All Chapters of ブロックした恋が、抱きしめてきたー冬空の告白、秋山真琴の選択ー: Chapter 31 - Chapter 40

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第31話 視線が合う夜

 週末のNight Indigoは、いつもより少しだけ賑わっていた。 それでも、騒がしさとは無縁の、落ち着いた空気は変わらない。 真琴は、ドアを開けた瞬間に、深く息を吸った。 ジャズの音、グラスの触れ合う音、微かなアルコールの香り。 ここに来ると、自然と呼吸が整う。 カウンターの端に、空席を見つける。 バッグを膝に置き、腰を下ろした。「“いつもの” ソルティドッグでよろしいですか?」 榊レンの声に、真琴は小さく笑う。「……覚えられてるの、ちょっと複雑です」「悪い意味ではありませんよ」 レンはそう言って、手際よくグラスを用意する。 塩をまぶした縁に、淡い色の液体が注がれていく。 真琴は、グラスが置かれるのを待ちながら、 何気なく店内を見渡した。 そのときだった。 ――いた。 カウンターの少し奥。 壁側の席に、慎一が座っていた。 前と同じ、控えめな色のシャツ。 背筋を伸ばし、静かにグラスを傾けている。(……やっぱり) 驚きよりも、納得の方が先に来た。 来るかもしれない、と思っていた。 それだけだ。 慎一は、まだこちらに気づいていない。 真琴は視線を外そうとしたが―― その瞬間、慎一がふと顔を上げた。 視線が、合った。 一拍。 時間が、ほんの少しだけ伸びた気がした。 慎一の目が、わずかに見開かれる。 次に、困ったような、けれど柔らかい笑みが浮かんだ。 真琴は、反射的に目を逸らしかけて、やめた。 代わりに、軽く顎を引き、小さく頷く。 ――ここにいるよ。 そんな合図のようだった。 慎一は、一瞬迷うような仕草を見せてから、グラスを持って立ち上がった。 足音は静かで、気配を乱さない。 それでも、彼が近づいてくるのが、はっきり分かる。「……来てたんだ」 隣に腰を下ろし、慎一が言う。「うん。たまたま」「俺も」 二人同時に言って、少しだけ笑った。 言葉は、それだけで十分だった。 約束も、連絡もない。 それでも、同じ夜に、同じ場所を選んだ。 レンが新しいグラスを置く。「後藤さん、いつものですね」「あ、はい。ありがとうございます」 慎一がそう答える声は、前より少し低く聞こえた。 真琴は、グラスを手に取り、 塩のついた縁に唇を触れながら、横目で慎一を見る。 彼は、こちらを見ていない。
last updateLast Updated : 2026-01-19
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第32話  招待状の夜

 ある日の仕事が終わり、真琴は少し疲れた足取りで自宅のマンションへ戻った。  エントランスを抜け、何気なく郵便受けを開ける。  チラシの束の中に、一通だけ、場違いなほどきれいな封筒が混じっていた。 白地に、丁寧な文字で書かれた宛名。  それを見た瞬間、真琴は動きを止めた。 ――結婚式の招待状。 差出人の名前を確認し、胸の奥が、きゅっと掴まれる。 立花 紗和。  大学の同期で、楓や慎一もよく知っている友人だった。  卒業してからは、それぞれの生活に追われ、ほとんど音信不通になっていたが、嫌な別れ方をしたわけではない。  ただ、自然と連絡が途絶えただけだ。(……紗和、結婚するんだ) 大学時代、何でもない話で笑い合い、夜遅くまで語り合った記憶が、ふっと蘇る。  社会に出て、価値観も生活も変わっていく中で、それでも心のどこかに残っていた名前だった。 招待状を手にしたまま、真琴は部屋に入り、ジャケットを脱いでキッチンへ向かう。  冷蔵庫を開け、缶ビールを一本取り出した。 プシュッと音を立てて開け、キッチンカウンターに招待状を置く。  一口飲むと、冷たいビールが喉を通り、張りつめていたものが少しだけ緩んだ。 そのとき、スマホが震えた。 画面に表示された名前を見て、真琴は思わず息を吐いた。 ――楓。「真琴?今、大丈夫?」 電話に出て、その声を聞いた瞬間、真琴は口にしてしまった。「あぁ、楓だ……」 自分でも驚くほど、力の抜けた声だった。  楓は一瞬、言葉を失ったように沈黙し、それから少し心配そうに言う。「……真琴?大丈夫?何かあったの?」 真琴はビールの缶を置き、首を横に振る。「ううん、違うの。なんか……懐かしいなって思って」 そう言うと、楓の声も、少し柔らいだ。「うん……ホントに……なんだか懐かしいね」 気づけば、二人で同時に笑っていた。  理由は分からない。  ただ、その一言だけで、心が通じた気がした。「元気にしてたの?心配してたんだけど、真琴のことだから、『心配するな!』って怒るかと思って、連絡しなかったの、ごめん」 その言葉に、真琴は小さく笑う。「そうね……あたしなら、そう言うかもしれない」 一瞬の間のあと、真琴は続けた。「……あたしね、前の職場に復帰したの」 楓が息を呑むのが分かった。「今は
last updateLast Updated : 2026-01-20
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第33話  結婚式当日、真琴の視線の先

