Tous les chapitres de : Chapitre 431 - Chapitre 440

485

第431話

「そんなことないわ。ルーサーさんだって、ビアンカちゃんが一番の友達だって言ってたし」綾は優しく言い聞かせた。ビアンカは唇を噛んで嬉しそうに笑うと、一つずつ丁寧にラッピングを開けていく。綾は隣に座り、ビアンカが散らかした包み紙をまとめてあげた。二人が楽しげに会話をしていると、突然ドアが開き、健吾が入ってきた。彼は綾に視線を投げてから、低い声で問い詰める。「今日はまたどこへ行っていたんだ?」綾はその言葉にトゲを感じ、不愉快な気分になった。健吾を真っ直ぐに見据えて言う。「私たち、もう離婚したよね。だから私の身は安全よ」「何が起きるか誰にも分からないんだ」健吾が食い下がる。綾は鼻で笑った。「何が起きても、もうあなたに責任なんて求めないわ」空気の悪さを察したビアンカが、慌てて話題を変える。「ねえ綾、ルーサーは明日も来るの?」綾は健吾から目を逸らし、小さく頷く。「うん。明日チョコを持ってきてくれるの」「よかった!実は、ルーサーに結構会いたかったの」ビアンカは嬉しそうに目を細めた。しかし、健吾の顔色はますます悪くなった。「別れたと宣言した矢先に、ルーサーとデートか?外でなんて噂されてるか考えもしないのか?」綾は顔を上げて健吾を凝視した。「残念だけど、離婚には保証もアフターサービスもないよ。どこに行こうが私の自由よ。あなたの体面を守る義務なんてない」健吾は苛立たしげに袖をまくり、腰に手を当てた。今や自分には、綾を束縛する権利すらないという事実を突きつけられた気分だった。その現実に心臓がざわつく。掴んでいたはずの大切なものが、指の間からこぼれ落ちていくようで恐ろしい。だが、どうすることもできない。「ビアンカちゃん、私は先に寝るわね」綾は立ち上がると、健吾に目を向けた。「邪魔。どいてくれる?」健吾は一瞬立ち尽くしたが、やがて横へと身を避けた。綾は彼の横をすり抜け、風のように立ち去っていく。健吾はドアを閉め、大股で綾を追いかけた。「俺に対する当てつけのつもりか?」綾は足を止めたが、振り返りはしなかった。「そんなんじゃないわ。ただ、今の気ままな生活を存分に楽しんでいるだけよ」綾の声は凪のように穏やかで、未練も感情的な反発も微塵も感じられなかった。「忙しいんでしょ。私のこと
Read More

第432話

最上階のテラスには灯りがなく、真っ暗だった。暗闇の中、小さな赤い光が、見え隠れしていた。健吾は椅子に背をもたれかけ、細長い指でタバコを口元に運ぶ。深く煙を吸い込み、ふうと吐き出した。漂う煙も彼自身も、夜の闇に飲み込まれていく。一本吸いきると、健吾は吸い殻を灰皿に押し付け、立ち上がって部屋に戻った。今唯一望むのは、エステ家の実権を握ることだけ。それ以外のことは……考えないようにと、自分を追い込んだ。サイドテーブルの薬瓶から鎮痛剤を一錠取り出し、水で飲み込んだ。頭痛が少し治まってから、ベッドに横になる。夜は驚くほど長く、何度も目が覚めた。朝、健吾の眠りを妨げたのはルーサーの笑い声だった。「綾、ビアンカ、チョコレートのお土産だよ。他に何が欲しい?何でも言ってくれ。すぐに買ってくるから」腕を組んだスージーが冷めた視線を向ける。「ルーサー、もしかして綾さんに惚れたの?毎日遊園地に連れて行ったり、プレゼントを贈ったりして」ルーサーは言い返した。「君には友達がいないのか?友達なら贈り物をするのは普通でしょ」スージーはからかうように笑う。「二人は知り合ってどれくらい?本当に友達と言えるのかしら?」ルーサーは冷ややかに応じた。「友情に時間は関係ない。君とは長年の付き合いだけど、友達とは言えないだろう。それに、仮に綾に惚れたとして、それが何だっていうんだ?綺麗で性格も良い女性に魅力を感じない男なんていないだろ」スージーは綾を横目で見て言った。「大したものね。あなたたちのお国で言うところの、男をたぶらかす狐ってやつかしら?」綾は屈託なく笑った。「光栄です」綾はルーサーに感謝の視線を送った。庇ってくれたことへの返事だ。扉にもたれかかっていた健吾が眉間を揉む。「ここは市場じゃない。ルーサー、あまり勝手に出入りするな。お前のお父さんに心配をかけるだろ」「心配してるのは、うちの父?それともチェッコ自身?」ルーサーは意味深な笑みを浮かべ、綾とビアンカに手を振る。「また後で遊びに来るよ」スージーは鼻で笑った。「綾さんってば、金持ちの男なら誰にでも媚びるのね」もともと険しい顔つきは、不機嫌さでより一層冷たく見える。綾はスージーを上から下まで眺めて言った。「私自身がそれなりに裕福ですよ。ですの
Read More

