「お前の助手席は、俺が一番乗りだよな?」莉奈はシートベルトを締め、ベルトの下に挟まった毛先を引き出しながら、その言葉に思わず吹き出しそうになった。「はいはい、あなたが一番乗りよ。何なら『佐伯直哉専用席』ってステッカーでも貼っておきましょうか?」直哉は大真面目な顔で言った。「それはありだな」莉奈は適当に聞き流し、エンジンをかけて春霞亭へと車を走らせた。東安市を半年以上も離れていたため、春霞亭の料理が恋しくてたまらなかったのだ。「さっきは誰に電話してたんだ?なんだか深刻そうな顔をしてたけど」直哉はうつむいて腕時計をいじりながら尋ねた。莉奈はハンドルを切って車を幹線道路へと合流させた。「白崎さんよ。ひどく咳き込んでいたから、さんざん説得してようやく病院へ行ってもらったの。先生からは季節性の咳だって言われて、薬をもらったみたい」幼い頃から椎名家で育った莉奈に、白崎執事がどれほど良くしてくれたかを直哉も知っていた。何くれとなく世話を焼き、心から慈しんでくれたのだ。白崎執事は生涯独身で子供もいないと聞くから、きっと莉奈のことを実の娘のように思っているのだろう。早くに父を亡くした莉奈にとっても、彼をこうして気遣うことは心の隙間を埋めるようなものであり、二人の間には本当の親子にも負けない絆が通い合っていた。彼は顔を上げて前方の道路へと目をやった。「何事もなくてよかったじゃないか。あとで喉や肺にいいものとか、滋養のつく品を届けさせておくよ。ゆっくり養生してもらえばいいさ、あまり心配するな」車内はしばらく静かになった。莉奈と直哉の間には、昔から余計な言葉など必要なかった。お互いに黙り込んでいても気まずくなることはなく、息をするのと同じくらい自然体でいられた。車が春霞亭の駐車場に停まると、支配人が莉奈と直哉の姿に気づき、慌てて満面の笑みで出迎えた。「佐伯様、向井様、いらっしゃいませ」「ああ」直哉は短く応じた。莉奈も軽く会釈した。支配人が直哉の顔を知っているのは当然のことだった。何しろ彼はついこの間までトップスターであり、二つの映画賞で主演男優賞に輝いた誰もが知る有名人だからだ。一方、莉奈の顔を知っているのは、ずっと前に省之介が店側に声をかけておいてくれたからだ。春霞亭は神崎家が所有する店なのだ。そしてもう
Read More