All Chapters of ディリアン公爵様、奥様が離婚を望んでいます!: Chapter 431 - Chapter 440

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第431話

その朝、セレーネはひどく穏やかだった。執務机の後ろに真っ直ぐ背筋を伸ばして座り、髪もいつものようにシンプルにまとめている。高い窓から差し込む朝日が、整然と積まれた書類と机の上を撫でていた。しかし、その平静が完全に作り物であることは、彼女自身だけが知っていた。書類を握りしめる指先が、微かに白くなるほど強張っていた。数歩離れた場所に立つイラルドは、いつも通りの硬い姿勢を崩していなかった。だが、女主人の性格を熟知している彼は、セレーネが同じページをあまりにも長く見つめているだけで、何かが彼女を苛立たせていることに気づいていた。やがて、セレーネが顔を上げた。声は低かったが、刃のような鋭さを秘めていた。「つまり、彼女がお茶会を開きたいと?」イラルドは短く頷いた。「はい、奥様」セレーネはゆっくりと息を吐き出した。ただの疲労からのため息ではない。押し殺した苛立ちが色濃く混じっていた。手にしていた書類を机に投げ出す。紙の束そのものが不快であるかのように、乱暴に押し退けた。再びイラルドへと向けられた眼差しは、氷のように冷たく、ひどく理性的だった。「何も知らないのだと思っていたわ」セレーネはようやく口を開いた。「でもどうやら、自分が何をしているのかを完璧に理解しているようね。自分の立ち位置を誇示したいのよ……自分が公爵の女なのだと」イラルドは反射的に息を呑んだ。そして、沈黙を選んだ。言葉を一つでも間違えれば、一瞬で引火する。こんな朝からセレーネの感情を逆撫でするほど、彼は愚かではなかった。数秒の沈黙の後、セレーネが再び口を開いた。彼女は平坦な声で言った。「それなら、望み通りにしてやればいいわ」イラルドは明らかに驚いた顔でセレーネを見た。「奥様……この城では、もう随分と長い間宴が開かれておりません。彼女のために、本当に宴を開かれるおつもりですか?」セレーネはすぐには答えなかった。机の上で両手の指を絡ませ、反論を一切許さない響きで告げた。「彼女が望んでいるの。なら、やって頂戴」「それでしたら、公爵閣下にご報告を――」イラルドは意を決して言った。「必要ないわ」セレーネが遮る。「彼女の思い通りに手配しなさい」イラルドは黙り込んだ。セレーネを見つめ、過去から今まで決して変わらない一つの事実を思
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第432話

セレーネはヴィヴィエンヌを長く、あまりにも長く見つめていた。これ以上会話を続ける価値があるのか、それとも、これがもっと残酷な何かに変貌してしまう前にここで断ち切るべきなのかを量るように。「ヴィヴィエンヌ」セレーネはようやく口を開いた。声は穏やかだが、明確な警告の響きが混じっていた。「もし何かが起きて、それをディリアンが知ったとしても、私は助け舟を出さないわ。もしそんなことになれば……あなたは決して、無傷では済まない」ヴィヴィエンヌは短く、冷ややかに笑った。「ディリアンの全てを知っているような口ぶりで、説教するのはやめてちょうだい」彼女は鋭く言い返した。目を細め、迷いなく続ける。「一つだけ覚えておきなさい。あなたはただの身代わりよ、セレーネ。ディリアンの本当の女である、私のね」その言葉がもたらした衝撃は、ヴィヴィエンヌが想像していたよりも遥かに大きかった。セレーネは長く息を吐き出し、胸をゆっくりと上下させた。驚きはなかった。それよりも、疲労感だった。ヴィヴィエンヌが未だに、過去こそが自分を傷つける最大の武器であると信じ込んでいることに、彼女はひどく疲れていた。セレーネはゆっくりと首を横に振り、唇の端に皮肉めいた薄い笑みを浮かべた。「まだ、そんなことを言っているのね」彼女は、ほとんど自分自身に語りかけるように呟いた。「ほんの僅かな真実を知っただけで、すべてを見通した気になっているのね」ヴィヴィエンヌは依然として、見下すような軽蔑の眼差しで彼女を睨みつけている。セレーネは前に進み出た。その眼差しは、今や氷のように冷たくなっていた。「ヴィヴィエンヌ、あなたは自分が何に直面しようとしているのか、分かっていない。この城の内部で何が動いているのか、ましてや……ディリアンの胸の内で何が蠢いているのか、何も知らないでしょう」ヴィヴィエンヌが口を挟もうとしたが、セレーネは先を制して片手を上げ、それを止めた。「少しは現実から学びなさい」セレーネの声は微かだが、断固としていた。「すでに起きてしまった事象から。あまりにも多くの人間を破滅させてきた事実から。火遊びをする度胸があるというだけで、火の全てを理解した気にならないことね」「自分が何をしているかくらい、分かっているわ」セレーネは怯むことなくヴィヴ
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第433話

