All Chapters of 初恋と付き合ったら、車椅子の元夫が立ち上がった: Chapter 621 - Chapter 630

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第621話

綾は、急いで子供たちの代わりに頭を下げた。マルスは手を振って笑った。「綾さん、マーガレットに対してそんなに畏まらないで。それより、こんなに素晴らしい仕事を紹介してくれたのは綾さんの方だし、こちらこそお礼を言いたいよ」綾は首を振り、微笑んだ。「マーガレットさんは優秀だから、すぐに仕事なんて見つかりますよ。今回はむしろ、助けてくれてありがとうございます」マーガレットは二人の丁重なやり取りを聞いていて、あっさりと話を遮った。「もう!そんなこと言ってたら、日が暮れちゃいますよ」マルスは困ったように苦笑した。「マーガレットはさっぱりした性格なので、気にしないでくださいね」綾は口元を綻ばせた。「私はそういう率直な方が好き。マーガレットさんと、いい友達になれそうね」その後、綾はマーガレットに屋内の案内をし、休憩用の部屋をあてがい、仕事内容を簡潔に伝えた。マーガレットは不満ひとつ見せず、むしろ仕事が少なすぎると感じた。食事の手配や世話のすべてを請け負う必要はなく、二人の早期教育を担当することだけだった。すべてを手配し終えると、昼近くになった。幸子が昼食を準備し、みんなで食卓を囲むと、綾が聞いた。「マーガレットさん、好きな料理はある?」マーガレットはあっさりと答えた。「こちらのお料理はどれも美味しいので、好き嫌いはありませんよ」綾がマルスに目を向け、念のため確認した。マルスはご飯を飲み込むと、大きく手を振った。「心配ないです。マーガレットは遠慮なんてしない人だし、我慢なんてしないですよ」綾は得心がいったように笑い、マーガレットのそんな性格がさらに好きになった。「よかった。山下さんの料理は絶品だから、これからは色々リクエストして美味しいものを食べてね」すると、マーガレットの目が輝いた。「それは、幸せですね。本当に良い仕事をありがとうございます」皆で楽しく談笑していると、インターホンが鳴った。幸子が玄関に向かい、ドアを開けると、健吾が颯爽と歩いてきた。彼はダイニングに目を走らせ、まるで自分の家のような気安さで口を開いた。「こっちはまだ昼飯を食べてなかったんだ。そっちはもう先に始めたんだね」「青木社長、すぐに盛り付けますから!」幸子は手際よく綺麗な碗を手に取り、綾の隣に置いた。健吾は椅子を引いて座り、遠慮な
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第622話

健吾はすぐに防犯カメラの映像を探し出し、タブレットをテーブルに置くと、マルスとマーガレットを近くに来るよう手招きをした。「聞いたか?瑞希がパパって呼んだんだぞ」綾は思わずタブレットを手に取って消そうとしたが、その瞬間、健吾の顔に浮かぶ隠しようのない喜びに目が留まった。その光が綾の心を和らげ、結局は遮るのをやめた。マルスは、何とも言い表しがたいほど緩み切った健吾の顔を見て、心の中で微笑んだ。動画は続き、瑞希までが壮真の真似をして、幼い声で「パパ」と呼ぶと、健吾は椅子から飛び上がるほどの興奮で、手元のテーブルをパシッと叩いた。「俺の娘だ!」マルスはぼそりと突っ込んだ。「健吾様、そこまで喜ばなくても……」マーガレットが即座に暴露する。「あなただって子供が初めてパパって呼んだ時、真っ先に家のプールに飛び込んだじゃない?あの時はまだ冬だったでしょ」綾はぷっと吹き出した。高身長でガタイが良く、いつもは硬派なマルスにこんな一面があるなんて、想像もしていなかったからだ。昼食後、マーガレットは正式に二人の子供の家庭教師になった。綾が出社のため会社へ向かおうとすると、健吾も一緒に家を出た。「送っていく」と彼が言うと、綾は手にした鍵を振ってみせた。「車はあるわ」健吾は食い下がらず、何でもないように聞いた。「明日、おじいさんが退院するんだが、夕食でもどうだ?」綾は少し考えてから、ちょうど最近、ビアンカも子供たちに会いたがっていたことを思い出し、快諾した。「良いわよ。じゃあ、青木家の本邸に集まろう」「俺は明日、午後から予定がない。壮真と瑞希を先に連れていくから、お前は仕事帰りに直接来ればいい」綾の会社からなら青木家の本邸まではすぐ近くだし、子供を健吾に預けても何の心配もなかった。「分かった。山下さんも一緒に連れていってあげて」本邸には使用人が多いが、子供たちにとっては見知らぬ人ばかりだからだ。健吾は首を傾げて笑った。「他に何かご要望はあるか?」綾は彼を横目で見る。「いいから、向こうに行ってて」健吾は目尻をわずかに下げ、穏やかな声で応じた。「承知」二人は別々に車へ向かった。エンジンをかけた綾がミラーを見ると、健吾は車を止め、そのまま彼女を見守っていた。綾は視線を逸らし、つい緩んでしまいそうになる唇の端を
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第623話