 柔らかな陽射しが、チャペルのステンドグラスを通して差し込んでいた。赤や青、琥珀色の光が床にまだら模様を描き、そこを歩く人の動きに合わせて揺れる。白と淡いグリーンで統一された会場は、過度な豪奢さではなく「清潔な品格」と「優しさ」の中間に位置していて、真琴は胸の奥で静かに頷いた。(紗和らしい。本当にあの子らしい選択) 立花紗和のセンスは昔からそうだった。流行を追うのではなく、自分に似合うものだけを選ぶ。周りの評価よりも自分の心の声を優先できる強さがある。そんな彼女がバージンロードを歩く姿を想像しただけで、真琴の胸の奥はじんと熱を持った。 席に着きながら、無意識のうちに周囲を見渡している自分に気づく。親族席の厳かな並び、友人席のカラフルな装い、会社関係者の落ち着いたグレーやネイビーのスーツ。知った顔がいくつもある。同期、後輩、取引先で一度だけ顔を合わせた人間まで、なぜか今日はよく目に入る。 隣では、楓が小さく息を吐いた。ドレスの袖を指先でつまみながら、少しだけ所在なげな横顔を見せる。「……なんか、変な感じだね」 その声音には、懐かしさと戸惑いが混ざっていた。昔は徹夜明けで企画書を叩き上げ、始発で出社し、昼休みにはコンビニのコーヒー片手に次の企画を語り合った仲だ。あの頃は未来の結婚式なんて、フィクションの背景のようにしか思っていなかった。「うん。大学の頃、こんな日が来るなんて思ってなかった」 真琴は笑った。だがその笑いには少しだけ苦みが滲んでいた。仕事に没頭しすぎて、人生の節目を「通過点」だと切り捨ててきた自分を思い出したからだ。今は切り捨てない。けれど、あの頃の自分は確かにそうだった。 二人で顔を見合わせて、ふたたび会場に視線を戻す。オルガンの重厚な低音が響く前の静けさ。花の香り。席を探すヒールの小さな音。すべてが「始まる前」の空気を作っている。(……あたし、何を探してるんだろ) 心の中で呟いたはずの言葉が、自分の耳にだけ聞こえたような錯覚。入口付近を確認してしまう視線の癖。遅れてくる人がいないかを確かめる動き。自分でも説明できない行動に、真琴は眉間にわずかに皺を寄せた。(来るはずないって分かってるのに) そう言いながらも、頭の片隅に浮かぶ顔は一つ。  ――慎一。 Night Indigoで見せた静けさは、会場の華やぎと対照的だった。だが
last updateLast Updated : 2026-01-20
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第34話  変わらない席