第433話

綾は小さく頷いた。「本当よ。離婚届にはもうサインしたわ」颯太は、綾の表情から悲しみや怒りの色を探ろうとした。だが、何も読み取れなかった。「なぜそんなに急なんだ?夫婦仲に何か問題でもあったのか?」綾は微笑んで言った。「颯太さん、その話はしたくないの。それより、今日の昼食をどうするか考えようよ」健吾との間には色々なことがありすぎて、一言で語るにはあまりに複雑だった。「この辺りは綾さんの方が詳しいだろう。任せるよ」「分かった。じゃあ今日は、私に付いてきてね」「あと1週間ここにいる予定だ。帰る時、一緒に帰国しないか?」颯太には離婚の理由はわからない。ただ、異国の地で綾が何らかの辛い目に遭っていることだけは、ひしひしと感じていた。「今はまだ、何も決められないわ」「綾さんには、研究が一番お似合いだ」綾は微笑んだ。研究は確かに大好きだ。でも、同じくらい健吾のことも好きだった。一度足を踏み入れたら、引き返せなくなる道がある。情があるだけではない。離れがたい思いや、これまでに注いできた歳月も理由だった。このタイミングで全てを投げ捨てるようなことは、自分らしくなかった。ランチを取りながら、二人は科学研究について語り合った。颯太は少しも変わっていない。研究の話になると、彼の瞳はいつだって希望に輝いていた。名実ともに、颯太はそういう人だ。颯太といると、綾は心から安らぐことができた。研究の話だけでも、会話が尽きることはなかった。午後は、颯太が世界的に有名な大学の研究室へ連れて行ってくれ、一緒に学生たちと実験を体験した。実験に熱中していると時間はあっという間に過ぎ去り、満足しきれないうちに日が暮れてしまった。学食で夕飯を済ませ、綾は颯太をホテルまで送った。二人はホテルのラウンジで足を止め、今後のスケジュールを確認した。「基本は打ち合わせだが、2日ほど空きがある。もしよかったら案内してくれないか?」「大丈夫だと思うわ。予定が空いたら連絡して」颯太は少し表情を引き締め、まっすぐ綾を見つめた。「綾さん、自分のことを大切にしろよ」「ありがとう。そうするわ」綾が頷いた瞬間、颯太の腕の中に吸い込まれるように抱き寄せられた。「いつでも戻っておいで。俺はいつでもいるから」颯太は綾の背中を優しく叩
Read More

