Tous les chapitres de : Chapitre 621 - Chapitre 630

760

第621話

裕也の表情は依然として暗く沈み、喜んでいるのか怒っているのか、その感情は読み取れない。「確かに妙だな。どうやら母は、随分と多くの秘密を抱え込んでいるらしい」長い睫毛を伏せ、瞳の奥で渦巻く感情を隠すように、それ以上は何も口にしない。章と隆は顔を見合わせ、そのまま沈黙する。二人は常に一線をわきまえていた。踏み込みすぎず、引くべきところでは引く。それが彼らの流儀であり、何より裕也は昔から聡明な男だった。現在、藤原家を巡る報道は後を絶たず、雪枝の件はすでに世間を大きく騒がせている。もはや揉み消すことなど不可能であり、無理に火消しを図れば、ネット上で陰謀論が飛び交い、かえって事態を悪化させるだけだろう。ただ、長年の付き合いである彼らは裕也の事情をよく知っている。両親から愛情を注がれずに育った彼を思うと、どうしても不憫でならなかった。一方その頃。サウナ室でたっぷりと汗を流した絵里は、至福の吐息を漏らす。透き通るような白い肌は上気して淡く赤みを帯び、その瑞々しく艶やかな姿に、篠は思わず何度も見惚れてしまう。「人と比べても仕方ないとは言うけど、本当に肌が綺麗すぎるわ。やっぱり、どれだけ努力しても生まれ持ったものには敵わないのね」篠は感嘆の声を上げる。その胸にあるのは、純粋な羨望と称賛だけだ。実際のところ、篠も色白ではある。だが、絵里と並ぶとどうしても霞んでしまう。絵里は可笑しそうに彼女を横目で見て、タオルでしなやかな首筋を拭う。「他の人が言うなら信じるけど、あなたが言うと、お世辞にしか聞こえないわ」「なんでよ。私の言葉ってそんなに信用ない?」「だって、あなた自身がすごく優秀だから。美人で仕事もできるあなたにそんなことを言われると、なんだか恐縮しちゃうのよ」サウナで頬を上気させた篠は、吹き出すように笑う。「なるほど、お互い褒め殺しってわけね」絵里は肩をすくめる。「本音を言っただけよ」篠はますます楽しそうに笑い声を上げた。絵里と過ごす時間が長くなるにつれ、篠は彼女のことをますます好きになっていた。裏表がなく、気取らず、誰に対しても誠実なのだ。「よし、褒め合いはこのくらいにして、お腹も空いたし、ご飯に行きましょ」「ええ、そうね」絵里は汗を拭き、篠と共にサウナ室を出る。身支度を整え、そのまま
Read More

第622話

「いいのよ。どうせ裕也のカードを切ったんだし」絵里は軽く笑う。篠は勢いよく頷く。「その通り。あいつの金はどんどん使うべきよ。こっちは海外で三ヶ月のバカンスを満喫するはずだったのに、あいつの電話一本で呼び戻されて、こき使われてるんだから」藤原グループの子会社は、表向きこそ問題なく見えたものの、実際は帳簿もプロジェクトも滅茶苦茶だった。篠が引き継いだ最初の一か月は目が回るほど忙しく、立て直すだけでも相当な苦労を強いられたらしい。少しだけ開いた車の窓から夜風が忍び込み、かすかな冷気を伴って頬を撫でていく。絵里はその心地よさに身を委ね、シートの背もたれへ頭を預ける。その時、不意にLINEの通知音が鳴る。裕也からだった。【買い物は終わって帰った?今日は楽しかった?】【まあ、楽しかったと思うよ。自分が夫のいる身だってことを忘れそうになるくらいにはね】絵里は思わず吹き出しそうになり、口元を緩める。【まだ仮採用の夫だからね。本採用まではもう少し頑張って】裕也からの返信はすぐに届く。文面からは怒っている気配など微塵も感じられない。【分かった。早く正式な絵里の夫になれるよう頑張るよ】絵里はその返信を見て、くすりと笑う。他人の目には、冷静沈着で冷酷な男に映る裕也。だが、自分の前ではまるで違う。最初こそ少し毒舌だったものの、今では大人の余裕と優しさにあふれ、呆れるほど甘やかしてくれる。まだ結婚して数か月しか経っていないというのに、裕也の態度はいつも、まるで長い年月を経て結ばれた恋人同士のような錯覚を抱かせる。とりわけ、何度でも迷うことなく自分を選んでくれるその揺るぎない姿勢は、胸の奥に火を灯すように静かに、しかし力強く燃え広がり、たまらないほどの温もりを与えてくれる。そんなことを考えながら、絵里は返信こそしないものの、手元でそっとスマホを握り締める。篠はハンドルを握りながら、小さく鼻歌を口ずさんでいる。どこか切なく、それでいて叙情的なメロディーで、思わず聴き入ってしまう。彼女は仕事のできるキャリアウーマンそのものといった雰囲気なので、絵里はてっきりジャズのような音楽を好むのだと思っていた。ふと、篠は絵里が甘い笑みを浮かべていることに気づき、眉を上げて横目でちらりと見る。「メッセージ一つでそん
Read More

