篠はナチュラルメイクで、白のサテンシャツに黒のゆったりとしたスラックスを合わせている。シンプルながらも洗練された装いで、その眼差しには自信と余裕が漂っていた。こういうバリバリのキャリアウーマンに、絵里は弱い。すると、篠のほうから口火を切った。「以前、裕也から話は聞いてたの。連絡先の登録名が『ニトロ』だなんていうからどんな人かと思ってたけど、実物はこんなに優しそうで美人じゃない」登録名が、ニトロ?絵里は訝しげに裕也を見た。いつか登録名の話をしていたが、やはりろくでもない名前だったか。ていうか、ニトロって何よ?私には名前もないわけ?裕也は額に手を当て、篠を横目で睨んだ。「余計なことを」篠はきょとんとした。「あら、絵里は知らなかったの?」裕也は呆れたようにため息をつく。絵里が気まずそうに笑うと、篠は申し訳なさそうに言った。「ごめん、絵里、からかうつもりはなかったの。こいつとはもう十年来の付き合いになるけど、ずっと潔癖で、浮いた話の一つもなかったのよ。あの日電話に出たのは、買収案件でトラブルでもあったかと思ったからで……まさか奥さんからだなんて思いもしなかったわ。あんな電撃結婚するなんてね」篠の物言いは竹を割ったようにさっぱりしていた。「そのうち裕也にセッティングしてもらって、一緒に食事でも、と思ってたんだけど。まさかこんなところで会えるなんて、奇遇ね」絵里は驚きを隠せなかった。彼、結婚したことを話していたんだ?てっきり隠しているものだと……まあいい。絵里は思考を打ち切り、微笑んだ。「ええ、本当に奇遇だね」居心地の悪さを察したのか、裕也が絵里の手の甲を軽く叩いた。「梨乃と飯なんだろ?行ってきな」絵里は頷いて「うん」と答え、篠に会釈をして席を立った。篠は寧々のような陰湿なタイプではないようだ。それより気になるのは、なぜ裕也が自分を「ニトロ」と登録しているのか、だ。絵里と梨乃が注文を終えた頃、店を出る前の裕也と篠が挨拶に来た。「絵里、まだ仕事が残ってるから私たちはこれで」篠は爽やかに笑った。「また会いましょう」ついでに梨乃にも軽く会釈をする。「うん、またね」絵里も笑顔で返す。去り際、裕也が優しい声で釘を刺した。「酒は飲むなよ。頭が痛くなるぞ」
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