第434話

健吾は黙ったままだった。ホテルの外に出ると、綾はもう車で立ち去っていた。健吾は後部座席に腰を下ろし、目を閉じて息を整えた。朝からずっと予定が詰まっており、心身ともに疲れ切っていた。マルスが黙々と運転する中、それほど時間を置かずに綾の車に追いついた。綾はこの辺りの道路事情や交通ルールに慣れていないようで、速度はゆっくりだった。マルスは車のスピードを落とし、静かに綾の後ろについて走った。気配を感じ取った健吾が眉をひそめ、低く声をかけた。「なぜ減速したんだ?」「前を走っているのが綾さんのお車です」健吾は目を開け、視線を前方へと投げた。次から次へと車が綾を追い抜いて前に割り込んでいくが、彼女は変わらず慎重な速度を保っていた。広大な都市の風景の中で、前方の一台はひどく小さく見え、慣れない車の流れに身を委ねていた。健吾はふと、綾はたった一人で、報われるかどうかも分からない想いにすがっていることを思い出した。なんて頑固な女だろう。口角を上げたが、その笑みはすぐに消えた。数年前、唐突に別れを切り出した時のこと。その後、湊と結婚したこと。離婚届に迷いなくサインしたこと。それらの記憶が脳裏をよぎる。危うく忘れるところだった。恨まなくてはいけない相手なのだと。後部座席から漏れたわずかな溜め息に、バックミラー越しに目を留めたマルスが尋ねた。「健吾様、また頭が痛いのですか?」健吾はポケットから頭痛薬を取り出すと、水なしで飲み込んだ。「健吾様、やはり早めに診察を受けた方がよろしいかと……」「エステ家の件が片付いてからだ」健吾は再び目を閉じた。催眠術にかかり、自分の過去の一部を失ったままではないかという疑念がぬぐえない。カウンセリングを受けて記憶を取り戻してしまったら、きっと色々なことに臆病になってしまうだろう。それより、いっそ今の状況を利用してリスクの根を絶ち、誰かに操られる隙を一切なくしてしまいたい。綾との破局が報じられたことで、数々の有力な家が協力の打診をしてきていた。ルカはもう年だ。いずれ、自分がエステ家を支配することになる。マルスはもちろんその真意を理解し、綾に対しても秘密を守る手助けをしていた。もし、健吾が催眠術のことを疑いつつも、目の前ではしらばっくれているのだと綾が知れば、迷わず飛
Read More

第435話

明里は食い気味に問いかけた。「どうして別れたの?」綾は少し考えてから、わざと軽く笑ってみせた。「もう、健吾のことが要らなくなっただけよ」「まさか彼、浮気してるんじゃ?噂によると、スージーって人と結婚するつもりらしいよ」明里は声を荒らげ、怒りを隠そうともしなかった。これこそが綾が明里に隠し事をしていた理由だ。妊娠中ということもあり、動揺させたくなかったのだ。「妊婦なんだから、そんなに興奮しちゃだめだよ」明里は目を潤ませて言った。「妊娠しているだけよ。死ぬわけじゃないんだから、どうして何でも隠すの?」よく考えてみれば、二人が前に東都へ戻った時から、何か変だと感じていた。綾は優しく宥めた。「怒らないで。私が悪かったから」「綾のことで怒ってるんじゃないのよ。健吾に腹が立ってるの。結婚したばかりなのに心が離れるなんて。男はどいつもこいつも手に入れたら大事にしないんだから」そう言うと、明里の目から大粒の涙が零れ落ちた。綾は焦り、髪を拭く手を止めた。「千葉さんが何かしたの?」「前は綾の言う通り、例の藤井さんを追い返したけれど、今度は雅也のお母さんが引っ越してきて同居するつもりらしいの。雅也が、それを許しちゃって」それを聞いた綾は、申し訳なさそうに吐息をついた。「ごめんなさい、私が迷惑をかけてしまって」「あなたのせいじゃないわ。どうせ向こうは私のことを見張りたくて仕方がないのよ。お腹の中にいる子が私の子じゃなくて、千葉家、彼ら母子のものだなんて言い方されて……」明里はうつむき、ティッシュで涙を拭いながら、やり場のない不満を口にした。綾は心が締め付けられる思いだった。結婚前の明里は、あんなにも自由で明るかったのに。「これから、どうするつもり?」「もう限界。離婚するわ。自分一人でも子供は育てられるし、これ以上千葉家で肩身の狭い思いなんてごめんだわ」「一度、千葉さんとじっくり話し合ってみたら?勢いで決めるのはよくないよ」明里は鼻をすする。「話す価値なんてないわ。一生彼ら母子で過ごしていればいいのよ」明里が言葉を続ける間も、涙がとめどなくこぼれ落ちていた。「お願い、もう泣かないで」綾は画面に顔を寄せ、一緒になって泣き出しそうになるのを必死でこらえた。「どんな道を選んでも、私は明里の味方だよ」
Read More

