週末のNight Indigoは、いつもより少しだけ賑わっていた。 それでも、騒がしさとは無縁の、落ち着いた空気は変わらない。 真琴は、ドアを開けた瞬間に、深く息を吸った。 ジャズの音、グラスの触れ合う音、微かなアルコールの香り。 ここに来ると、自然と呼吸が整う。 カウンターの端に、空席を見つける。 バッグを膝に置き、腰を下ろした。「“いつもの” ソルティドッグでよろしいですか?」 榊レンの声に、真琴は小さく笑う。「……覚えられてるの、ちょっと複雑です」「悪い意味ではありませんよ」 レンはそう言って、手際よくグラスを用意する。 塩をまぶした縁に、淡い色の液体が注がれていく。 真琴は、グラスが置かれるのを待ちながら、 何気なく店内を見渡した。 そのときだった。 ――いた。 カウンターの少し奥。 壁側の席に、慎一が座っていた。 前と同じ、控えめな色のシャツ。 背筋を伸ばし、静かにグラスを傾けている。(……やっぱり) 驚きよりも、納得の方が先に来た。 来るかもしれない、と思っていた。 それだけだ。 慎一は、まだこちらに気づいていない。 真琴は視線を外そうとしたが―― その瞬間、慎一がふと顔を上げた。 視線が、合った。 一拍。 時間が、ほんの少しだけ伸びた気がした。 慎一の目が、わずかに見開かれる。 次に、困ったような、けれど柔らかい笑みが浮かんだ。 真琴は、反射的に目を逸らしかけて、やめた。 代わりに、軽く顎を引き、小さく頷く。 ――ここにいるよ。 そんな合図のようだった。 慎一は、一瞬迷うような仕草を見せてから、グラスを持って立ち上がった。 足音は静かで、気配を乱さない。 それでも、彼が近づいてくるのが、はっきり分かる。「……来てたんだ」 隣に腰を下ろし、慎一が言う。「うん。たまたま」「俺も」 二人同時に言って、少しだけ笑った。 言葉は、それだけで十分だった。 約束も、連絡もない。 それでも、同じ夜に、同じ場所を選んだ。 レンが新しいグラスを置く。「後藤さん、いつものですね」「あ、はい。ありがとうございます」 慎一がそう答える声は、前より少し低く聞こえた。 真琴は、グラスを手に取り、 塩のついた縁に唇を触れながら、横目で慎一を見る。 彼は、こちらを見ていない。
Last Updated : 2026-01-19 Read more