優等生の秋連くんは幼なじみの忠成くんを落としたい のすべてのチャプター: チャプター 1 - チャプター 9

9 チャプター

嗅覚の法則①

「ずっと我慢してたけど……忠成君の、獣臭いニオイが苦手だったの」 その言葉とともに、俺は半月付き合った彼女に呆気なく振られた。 正直、ショックだった。 だって、俺の家に来てそのニオイの元と戯れていた彼女はとても幸せそうで……。 まさかそんなに嫌がっているだなんて思いもよらなかったんだ。 人間、慣れというものがある。だから長年親しんだ自分のニオイには疎くなる。 それは十分承知しているつもりだった。 普段から母親に「あんたの部屋は何とも言えん臭いがするねぇ」と言われていた俺は、彼女に会う前は極力身だしなみに気をつけるようにしていた。 当然、汗をかいたらシャワーを浴びるぐらいの配慮はしてデートに臨んでいたのだ。 それなのに――。 俺は残念ながら自分の汗臭さには気付けても、一緒に暮らしているフェレット――イタチ科の小動物――のニオイにはかなりのところ鈍感になっていたらしい。 フェレットって生き物は、一応に独特なにおいがするから、気をつけていたつもりだったんだけど。 可愛くて堪らないから、かな? 俺には愛フェレ――ニョロ豆――のニオイが全く感じ取れないんだ。 いや、確かにニョロ豆に鼻を押し付けて嗅げば彼の発する体臭は感じ取れるけれど、それだってどちらかといえば「良いにおい」として認識されてしまうのだ。 彼女の言うように「獣臭い」においだと認識されることは皆無で。 俺がニョロのニオイを嗅ぐときは、臭いかどうかを確認するためではなく、そこにニョロがいることを感じたいからに他ならない。 それで、なのかも知れない。 衣服についたぐらいの微かな(?)ニョロのニオイでは、俺の鼻は察知してくれなくなっていた。 己の嗅覚が感じ取れないニオイの有無を判別することは、正直至難の業だ。 彼女に振られて、長いこと失意のどん底に落ち込んだ俺だったけれど、その間、何だかんだと理由をつけては俺の様子を見に来てくれた、向かい家の幼馴染み――秋連――に、事の顛末を全てぶちまけてみることにした。 思慮深い秋連なら、この先俺がどうしたらいいか、的確に導いてくれそうな気がしたからだ。 このまま青春真っ盛りの高校時代を、色恋沙汰無しで過ごす羽目になるのは何としても避けたかった。
last update最終更新日 : 2026-01-17
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嗅覚の法則②

 勝手知ったる他人の家。 小さい頃から入り浸ってきた秋連の部屋で、俺は幼なじみに一部始終を打ち明けた。 薄っすらと夕焼けに染まる室内で、薄暗くなってきたことにも頓着しないで、俺たちは対峙していた。 学習机に背を向ける格好で、椅子に胡坐をかいた俺を、ベッドに座った秋連がジッと見つめている。 動きやすいように髪を若干短めにカットしている俺と違って、文科系の秋連はホストよろしくうっとうしげに前髪を垂らしている。 その髪をかき上げながら溜め息を吐くと、秋連はファッションとして掛けている(らしい)伊達眼鏡を外して足を組み直した。 スポーツ量は断然俺の方がこなしているはずなのに、どうしてこいつの方が体格がいいんだろう。 スッと通った鼻梁に、切れ長の目。いつも伊達眼鏡と前髪に隠れていて分かり辛いけれど、秋連はかなり整った顔をしている。 頭だって俺なんかよりずっと良いし――比べるのもおこがましいくらいだ――、だからと言ってそれを鼻に掛けたりしないところが同性の俺から見ても好感が持てる。 きっと、女の子にも相当人気があるだろうに、何故か浮いた話が出ないのが不思議だった。 まさか、勉強の方が楽しくて恋愛に興味が湧かない、というわけでもなかろうに。 彼の長い足を見ながらぼんやりとそんなことを思う俺をよそに、秋連はずっと黙したままだ。「……忠成、ちょっと、手ぇ、貸せ」 しばし後、思案気にうつむいていた秋連が、そう言って手を差し伸べてきた。「ん? あ、あぁ……」 急に破られた沈黙に戸惑いつつ、彼の手に片腕を預けると、秋連は俺の服の袖口に鼻を寄せた。「……やっぱ臭い?」 五月の上旬。 まだ本格的に汗をかくようなシーズンではないけれど、秋連のその仕草に、一瞬風呂入ったっけ?とか思ってしまう。 いや、今はそれよりもフェレ臭のほうが問題か。 そう思い直して恐る恐る問いかけると、「自分ではどう思うんだ?」 逆に問いかけられた。 秋連の視線に促されるよう、自分の袖口を嗅いでみると、洗剤のニオイにまぎれて微かに俺自身の体臭が感じられた。「洗剤と、俺のニオイがする」 正直に感じたままを口にすると、「お前の鼻は本当にニョロのニオイだけ除外して嗅ぎ分けるみたいだな。俺には洗剤の香
last update最終更新日 : 2026-01-17
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嗅覚の法則③

