だけでなく、家族に――特に娘に、これ以上の迷惑をかけたくないという親心が透けて見えた。「それに、紫音には仕事があるでしょう?毎日夜遅くまで会社のトップとして気を張っているのに、これ以上私にかまけていては、あなたが倒れてしまうわ。私のことはお父さんがいてくれるから大丈夫。だから、あなたは明日からちゃんと会社に戻りなさい」「お母さん……」紫音は、心配そうに自分を見つめる母の顔を見て、ふっと柔らかい微笑みを浮かべた。「会社のことなら、本当に心配いらないわ。今はすごく落ち着いているの」紫音は努めて明るい声を作った。「最近、新しく入ってくれた子たちがみんな本当に優秀でね。すごくモチベーションが高くて、頑張ってくれているのよ。私が抱えているプロジェクトも順調に進んでいるから、お母さんの側にいる時間くらい、いくらでも作れるわ。私はただ、お母さんに一日でも早く元気になってほしいだけなのよ」淀みなく紡がれたその言葉は――すべて、母を安心させるためだけの優しい嘘だった。……実際のところは、順調なんて言葉とは程遠いけど。紫音の脳裏に、現在進行形で会社を襲っている企業テロの惨状がよぎる。極秘データの盗用。見えざる内通者の存在。今まさに、自社は信じがたい裏切りと、いつ足元が崩れてもおかしくない血みどろの暗闘の真っ只中にあるのだ。会社の命運を懸けた綱渡りの日々。しかし、心臓の発作で倒れたばかりの母に、そんな地獄のような現状を口が裂けても言えるはずがなかった。お母さんは昔から、すごく気が強くて負けず嫌いな人だから。紫音は母の顔を見つめながら、内心でそっと息を吐いた。琴音は、どれだけ身体が辛くても絶対に弱音を吐かず、すべて一人で耐え忍んでしまうところがある。……だからこそ、私がしっかりしなきゃ。母の前では決して弱みを見せず、完璧な娘であり、有能な社長であり続けなければならない。紫音は決意を胸
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第724話

「本当……!?」パァッと顔を輝かせる娘を見て、琴音は優しく頷いた。本当は、手術どころか検査を受けることすら怖かった。結果を聞かされるたびに、自分の身体がどんどんダメになっていく現実を突きつけられるようで、恐ろしくてたまらなかったのだ。けれど、夫も娘も、自分を心から心配し、一日でも早く良くなってほしいと願ってくれている。家族をこれ以上、不安にさせるわけにはいかない。それにしても……自分のために一生懸命になってくれる子供たちの姿を見るのは、親としてこの上なく幸せなことだ。……だからこそ、州のことが心配なのよね……琴音の胸の奥には、愛する息子の悲痛な後ろ姿が焼き付いて離れなかった。一体あの子はいつになったら、あの息の詰まるような苦海から抜け出し、過去の愛という呪縛から解放されるのだろうか。そう思うと、また少しだけ、琴音の胸の奥がチクリと痛んだ。「お母さん、お兄ちゃんのことは本当に心配しないで。あの人はすごくプライドが高いし、精神的にもタフだから、必ず自分の力で立ち直ってくれるわ」紫音は、不安が抜けきらない母を安心させるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。「だから、しばらくの間は私たちから連絡するのはやめましょう。お兄ちゃんは今、誰にも邪魔されず一人で感情を整理する時間が必要なの。それに、自分が傷ついている姿を見せて、家族に心配をかけることを一番嫌がる人でしょう?」誰よりも兄の性格を理解しているからこそ、今はそっとしておくのが最大の優しさだと分かっているのだ。紫音の言葉に、琴音は深く納得したように頷いた。「ええ、そうね……本当に、あなたたち兄妹は絆が深くて、お互いのことをよく分かっているわ。……親である私が、あなたたちの恋愛にまであれこれ口出しするべきじゃなかったのかもしれないわね」琴音は自嘲気味に息を吐き出した。しかし、その瞳には次第に、名門・京極家の女主人としての現実的な光が戻りつつあった。「でもね、紫音。あの時はどうしても……あんな未来のない女性と州が一緒になるのを、黙って見ていられなかったのよ。だからこそ、あんなに強く反対してしまったの。……でも、これでようやく終わったのね。州ならきっと、これからもっとふさわしいお相手を見つけて、素晴らしい未来を築いていけるはずよ」それが、琴音の隠しきれ
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第725話