 披露宴会場は、柔らかな照明と、グラスが触れ合う澄んだ音、そしてあちこちに咲く笑顔で満ちていた。  高い天井から吊るされたシャンデリアの光が、白いテーブルクロスに反射し、会場全体をあたたかく包み込んでいる。 新郎新婦が各テーブルを回り、ひとりひとりに丁寧に挨拶をしていた。  祝福の言葉が飛び交い、写真を撮るために立ち上がる人もいれば、感極まって目元を押さえる人もいる。 真琴と慎一、そして楓は、同じテーブルについていた。  三人が並んで座る光景は、大学時代と何も変わらないようで、けれど確実に時間を重ねてきたことを感じさせる、不思議な並びだった。 紗和が近づいてくる。  白いドレスに身を包み、少し照れたように、それでも誇らしげに微笑む姿は、確かに“花嫁”だった。「今日は来てくれてありがとう」 そう言って頭を下げる紗和の顔は、見たこともないほど穏やかで、幸せそうで――。  その表情を見た瞬間、楓も真琴も、言葉を失った。「……紗和……」 楓の声が少し震える。  真琴もまた、胸の奥がきゅっと締め付けられるのを感じていた。(……本当に、結婚するんだ) 当たり前の事実なのに、どこか現実味がなかった。  大学時代、あんなにも近くにいた友人が、新しい人生を選び、隣に立つ相手を見つけた――それだけで、胸が熱くなる。 楓も真琴も、気づけば涙ぐんでいた。  それを見た紗和が、「もう、二人とも」と笑いながらハンカチを差し出す。「幸せになってね」 真琴がそう言うと、紗和は深く頷いた。「ありがとう」 その一言に、すべてが詰まっていた。 披露宴が無事にお開きとなり、会場を後にするころには、外はすっかり夕暮れに近づいていた。  建物を出ると、涼しい風が頬を撫でる。 気づけば、三人の足は、自然と同じ方向へ向いていた。  以前、よく三人で通ったイタリアンレストラン。  誰かが提案したわけでもない。  けれど、迷うことなく、その扉を押していた。「懐かしい……」 店内に足を踏み入れた瞬間、真琴は小さく呟いた。  赤とブラウンを基調にした落ち着いた内装。  ワインの香りと、トマトソースの匂いが混ざり合い、記憶を刺激する。 三人は、店の一番奥まった席へ案内された。  ――いつもの席。  大学時代、何時間も居座って、ワインを追加し、くだらない
last updateLast Updated : 2026-01-20
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第35話  迷いのない一歩

 レストランを出ると、夜の空気は思ったよりも冷たかった。  昼間の祝福の余韻がまだ身体に残っているせいか、その冷たさが、少し心地よく感じられる。 店の前で、三人は自然と立ち止まった。  時計を見るまでもなく、遅い時間になっていることは分かる。「今日はありがとう」 楓がそう言って、真琴と慎一を見た。「ほんと、楽しかった」 「うん」 真琴も頷く。  心の底から、そう思っていた。「じゃ、あたしはこっちだから」 楓はそう言って、軽く手を振った。  駅とは反対方向に、ヒールの音を響かせながら歩き出す。 数歩進んだところで、楓は振り返った。「二人とも、気をつけてね」 意味ありげな笑顔を残して、今度こそ去っていった。 残されたのは、真琴と慎一、二人だけ。 急に静かになった夜に、真琴は少し居心地の悪さを感じた。  何を言えばいいのか、分からない。「……じゃあ、あたしも」 そう言いかけた瞬間だった。「真琴」 慎一の声が、はっきりと名前を呼ぶ。  それだけで、足が止まった。「送るよ」「え、いいよ。駅、近いし」 反射的に断ったが、慎一は首を横に振った。「いいから」 短い言葉。  迷いのない声だった。 真琴は、もう一度断ろうとして、やめた。  代わりに、静かに頷く。「……じゃあ、お願い」 二人は並んで歩き出した。  駅までの道は、大学時代にも何度も通ったはずなのに、今日はやけに長く感じる。 沈黙が続く。  けれど、不思議と気まずくはなかった。 慎一が、ふと口を開く。「……今日は、来てよかった」「うん。あたしも」 それだけで、会話は十分だった。 駅が見えてくる。  改札の灯りが、少し眩しい。「ここまででいいよ」 真琴がそう言うと、慎一は立ち止まった。「また……誘ってもいい?」 その言い方は、確認でも、誘いでもない。  ごく自然な問いだった。 真琴は、ほんの一瞬だけ考え、すぐに答える。「うん」 迷いはなかった。 慎一は、少しだけ安心したように息を吐いた。「じゃあ、連絡する」「うん」 それだけで十分だった。 改札へ向かう真琴の背中を、慎一は黙って見送る。  振り返ることはしなかった。 それが、慎一の“迷いのない一歩”だった。 立ち止まらないこと。  追いすぎないこと。  けれ
last updateLast Updated : 2026-01-21
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第36話  動き出す企画