第436話

東都に戻ることを、綾はあえて健吾に伝えようとはしなかった。彼を喜ばせたいとは到底思えなかったからだ。でも、ビアンカには正直に伝えた。ビアンカは当初猛反対したが、妊娠した明里が理不尽な目に遭っているため助けに行く必要があると説得すると、渋々折れた。出発の前夜、綾はマルスのもとを訪ねた。「マルスさん、明日、東都へ帰る。健吾に何か聞かれたら、そう伝えてくれないか?」マルスはそれを聞き、途端に表情を曇らせた。「綾さん、もしかして……健吾様のことを諦められるのですか?」大変なことになった。あの離婚届が、とんでもない火種になってしまった。「少し東都で片付けないといけないことがあって」「では、いつ戻られる予定ですか?」綾は首を横に振った。「分からないわ」少なくとも、明里の一件が落ち着くまでは動けない。最も途方に暮れていた時、そばにいてくれたのが明里だった。明里に困り事があれば、決して見捨てることはできない。「綾さん、健吾様との離婚はより多くの資源を獲得するためでもあり、あなたを守るためでもあるのです。どうか彼を責めないでください」とマルスは説明した。本来なら健吾が直接説明すべきことだが、綾を憎んでいると信じ込んでいる健吾がそんなことを言うはずもなかった。綾はふっと笑った。「知っているわ」当時、即座にサインしたのは離婚が健吾にとって利益になると分かっていたからだ。マルスは呆気に取られた。「知っていたのですか?」「おじいさんたちまでも納得の上でしょうし、最近のルカさんとの争いを見ていれば、目的くらいは推測できるから」言い終えると、綾は少しトーンを変えた。「ただ、おじいさんたちが納得していても健吾本人がどう考えているかは別でしょ?G国から帰ってきてからずっと、離婚をしたがっていたもの」「どうか信じてください。健吾様もいずれは必ず綾さんの元へ戻ります」そう口にするマルスですら、言葉の空虚さに心苦しくなった。これだけの騒動で、傷ついたのは結局、綾一人なのだから。「期待はしないようにするわ。失望したくないから。でも、自分のできることは精一杯やるつもり。健吾とやり直すためじゃない。私が見知っていたはずの健吾を取り戻すためよ」かつて深く愛し合った仲として、結果がどうであれ、綾は健吾と向き合
Read More

第437話

マルスはこう促した。「健吾様、綾さんとはもう離婚されているのでは……」健吾は椅子に深く背を預け、煙を一吹きした。その表情は煙に霞んでいる。「あいつは何も言わなかったのか?」「いえ。健吾様がもし訊ねてきたら、東都に戻ったと伝えるようにとだけです」健吾は少し沈黙し、「それだけか?」マルスは頷く。「はい。綾さんは去り際、ビアンカ様には何も騒がないよう話してあります」健吾は鼻で笑った。「配慮が行き届いていて感心するよ。俺なんて眼中にないんだろうな。飛行機に乗って初めて、彼女が行っちまったことを知るなんて」「あの方は、あなたが自分を憎んでいて、一刻も早く去ってほしいのだと思い込んでいるようですから」「当然、俺は一日も早く去ってほしかったんだ」健吾はタバコを消すと、椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がった。シャツのボタンを外すと、大股でエレベーターへ向かう。背後でマルスは小さく呟いた。「それなら、戻ってこいなんて命令しなければいいのに」部屋から出てきたスージーが、顔を険しくした健吾と鉢合わせた。エレベーターが閉まるのを見て、スージーはマルスに訊ねた。「チェッコ、どうしたの?」マルスは少し考え、スージーを安心させる嘘を口にした。「綾さんが東都へ帰国したもので、少し動揺されているようです」スージーは鼻で笑った。「チェッコの顔を見る限り、そんなに嬉しそうじゃなかったけど」マルスは表情一つ変えずに続けた。「部下が不始末をして、健吾様が早急に処断しなければならない事態なんですよ」「そうなのね」スージーは嬉しそうに微笑んだ。目の上のこぶがいなくなって清々した。最後にもっと痛い目を見せてやりたかったけれど、綾のために労力を使う必要もない。……南区の療養所。湊は車椅子に座り、肘掛けにタブレットを載せている。ニュースを食い入るように見るその瞳は、暗く冷めていた。アンナが剥いたバナナを差し出した。「湊、少しは食べた方がいいわ」湊は受け取ろうとせず、痩せ細った指で肘掛けを掴んだ。手背の血管が浮き出ている。「全て俺のせいだ」アンナは画面を見て溜息をつき、バナナを置いた。「これはあの二人の夫婦間の問題。湊に責任はないわ」「関係ある!綾を青木のやつに差し出し、あいつに綾を傷つける機会を与え
Read More