――深夜。深い疲労を滲ませた律が、ようやく屋敷へと帰還した。玄関の扉を開けた彼は、紫音はすでにベッドで眠っているか、あるいは琴音の付き添いで病院に泊まり込んでいるものとばかり思っていた。しかし、リビングに足を踏み入れた瞬間、彼は小さく息を呑んだ。柔らかな間接照明だけが灯る部屋のソファで、紫音が彼を待っていたのだ。疲れ切った彼を案じるような、ひどく心配そうな瞳が真っ直ぐに律を捉えた。「……紫音。こんな時間まで起きていたのか」律は驚きを隠せないまま、足早に彼女の元へと近づいた。その洗練された優雅な所作の端々に、隠しきれない疲労感が滲んでいる。「私を待たなくていいと、言ったはずだよ。早く休むようにと」律はソファの前にしゃがみ込み、紫音の手をそっと包み込んだ。少し冷えた彼女の指先を感じ、その美しい眉が痛ましげに顰められる。「最近は君の会社だって大変な時期だろう?それに加えて、琴音さんの入院や、ご家族のことで君がどれほど心を砕いているか……皆、君の支えを必要としているんだ。これ以上、君自身をすり減らすような真似はしないでくれ」愛しい女を真っ直ぐに見つめる律の瞳には、深い愛情と、そして拭いきれない罪悪感が揺らめいていた。なぜ、これほどまでに彼女に苦労をかけてしまうのか。なぜ、彼女をもっと温かく穏やかな世界で守り抜いてやれないのか。自分の無力さが、律の心を鋭く締め付けていた。「私は平気よ。全然疲れてなんかいないわ」紫音は首を横に振り、自分を包み込む律の大きな手を、逆にぎゅっと握り返した。「あなたが最近、どれだけたくさんの重圧を一人で抱え込んでいるか……私、分かっているの。あなたが一人で苦しんでいる姿を見るのは、私だって辛いわ」会社の経営という戦場において、今の自分では彼の助けになれないことは痛いほど理解している。「仕事の面で、あなたを直接助けてあげることはできないかもしれない。でも、せめて家に帰ってきた時くらい、あなたに寄り添っていたいの。私が話を聞くことで、あなたの心が少しでも軽くなるなら……そう思って待っていただけなのよ」そう語りかけながら、紫音は胸の奥がちくりと痛むのを感じた。思えば、共に過ごすようになってから、自分が彼のために何かをしてあげられたことなどあっただろうか。いつも彼
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第726話

「時間という薬が必要なこともある。時が経てば、州の心も少しずつ過去を受け入れていけるようになるさ。あいつにとって、乗り越えられない壁なんてないんだから」律の低く落ち着いた声が、紫音の震える背中を宥めるように優しく響いた。「それに、あいつが一番望んでいるのは、君たち家族がいつも通り笑顔でいることだ。自分のせいで家族に暗い影を落とすことを、州は誰よりも嫌うからね」律は紫音の柔らかな髪を撫でながら、言い聞かせるように語りかけた。会社の極秘データ盗用という爆弾を抱え、ただでさえ身を削るような日々を送っている彼女に、これ以上の心労を重ねてほしくはなかったのだ。「安心して。私なら大丈夫だから」紫音は律の温かい胸に顔を埋めたまま、小さく頷いた。「これからは、自分のことも少しは大切にするようにするわ。……昔はね、何事も完璧にこなさなきゃって自分を追い詰めていたところがあったの。でも、世の中には、どれだけ努力しても、どうにもならないことがあるんだって思い知らされたから」紫音はゆっくりと顔を上げ、律の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。「お兄ちゃんの話は、もうここで終わりにしましょう。この件は、お兄ちゃんにとって触れられたくない深い傷跡だもの。私たちがこれ以上踏み込むべきじゃないわ」そう微笑んでみせたのは、これ以上彼に余計な心配をかけまいとする紫音なりの気遣いでもあった。毎日ギリギリの精神状態で権力闘争の最前線に立っている彼に、自分の感情の重荷まで背負わせたくはなかったのだ。「……もうこんな時間だ。ベッドへ行こう」律は紫音の目元に浮かんだ涙の跡を指先でそっと拭うと、静かに告げた。「だが、君に一つ約束してほしい。これから先、私がどれだけ遅くなろうと、今日みたいに夜更かしして待つのはやめてくれ。君には、少しでも多く休んでほしいんだ」愛する女に心安らぐ時間すら満足に与えてやれず、ただ待たせることしかできない。その己の不甲斐なさが、律の胸をひそかに締め付けていた。「……うん、分かったわ」紫音は小さく微笑み、素直に頷いた。それ以上言葉を交わすことなく、二人は寄り添うようにして寝室へと向かった。翌朝。目を覚ました紫音が真っ先に向かったのは、母・琴音が入院している病院だった。昨日は精神的にも肉体的にも限界を迎えていた
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第727話