 黒川アルアセットグループのタワーマンション広告案件は、いよいよ佳境に差し掛かっていた。  企画案はほぼ固まり、媒体の選定、ビジュアルの方向性、スケジュール管理も最終段階に入っている。 そんなある日。  これまで書類とメールのやり取りだけだった先方の営業担当者が、ようやくアークライト・コミュニケーションズへ挨拶に訪れた。 応接室に通された彼らを前に、真琴は静かに立ち上がった。「本日はお越しいただき、ありがとうございます。今回の案件を担当しております、秋山です」 そう名乗り、横に並ぶメンバーを順に紹介する。「こちらが、チームリーダーの城里茜。  データと企画設計を担当しているのが、水嶋朔。  SNSと広報動線をまとめているのが、小松ひかり。  イベント運営と現場統括を担当するのが、神谷直樹です」 それぞれが軽く会釈する。  若いチームではあるが、無駄な緊張はなく、落ち着いた空気が流れていた。 先方も名刺を差し出す。「黒川アルアセットグループ、営業部の佐伯です」 「同じく営業の、今村です」 「企画窓口を担当しております、長谷川と申します」 最後に、一人だけ少し遅れて名刺を差し出してきた男がいた。「営業の黒川海斗です」 その名前を目にした瞬間、真琴の指が、ほんの一瞬だけ止まる。(……黒川海斗?) どこかで聞いたことがある。  はっきりと思い出せないのに、胸の奥に、小さな違和感が残った。 だが、仕事中だ。  その感覚を表に出すことなく、真琴は名刺を受け取り、会話を進めた。 ひと通りの挨拶が終わり、早速、企画の打ち合わせに入る。 現在進行中の広告プラン、タワーマンションのコンセプト、ターゲット層、使用媒体。  水嶋朔が静かに補足を入れ、城里が全体の進行をまとめる。 一通り説明が終わったところで、黒川海斗が口を開いた。「実は一つ、ご相談がありまして」 真琴は視線を向ける。「マンションのオープン前に、“レセプションパーティー”を開きたいと考えています」 室内の空気が、わずかに引き締まった。「関係者向けではなく、富裕層のお客様、投資家、メディア関係者を招いた形で。  できれば、企画から運営まで、すべて御社にお願いしたい」 その言葉に、真琴は即座に判断する。 ――問題ない。  むしろ、得意分野だ。「承知しま
last updateLast Updated : 2026-01-21
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第37話  ランチタイムの本音

