All Chapters of 初恋と付き合ったら、車椅子の元夫が立ち上がった: Chapter 641 - Chapter 650

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第641話

「またからかって」明里は少し笑い、サイドミラーに視線をやった。「健吾の車が後ろをついてきてるわ。ここで降りて。家まで送り届けるのはやめとくね」綾は明里の視線を追ってミラーを見た。見慣れた黒い車が映り、こくりとうなずいた。綾は運転手に声をかけ、車をゆっくりと脇に寄せた。後ろの車もそれに倣って止まる。綾は明里の車を降りると、後ろの車に向かって歩いていった。黒い車のドアはあらかじめ開けられており、自分を待っているかのようだった。後部座席に座ると、隣の男性から漂う、凛とした香りが辺りを包み込んだ。マルスが再び車を発進させ、二人の暮らす街へと静かに走り出す。綾は腕時計を一瞥した。「そのまま帰るんじゃなくて、ヘアセットをしてドレスも買いたいんだけど」もしドレスが体に合わなくてお直しが必要なら、家で昼食を食べる時間はない。健吾は顔を傾けてずっと綾を見ていた。穏やかな表情で、ふっと口元を緩める。「いいよ、付き合う」マルスは車の向きを変え、高級ドレス店へとハンドルを切った。綾はしばらくこういうパーティーから遠ざかっていた。少し緊張した面持ちで、控えめに尋ねた。「プレゼントは何を準備すればいい?」健吾は冷え切った綾の手を包み込み、親指でその手の甲を優しくさすった。「準備は済んでいるよ。お前は俺のそばにいて、腕を組んでいればいい。自然と誰かが声をかけてくるさ」綾は思わずつぶやいた。「それって、虎の威を借る狐ってこと?」健吾は眉を上げてからかった。「逆だよ。俺から見れば、お前こそがその『虎』そのものだ」綾は彼の手を振り払うと、ポンと軽く叩いた。耳元が少し熱くなる。「そんな風に言うのはやめて。もし私が『虎』だったら、あなたなんてとっくに食べられているわよ」口に出してから、言い方が少し変だったと気づく。健吾は目を少し細めた。低くしわがれた声で、魅惑的にささやく。「いつ食べる?いつでも待ちわびているよ」運転席のマルスは何事もなかったかのようにパーテーションを上げ、音楽をかけた。「馬鹿言わないで!」綾は不満げに抗議し、熱くなった頬を隠すように窓の外へ視線を向けた。自分が健吾に頼み事をしているからか、彼は少々図に乗っていた。この男は、本当にもう、自分の扱い方が上手すぎる。健吾は小さく笑い、手を伸ば
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第642話

ドレス店で、綾は落ち着いたモスグリーンのロングドレスを選んだ。シンプルなデザインだが、年齢と立場にぴったりの品格がある。健吾は今日着ていた黒のスーツのままで、着替える気配はなかった。彼はくつろいだ様子でフィッティングルームの外に座り、椅子の肘掛けを軽く指で叩きながら、閉ざされたカーテンの向こうを眺めていた。カーテンが開き、綾が出てくると、健吾の目が不意に輝き、だらりとしていた姿勢が思わずピンと伸びた。モスグリーンのベルベット地が、綾の肌の白さと艶をいっそう引き立て、胸元のカットがその真っ直ぐな鎖骨と長くしなやかな首筋を絶妙に演出していた。首元で光るダイヤモンドのネックレスが華やかな顔立ちによく映え、まばゆい輝きを放っている。綾は生き生きと輝いていて、その一挙手一投足から目が離せなかった。健吾の視線が綾の肩先をなぞるように滑った。瞳の色がわずかに深まり、のど仏をそっと上下させた。健吾の目の前で手が揺れる。「ボーッとしてどうしたの?」綾が首を傾げ、口元を綻ばせた。正気に戻った健吾は苦笑しながら何も答えなかったが、その眼差しにはまだ強い名残惜しさが滲んでいた。彼は悠然と立ち上がり、腕を差し出す。「わざわざパートナーを引き受けてくれて感謝するよ」綾の心がわずかに震えた。だが表面は堂々と笑みを浮かべ、健吾の腕に自分の腕を絡めた。「こちらこそ。有力者とのつながりを紹介してくれて感謝するわ」二人は見つめ合って微笑み、肩を並べてドレス店を後にした。触れ合った腕越しに、互いの体温が伝わってきた。パーティー会場は郊外にある私的な広大な屋敷だった。主催者は高齢のため顔を出す程度にとどまり、すぐ付き添い人に支えられて休憩に戻っていった。その息子が代わって接待にあたっていたが、このパーティーは誕生日の祝いと称しつつも、実態は政財界の要人が関係を深めるためのビジネスチャンスだった。綾は片手にワイングラスを持ち、健吾の腕にしっかりと手を絡め、その脇に従った。綾が顎を少し上げると、優雅な首のラインと凛とした雰囲気が際立つ。隣の健吾も長身で、どこか貴公子を思わせる気品を漂わせていた。二人が姿を現した瞬間、周囲から注目が集まった。健吾が言った通り、立ち止まって間もなく、誰かが挨拶に歩み寄ってきた。その場にいるほ
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第643話