「は? ……すまん。も一回言って?」 秋連が告げた言葉が理解できなくて、俺は思わず間の抜けた声を出す。「だから……代わりに俺の恋愛に付き合えと言ったんだ」 吐き捨てるように再度発せられた言葉に、俺の思考回路は一瞬停滞する。「お、お前の……恋愛?」 秋連のことだからそういうのもそつなくこなせるはずだ、と勝手に思い込んでいた。 だから、まさか俺にそんな相談をしてくるなんて思いもよらなくて――。「当たり前だ。他人のなんて持ち出しても仕方ないだろ」 でも、眼前の悪友は、真っ直ぐに俺の目を見てしっかりと頷いた。 そう、これは夢じゃない。 何度も目をしばたたく俺を見て、秋連が不機嫌そうな顔をする。「何だ? 嫌なのか?」「い、いや、そういうわけじゃっ! っちゅーか、むしろむっちゃ関わりてぇ!」 面白すぎる!『悩み? んなもんあるわけねぇだろ。お前はいつもあっちこっち悩み事だらけで大変だな』 そんな雰囲気で、幼い頃から万事において俺なんか足元にも及ばない秀でた才能を発揮していた秋連から恋愛相談を受けるだなんて! 自分が同じ事で彼に相談を持ちかけていたことすら吹っ飛んでしまうぐらい、それは愉快過ぎる申し出だった。「じゃあ、付き合うんだな?」「もちろん!」 真剣な顔をして俺の顔を見下ろしてきた秋連に、俺は二つ返事で肯定の意志を伝えた。「――では、遠慮なく」 途端、ニコッと極上の笑みを浮かべた秋連を、俺はただただポカンと見上げる。 と、次の瞬間――。 いきなり秋連に深く口付けられて、俺は何が何だか分からなくなった。「ご馳走様」 ニヤリと笑って遠ざかって行く秋連の顔を見詰めながら、己の身に何が起こったのかを懸命に考える。 秋連の顔が、俺の上に落としていた影が消えてから、俺はやっと正気に戻った。「お、おまっ、一体何を……っ」 いや、何をされたのかは理解出来ているけれど……何でそんなことされなきゃなんねぇんだ!? 混乱しまくる俺を見て、秋連が「何を今更」とつぶやいてニヤリと笑ってみせた。「忠成。お前、俺の恋愛に付き合うって言ったじゃねーか」 言った! ああ、確かに言ったとも!「でも、それとこれとは関係な……」「大有りだ」 まだ分からないのか、と呆れた顔をすると
last update最終更新日 : 2026-01-17
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温度差―訪問者―

6月。 そろそろ梅雨入りだろうか。鈍色の空と、湿度の高いジメジメとした空気に、正直気分が滅入りそうだった。 「暑……」 目が悪いわけではないくせに、幼なじみの忠成のことを意識し始めた時に、自分の気持ちを自制するためと、表情を悟られ難くするためのアイテムとしてかけ始めた伊達眼鏡。そのポジションを指先で軽く押し上げて直すと、俺は手にした鞄を持ち直した。 忠成に、必死の覚悟で積もりに積もった想いを伝えたのがこの五月のこと。 何の前触れもなく、半ば不意打ちをするように彼の唇を奪う形で遂げた告白は、思いのほか好感触だったと思っていた。 だが、あれからこれといった動きもなく、ましてや忠成に避けられるわけでもなく、拍子抜けするほどいつも通りの日常が続いている。 ともすると、あの日のことは俺の夢だったんじゃないかと思うほどに。 そう、あんなことさえなかったなら――。 帰宅部の俺は、このところ忠成を待たずに一人で帰宅することが多い。 夏の大会に向けて、テニス部所属の忠成は、連日のように結構真剣に部活に取り組んでいる。 蒸し蒸しと暑い中、本当に良く頑張ると思う。俺には絶対無理な芸当だ。 以前はよく、冷房の効いた図書室で適当な本を読んで時間をつぶしながら幼なじみの部活が終わるのを待ったりしていた俺だけど、ここ最近はそれもしていない。 本当は忠成を自室に呼んで、先日の告白の答えとか……色々聞きたい事はあるんだけど……。俺自身白黒付けるのが怖くて、何となく伸ばし伸ばしになっている。 「……?」 と、自宅前に見慣れた人影を発見して、俺は思わず立ち止まった。 「……結衣ちゃん?」 その声に、ボブカットの人影がこちらを向く。 俺ん家の壁にもたれて所在なげに佇んでいたのは、忠成の4つ下の妹。俺たちが高2だから、彼女は今中1か。 自分の家のほうは西日が射していて、俺の家のほうは日陰だったから、日差しを避ける形で兄を待っていたんだろうか。 (ま、日向は暑いしな) そんなことを思いながら、 「忠成ならまだ部活……」 そう言おうとしたら、 「あの……あのね、あたし……アキ兄が帰ってくるの、待ってたの」 |遮
last update最終更新日 : 2026-01-17
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温度差―呼び出し(1)―