 真琴のチームの城里茜は、真琴と同い年で、仕事でも私生活でも距離の近い存在だった。  立場上、社内では「チーフ」と「城里さん」。  だが一歩仕事を離れれば、自然と「真琴」「茜」と呼び合う関係になる。 黒川アルアセットグループの営業チームとの企画会議が終わった直後。  少し張りつめていた空気を抜くように、二人は会社ビルの一階にあるカフェへ向かった。 昼どきの店内は混み合っていたが、幸い、奥の小さなテーブルが空いていた。  先に注文を終えた茜が、カウンターからサンドイッチとコーヒーの乗ったトレイを受け取り、テーブルの向かいに座る。 トレイを置きながら、茜は何気ない口調で真琴に尋ねた。「さっきの黒川……海斗?って、真琴の知り合いなの?」 仕事を離れた途端、声のトーンが柔らかくなる。  真琴はコーヒーを一口飲み、少し考えるように視線を落とした。「うーん……何となく聞き覚えはあるんだけど……どこで知り合ったのか、思い出せないのよね」 首を横に振りながら答える真琴を、茜はじっと観察するように見ていた。  そして自分もコーヒーカップを持ち上げ、一口飲む。「でもさ」 カップを置き、サンドイッチに手を伸ばしながら、さらりと言う。「真琴のこと、すごく見てたわよ」「え?」 思わず顔を上げる真琴に、茜は意味ありげな笑みを浮かべる。「前に振った男なんじゃないの?」 からかうようなその言い方に、真琴は吹き出す。「ないない。あの子じゃ、若すぎるでしょ」 そう言いながらサンドイッチを頬張る。  軽口のつもりだったが、どこか本音も混じっていた。 真琴はバッグから名刺入れを取り出し、一枚の名刺を抜く。  テーブルの上に置き、改めて眺める。「黒川アルアセットグループの、黒川海斗……」 指でなぞるようにして、呟く。「この子、身内かな?」 茜も身を乗り出し、名刺を覗き込む。「うーん……御曹司って感じでもなかったけど」 少し考えてから、また悪戯っぽく言う。「若いからかな……真琴、行ってみれば?」 その一言に、真琴は思わず吹き出しそうになる。「やめてよ!」 笑いをこらえながら、すぐに否定する。「彼、24か25歳くらいじゃない?無理無理!!もうそんなに若くない!」 そう言って、茜を睨む。  だがその目に、本気の怒りはない。 茜は肩をす
last updateLast Updated : 2026-01-21
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第38話  重なる忙しさ、ほどけない想い

 再び忙しい日々が、真琴のもとに戻ってきていた。  黒川アルアセットグループの案件は動きが早く、細かな調整や資料の修正が続き、気づけば一日が終わっている。  夜、自宅のソファに腰を下ろしたとき、ようやく深く息を吐く――そんな毎日だった。 慎一とも、しばらく会えていない。  それを強く意識するつもりはなかったが、ふとした瞬間に、胸の奥がきゅっと締めつけられる。 ……少し、寂しいな。 そんなふうに思った、そのタイミングを見透かしたかのように、スマホが震える。  画面に表示された名前を見て、真琴は思わず笑ってしまう。〈今日は遅くまで? 無理しすぎるなよ〉 慎一からの、短いメッセージだった。  それだけで、心がふっと軽くなる。 真琴はその気遣いが嬉しくて、画面をしばらく見つめたまま、返信を考えた。  忙しい中でも、こうして気にかけてくれる。  その事実が、胸の奥を温かく満たしていく。(……もっと、慎一と深いところへ進みたい) そんな想いが、自然と浮かんでくる。  慎一も弁護士の仕事で忙しく、なかなか時間が取れない様子だった。  それでも今の真琴は、不思議と不安よりも、幸福感に包まれていた。 想っている。  想われている。  それだけで、十分だった。 そんなある日。  仕事の合間にスマホを見ると、久しぶりに楓からメッセージが入っていた。〈忙しいのは知ってるけど、たまには一緒に飲みたい〉 楓にしては、珍しい誘い方だった。  真琴は迷うことなく、すぐに「OK」と返す。  こうして連絡をくれること自体が、嬉しかった。 週末に会う約束をして、真琴はスマホを閉じる。  胸の奥に、別の温かさが広がっていくのを感じていた。
last updateLast Updated : 2026-01-22
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第39話  親友だけが知る、本当の気持ち