琴音は自嘲気味に呟き、ふっと暗い表情を見せた。その声には、隠しきれない罪悪感が滲んでいる。紫音と両親の間には、長年にわたるすれ違いの期間があった。ずっと心に深いしこりを抱えてきたが、様々な出来事を経てようやく完全に和解し、家族としての絆を取り戻すことができたのだ。これからは失われた空白の年月を埋め合わせるように、何気ない幸せな時間を一緒に楽しんでいきたい。そう願っていた矢先に、自分のふがいない身体のせいで、また子供たちに迷惑をかけてしまっている。それが琴音には口惜しかったのだ。「もう、お母さんったら。私にとって、お母さんの傍にいられることがどれだけ幸せなことか分かってる?」紫音は母の手をそっと握り、そのネガティブな思考を断ち切るように明るく微笑んだ。「だから、そんな風に自分を責めるのはやめて。今日は私が付き添うって決めたんだから。ちょうど会社の方も、急を要する案件は入っていないしね」「でも……」「それに、お母さんと一緒に中庭をお散歩したり、のんびりおしゃべりしたり……そういう時間を一緒に過ごせることが、今の私には一番の幸せなの。だから、今日だけは私のわがままを聞いて?」そう言って甘えるように微笑むと、琴音もようやく諦めたようにふっと表情を和らげた。……不思議ね。お母さんの前にいると、私っていつまで経っても子供のままだわ。紫音は内心で小さく息をついた。これまで、どんな困難にぶつかっても、両親が温かく守り、困ったことがあればいつもお兄ちゃんが先陣を切って解決してくれた。自分が彼らの『頼れる存在』として矢面に立つ日が来るなんて、昔は想像すらしていなかった。それどころか、今はお兄ちゃんも心に深い傷を負って姿を消している。結果的に、兄妹揃って両親に多大な心労をかけてしまっているのが現状だ。これからは、私が家族の支柱にならなきゃいけないんだわ。紫音は、どんな逆風が吹いても絶対に家族を守り抜ける強さを手に入れると、静かに、しかし強く心に誓った。「はいはい、分かったわ。紫音がそこまで言うなら、お母さんもお父さんも、大人しくあなたに従うわね」琴音は困ったように笑いながらも、その目尻は優しく下がっていた。頑固な娘には到底敵わないと降参しつつも、自分のためにそこまで一生懸命になってくれることが、母親として
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第728話

州は、両手で顔を覆うようにして深く俯いた。その背中は、見ているこちらが息苦しくなるほど悲痛に震えている。俺は……なんて情けないんだ。本当に、クソみたいな男だ……っ。自分自身の不甲斐なさが、無性に腹立たしかった。愛する女を失った悲劇の主人公を気取って、ただ悲しみの底に沈み込んでいるだけ。そのせいで、病床の母を泣かせ、家族にこれほどの心労をかけてしまっている。分かっている。こんなことをしても何の意味もないことくらい。だが、どうすればいいのか分からないのだ。目を閉じれば、有加里の冷たい拒絶の言葉が、その透き通るような悲しい瞳が、鮮明に蘇ってきて脳髄をかき乱す。逃げ場のない絶望から一時でも解放されたくて、狂ったようにアルコールを胃に流し込むしかなかった。それが結果的に、自分を案じてくれる家族の心をさらに深く抉っていると分かっていても――「……母さん、父さん。俺のことは放っておいてくれ」絞り出すような、掠れた声だった。「酒臭くて申し訳ない。でも、俺は自分が何をしてるか分かってる。頭は……ひどくクリアなんだ。ただ、こうでもしてアルコールで脳を麻痺させておかないと……正気でいられないんだよ」痛々しい告白に、病室の空気は凍りついた。「州……あなた、自分が何を言ってるか分かってるの!?これ以上、私たちを心配させてどうするの!」琴音は涙を堪えきれず、半ば悲鳴のような声を上げた。「この馬鹿な子……!一体いつになったら、あの呪縛から目を覚ましてくれるの……っ!」母の悲痛な叫びを浴びても、州はただ俯いたまま反論の一つもしなかった。まるで、家族からの罵倒と失望を、罪人として甘んじて受け入れようとしているかのように。「……州。お前の胸の内がどれほど無念で、張り裂けそうな思いをしているか、私たちにも痛いほど分かる。こんな姿のお前を見るのは、親として身を切られるほど辛い……」ずっと沈黙を保っていた父・隆之介が、深く、重いため息をついた。「私たち家族は、お前の苦しみをどうにかして取り除いてやりたいと願っている。だが……こればかりは、親の私たちにも手の出しようがない。その心の闇から抜け出せるのは、他の誰でもない、お前自身しかいないんだ」どんなに強大な権力を持っていようと、息子の心を縛り付ける『愛』という鎖だけは、隆之
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第729話