明里はマッサージチェアに座り、凝り固まった肩を揉みながらこぼした。「全くその通りね。私はユズちゃんのために、こうして身を削って働いているのよ」綾は椅子に腰を下ろし、何気なく尋ねた。「ところで、朔弥くんとはどうなの?」明里はうっとりと目を閉じ、気だるげに応えた。「彼も忙しいし、私も仕事ばかり。だから、全然会えてないの。綾に言われるまで、付き合ってることすら忘れかけていたわ」明里は軽く笑う。「この距離感でいいのかもね。年下の男って元気いっぱいすぎて、一緒に遊ぶだけでも疲れるし」綾は呆れて首を振ったが、その目には少し可笑しそうな光が宿っていた。深入りして傷つくより、それくらいの付き合い方の方が、明里のためには良いのかもしれない。明里と少し会社の打ち合わせをしてから、綾は車で研究室へと向かった。夜は青木家で食事の予定があったため、30分早く切り上げ、遠回りして彰人への手土産を買った。車を走らせていると、健吾から電話が入った。「まだ研究室か?」綾はハンドルを握りながら答えた。「もうすぐ着くところ。子供たちは泣いてない?」電話の向こうから、健吾の弾むような笑い声が聞こえる。「大丈夫だ。すっかりここが気に入ったみたいで、くつろいでいるよ」綾は「それなら良かった」と答えると、電話を切った。角を二つ曲がると、青木家の本邸が見えてきた。遠目からも、子供たちが庭で元気に歩き回っているのが見えた。幸子たちが心配そうに付き添っている。ビアンカは子供たちのそばについて回り、必要なものを手渡していた。彰人は車椅子に座り、微笑ましそうにその光景を見守っていた。以前会ったときよりも、少し老け込んだような気がした。健吾と冬馬もそばでその姿を目に焼き付けながら、談笑している。その光景に、綾は胸を締め付けられた。この子たちには、これほど多くの愛を注いでくれる家族がいるのだ。自分がやるべきことは、この穏やかな場所を守ること。かつての自分のように、愛情を求めて彷徨うことのないように。車を停めて外に出ると、壮真と瑞希がこっちに向かって歩いてくる。「ママ、ママ」綾は屈んで二人を抱きしめた。その温かな感触に、一日の疲れがふっと消えていくようだった。子供たちを落ち着かせ、綾は彰人たちにも挨拶をした。「おじいさん、お加減はい
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第624話