綾は作り笑いを浮かべ、渉と当たり障りのない挨拶を交わした。周囲は自分たちの離婚を知っているが、健吾の今の態度は自分を重んじており、独占欲すら漂わせていた。この連中が自分にすり寄るのは、青木家とつながりたいためだけだ。その後も健吾に挨拶しようとする人間が次々と現れ、綾も否応なしに注目を集めることとなった。綾はそれらを見事に受け流し、すぐに十数人の政治家と知り合いになった。健吾は視線の端で綾の様子を窺っていたが、彼女の顔に疲労が見えると、軽く身を乗り出して優しい声で尋ねた。「綾、俺と一曲どう?」綾が顔を向け、少し意地悪そうに微笑んだ。「あなたからのお誘いだから、断る理由はないわよね?」健吾の目が鋭く光り、手を取り返すと、親指でその甲をなでた。彼は優しく綾をダンスフロアへと誘った。片手で綾の華奢な腰を抱え、もう片方の手をその背中に回し、柔らかく引き寄せた。ドレス越しに伝わる手の熱に、綾の体は少し強張った。二人は向かい合い、互いの顔がすぐ目の前にあるほど近かった。呼吸が重なり、互いに馴染み深い香りが漂った。綾は目を閉じ、身をゆだねた。健吾は安定した足取りで、二人はゆっくりと円を描くように舞った。回転のたびに腰を抱く腕が力を増し、もっと近づけようとする。健吾の眼差しは綾の目から唇へと這い、熱っぽく執拗で、隠そうともしない独占欲に満ちていた。曲が終わると、綾は目を開けた。顔を上げた瞬間、健吾の深い青色の瞳に吸い込まれた。真っ直ぐに向けられる熱い視線に、すべてを解き明かされるような気がした。綾は長い睫毛を伏せ、戸惑いを隠して言った。「少し疲れたから、休ませてもらうわ」「分かった」健吾は低い声で答え、綾と指を絡めたままフロアを後にした。落ち着いた席を見つけると、健吾は小声で呟いた。「ここが嫌なら先に帰ろう。人脈は、一度顔を出したくらいで築けるものじゃないから」綾が答える前に、二人のスーツの男が近づいてくるのが見えた。先頭の男は背が低く、シワだらけの顔を歪めて笑っている。60歳くらいだろう。その背後には、昼間に揉めたばかりの雅也が続いていた。景山利明(かげやま としあき)は、まだ少し距離があるうちから両手を差し出し、背を低くして媚びた。「青木社長、まさかここへ来られるとは。お会いで
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第644話