全員の視線が、モルウェンナに集中していた。ダグニー、ディヴリオ、ジェイ、騎士たち、そしてアニーまでもが、本能的に動きを止めていた。訓練場の空気が変質する。まるで風が突如として息を潜めたかのようだった。モルウェンナはただ静かにそこに立っていた。自分が注目の的になっていることなど、微塵も気にかけていないかのように。一方のセレーネは……依然として沈黙していた。その顔はあまりにも不自然なほどに凪いでいた。その静けさが、かえってダグニーとディヴリオをパニックに陥らせた。「ママ、あいつと口を利いちゃ駄目!」ダグニーが大声を上げ、反射的にセレーネのドレスの裾を強く引っ張る。「そうだよ!」ディヴリオがすかさず同調し、自身の小さな体でセレーネを半ば庇うように立ち塞がった。「ママ、悪いやつとお話しちゃ駄目だ!」数人の騎士が、吹き出しそうになるのを必死に堪えてむせ返った。ジェイは長いため息をつく。この状況がどこへ向かうのか、すでに容易に想像がついたからだ。対照的に、モルウェンナはただ微笑んだ。その笑みは優しく、親しげでさえあった――だが、少し身を屈め、二人の子供と目線を合わせた時、彼女の瞳には奇妙な光が瞬いた。「悪いやつ?」彼女は軽やかに尋ねた。まるで、子供の冗談に付き合ってやっているかのように。「あなたたちの目には、私が悪いやつに見えるのかしら?」ダグニーとディヴリオに、考える時間など必要なかった。「うん!」二人は声を揃えて即答した。あまりにも正直で、無邪気すぎる回答。モルウェンナは小さく声を立てて笑った。大きな笑い声ではない。風の囁きのように、静かに響く笑い声だった。やがて、彼女はセレーネへと視線を上げた。子供たちを制止するでもなく、叱るでもなく、後ろに引き下がらせることもせず、ただ黙って見ているだけのセレーネへ。それは……実に興味深かった。「まだお話しになっていなかったのかしら」モルウェンナはゆっくりと言葉を紡ぐ。「私が、この子たちの『母親』になるということを」その声は、微かに傷ついているようにさえ聞こえた。あくまで、聞こえただけだが。セレーネも、周囲の者たちも、ただ彼女を見つめている。「自分の可愛い継子に、私がどうして悪いことなんてできるでしょう?」セレーネが口を開
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第434話