第623話

裕也の深みを帯びた瞳が絵里をじっと見つめている。その眼差しは、どこか拗ねたようでもあった。「結婚して数ヶ月で別居する夫婦なんて聞いたことがない。当然、自分の『妻』を迎えに来たんだ」絵里は唇をきゅっと結び、後ろめたさに目を伏せる。反論の言葉すら出てこない。裕也は遠慮する様子もなく、彼女の手から荷物を受け取ると、先に部屋へと入っていく。「どこに置けばいい?」「ソファにお願い」裕也は大股で歩き、あっという間に荷物をソファへ置く。荷物を見下ろす彼の表情からは、先ほどまでの沈んだ空気がすっかり消え、どこか密かに喜んでいるようにも見えた。「今日の買い物は楽しかったか?今度は俺も付き合うよ」絵里は目を細め、優しげでどこか浮き立った様子の彼を見つめながら、あの星空の腕時計のことを思い出す。無言のまま主寝室へ向かう。ほどなくして戻ってくると、上品な箱を彼へ差し出した。「これは?」裕也が視線を上げる。その目がわずかに見開かれ、瞳の奥にぱっと光が宿る。絵里は少し目を伏せて口を開く。「これ、前に用意していたあなたへの誕生日プレゼント。気に入るかどうか分からないけど」入籍した日から、裕也の腕にはいつもあの星空の腕時計があった。クローゼットのアクセサリーケースには、あらゆるブランドやデザインの時計が揃っているというのに、彼はなぜかその一本だけを愛用していた。あの頃の絵里は、それが誰か大切な人から贈られたものなのだと思い込んでいた。だからこそ、彼の誕生日にはあえて別の腕時計を選んだのだ。本音を言えば、妻である自分が贈ったものを身につけてほしいという想いがあった。「すごくいい」裕也は待ちきれない様子で箱を開ける。中には、黒い文字盤に黒いベルトを合わせた機械式腕時計が収められている。照明を受けた文字盤が美しく輝き、落ち着いたシックなデザインからも、一目で最高級品だと分かる。彼がそっと風防を撫でると、深い瞳に複雑な色がよぎり、喉仏が小さく上下する。しかし俯いたままなので、絵里には彼がどれほど喜んでいるのか分からない。「もし気に入らないなら、別のものを贈るわ」「気に入った」裕也は着けていた腕時計を外し、顔を上げて彼女へ穏やかな笑みを向ける。「絵里がくれたものなら、何だって嬉しい。お
Read More