綾は健吾の隣に座り、雅也と利明へ交互に視線を向け、静かに二人の様子をうかがった。雅也は俯いたまま表情を曇らせ、唇を噛みしめていた。その顔には強い不満と苛立ちが滲んでおり、利明を全く立てようともしなかった。利明も、雅也の非協力的な態度を感じ取り、内心焦りを感じていた。彼は雅也の腕を引っ張り、低く切迫した声で命じた。「雅也くん、青木社長に早く謝るんだ」雅也は青木家の政界への影響力は知っていたが、利明がこれほどまでに健吾を立てる姿を見て、内心は動揺していた。青木家の背景は、予想を遥かに超えていたようだ。本音では絶対に許せなかったが、千葉グループの未来のため、雅也は強張った笑みを浮かべ、気まずそうに数歩前へ出た。「青木社長……」雅也が口を開き、最後まで言い終える前に、健吾が手で遮った。「こっちに謝る必要はありません。これまでの無礼について、綾に謝ってください」雅也は一瞬呆然としたが、健吾の後ろ盾を思えば、頭を下げること自体は避けられないと考えた。しかし、綾に対して折れることは、どうしてもプライドが許さなかった。綾はその迷いと屈辱を見抜いた。彼女は深入りするつもりはなかった。相手が小物であればまだいいが、仮面をかぶった小物には要注意だと知っていたからだ。窮鼠猫を噛むという言葉があるように、これほど策士の男を無闇に追い詰めるのは賢明ではない。綾は口角をわずかに上げ、淡々と言い放った。「今の言葉を謝罪として受け取ります。過去のことはこれきり。これからはお互い、関わらないことにしましょう」綾自身も、雅也とはもう二度とビジネスをすることはないと分かっていた。最初から別々の道を進むのが一番だ。今夜、健吾にエスコートされてこの場に立てただけで、目的は十分果たせた。今後は、誰も軽々しく自分に手を出そうとはしないだろう。利明は安堵して深く息を吐き出した。「ありがとうございます。近いうちにぜひ、お礼も兼ねてお食事でもご一緒させてください」綾は冷ややかに微笑んだ。「お気持ちだけいただきます。私の親友は千葉さんの前の奥さんで、あなたの娘さんは千葉さんの婚約者です。裁判所を経てきた仲ですから、一緒に食卓を囲むのはいささか気まずいかと」健吾は視線を腕時計に落とし、落ち着いた声で促した。「もう遅い。帰ろうか」彼は毅然
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第645話

綾は背もたれに寄りかかり、思わずあくびをした。「社交って、実験よりよっぽど疲れるわ」そんな綾に、健吾は優しく首のサポーターを巻いた。「無理に社交することなんてないんだよ。俺がいるんだから」綾は目を閉じたまま首を横に振った。「いいえ。どんなに疲れても、強くなりたいの」綾の性格をよく知る健吾は、困ったように笑った。「分かった。でも、あまり焦らずにゆっくりいこう。急いては事をし損じるって言うだろう?」返事の代わりにかすかな寝息が聞こえた。綾はすでに眠りに落ちていた。「マルス、ゆっくり走れ」と健吾は低い声で指示を出した。外からの光が目に入らぬよう仕切り板を上げ、車内を暗くする。健吾は横で眠る綾の顔をじっと見つめた。胸の内には言いようのない痛みと罪悪感がこみ上げる。自分のせいで、綾を傷つけた。そのせいで、綾は鎧を着るように自分に厳しくなったのだ。車はいつもより倍の時間をかけ、ようやく自宅へ着いた。駐車場で静止し、健吾は綾の肩をそっと揺さぶった。「綾、着いたよ」ぼんやりと目を開けた綾は、夢の中にいたような気怠さを感じた。身なりを整えて外に出る綾を見て、健吾も車を降りる。二人が降りると、マルスは静かに車を走らせて去っていった。綾は眠気まなこでエレベーターに乗り込むと、健吾に言った。「健吾、帰って休んで。今日は一日大変だったでしょ」しかし健吾は自分の階のボタンを押さなかった。「子供たちの顔を見ないと、どうしても眠れなくてね」綾は皮肉っぽく彼を見た。「まさか、外面ではクールな社長様が、家ではこんな子供好きだなんてね」健吾は何も反論せず、微笑みながら綾のコートの襟を整えてやった。子供好きなのではない。ただ、綾に関することすべてが好きなのだ。二人が少し早く切り上げたおかげで、帰宅すると壮真と瑞希はまだ起きていた。リビングはまるで戦場と化していた。同じおもちゃを取り合って喧嘩をしているのだ。幸子たちが間に入ろうとするが、離してもすぐに子牛のように突進し合っている。力のある壮真と、素早い瑞希。二人は一歩も引かず、頬にはひっかき傷まであった。綾はため息をつく。同じものを二つ買ったというのに、なぜ同じものを取り合うのか?綾はソファに深く腰を下ろし、幸子たちに手で合図した。「いいのよ、放っておいて。
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第646話