冷たい沈黙に落ちたその一言は、どんな露骨な侮辱よりも痛烈にモルウェンナの胸をえぐった。ほんの一瞬、彼女はただセレーネを見つめていた。最初から完全に見落としていた一つの事実に、唐突に気づかされて。セレーネは短く息を吸い込み、氷のように冷たく、完璧に統制された声で言った。「他に重要な用件がないのなら、もう行くわ。そしてモルウェンナ、二度と私たちが親しい間柄であるかのような口の利き方をしないで」モルウェンナは低くくすくすと笑った。その声は軽く、一聴しただけでは無害な笑い声に聞こえたが、セレーネの眉をひそめさせるには十分だった。「どうして仲良くできないのかしら」モルウェンナは気楽な調子で言った。「私たち、運命の糸で結ばれているというのに」セレーネは少しだけ体を斜めに向け、一切の容赦のない鋭い眼差しで彼女を射抜いた。「私とあなたを繋ぐ運命の糸など、どこにも存在しないわ」断固として言い切る。「そんな馬鹿げた戯言はもうやめなさい。自分の人生のことでも考えて、私には近づかないことね。あなたのような人間と関わり合いになるつもりは毛頭ないわ」返事も待たずに、セレーネはモルウェンナの横を通り過ぎた。ドレスの裾がふわりと揺れる。しかしその歩みの一歩一歩に、明確な拒絶が込められていた。「私のことが、随分とお嫌いみたいね」背後からモルウェンナの声が追いかけてくる。セレーネは足を止めた。振り返りはしない。背後に立つモルウェンナもまた、その場から一歩も動かなかった。まるで、セレーネの背中こそが、自分に与えられる唯一の答えであると悟っているかのように。「ええ、とても嫌いよ」セレーネはようやく口を開いた。その声は酷く冷え切っていたが、何よりも正直だった。「あなたはヴィヴィエンヌと同じ。恥知らずにも、私の夫を誘惑したのだから」そして、彼女は歩き去った。足音が遠ざかっていく。モルウェンナは生唾を飲み込んだ。胸の奥が、今まで味わったことのない感情で満たされていく。怒りでもない、悲しみでもない。あまりにも的を射すぎた言葉によって抉られた、生々しい傷の痛みだった。彼女は俯いた。アニーが、足音を忍ばせて近づいてくる。「……ずっとここに立っていらっしゃるおつもりですか?」モルウェンナはゆっくりと顔を向け、感情の読めない瞳
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第435話

その場にいた全員が、言葉を失った。エステラの問いは、細く鋭い刃のように、今にも落ちてきそうな危うさで宙にぶら下がっていた。その時になって初めて、客たちは最初からずっと胸の奥で燻っていた違和感の正体に気づいた。誰もが口に出すことを恐れていた、その明確な事実に。セレーネが、いない。この豪奢な温室にいるのは、目を引く赤髪のモルウェンナと、少し離れた場所で薄く微笑むヴィヴィエンヌ、そして頭を垂れて行き交う使用人たちだけだった。レヴェンティスの女主人が座るべき椅子は空席だ。無視するにはあまりにも、露骨すぎるほどに。モルウェンナは背筋を伸ばした。数秒の息苦しい静寂の後、ひび割れそうな平静を必死に保ちながら、ようやく彼女は口を開いた。彼女は静かに、しかしはっきりと言った。「招待状がなくとも、公爵夫人は出席されるのが当然ではありませんか?このお茶会は、私たちが共に暮らす城の中で開かれているのですから」その言葉が落ちた瞬間、空気が変わった。何人かの貴族夫人が顔を見合わせ、もはや隠そうともしない薄笑いを浮かべた。それは友好的な笑みではない。氷のように冷たい嘲笑だった。まるで、モルウェンナが自覚すらないまま、今ここで自らに泥を塗ったとでも言うように。エステラが声を立てて笑った。扇で口元を隠し、心の底から楽しそうに目を細めている。「私の聞き間違いかしら?」彼女は軽やかに言った。「あなた、レヴェンティス公爵夫人が自分の使用人だとでも思っているの?」モルウェンナは凍りついた。彼女の視線がエステラの瞳とぶつかる。ここで初めて、彼女は胸が押し潰されるような本物の重圧を感じた。皇妃は続ける。声は依然として気楽だったが、その言葉の端々が急所を突き刺した。薄い笑みを浮かべて彼女は言う。「この私でさえ、招待状もなしに彼女を呼びつけることなどできないわ。一体自分のことを何様だと思っているの?彼女が慈悲をかけて、あなたのお茶会に出席しなければならない理由など、どこにあるというの?」モルウェンナはゆっくりと息を吸い込み、指先から這い上がってくる震えを必死に抑え込んだ。彼女は早口で言い返す。「私と彼女は、共に、レヴェンティス公爵の女です」今度こそ、エステラは笑い声を隠そうともしなかった。その笑い声は温室に響き渡り、澄み切っ
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第436話