第438話

夜、飛行機が東都の空港に降り立った。明里が差し向けた車が綾を迎えに来ていた。颯太と別れ、車は明里の家の前で静かに停まった。綾が車を降りると、家の中から明里が出迎えてくれた。その後ろには雅也の姿もある。「疲れちゃったよね?さあ、早く中に入って」明里が親しげに綾の腕に手を添えた。綾は笑顔でその手を握り返す。「明里に会うためなら、どんなに遠くても疲れなんて感じないよ」「もう、本当に可愛いんだから」明里は顔を綻ばせ、綾を中へと案内した。リビングのソファには、50代と思われる中年の女性が座っていた。綾は直感で察した。親子らしい面影からして、あれが雅也の母親なのだろう。「初めまして。明里の友達の綾です」と綾は礼儀正しく挨拶した。千葉春海(ちば はるみ)は軽く顎をしゃくり、口元を歪めた。「テレビで見たわ。中野グループの社長と離婚したあと、今度は青木グループの社長とも?どちらも大物でしょ?ずいぶんやり手なのね」嫌味たっぷりのその言い方に、侮辱の意が滲んでいた。明里の笑みが瞬時に消えた。「素晴らしい男性は素晴らしい女性が好きってことです。綾がたとえ何度離婚しようが、彼女を追う男性ならI国からここまで並んでるくらいですよ」春海が険しい表情を浮かべる。「明里、あなたのことに口出ししたいわけじゃないの。でも訳ありの連中を家に引き入れるなんて、感化されるわよ」「母さん、もういい。奥で休んでて」と雅也が遮った。「ここは私の家よ。どこにいようが私の勝手でしょ」春海は微動だにせず、恨めしげな視線を雅也へ向けた。雅也は明里を気遣い、小声で言った。「明里、綾さんの部屋を用意してたんだろ?見せてきたら」明里はすでに怒りをあらわにしていた。「見せる必要ないわ。私たちはここには泊まらないから」明里は綾の方を向くと、溢れ出る不満をぶつけた。「綾の家に行こう。ここ、本当にうんざりなの。戻ってきてくれて本当によかった。おかげでやっと逃げ出せるわ」その言葉を聞いた雅也は板挟みになり、立ち尽くした。頑固な母親と、妊娠中の妻。どちらをも無下にはできなかった。「君は妊婦なんだ。他のところに住むのは心配だ」「私は家を出るわ」明里は冷ややかに笑う。「あなたはちょうどお母さんのお世話ができるじゃない。ゆっくり親孝行でもしてたら?」「
Read More