綾が開発した新製品が無事に発売され、今年も終わりを迎えていた。年末の休暇に入り、オフィス街もすっかり落ち着いた空気に包まれていた。綾が車で帰路につくと、街はすっかりお正月ムード一色になっていた。普段は閑散としている広場では年末のイベントが開かれ、多くの人で活気にあふれていた。お店では色とりどりのしめ縄や羽子板、お菓子が売られていた。鏡餅や年越しそばがずらりと並び、人々は年越しの準備に追われていた。楽しそうに買い物を楽しむ家族連れの声が、そこかしこから聞こえてくる。ショッピングモールは買い物客であふれ、みんながたくさんの袋を提げて足早に行き交っていた。綾は買い物をして帰ろうと思ったが、駐車場はどこも満車で、仕方なく諦めることにした。家には綾と幸子、二人のベビーシッター、そして双子しかいないので、それほど買い込む必要もなかった。それに、正月飾りなどはすでに関係者からたくさん届いているので、自分で買う必要もなかった。壮真と瑞希はまだ2歳で、凧揚げや羽子板をする年でもない。今日は帰省ラッシュと重なり、帰宅した頃には空はすっかり暗くなっていた。リビングに入ると、湊が先に着いていて瑞希と遊んでいた。壮真はベビーシッターと一緒にボール遊びをしている。湊は綾が帰宅したことに気づき、そのコートを受け取ろうと立ち上がった。綾は首を振ってそれを断り、聞いた。「自分でかけるから大丈夫よ。いつからいたの?会社はお休み?」手を洗う綾の後を追うように、湊が身の上話をしに近づいてくる。「昼から休みに入ったよ。子供たちの顔が見たくてね。大晦日はどう過ごすんだ?」「子供たちと家でのんびり過ごすわ。家族だけでささやかな食事をしようと思っているの」洗面台では綾の手を洗う音が響いている。湊は、自分がかつて何度も強く握りしめたその指先を見つめ、言った。「中野家に戻ってきて、去年みたいにみんなで過ごさないか?」「誠さんと二人で過ごしてあげて。彼も出所したばかりで、独りで年越しは寂しいでしょうから」綾の返事は素っ気ない。誠と一緒に過ごしたくないという気持ちは、痛いほど伝わってきた。それでも湊は、食い下がった。「兄さんも、双子が産まれたと聞いて心から喜んでいたんだ。二人を抱かせてやってくれないか?」綾は穏やかな口調だが、
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第647話

綾は会社の年間レポートについて語り、湊は中野グループの今年の決算状況を報告した。筆頭株主である綾の元には、かなりの配当が入ることになっていた。二人が談笑していると、幸子がキッチンから出てきた。「綾様、今夜のお食事は何になさいますか?」「何があるか見てみるわ」綾は立ち上がってキッチンに入り、冷蔵庫の中身を確認してから、湊の好物である食材を取り出した。「これで全部作ってくれる?牛スネ肉は柔らかくなるまで煮込んで。スープはなしでいいわ」「青木社長は食事にいらっしゃいますか?」幸子が尋ねた。健吾は時間の許す限り、退勤後に必ず顔を見せ、基本はここで夕食を共にしていた。綾は腕時計を確認した。「会社が年末で忙しいから、今日は来ないと思うわ。彼の分は用意しなくていいわよ」「承知いたしました。では、今いる人数分で支度しますね」綾はキッチンを出て、引き戸を閉めた。すると、瑞希が駆け寄ってきて、抱っこをねだった。「瑞希、眠いの?」「ねむねむ……」瑞希は綾の頬に顔をすり寄せ、小さく目をこすった。綾は湊に一言かけてから瑞希を抱きかかえ、部屋へ連れて行ってベッドに寝かせた。布団に置くと同時に、瑞希はすぐに眠りについた。綾はしばらくベッドの脇で見守り、完全に眠ったことを確認してから静かに部屋を出た。幸子の忙しさを気遣い、綾もキッチンに戻って手伝うことにした。「山下さん、明日あたり、実家に帰る?」幸子は勢いよく首を振った。「とんでもないです。帰れば親戚中が集まって食事の準備や洗濯、掃除に追われて、ここよりもずっと疲れてしまいますよ。休みなんてくれなくていいですよ。ここで静かに過ごしていたいんです」綾は少し微笑んだ。「分かったわ。じゃあこれからも頼むわね。帰ってくれた方が気を使わずに済むわなんて言えないくらい、助かってるもの」作業をしながら、綾は幸子と世間話を続けた。夕食が仕上がる頃、ベビーシッターたちが手際よく配膳を進めていた。二人は子供の世話で忙しいため、年末年始も休みはとれない予定だ。とはいえ綾は、交代で帰省して良いと伝えてある。自分と幸子がいれば、育児には十分に手が回るはずだ。料理が並ぶと、綾は湊を食卓へ呼んだ。綾は壮真の手を洗い、ベビーチェアに座らせた。湊はどうしても
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第648話