第624話

絵里はくるりと身を翻し、足早に主寝室へ逃げ込む。その慌てた後ろ姿を見送りながら、裕也の唇から低い笑い声が漏れる。漆黒の瞳には、甘やかすような優しい光が宿っていた。その夜、絵里はベッドの中で何度も寝返りを打ちながら、時計のことを考え続ける。だが、彼を問い詰める気にはなれない。今、一番重要なのはじいちゃんの治療だ。それに、田中さんの怪我に関わるボイスレコーダーも探し出さなければならない。これらの問題が片付くまでは、恋愛に心を奪われている余裕などない。しかも、やるべきことは山ほどある。新エネルギーシステムの開発に加え、次世代システムチップのリリースも控えている。その上、会社が抱える潜在的な危機にも対処しなければならない。裕也はコンペの席で、水原グループとの提携を解消しないと明言してくれた。だが、恋愛であれ仕事であれ、自分自身が強くなってこそ、選択する権利も、自信も手に入れられるのだ。翌朝。絵里が目を覚ますと、驚いたことに裕也はまだ帰っていない。それどころか、朝食まで用意してくれている。鍋からは湯気が立ち上り、食欲を誘う香りが部屋いっぱいに漂っていた。絵里は白いジャケットに黒のロングスカートを合わせ、豊かな巻き髪を揺らしている。その姿は息を呑むほど美しい。だが今、その瞳には戸惑いが浮かんでいた。「どうしてまだいるの?」「妻の家にいるんだ。そんなに急いで帰る理由があるか?俺たちは不倫してるわけじゃないんだぞ」「……」裕也に毒舌を返されると、絵里はいつも言葉を失ってしまう。裕也は白いシャツの袖を肘までまくり、黒いスラックス姿で立っている。引き締まった体躯にエプロンをつけた姿はどこか家庭的で、穏やかな夫そのものだった。絵里をダイニングテーブルへ導き、椅子を引いて肩を軽く押し、座らせる。「朝食を食べてから会社へ行きなさい。そのほうが胃にも優しい」その言葉に、絵里の胸へぽっと温かなものが灯る。誰かに大切にされるこの感覚は、両親に愛されていた頃を思い出させた。絵里はコンロの前に立つ裕也を見つめる。彼はミトンをはめ、鍋で蒸していた料理を一品ずつ取り出し、丁寧に食卓へ並べていく。「お前の好きなものばかりだ。牛乳が苦手なら、豆乳でもいい」そう言ってエプロンを外す仕草まで、どこまでも優しく、
Read More

第625話

絵里は顔を曇らせ、頭をフル回転させる。やがて、その視線がオフィスの扉へ向く。扉一枚隔てているだけだというのに、その眼差しは中にいる人物を見透かし、八つ裂きにせんばかりの鋭さを帯びている。「心配しないで。すぐ状況を調べるから、連絡を待っていて」胸の奥で渦巻く感情を押し殺し、根気よく奈央をなだめてから電話を切る。顎をわずかに上げ、そのまま勢いよく扉を押し開ける。オフィスへ足を踏み入れると、鋭い視線が室内を走り、すぐに窓の前に立つ人影へ止まる――洋二は仕立ての良いスーツを身にまとい、入口へ背を向けて立っている。まるでこの場の支配者は自分だと言わんばかりに、全身から人を見下すような威圧感を放っている。ゆっくりと振り返り、絵里へ視線を向ける。その顔には、勝者だけが浮かべる余裕があった。「大した手腕だが、本当に何でも解決できると思っているのか?」その瞳は底知れぬ闇を湛え、口元には傲慢な笑みが浮かぶ。絵里は思わず拳を強く握り締める。文紀が事情聴取のため連行された件が、洋二の差し金であることは火を見るより明らかだった。四号地と五号地が重点開発エリアに指定され、今では誰もが狙う垂涎の土地となっている。とりわけ、藤原が数百億を投じて手に入れた土地が、結果として何の価値も持たなくなったのだ。洋二が怒りを抑えられるはずもない。文紀を陥れ、それを利用して絵里を脅す。そんな卑劣な真似をする人間は、彼以外に考えられない。まだ裏付けは取れていない。だが、この件に洋二が関わっていることは、ほぼ間違いなかった。「叔父の件、あなたが裏で糸を引いているんでしょう」絵里は確信に満ちた声で言い放ち、ハイヒールを鳴らしながら真っ直ぐ彼へ歩み寄る。洋二は両手を後ろで組み、彼女を見下ろすような冷たい視線を向ける。「本来なら、お前が雪枝を陥れた件など不問に付すつもりだった。だが絵里、お前はやりすぎた。裕也をたぶらかし、何が何でも自分の味方につけるとはな。俺としても、手を打たざるを得なくなった。裕也も、あの二つの土地も、お前にはすべて手放してもらう」その声音には、一切の妥協を許さぬ冷酷さが滲んでいた。絵里はふっと笑う。嘲りを含んだ笑みだった。だが、その表情は氷のように冷え切っている。燃え盛る怒りを押し殺したまま洋二を見据え、
Read More