「――もういい。それくらいにしておけ」重苦しい悲哀に満ちた病室に、隆之介の低く、威厳のある声が響き渡った。「琴音、自分を責めるのはやめろ。州はもう立派な大人だ。自分の下した選択には、自分で責任を負うべき年齢だ。あいつが何をしようと、悩み抜いた末に出した結論なら、それが今のあいつにとっての最善なのだろう」「あなた……!」「勘違いするなよ、州。お前を見放すと言っているわけじゃない」隆之介は、縋るような妻の声を制し、真っ直ぐに息子を見据えた。「ただ、今の私たちが何を言っても、お前の耳には届かないだろう。それどころか、家族の存在や言葉が、今の狂いそうなほど追い詰められたお前には、足枷にしかならない」家長としての厳しさと、父親としての深い愛情。その両方を内包した隆之介の瞳に、州はわずかに肩を震わせた。「お前自身がどうしたいのか、これからどう生きるべきなのか。……誰の言葉にも縛られず、自分一人で決断しろ。私たちはもう、何も言わん」父の言葉を聞き、州の充血した目からついにボロボロと涙がこぼれ落ちた。見放されたのではない。むしろ、痛いほどに自分のことを案じ、尊重してくれているのだと分かったからだ。両親の深い愛情と、それに甘え、傷つけてばかりいる己の愚かさ。その落差が州の胸を激しくかきむしり、息もできないほどの罪悪感となって重くのしかかる。俺は……なんて親不孝な男なんだ……「……ごめん。父さん、母さん……本当に、ごめんなさい」州は子供のように嗚咽を漏らしながら、深く頭を下げた。「俺が馬鹿だった。もう……こんな惨めな姿は絶対に見せないから……っ」その言葉を聞いても、紫音はやりきれなさに目を逸らすことしかできなかった。兄の言葉が嘘だとは思わない。けれど、今の彼がすぐに立ち直れるとも思えなかったのだ。完全に自暴自棄になっているわけではない。しかし、彼の纏う空気には、もう『まともな日常に戻ろう』とする気力すら見受けられなかった。あんなに自信に満ち溢れて、光り輝いていたお兄ちゃんが、どうしてこんなことに……かつての完璧な兄の姿を知っているだけに、この哀れな落魄ぶりを見るのは、紫音にとっても身を切られるほど辛い。それに、母の病状や会社の危機など、今まさに京極家を襲っている数々の困難は、すべて紫音ひとりの細
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第730話

「大丈夫……よ……少し、ドキドキするだけで……」琴音は必死に気丈に振る舞おうとするが、精神的な極度のストレスと緊張が心臓に多大な負担をかけ、激しい動悸を引き起こしているのは明らかだった。その瞬間、病室の空気が一変した。緊迫した空気に、州の酔いも一瞬で冷めきった。「おい、どうした琴音!誰か、早く先生を呼んでくれ!!」隆之介が血相を変えて叫ぶ。「俺が行く……っ!」州は弾かれたように病室を飛び出し、廊下を無我夢中で駆け出した。「お母さん、怖がらないで!先生がすぐに来てくれるからね。私がずっとここにいるから!」紫音は震える両手で母の冷たい手をきつく握りしめ、必死に励ましの言葉をかけ続けた。数分後。「先生、早く!母が……!」医師を引き連れて戻ってきた州の顔は、死人のように青ざめていた。俺のせいだ。俺がこんなクソみたいな姿で現れて、母さんを不安にさせたから……!もしこのまま母の身に何かあったら、俺は一生自分を許せない。父さんも、紫音も、絶対に俺を許さないだろう。心臓が破裂しそうなほどの後悔と恐怖が、州を冷たく飲み込んでいく。医師の処置を待つ間、廊下で立ち尽くす州の耳には、騒ぎを聞きつけた看護師や他の患者の家族からの「静かにしてください」という咎めるような声が響いていたが、そんなものは全く気にならなかった。――自分にとって、有加里だけでなく、この家族がどれほどかけがえのない大切な存在だったか。こんなギリギリの状況になって初めて、州はそれに気付かされたのだ。「……ふう。とりあえず、大事には至りませんよ」診察を終えた医師の言葉に、家族全員が同時に深く息を吐き出した。「極度の緊張と感情の揺れで、一時的に頻脈を起こしただけです。軽い鎮静剤を点滴しておきましたから、少し休めば落ち着くでしょう。ただ、これ以上のストレスは厳禁ですよ」医師が病室を去った後、隆之介は膝から崩れ落ちるようにベッド脇の椅子にへたり込んだ。「ああっ……寿命が縮むかと思った。本当に、何事もなくてよかった……」隆之介は震える手で、眠るように目を閉じた妻の布団をそっと直した。その光景を見て、州は力なく壁に背を預けた。「……全部、俺の責任だ。俺が今日、こんな姿でここに来なければ、母さんにこんな発作を起こさせることもなかっ
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