第439話

綾は一呼吸置くと、隣にいる明里に目を向けた。「千葉さんが一番大事にしなきゃいけないのは、明里の気持ちじゃないんですか?」雅也も明里の方を向いて言った。「明里、母さんが引っ越してきたのは本当に、君とお腹の子のことを思ってのことなんだ。僕を育ててくれたのだから、僕たちよりずっと経験があるだろう?」綾はあきれて物も言えなかった。もう三十路を過ぎて、未だにマザコンとは、救いようがない。明里はお腹をさすりながら、氷のような声で言った。「いらないわ。あなたのお母さんの顔を見るだけでお腹が痛いの。このままだと、あと3日で流産するわよ。子供を失いたくなければ、もう私に構わないで」明里は振り返りもせず車へ向かい、綾は荷物をスーツケースに積み込んだ。「明里、運転は私が代わるわ」綾は明里を助手席に乗せると、シートベルトを締めてやった。雅也は邸宅の入り口でヘッドライトの灯る車を見送り、深くため息をついた。綾がいなければ、明里のわがままを受け止める者は誰もいない。しかし綾が帰ってきたことで、明里には強気な味方ができ、大胆になってしまった。それでいて何も言い返せないのは、妊娠中にショックを与えてはならないからだ。車はすぐにこのエリアを出た。明里はシートに寄りかかり、ようやく深いため息をついて少し楽になった表情を浮かべた。彼女は顔を横に向けて、柔らかな声で言った。「綾、一緒に帰ってきてくれてありがとう。正直、本当に助かったわ。うちの親の体調も悪くて、綾の支えがないと心細かったの」話しながら、明里は目を潤ませた。バックミラーでその様子を見ていた綾の胸が、ぎゅっと締め付けられた。「大丈夫、私がついてるから。絶対に惨めな思いはさせないわ」春海の心無い言葉など、綾は端から相手にしていない。痛ましく感じているのは、親友の明里がそんな姑を抱え、さらに話の通じない夫との板挟みになっている現状だった。その時、明里のスマホが鳴った。雅也からのメッセージだった。【ごめん。君と綾さんに嫌な思いをさせたね。父さんは僕が幼い頃に亡くなって、母さんが一人で育ててくれたんだ。間違っていると分かっていても、責めることができなくて。明里、文句があるなら僕に言ってくれ】明里はその画面を数秒間じっと見つめたが、返信はしなかった。雅也は普段
Read More

第440話

「着いたか?」健吾の渋い声が、イヤホン越しに響いた。「東都に戻ってきて、今家に帰る途中よ」と綾が答えた。「颯太さんが送ってくれるのか?」綾はふっと笑った。「自分で運転して帰るわ」「気をつけて帰れよ」「何か用?」健吾が単なる無事の確認で電話をかけてくるような人ではない、そう綾は踏んでいた。「暇を見て、青木家の屋敷に行っておじいさんを慰めてやってくれないか?父さんも仕事が忙しいし、おじいさんが一人でいると寂しがるんだ」「分かった。他に用がなければ切るわよ」道中、自分は明里の命を預かっている身だ。しかも明里は今妊娠中なので、気を抜くわけにはいかない。健吾は一瞬黙り込んだ後、「ああ」と言い、通話は切れた。「健吾から?」と明里が隣を向いた。綾がうなずくと、「彼のおじいさんに会ってあげてって言われたわ」と答えた。明里は憤慨した様子で言った。「もう離婚したんだから、あなたの恩をそんなふうに都合よく使わないでほしいわ!」綾は軽く笑った。「離婚しても、おじいさんは私の恩人よ。言われなくても顔を見に行くつもりだったから」みなしごとして育った綾にとって、身内の絆は何よりも代えがたいものだった。彰人も、冬馬も、綾の中では本当の身内同然だった。明里は自嘲気味に笑った。「私たちは本当、ついてないわね」「今は私がそばにいるでしょ。少しは気分転換になった?」「雅也のお母さんの顔を見ないで済むだけで、ずいぶん楽よ」明里が心底嬉しそうに言った。いや、顔を合わせる以前に、春海からの電話一本でも今の明里にとっては心臓に悪いストレスだった。息子の嫁の私生活にまで口を出してくる、あんな極端な母親は見たことがない。家に戻ると、綾はこれまで健吾との間に起きた全てを明里に話した。明里は聞き終わると激しく怒り、そして彼を不憫に思った。「エステ家も本当にひどい……健吾がそこの跡取りだといっても、コントロールするためには手段を選ばないなんて」綾の目は冷え切っていた。「あちらさんにとって、全ては利益が優先なのよ」「健吾を怒るのも、なんか違うような気がしてきた。彼だって犠牲者だわ。綾とよりを戻したばかりなのに、こんなふうに引き裂かれるなんて。事実に気づいた時の健吾が、どれほど暴れ狂うか想像するだけでも恐ろしいわ」明里は首を
Read More
Dernier
1
...
4243444546
...
49
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status