第626話

絵里は足早に外へ向かいながら、丈裕へ指示を飛ばす。「弁護士を呼んで、すぐ警察署へ向かって」「はい」丈裕も一瞬の遅れも許されないとばかりに、慌てて彼女の後を追う。文紀が逮捕されたという知らせは、瞬く間に各所へ広がっていく。一方、裕也も健に調査を命じ、その結果は予想どおりだった。報告を受けた裕也は、背筋が凍るような冷気を纏ったまま、一言も発することなく会長室へ向かう。洋二は代理会長ではあるものの、これまで経営に深く口を出すことはほとんどなかった。そのため、会社に姿を見せること自体が珍しい。だが今日に限っては、水原グループから戻ると、そのまま会社に留まっていた。まるで裕也が来るのを待ち構えているかのように。バンッ!会長室の扉が乱暴に開く。裕也は険しい表情のまま洋二の前まで歩み寄る。「なぜあんな真似をした?絵里が一体何を間違えたというんだ。どうして寄ってたかって、あそこまで彼女を追い詰める!」その鋭い詰問には、もはや父親への敬意など微塵も残っていない。裕也が洋二にここまで激しい口調を向けるのは、これで二度目だった――一度目は土地入札の会場、そして今回もまた、理由は絵里だった。洋二は机を叩いて立ち上がる。「今のお前の姿を見てみろ!たかが女一人のために実の母親を見捨て、今度は父親にまで楯突き、藤原家全体を敵に回すつもりか!」裕也は一歩も引かない。放たれる威圧感は凄まじく、その場の空気さえ押し潰しそうだった。「絵里は俺の妻だ。母さんは人を殺した。その罪を償うのは当然だろう。自業自得だ。何十年も生きてきて、その程度の道理すら分からないのか?」鋭い眼差しが洋二を射抜く。その迫力は互角どころか、むしろ洋二を圧倒していた。洋二は怒りに顔を歪める。「言語道断だ!実の母親を見捨て、絵里と結託して警察へ売り渡しただけでなく、本来藤原が手にするはずだったプロジェクトまで他人へ渡すとは。裕也、お前はあの女のどこにそこまで惚れ込んでいる!それとも、水原を丸ごと手に入れて己の野心を満たすつもりか?将来は藤原も水原も、すべて自分のものにする腹だろう!」洋二は悪意に満ちた憶測を吐き捨てる。そうでも考えなければ、裕也の行動に説明がつかなかった。たかが一人の女のために、裕也がそこまで愚かな男であるはずがない。唯一筋が通
Read More

第627話

洋二にとって、その言葉は裕也の傲慢さの表れにしか聞こえず、怒りの炎は燃え上がる一方だった。「俺がこうしているのも、すべては藤原のためだ。お前は自分が藤原の人間であることを常に自覚し、藤原家のために行動すべきだ。お母さんを刑務所に送ったような女のために、一族全体に背くなど言語道断だ」裕也は苛立ちを隠そうともせず、低く言い返す。「だからといって、絵里にとって、唯一の身内を罠にはめるか?母さんが絵里の父を死に追いやったのは事実だ。少しでも良心があるなら、償うのが筋でしょう。徹底的に追い詰めるのではなく」洋二は怒りで顔を真っ赤に染め上げる。「それは安っぽい同情だ!水原を排除しなければ、将来的に藤原にとって計り知れない禍根を残すことになる!あの女がお前に愛情を抱いているとでも思っているのか?和也と別れた直後に、手のひらを返すようにお前と結婚したんだぞ。お前たちの間にどれほどの情があるというんだ。お母さんが彼女の父を殺したとわかっていながら、あの女がその過去を水に流し、お前と平穏な家庭を築けるとでも?少しは頭を使え。長年お前を育ててきたというのに、こんな愚行に走るとは思いもしなかった。しかも、あの女のために俺に逆らうとはな!」それでも裕也の決意は微塵も揺るがない。「彼女が本当に俺を利用しようとしているのなら、一生利用されたって構わない。あなたたちのようなどす黒い手段を使うより、よほどマシだ」「完全にたぶらかされておるな!あの女、絶対に許すわけにはいかん!」洋二は首筋に青筋を浮かべて激昂する。その瞳には怒りと深い失望が渦巻いている。親子の激しい言い争いは外にまで響き渡り、会社の人たちを震え上がらせる。裕也が外ではどれほど冷酷な手段を用いようとも、本来は教養と品格を備えた人物であり、親に牙を剥くような真似はしないと、誰もが知っていたからだ。けれど、今の裕也は冷たく引き締まった表情のまま、目の前の父親を見据える。その眼差しには氷のような冷たい光が宿っている。「これ以上、彼女の身に何かあれば、容赦はしない。藤原家はおろか、世界中を敵に回そうとも構わない」そう言い捨てると、怒りを纏ったまま踵を返し、その場を後にする。洋二はその背中を見送ることしかできず、怒りのあまり言葉を失った。これまで長年、裕也の仕事ぶりに
Read More