健吾は綾のそばへ歩み寄り、「入ろうか」と声をかけた。綾は小さく頷くと、振り向いて壮真と瑞希に向かって手招きした。「こっちへおいで。お部屋で遊ぼう」健吾は数歩で子供たちのそばへ行き、腰を屈めて両手を広げ、二人をしっかりと横抱きした。「パパがイチゴを洗ってあげるね」瑞希は「はーい」と可愛らしい返事をした。壮真は黙ったまま、小さな手を口にくわえ、よだれでべたべたにしていた。健吾が二人の子供をソファに座らせると、すでに使用人が洗ったイチゴを運んできた。彰人の言いつけ通り、イチゴの甘い先端部分だけを切り揃え、小さなボウルに入れてあった。壮真の目が輝き、手を出そうとしたところで健吾がそれを止めた。彼は赤ちゃん用の除菌シートを取り出し、指の隙間まで念入りに二人の小さな手を拭いた。「よし、これで食べていいよ」横で見守っていた冬馬は笑みを浮かべて言った。「健吾も父親になったものだ。俺よりずっと手際がいいな」綾はそれを聞いて微笑むと、手元の湯飲みを口に運んだ。湯気が立ち昇り、瞳の奥をかすめた複雑な感情を隠した。彰人は二人の子供のそばに座り、しばらく慈しむように見つめた後、綾の方を見た。「綾ちゃん、二人はどんな食べ物が好きなのかな?」綾は湯飲みを置き、静かに答えた。「いえ。まだ幼いので、ミルクと離乳食以外のものは基本与えていません」彰人は頷くと、壮真の小さな拳にそっと触れ、言った。「これからも、暇があれば連れてきなさい。この老い先短い者の話し相手になると思って」言い終わるや否や、ビアンカが即座に頷いた。「私も瑞希ちゃんや壮真くんと遊びたい。これからたくさん会いに来させてよね、お願い!」ビアンカは綾の腕に抱きつき、甘えた。綾はビアンカのふっくらとした頬をつねり、「ビアンカちゃんの願いなら、誰も断れないわね」と笑った。ビアンカはパチパチと手を叩いて喜び、目を輝かせた。「じゃあ、美味しいお菓子やおもちゃは全部私の弟と妹にあげる!」健吾が横から咳払いを一つし、優しく正した。「ビアンカ、二人はお前の姪っ子と甥っ子なんだから、お前は『伯母』だぞ」ビアンカは首をかしげて、何のことか理解できないまま復唱した。「伯母?私は伯母さんなんだ」冬馬は真っ赤なイチゴを一つ摘まむと、ビアンカの手のひらに置き、寵愛を込めた声で言っ
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第625話

子供たちは、祖父母の血を継いでいる。綾は、子供たちにも祖父母の存在を伝えてあげたいと願っていた。冬馬もその言葉に乗じ、「いい名だ。とても気に入ったよ」と微笑んだ。健吾が詳しく話す様子を彰人は探るような目で静かに眺めていた。ちょうど使用人が夕食の支度が整ったことを知らせに来たため、全員でダイニングへ向かった。青木家では手回しよく、食事用のテーブルにベビーチェアが二つ、すでに用意されていた。健吾は手慣れた手つきで壮真と瑞希をイスに乗せ、よだれかけをつけた。食器やスプーンも子供専用の特注品だ。「綾さん、これは全部健吾が準備したものだ。足りないものがあれば言ってくれ。すぐ買いに行かせるから」と冬馬が笑った。「何も足りないものはありません」綾は小さなスプーンと碗をじっと見つめていた。一呼吸おいてから健吾に目を向け、「子供たちのために、ありがとう」と短く伝えた。彰人と冬馬は互いに顔を見合わせた。表情が一瞬引きつったようにも見えたが、すぐに元通りの穏やかな顔に戻った。子供たちがいたおかげで、夕食の場はとても和やかだった。彰人の機嫌もよく、普段よりも一杯多くごはんを食べていた。食後、彰人に促され、綾たちはそのまま少しの間滞在した。綾は時間を気にして、子供たちが寝る時間に合わせて席を立った。青木家の人々が門まで見送りに来る。彰人は、去るのを名残惜しそうに二人の子を膝に乗せ、しわくちゃな手で背中を優しく撫でた。「綾ちゃん、老い先短い身ゆえ、また会えなくなる前に、もっと子供たちを連れて会いに来てくれ。俺が呆けていて、つい失礼なことを口にしてしまっても、決して心にわだかまりを持たないでほしい」綾は胸の奥がチクリと痛んだ。それでも優しく微笑みながら言った。「そんなことおっしゃらないでください。子供たちもきっと会いたがりますので、これからも定期的に連れてきますね」「さあ、ひおじいちゃんにお別れをして」健吾は子供たちを抱き上げ、後部座席のチャイルドシートに丁寧に座らせて固定した。綾が運転席に向かおうとしたが、健吾がそっと遮った。「俺が運転するから。お前は助手席へ」拒絶する暇も与えず、健吾は車のドアを閉めて運転席へと乗り込んだ。綾もそれを断らず、門の外に立つ人々へ手を振った。ビアンカの目が潤み、泣きそうな顔をし
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第626話