その場にいた全員が、凍りついたように息を呑んだ。まるで時間が止まったかのようだった。血走った目で荒い息を吐きながら、モルウェンナがレヴェンティス城で決して口にしてはならない言葉を放った、その瞬間。「この女を殺してやる!」決して大きな声ではなかったが、ひどく鮮明で、酷薄だった。聞く者全ての血の気を引かせるほどに、生々しい響きを帯びていた。ディリアンの体が強張る。モルウェンナの腕を掴む手に、反射的に力が入った。ほんの少しでも気を抜けば、彼女が本当にセレーネに飛びかかりかねないと危惧するかのように。「どういう意味だ?」地を這うような低い声だが、そこには危険な威圧感が込められていた。モルウェンナが顔を上げる。そこに涙はない。あるのは剥き出しの怒りと、もはや隠そうともしない憎悪だけだ。「殺してやるって言ったのよ!」彼女は繰り返した。今度はより鋭く、よりはっきりと。その場にいる全員に、確かに理解させるために。何人かの使用人が短い悲鳴を漏らした。護衛の騎士たちは顔を見合わせ、直ちに動くべきか、それとも命令を待つべきか戸惑っている。「そんな真似はさせない」ディリアンが断固として言い放つ。その声は氷のように冷たかった。モルウェンナは短く笑った。狂気を孕んだ、ひび割れたような笑い声だ。「どうしてできないの!?」彼女は金切り声を上げる。「今すぐ、この女を殺してやることだってできるのよ!」その言葉は、鋭い刃のように空気を切り裂いた。ディリアンがセレーネへと顔を向ける。一瞬、その眼差しが揺さぶられた。命令と、懸念と、そして言葉にする間もなかった、より深い何かが入り混じっていた。「セレーネ」彼は早口で促した。「ここから離れろ!」セレーネは彼を見つめ返した。一歩も動かない。「どうして私が、立ち去らなければならないの?」静かだが、はっきりとした声。その平静さの裏には傷があり、あまりにも長く抱え込みすぎた疲労が滲んでいた。モルウェンナが空を裂くような声で叫んだ。「そうよ!あなたはそこにいなさい!逃げるんじゃないわよ!さあ、私と殺し合いなさい!」セレーネは微笑んだ。友好的な笑みではない。薄く、冷酷で、突き刺すような笑み。「私は、薄汚い下賤な人間ではないの」彼女はひどく平坦に言い放った。
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第437話

モルウェンナは凍りついた。ほんの一瞬だった。だが、怒りに引き攣る顔が再び爆発の糸口を探すのをやめるには、十分な長さだった。ディリアンの言葉が頭の中で反響し、これまで意図的に目を背け続けてきた一つの事実を容赦なく打ち据えた。呪い。絆。単なる意志や力では決して断ち切れない、三人をがんじがらめに縛り付ける運命。彼女は忘れていた。あるいは……思い出したくなかったのだ。セレーネを殺すことは、自分自身を殺すことと同義である。そしてそれは、ディリアンをも殺すことを意味していた。しかし、怒りは論理を曇らせる猛毒だ。モルウェンナは引き下がりたくなかった。屈服したくなかった。負け犬の姿を晒すことなど、断じて耐えられなかった。自分が渇望する男と、憎悪する女の目の前では特に。ディリアンは依然として彼女の腕を強く掴んでいた。乱暴ではないが、このまま逃げ去ることなど不可能だと悟らせるには十分な力だった。「どういう意味か、分かっているはずだ」ディリアンは再び口を開いた。低く、断固とした声。過剰な感情が削ぎ落とされている分、その響きはひどく残酷だった。「あの絆は冗談じゃない。お前がどれだけ否定しようと、気にしていないふりをしようと……もしセレーネが死ねば、直接的であれ間接的であれ、あの呪いがお前を呑み込む」モルウェンナは生唾を飲み込んだ。怒りが爆発して以来、初めて、その顔に躊躇いが差した。ほんの些細な揺らぎではない――闇を塗り固めて築き上げてきた彼女の絶対的な確信に、微細な亀裂が走ったのだ。「死ぬことなんて、怖くないわ」彼女は低い声で呻いた。それは挑発というよりも、脆く崩れ落ちそうな告白のように聞こえた。ディリアンは彼女を長く見つめた。「怖いか怖くないかの問題じゃない」と反論した。「結果、代償の話をしているんだ」彼は少し距離を詰めた。モルウェンナがその眼差しから逃れられないほどの近さまで。ディリアンは静かに続けた。「そして今日、俺は初めて、お前に『頭を使え』と頼んでいるんだ」二人の間に静寂が降りた。金切り声も、抵抗もない。ただ、モルウェンナの重く不規則な呼吸音と、未だ胸の内で渦巻く怒りの動悸だけがあった。消え去ってはいない。ただ、押さえ込まれているだけ。炎はまだそこにある。彼女の身を焦がしている。だが今、その炎
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第438話