第628話

洋二はさらに激怒し、声を荒らげる。「お前たち兄弟は狂ったのか。揃いも揃って絵里を庇いおって。雪枝がどうしてあそこに入ったか忘れたわけではあるまい。もし本社に入りたいのなら、黙っていることだ」洋二も雪枝に非があることは承知していた。だが、彼女の行いはすべて藤原の発展のためであり、和也の将来を案じてのことだった。あれから何年も経っているというのに、絵里はなおも藤原に歯向かおうとしている。これほど巨大な藤原を、彼女一人に掻き回されるのを黙って見過ごすわけにはいかない。それに、ビジネスの世界にあるのは利益のみ。情けなど入り込む余地はないのだ。和也は絵里を庇おうとするが、その言葉は喉の奥でつかえ、どうしても口にできなかった。確かに母は過ちを犯した。だが、あれもこれもすべて自分のためだったのだ。自分がすべてを手に入れた後で、絵里に償えばいい。その時が来たら、彼女を大切にしよう。……絵里は弁護士を伴って警察署を訪れ、状況を確認する。内容は事前に聞いていたものとほぼ同じだった。文紀には、不正な手段による贈賄、脱税、公金横領の疑いがかけられていた。これらの罪が立証されれば、少なくとも十年の実刑は免れない。坂本弁護士が奔走し、ようやく文紀は保釈される。手続きを終え、絵里が文紀を支えながら警察署を出た瞬間、報道陣が一斉に押し寄せてくる。「水原さん、酒井文紀氏はあなたの叔父さんにあたると伺っていますが、立場を利用して脱税や公金横領を行い、さらに公務員へ賄賂を渡したというのは事実ですか」「水原グループは先日、政府の重点開発用地を落札しました。あの二つの土地を正確に押さえられたのは、酒井文紀氏による贈賄工作があったからではありませんか」文紀は怒りを露わにする。「お前たちマスコミは、でたらめばかりだ!絵里の実力は誰もが知っている。根も葉もない噂を流すなら容赦しないぞ!」記者たちは相手が感情的になるのを待っていた。それこそが格好のニュースになるからだ。彼らはわざと挑発を続ける。「つまり、贈賄を行ったのはあなた自身だと認めるのですね?では四号地と五号地の件もあなたが?」「酒井さん、それは誰かの指示だったんですか?それとも、ご自身の判断ですか?」文紀は怒りで胸が張り裂けそうになる。目の前でマイクを突きつける
Read More