エンジンをかけた健吾は、車内に流れる心地よいベビーソングに合わせて口角を上げた。「そんなにやすやすと、子供たちを俺に任せちまっていいのか?」綾は、健吾が何を聞きたがっているか分かっていた。だから、わざと突き放した。「アドバイスありがとう。今後は子供をあなたに預けるような真似はしないわ」綾は淡々と告げたが、唇の端にはかすかな笑みが浮かんでいた。健吾は即謝った。「悪かった。俺が悪かったよ。これからは余計な口を挟まず、お前の言う通りにする」もしハンドルを握っていなければ、今すぐ両手を挙げて降参していたところだろう。助手席に座る綾の、したり顔を盗み見ながら、健吾も自然と顔がほころんだ。綾はふふと笑うと、視線を後部座席の子供たちに向けた。瑞希はすでに寝息を立て、小さな頭をチャイルドシートにもたれかけさせていた。壮真の瞳はきょろきょろと動き、外を流れる街明かりをじっと見つめていた。その小さな顔に、光と影が交互に映し出される。車がゆっくりと自宅の団地に入ると、綾は眠っている瑞希を健吾に抱かせることにした。健吾の力なら、安定して抱けるからだ。壮真は抱っこを拒んだため、綾が彼の手をそっと握りしめた。手のひらが、その温かい小さな手を包み込んだ。皆でエレベーターに乗り込み、ドアが閉まった瞬間、輝く鏡面に4人の姿が重なった。大人と子供たちが並ぶその姿は、まるで額縁に収められた家族写真のようだった。一瞬、綾は意識が遠のき、まるで今この瞬間が、過去のあの記憶とつながっているような錯覚を覚えた。しかし、すぐに視線を外し、胸の奥底にあったはずの柔らかい感情を深く沈め込んだ。帰宅すると、幸子とベビーシッターたちが迎えに来て、子供たちを引き受けてくれた。健吾は玄関先で少しだけ立ち止まると、綾を煩わせまいとそのまま下の階の自分の部屋へ戻っていった。部屋に取り残され、言いようのない感情が綾の胸を刺した。だが、すぐにそれを追い払った。眠りにつく前、綾は湊にメッセージを送り、様子を尋ねた。湊からはすぐに【すべて順調だから心配しないで】と返信がきた。だが、心配せずにはいられなかった。綾は翌日の仕事帰りに、そのまま病院へ直行した。湊は病室のベッドで読書をしていた。顔色は悪くないが、精気がなく、ぐったりとしていた。「
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第627話

綾はすぐに食事を買って戻ってきた。病室のテーブルを組み立てて、買ってきた料理を一つずつ並べた。湯気がふわりと広がる。「湊、あなたが普段好きなものを買ってきたわ。少しは食べてね」「一緒にいてくれるなら、もちろん食べるさ」湊はお椀を手に取り、口いっぱいに料理を頬張った。彼が食べてくれるのを見て、綾はようやく満足げに微笑んだ。「その調子よ」綾はベッドの端に腰を下ろし、自分の分のご飯も取り出し、湊と一緒に食事をした。何気ない会話の中で、湊が急に切り出した。「近日中に兄さんが戻ってくる。迎えに行きたいんだ」綾は箸を止め、一瞬黙ってから問いかけた。「その体で退院して平気なの?」「たぶん大丈夫だ」湊は目を伏せて言った。「大事な兄だし、一人ぼっちにしたくない」綾は「うん」とだけ答えると、黙々と食事を続け、それ以上は何も言わなかった。湊がした過去のあれこれについては、彼が自分を大切にしてくれたのだから、許すこともできる。だが、誠と凪については許せない。あの二人の自分勝手な理由で、自分と湊の人生はめちゃくちゃにされたからだ。あの二人が現れなければ、自分も湊もこれほど苦しむことはなかったはずだ。湊は綾が誠の話をしたくないことを察し、話題を変えた。「千葉さんから連絡があってね。ユズちゃんに会いたいから、助けてくれるように俺から頼んでくれないかと言われたんだ」「無理ね」綾は冷たい声で、即座に拒絶した。明里とユズちゃんは今、幸せに暮らしている。雅也は二人にとって邪魔な存在でしかない。明里が雅也とユズちゃんを会わせたいなら、勝手に会えばいい。明里が嫌だと言っているのに、わざわざ自分が口を出す筋合いはない。湊はくすりと笑った。「お前がそう言うのは分かってた。だからさっき直接断っておいたよ」彼は一息ついてから、自嘲気味に付け加えた。「千葉さんも身勝手な奴だよ。手放したあとに必死になったところで意味はないのに。どこか俺自身を見ているみたいで嫌になる」綾はなんと返していいか分からず、少しの間沈黙してから釘を刺した。「ねえ、今度から私の前で千葉さんの話はしないで。彼との仲は最悪なんだから」雅也に散々言われた嫌味を、今でもはっきりと覚えている。策略と悪意で満ちたあのような男が、大嫌いだった。「分かった。もう話題に
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第628話