翌日。モルウェンナは窓辺の椅子に静かに腰を下ろしていた。背筋は真っ直ぐに伸びていたが、その肩は鉛のように重く見えた。薄いカーテン越しに差し込む朝の光が、床に柔らかな影を落とす。彼女の胸の内で煮えたぎる、暗く、燃え盛る感情とはひどく対照的だった。彼女の目の前で、ヴィヴィエンヌとアニーが、わざわざ彼女宛てに届けられた「贈り物」を忙しなく開封している。一つ、また一つと。大きな笑い声も、過剰な当て擦りもない。だが、だからこそ、その侮辱はより鋭く胸を抉った。ひび割れたティーカップ。金継ぎでこれ見よがしに修復されており、その意味はあまりにも明白だった。高価な金箱に詰められた、安物の粗悪な茶葉。銀メッキの小さな箒。色褪せて使い古されたレースの手袋。鳥籠に囚われた鳥が彫られた小さな手鏡。針のない置き時計。古びて時代遅れな貴族の礼儀作法書。そして、真珠のネックレス……だが、真珠はたった一粒しかついていない。そのような品々が、次々と箱から現れた。これらは単なる品物ではない。メッセージだ。上品な微笑みと貴族の礼儀作法というオブラートに包まれた皮肉。自分の手を汚すことなく、最も残酷な方法で相手に恥をかかせるための手段だった。モルウェンナは動かなかった。テーブルを叩きつけることも、金切り声を上げることもない。しかし、その平静の裏側で、怒りは激しく沸騰していた。骨の髄まで噛み砕き、忍耐の限界を焼き焦がしそうになっていた。ヴィヴィエンヌはテーブルの傍らに立ち、アニーが品物を整理するのを手伝っていた。その口元には薄い笑みが浮かんでいる。礼儀正しいと呼べる程度には控えめだが、嘲笑だと読み取るには十分すぎるほど明確な笑みだった。モルウェンナはようやく口を開いた。声は静かだったが、薄い剃刀の刃のように鋭かった。「アニー」振り返らずに命じる。「私が指定した物を集めなさい」アニーの手が止まった。古いレースの手袋を握る指先が、無意識に強張る。その顔には明らかな躊躇いがあった。彼女は愚かではない。その命令が何を意味するのか、理解していた。「……畏まりました」彼女はついに答え、深々と頭を下げてから動き出した。ヴィヴィエンヌがモルウェンナをちらりと見た。「あいつら全員に、復讐する気?」モルウェンナはゆっくりと顔を向けた。その眼差しは
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第439話