綾は手元の片付けを終えると、玄関で健吾を待った。一戸建てのような余裕ある造りで、廊下も床暖房が効いており、扉を開けていても冷気は入ってこなかった。リビングでは、健吾の声に気づいた壮真が、ベビーチェアの上で身をよじらせて遊び始め、ご飯どころではなくなっていた。「パパ!パパがいい!」幸子も困り果て、仕方なく壮真を床に下ろした。壮真が床に立つと、小走りで玄関の方へと駆け出していく。幸子が笑いながら呟いた。「壮真様、本当に青木社長になついてますね」何気ない言葉が、ある人には毒となった。湊の顔からさっと血の気が引く。箸を握る手に力が入り、しばらく動けなかった。健吾が現れてからというもの、食欲はすっかり失せてしまった。綾が壮真を連れて玄関で少し待っていると、エレベーターの扉が開いた。買い物をたくさん抱えた健吾が中へ入り、手に持った箱を振ってみせた。「壮真、パパからのプレゼントだよ」壮真は箱に描かれた飛行機を見ると、ぱちぱちと手を叩いて喜んだ。「ひこうき!大きなひこうき!」綾は少し困り顔で、袋の一部を受け取った。「もうおもちゃだらけよ。買いすぎないで」「この子たちへの約束だからさ」靴を脱いで荷物を置いた健吾は、その中から上品な包装袋を一つ選び、綾へ手渡した。「新年のプレゼント。開けてみて」中身を確認すると、バラの形のブローチが出てきた。ルビーが照明に照らされ、優しい輝きを放っている。健吾の声が優しく響く。「お前のお母さんの遺したブローチ、大切すぎて普段は着けられないだろう?これはあれほど繊細じゃないけれど、日常使いしてほしいと思ってね」綾はそのブローチを丁寧に仕舞い、微笑んだ。「ありがとう」十分すぎるほどに美しい代物だ。これほどの大粒のルビーは、オークションでしか見られないもの。健吾がどれだけ気を配ったか、想像に難くない。二人の様子を見た湊が、皮肉めいた笑みを浮かべて口を開いた。「青木社長、俺たちは先に食事を済ませましたが、お気になさらないですよね?」ようやく湊が居ることに気づいた健吾は、気にした様子もなく笑顔を返した。「いやいや、中野社長は大切なお客さんで、待たせるわけにはいきませんから。気にせず食べてください」綾は困ったような顔で、小さく呟いた。「あなたが来るなんて知らなかったから
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第649話