「毎日忙しくて、メッセージなんて見てる暇ないよ」綾は無関心に答え、まっすぐ前を見据えていた。電話越しに、明里の詮索好きな声がすぐさま聞こえてきた。「青斗くんって、絶対綾のこと好きだよ。朔弥のところで、ずっとあなたの話ばっかり聞いてるもん」「私には関係ないわ。明里と朔弥くんが縁を切る時が、青斗くんをブロックする時ね。小僧相手に恋心なんて、ごめんだわ」明里はケラケラと笑い出した。「あはは!親友の静かな暮らしを守るためにも、頑張ってみる」笑いが収まると、また続けた。「でも、もしうっとうしいなら、いつでもブロックしていいよ。私に遠慮しなくていいから。男なんて腐るほどいるしね」「気を遣ってくれてありがとう。でも別に迷惑ってほどじゃないわ。青斗くんのメッセージなんて仕事の連絡に埋もれて、空気と同じだし」「ならいいけど。とにかく自分の気持ちを押し殺したりしないでね。週末は子供たちを連れて遊びに来てね。お母さんがおいしいもの作って待ってるから」「必ず行くわ。よろしくって伝えて」二人はずっと話していたが、綾が自宅の団地に差し掛かると、電話を切った。エレベーターに乗った時、綾は青斗とのチャット画面を開いた。未読のメッセージは確かに溜まっていたが、上にスクロールしてみても、どうでもいい挨拶ばかりだった。「おはようございます」、「おやすみなさい」、「綾さん、お疲れ様です」とか……返す必要なんてどこにもない。特に感情もなく流し見していた時、ふと視線が止まった。社交辞令の間に、一つだけ録音データが混ざっていたのだ。綾が指先でダウンロードして音量を上げると、朔弥の声が流れ出した。その内容がはっきり分かった途端、胃の底から強烈な嫌悪感がせり上がり、綾は眉間にしわを寄せた。エレベーターがちょうど開き、気配に気づいた山下さんはすでに玄関先まで来ていて、綾の青ざめた顔に気づいた。「綾様、具合でも悪いんですか?随分顔色が優れませんが」「大丈夫よ」綾は吐き気を押し殺し、努めて普通に言った。「壮真と瑞希を寝かせてあげて。私、もう少しやることがあるから」書斎に入ってドアを閉めると、綾は再びその録音を最初から聞き直した。まさに、類は友を呼ぶ。朔弥は明里の金を奪おうと企み、青斗という男は、友達を売ってまで自分に取り入ろうとしてい
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第629話