脅しも、弁明もなかった。そこにあったのは、ただ冷徹な決意だけだ。ヴィヴィエンヌはしばし押し黙った後、くすくすと短く笑い声を立てた。だが、その響きはどこまでも空虚だった。彼女は踵を返し、それ以上の言葉を残すことなく部屋を去った。扉が閉まる。モルウェンナは、再び一人になった。空になったテーブルを見つめ、やがて窓の外へと視線を移す。夕暮れの光は、今まさに夜の闇に呑み込まれようとしていた。その顔に達成感はない。喜びの欠片すらない。ただ一つの確信だけが、そこに静かに鎮座していた。先ほどまで自分を嘲笑っていた世界が、間もなく、はるかに苦い結末を味わうことになる。それは公開処刑でも、粗暴な復讐でもない。真綿で首を絞めるような、洗練された教訓だ。モルウェンナを見下すことが、二度と繰り返してはならない致命的な過ちであると、骨の髄まで刻み込んでやるための教訓だった。翌朝、帝国は狂乱の只中で目を覚ました。凶報は暁の鐘よりも早く駆け巡った。貴族の夫人たちが次々と病に倒れたのだ。宮廷の医術書にも記載がない、前代未聞の奇病。彼女たちの身体には、皮膚の下から滲み出たような、細かい傷跡に似た発疹が無数に浮かび上がっていた。焼け付くような熱と刺すような痛みが、徐々に体力を奪っていく。だが、最も奇怪なのはその症状ではなく、発症する「法則性」だった。無差別に広がる病ではない。特定の女たちだけが、狙い撃ちにされていた。その名が、広間から広間へ、茶室から使用人部屋へと囁かれる。彼女たちは皆、昨日のお茶会の出席者だった。高笑いし、嘲り、紅茶に口をつけることすらなく立ち去った者たちだ。小宮殿は封鎖された。腕利きの医師たちが急遽召集される。祈祷が行われ、ありとあらゆる霊薬が試されたが、確かな治療法は一つも見つからない。この病は伝染性ではなかった。接触でも、空気でも、食物からでも感染しない。まるで病自体が意志を持ち、標的を選び取っているかのように、極めて限定的に発現していた。そしてモルウェンナは……全てを把握していた。自室に静かに腰掛け、怯えきった使用人たちの囁き声を通して、その報告を聞いていた。表情に変化はない。勝利の笑みもなければ、狼狽える素振りもない。ただ深い静寂があるだけだ。まるで、事が自らの描いた完璧な筋書き通りに進んでいるとでも言うように。
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第440話

大広間は、水を打ったように静まり返っていた。側面の階段から足音が響き、やがてモルウェンナが姿を現す。足取りはゆっくりと、いつものように優雅だった。エステラと帝国中の前で、まさに今自らの名が業火に焼かれようとしている人間にしては、その顔はあまりにも凪ぎ切っていた。ドレスの着こなしに乱れはなく、赤髪は完璧に結い上げられていた。外の世界が崩壊していることなど、欠片も気にかけていないかのように。彼女の視線が、目の前に並ぶ焼け爛れた顔の群れをゆっくりと舐める。ほんのコンマ数秒、極めて短い間だが、その瞳の奥に、誰の目にも留まらないほどの仄暗い満足感が閃いた。「皇妃殿下」モルウェンナは浅く礼をし、上品に口を開いた。「ご来訪とは……思いもよりませんでした」エステラが一歩、前に踏み出す。背後に控える軍隊も一斉に動き、その手はすでに剣の柄にかかっていた。「白々しい真似はやめなさい」エステラが歯の間から威嚇の音を漏らす。「私たちに、何を盛ったの?」モルウェンナは眉を上げ、大袈裟に驚いてみせた。「盛った、ですって?」柔らかくオウム返しにする。「皆様の方から、私に『贈り物』を届けに来てくださったのではありませんの?」貴族の女たちの間から、怒りの囁きが爆発した。「この呪われた魔女め!」一人が金切り声を上げる。その声は激しく震えていた。「私たちの顔を見なさいよ!」モルウェンナは彼女たちの顔を順にねっとりと見つめ、そして、薄く微笑んだ。「ああ……その腫れ物、本当に、お気の毒ですこと」ディリアンが鋭く彼女を睨みつけて警告した。「モルウェンナ、やめろ」しかし、エステラにはもはやそんな制止など耳に入らなかった。「あなたの三文芝居を見に来たわけじゃないのよ」エステラが氷点下の声で吐き捨てる。「もしこれがあなたの仕業だと証明されれば、帝国の法廷に引き摺り出してやるわ。ディリアン・レヴェンティスでさえ、あなたを庇いきれない法廷へね」モルウェンナはゆっくりとディリアンの方へ顔を向け、再びエステラへと視線を戻した。「証拠、ですって」囁くように、柔らかく響く声。「それなら、その証拠とやらを私に見せていただけますか、殿下?」再び、沈黙が落ちた。大広間の隅で、セレーネはイラルドと共に静かに
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