「忠成、今日、結衣ちゃんがうちに来た」 夕方、結衣ちゃんから待ち伏せをされた俺は、彼女から申し訳なさそうに「ごめんなさい」と言われた。 何を謝られているのかすぐにはピンと来なかったけれど、彼女の雰囲気から何となく察した俺は、逆に幼い彼女を巻き込んでしまったことを申し訳なく思った。 「……いや、気にしないで」 あえて前髪を掻き上げて表情が見えるようにすると、俺は努めて穏やかに微笑んでみせた。 「俺の方こそごめんね。気を揉ませて」 言いながらポンポン、と彼女の頭を撫でる。 幼い頃からそうしてきたように、二人目の兄として当然の仕草で。 俺の手に一瞬彼女がビクッとしたのを見て、本当に申し訳ないことをしたと思った。 そして同時に、可愛い妹を巻き込んだ幼なじみに対して、言いようのない怒りがこみ上げた。 ――クソッ! 何度目になるか分からない舌打ちを胸の奥で噛み殺す。 結衣ちゃんの来訪で、忠成が俺の告白に対して出した答えが何となく見えた。 でも、だからって、今更そんな形でなかったことにだけはさせられない。 いや、させて、やらない。 夜。俺の部屋。 結衣ちゃんからの訪問があった後、俺は忠成を電話で呼び出した。 『用がある。時間作って俺ん家に来い』 と。 かなり強引に。有無を言わせぬ調子で。 忠成が俺を無視できないことを知っているからこその、強気な誘い。 案の定、忠成は渋々ながらもここにいる。 「彼女、どうしても俺に伝えたいことがあるからって、暑い中ずっと外で待っててくれたみたいだ」 勉強机を背にして椅子に座っていた俺は、眼鏡を外して机の上に置くと、そう言って忠成を冷ややかな目で見つめた。 そうしておいて、無言で立ち上がると、未だ部屋の入り口付近に突っ立ったままの忠成に距離を詰める。 が、忠成には一瞥もくれず、彼のすぐそばを通り過ぎて、背後の扉を閉めた。 バタン、という扉の閉じる音に、忠成の肩が一瞬ビクッと跳ねる。 それを視界に収めながら、俺はまるで出口を塞ぐように扉に背を預けて立つと、後ろ手に鍵をかけた。 「へ、へぇ……そう、なんだ……」 背後に立つ俺を振り返ることなく、忠
last update最終更新日 : 2026-01-17
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温度差―呼び出し(2)―

「お前が何をしたか分からない俺だと思うか?」 そればかりか、忠成の手を壁に押し付けるように押さえつけて、その身体をその場に縫いとめた。さらに空いたほうの手を彼の顔の真横について壁際に閉じ込めると、至近距離から幼なじみに詰め寄る。 「……だ、だって前に俺と妹、似てるかな?って聞いたら……秋連、うん……って言ったじゃんっ。……だからっ!」 今まで俺から視線を逸らすように俯いていた忠成が、キッと俺の顔を見上げるようにして睨みつけると、そう言った。 俺より10センチばかり背の低い忠成の、懸命な牽制。 悪いけど、俺はそんなのには怯んでやらない。 ばかりか、冷え冷えとする心を隠そうともせず、忠成を冷めた目で見つめ返した。いや、見つめ返したというより、睥睨したといったほうがしっくりくるかも知れない。 馬鹿なことを言う幼なじみに、あからさまにため息をつくと、 「兄妹が似てるのは当たり前だろう?」 視線だけは忠成から離さずにそう告げる。 「だ、だったらっ!」 俺に睨みつけられて一瞬気圧されたように視線を泳がせかけた忠成だったが、俺に掴まれていないほうの拳をギュッと握りしめて言い募る。 俺はそんな忠成を静かに見つめながら 「お前、俺がお前の外見だけを好きになったと思ってるのか?」 そう、問いかけた。 「……っ」 忠成は、一瞬瞳を見開いて俺のほうを見たけれど、何も言わなかった。ばかりか、視線はまたしても逸らされ、俺の問いから逃げるように俯いてしまう。 そういう反応を見るにつけ、また互いに言葉を重ねれば重ねるほどズレを感じてしまって、俺は心の奥底に淀んだものが、少しずつ凍り付いて冷たく
last update最終更新日 : 2026-01-18
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温度差―呼び出し(3)―