第629話

突然現れた裕也の姿に、その場にいた全員が水を打ったように静まり返る。絵里は驚きに目を丸くし、背筋を伸ばして気品を漂わせる彼が歩み寄ってくるのを見つめる。「どうしてここに?」裕也の瞳から先ほどの冷たさが消え、漆黒の瞳が優しく和らぐ。「これほどの大事だ、来るに決まってるだろう。まだ俺に隠し立てするつもりだったのか?」「違うわ。ただ、急いで出てきたから、言い忘れただけ」絵里は嘘をつく。最初から彼に知らせるつもりなどなかったのだ。今回の件は明らかに洋二の仕業であり、彼女への意図的な警告だ。以前の雪枝の一件で、すでに裕也を板挟みにしてしまった。これ以上、自分を理由に彼ら親子の間に亀裂を生じさせたくなかった。それに、今は昔とは違う。自分の力で解決したかった。「ひとまず信じておこう」裕也は怒ることもなく、ただその深淵のような瞳に冷たい光を宿し、刃のように鋭い視線を先ほど発言した記者へと向ける。「どこの社の者だ?」彼の視線が記者のネームプレートを捉える。男性記者はビクッと身をすくませ、顔面を蒼白にしながら震える声で口を開く。「スター……スターライト芸能社です」「面白い」裕也の顔がスッと沈み、喜怒の読めない底知れぬ凄みを帯びる。彼はそれ以上そこには留まらず、衆人環視の中、絵里の腰を抱き寄せてその場を立ち去る。後には、恐怖に震える記者たちだけが残された。表向き、裕也の仕事ぶりは容赦がなく、電光石火の如く冷徹であると知られている。記者たちは皆、先ほどの男性記者を無言で見つめる。その目には同情の色が浮かんでいた。案の定、それから間もなくのことだった。男性記者のスマホに上司から電話が入り、今すぐ会社に戻れと怒鳴り声が響く。他の記者たちにも、彼のこの先がどうなるか容易に想像がついた。だが、同じ業界に身を置いてはいても、他人のキャリアになど微塵も関心はない。それよりも彼らの好奇心を刺激したのは、裕也と絵里の関係だった。現在、ネット上は絵里が父親の復讐のために雪枝を刑務所へ送ったという話題で持ちきりだ。事の真偽はともかく、その一点だけでも、本来なら裕也は絵里と距離を置くべき立場にある。しかし、先ほどの二人の振る舞いは明らかに親密だった。彼らの間にどんな秘密が隠されているのか、疑わずにはいられなか
Read More

第630話

「贈賄だの、脱税だの、横領だのと言われているが、どれも事実無根だ。長年会社を経営してきたが、そんな真似は一度たりともしたことがない」「今、警察が握っている証拠は叔父さんに不利なものばかりだけど、中川誠治さえ見つかれば、すべてが明らかになるわ」絵里は文紀を慰めるように言う。「安心して。しばらくは休暇だと思って休んでいて。会社には私の部下を派遣して引き継がせるから、誰にも付け入る隙は与えないわ」文紀は、彼女の物事の処理がすっかり落ち着き、手際が良いのを見て、安堵したように頷く。「ああ、絵里に任せよう」裕也も文紀に対しては敬意を払い、礼儀正しく温和な態度で接している。「俺も絵里と協力して、この件を調査します。叔父さん、安心してください。あなたたちに万が一のことがないよう、水原グループにも決して被害は及ばせないです」文紀の目から見て、裕也の絵里に対する態度は決して嘘偽りには見えなかった。それに、裕也ならそんな卑劣な真似をするはずがない。彼は感心したような眼差しで裕也を見て、頷く。「ああ、それなら二人に頼むとしよう。だが裕也、俺としては、お前に絵里をしっかり守ってもらいたいんだ。この子に少しでも傷を負わせたら、この命に代えても、絶対にお前を許さないからな」裕也はきっぱりと約束する。「必ず絵里を守り抜きます。安心してください」文紀の張り詰めていた心が、少しだけ和らぐ。彼は裕也を信じている。絵里は胸の奥が熱くなるのを感じる。この世界で、叔父さんと叔母さんは、じいちゃんを除けば、残された唯一の肉親なのだ。今日の出来事について、洋二の目的が何であれ、絶対に許すつもりはなかったし、叔父さんが窮地に陥るのを黙って見過ごすわけにはいかなかった。絵里と裕也はそのまま残り、食事を済ませてから帰った。帰りの車中、絵里は思い詰めた様子で無言のままだった。裕也は彼女を休ませるため、家まで送り届ける。健がスーツケースを手に、彼らの後について階段を上ってくる。家に着くと、健はスーツケースを置き、気を利かせて立ち去る。ドアが閉まると、絵里は床に置かれたスーツケースを一瞥し、それから視線を上げて裕也の目を見つめる。「これは、どういうこと?」「しばらくの間、俺もここに住む。ここなら、お前の世話もできるからな」裕也は凛とした
Read More
Dernier
1
...
6162636465
...
76
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status