 先日と同じイタリアンレストラン。  奥まった、落ち着いた席に、楓はすでに座っていた。 少し遅れて店に入った真琴は、楓の姿を見つけると、ほっとしたように微笑む。「ごめん、お待たせ」 向かいに座り、二人はワインと軽い食事をオーダーした。  グラスが運ばれ、ワインで乾杯を交わす。 少し間を置いてから、真琴が心配そうに楓を見る。「楓……何かあったの?」 楓はふっと笑い、首を横に振る。「何もないよ。ただ、この前は慎が一緒だったから、真琴の話を聞けなかったなと思って」 そう言って、まっすぐに真琴を見た。(楓は、みんなお見通しなんだ) そう思った瞬間、なぜだか涙が込み上げてきた。  理由は自分でもよくわからない。  ただ、見抜かれている安心感と、張りつめていたものがほどけた感覚が、同時に押し寄せた。「ま、真琴!? ホントに何か辛いことがあったの?」 慌てておしぼりを差し出し、楓が声をかける。  真琴は一瞬、首を横に振ったが――楓の顔を見て、観念したように話し始めた。 病院を辞めた理由。  息苦しくて、耐えられなかったこと。  勇気を出して飛び出したのに、結局また病院に勤めるしかなかったこと。  そのすべてが、胸の奥に重なったままだったこと。 楓は、ただ頷きながら、何も言わずに聞いてくれた。  遮らない。その姿勢が、真琴の心をさらに開かせる。 震える声で、真琴は最後に話す。 ――今は、慎一が気になっていること。 楓は、とても優しい目で真琴を見た。「そうだと思った。慎も、真琴のこと、すごく優しい目で見てたから……二人は同じ想いなんじゃないかなって」 そう言って、微笑む。 真琴は指で目頭を拭いながら、照れたように笑った。「楓にしか話せなかった」 そして、小さく言う。「楓、ありがと」 その後は、話題が楓と冬真のことに移り、冬真の紹介で慎一が新規顧客を獲得した話を聞く。「それで慎一は忙しかったのね」 真琴は納得したように頷き、「なかなか会えないなぁ」と、少し寂しそうに微笑んだ。 楓はワイングラスをテーブルに置き、ふっと立ち上がるようにスマホを手に取る。「電話しちゃおう」「忙しいだろうからいいよ~。楓!!」 止めようとする真琴をよそに、楓は慎一の番号をタップする。  真琴も本当は止めたくなかった。  ……内
last updateLast Updated : 2026-01-22
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第40話  近づく距離、揺れる視線

 冬真が席に着いてから、テーブルの空気は一気に賑やかになった。  楓と冬真は顔を見合わせながら、仕事の話や近況を楽しそうに交わしている。 真琴はその様子を横目に見ながら、どこか落ち着かない気持ちでグラスに手を伸ばした。  視線は、自然と店の入り口へ向かってしまう。(……もうすぐ、来るんだよね) そう思った途端、胸の奥がきゅっと鳴る。  さっきまで、楓と二人で話していたときとは、明らかに違う緊張だった。 ドアが開く音がした。 真琴は、反射的に顔を上げる。  そこに立っていたのは、見慣れた長身のシルエットだった。 慎一だった。 仕事帰りらしい、きちんとしたジャケット姿。  少しだけ疲れたようにも見えるが、それでも背筋はまっすぐで、視線はすぐにこちらを捉えた。 一瞬、目が合う。 それだけで、胸の鼓動が早くなるのを、真琴ははっきりと自覚した。 慎一もまた、ほんの一瞬だけ足を止めるようにしてから、こちらへ歩いてくる。「遅くなってごめん」 穏やかな声だった。「お疲れさま」 楓がにこやかに迎える。  冬真も軽く会釈をして、「どうも」と言った。 慎一は空いている席に腰を下ろし、真琴の方を見る。「真琴も、お疲れ」 それだけの言葉なのに、真琴の胸は不思議と熱を帯びた。「……お疲れさま」 少しだけ、声が上ずった気がして、真琴は慌ててグラスに口をつける。 楓は、そんな二人をちらりと見て、何も言わずに微笑んだ。  まるで全部わかっている、という顔だった。 四人での会話は、仕事の話から、結婚式の余韻、最近の出来事へと自然に流れていく。  だが、真琴の意識は、どうしても慎一の存在に引き寄せられてしまう。 慎一がグラスを持つ手。  話を聞くときに、少しだけ身を乗り出す仕草。  真琴の話に、静かに頷く横顔。(……ダメだ) そう思うのに、視線を外せない。 一方で慎一も、会話の合間に、無意識のように真琴を見ていた。  仕事の場で見せる「チーフ」としての顔とは違う、柔らかな表情。  少し照れたように笑う、その横顔に、胸の奥がざわつく。(前より……綺麗になったな) そんな考えが浮かんだことに、慎一自身が一瞬戸惑った。 やがて、楓が時計を見る。「そろそろ、私たち帰ろうか」 そう言って、冬真の方を見る。  冬真も察したように
last updateLast Updated : 2026-01-22
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