「綾の言う通りだわ。でも、私も別に損をしたわけじゃないしね。朔弥には騙されたけれど、付き合っている間は体も心も満足できたわ。そう思えば、自分への投資だったと考えればいいのよね」綾が忠告した。「あの二人、一筋縄じゃいかない相手だよ。別れる時は綺麗に片をつけないと。万が一、うちの会社に余計な迷惑をかけたら、ただじゃおかないからね」明里はわずかに微笑んだ。その瞳には、冷静な知性の光が宿っている。「大丈夫よ。録音データはまだこっちの手の中だもの。朔弥はプライドが高いから、世間にバラされることをひどく恐れているわ。騒ぎ立てたりなんてできないはず」そして、長いため息をつき、寂しげに続けた。「セレブってのも大変ね。ただ純粋な恋がしたいだけなのに、お金目当てばかりだなんて」「ポジティブに生きなさいよ。少なくとも、彼との時間を楽しんだじゃない?」綾はあっさりと慰めの言葉をかけた。すると、明里の口調が急に変わった。「そういえば、雅也が再婚するって知ってた?」綾は眉をひそめた。「いつの話?」「来月挙式らしいわ。相手は新卒の子で、親御さんは公務員。清楚で性格も素直、まさに雅也がずっと望んでいた『理想の嫁』らしいの」綾は言った。「それならいいじゃない?これでもう、明里やユズちゃんに関わってこなくなるでしょ」「私もそう思いたいけど……あの可哀想な結婚相手が私と同じ道を歩むんじゃないかと心配だわ。雅也のお母さんがいる限り、あのお家に入って幸せになれる嫁なんていないもの」「もう良いから。それより自分のことを考えなさい。実際にその時になってみなければ、どうなるかなんて誰にも分からないんだから」綾は大きなあくびをした。顔には疲れがにじんでいる。「仕事が忙しくてくたくたよ。もう寝るわ。何かあれば連絡してちょうだい」通話を終え、綾はスマホをマナーモードにして机の上に置いた。ベッドに寝そべり、ふと再びスマホを手に取る。画面の青白い光が、無機質な表情を照らした。青斗のプロフィールを開くと、容赦なくブロックリストに追加した。友達を裏切るような人間には、何よりも虫唾が走る。幸いなことに、明里は一連の清算を完璧にこなし、しっぽを掴まれるようなミスもなかった。その日の夜、明里は朔弥に録音データを送り、破局を突きつけた。脅しを含めた交渉の後、すぐさ
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第630話

翌日、綾はその友だち追加のリクエストを目にして、迷わず拒否ボタンを押した。あんな年下の男には微塵も興味がないし、青斗の行動を思い出すだけで不快感がこみ上げた。出勤前、綾は幸子に念を押した。「健吾が壮真と瑞希を青木家へ連れて行きたいと言ってきたら、二人のベビーシッターを連れて一緒に付いていってちょうだい」「かしこまりました。ずっと側に付いて、目を離さないようにしますのでご安心ください」と幸子は即座に頷いた。ようやく安心した綾は、リビングのカーペットで積み木遊びをしている二人の子供へ腰をかがめ、優しい声で話しかけた。「壮真、瑞希。ママは仕事に行ってくるわね。バイバイ」二人は揃って顔を上げ、あどけない表情に満面の笑みを浮かべ、必死になって手を振った。綾が身を起こすと、二人は悲しむことも騒ぐこともなく、ドアの向こうへ行く彼女をただじっと見送った。自分の子ながら、本当に天使みたいにいい子たちだと綾はしみじみと感じた。本社で午前中の会議を終え、研究室に向かった綾は、ある懐かしい人影と出くわした。「颯太さん?今日は私の仕事ぶりをチェックしに来たの?」と、綾は冗談交じりに話しかけた。颯太は優しく穏やかな笑みを浮かべた。「そんな大げさだな。お勉強しに来ただけさ」「そんなにからかわないでよ。以前みたいに実験だけしている時の方が、本当はずっと楽だったわ。今なんてグループ全体の経営もしないといけないから、前よりずっと大変」綾がオフィスに颯太を招き入れると、秘書が手早くお茶を入れて持ってきた。颯太はお茶を軽くすすり、笑った。「これで、俺がなぜ毎日研究所から出てこないか分かったでしょ?」「やっぱり、颯太さんが羨ましいわ。お仕事のことは真帆さんに任せきりでいられるんだもの」颯太は湯呑みをデスクに置き、答えた。「今日は姉が飼っている犬が病気みたいでね。ここで診てもらうついでに顔を見に来たんだ」「あら、犬がどうしたの?」綾が尋ねた。「最近食欲がなくて元気もないんだ。医者が今検査中だから、俺はここで待っているんだ」それを聞いて、綾は自信満々に微笑んだ。「大丈夫。ここで」雇っている医者たちは、トップクラスばかりだから安心して」颯太はすぐに親指を立ててみせた。「さすが、金に糸目をつけないな」彼は腕時計を一瞥すると立ち上がり、挨
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