綾は顔を厳しくして言った。「壮真、先に絵本を読みに行こう。これ熱いし、危ないからね」壮真は不満そうに唇を尖らせ、「パパ」と一言だけ呼ぶと、幸子に手を引かれて大人しくその場を離れた。健吾は、麺のいい香りを嗅いでから、親指を立てた。「間違いなく美味しいよ」湊の視線は終始、綾に釘付けだった。「綾が作ってくれる料理は、俺の世話をしてくれていた頃に覚えたものなんです。あの頃は、本当に大変な思いをさせました」言い終えるか終えないかのうちに、健吾から冷ややかな鼻息が漏れた。健吾は冷たい眼差しで湊を見据えた。「綾が大変な思いをしていたことを知っていて、なぜ障害者のフリなんてしたんです?綾に料理をさせるのがそんなに心地よかったのでしょうか?そんな過去の話はもう二度としないでください」湊は何も変わっていなかった。常に自分のことしか考えていない。今もこうして自分をいら立たせるために、わざわざ綾の心の古傷をえぐるようなことを平気でする。本当に救いようがない男だ。湊は言葉が過ぎたことを悟り、顔を少しこわばらせて申し訳なさそうに言った。「すまない、綾。過去の良き思い出がつい頭をよぎって、懐かしくなってしまったんだ」綾は低い声で「そう」とだけ返し、それ以上は言わなかった。あの数年間は、湊にとっては確かに幸せだったのかもしれない。しかしこっちにとって、騙されていたあの日々は、自分の人生の一部を勝手に盗まれたも同然だった。今思い返しても、胸が締め付けられて息苦しくなる。綾が沈黙するのを見て、彼女の気分が良くないと察した健吾は話を切り替えた。「中野社長、今日は何か用があって来たのですか?」湊は淡々と言った。「ここも俺の家と同じです。用がなければ来ちゃいけない決まりはないでしょう?」健吾は反射的に綾の表情を確認し、口元まで出かかっていたきつい言葉をぐっと飲み込んだ。綾の前でわざわざ湊といがみ合うような真似はしたくない。ましてや明日は大晦日なのだ。食後、ベビーシッターが昼寝から目覚めた瑞希を抱えて部屋から出てきた。「綾様、瑞希様が目覚めました。食事をさせてもよろしいですか?」「俺が抱っこする」「俺が抱っこする」健吾と湊の声がほぼ同時に重なり、二人が瑞希を奪い合うように腕を伸ばした。ベビーシッターは気まずそうにその場で立
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第650話

健吾は瑞希にご飯を食べさせると、ベビーシッターに預け、自分は綾の手伝いをして買い出しを整理した。二人はまるで長年連れ添った夫婦のように、あうんの呼吸だった。「明日の夜は中野家で過ごすのか?」と健吾は聞いた。綾は手元の荷物を仕分けしながら答えた。「ううん。自宅でゆっくり過ごすの」「それなら、青木家にくるか?」と健吾が再び聞く。「家で過ごす方が気楽だし、そんなに騒がしいのもね。子供たちといるのが一番いいわ」と綾は断った。年齢を重ねるにつれ、綾は自分の小さな家庭のことだけを考えたがるようになった。自分と子供たちだけのささやかな日常を大事にする生活が、綾にとって一番の幸せだった。健吾はそれ以上無理強いしなかった。綾が中野家に行かないと決めただけで十分だった。湊が綾を救った恩があることは分かっている。それでも、恩着せがましく綾を縛りつけるのは許せなかった。綾は片付けを終えて言った。「終わったから、もう帰っていいわよ。ゆっくり休んで」健吾は頷き、子供たちに挨拶をしてから家を出た。綾は時折、今の自分たちの距離感は丁度いいと思う。友達以上だけど、恋人としては遠い。子供に対する責任だけが、二人をかろうじてつなぎとめていた。……翌日、綾は朝から目を覚ました。いよいよ大晦日の空気が最高潮に達している。人混みを避けて外出せず、幸子たちと一緒に家で年越し用の蕎麦を作った。壮真と瑞希も「一緒に作りたい」と言い張るので、綾は二人にも小さく分けた生地を渡した。間もなくして、二人は粉だらけになり、顔まで真っ白な子猫みたいになった。夜になると、綾は幸子と一緒に豪華な夕食を準備した。去年は中野家で湊と過ごしたが、全く心が休まらなかった。今年は少人数での集まりだが、それ以上に心の平穏を感じていた。子供たちも自分の気持ちをしっかり伝えられるようになり、ずっと喋りっぱなしだ。綾は一人ひとりの言葉に耳を傾け、優しく受け答えした。毎年こうして過ごせるのなら、素晴らしい一年になるはずだ。綾は心の中で密かに祈った。子供たちが何事もなく、健やかに育つように、と。夕食後、壮真と瑞希はテレビの前に座り、年末番組に夢中になった。綾はその背後で、二人が興奮しながら笑う姿を微笑ましく見つめていた。学んだばかりの知識を使
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