「……帰れ」 俺は忠成を振り返らないままに何とか一言、それだけを告げる。 「で、でも……」 俺の言葉が信じられないという風に、忠成が言葉を連ねる。恋愛感情で迫られるのは勘弁して欲しいけれど、俺に背を向けられるのは怖い。そんな雰囲気がまざまざと感じられて、忠成はずるい、と思った。 「……聞こえなかったのか? 帰れ、と言ったんだ」 忠成に背を向けたまま。怒っているのか悲しんでいるのか自分でも良く分からなかったけれど、心が千々に乱れて肩が震えた。 俺は我知らず、両の拳をぐっと力を入れて握っていた。 俺からの完全な拒絶に、忠成が背後で息を呑むのが分かった。 背中を向けているから見えないけれど、多分今、忠成は泣きそうな顔をしてるんだろう。 こんな状況下にあってもそんなことをつい考えてしまう俺は、相当重症だと思う。 「……秋連、ごめん。……俺、そんなつもりじゃ、なかったんだ……」 ややして、忠成が縋るような声音で一言一言区切るようにそう言った。だが、俺はあえて無反応を貫く。 「お、俺、秋連にあんなことされて……どうしたらいいか分からなくてっ。自分のことじゃないって思って逃げ出したかったんだ……。ホント、ごめん!」 そこまで言ってから、小さな声でしゅん……としたように「自分のことばっかで、秋連や結衣の気持ち、考えていなかった」とつぶやく。 その声の感じから、俺の後ろで泣きそうになっている忠成の姿が目に浮かんできて……俺は我慢できなくなって振り返っていた。
last update最終更新日 : 2026-01-19
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温度差―呼び出し(4)―

「……その、この間は俺が悪かった。あんなことするつもりじゃなかったんだ。お前が俺を受け入れてくれるまで、絶対に手なんて出すつもりはなかった……」  どういう状況であれ、俺を信じ切ってくれていた忠成を、俺は裏切ったのだ。  心底申し訳ないと思っている。 「……けど」  そこまで言って、忠成には分からない程度に、俺は唇を噛み締めた。  けど、と言って言葉を区切った俺を、忠成がどこか不安げな表情で見つめてくる。 「……お前が彼女だのなんだの言うから焦ったんだ。今、何とかしとかないと取り返しが付かなくなると思って……」  そこまで言うと、無性に恥ずかしくなって、俺は初めて忠成から目を逸らした。  こんな風に感情を吐露するのは俺らしくない気がして。 「……ね、秋連、それって……ひょっとして……ヤキモチ?」  こういうときに限って、どうしてこいつは追い討ちをかけてくるんだろうな? 「……ったり前だろっ。俺だって……嫉妬くらい、する……」  言ってて物凄く恥ずかしくなった俺は、今度こそあからさまに彼から目を逸らす。こんな情けない姿、忠成には見られたくない。  俺はくるりと踵を返すと、机に置いたままの眼鏡を手に取った。それをかけると、俺は仮面をつけたような感覚に陥って、少し冷静になれる。  眼鏡をかけただけで、さっきまでの動揺なんて嘘みたいに俺は不遜な態度になれた。  俺の豹変振りに気が付いた忠成が、思わず一歩後ずさる。  そんな忠成を逃がさないよう、彼が下がった以上の距離を削ると、俺は余裕の笑みを浮かべて忠成を見下ろした。 「同性相手にいきなりこっちを見ろ、というのは難しい話だとは思ってるよ。……だから、とりあえず今はお前が逃げずに考える、と言ってくれただけでも良しとするさ」  逃げ腰の忠成をなだめるように……声のトーンを柔らかくしてそう告げる。  俺の言葉に、忠成がホッとしたように笑顔になった。
last update最終更新日 : 2026-01-21
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子供の虚勢―序―

 燦々と降り注ぐ柔らかな日差しの下、猫と老婆と園児が二人、心地良さそうに日光浴を楽しんでいる――。「ばあちゃん、ばあちゃん」 そう言っては嬉しそうに老婦の顔を見上げながら、他愛のない質問を矢継ぎ早に投げ掛ける男の子。「アレはなに? こっちのは?」  庭に咲き乱れる花を指差す小さな手に、優しい声が応じる。「あれは合歓、こっちは椿」 どの花を指差しても、まるで魔法のように答えてくれる皺まみれの顔を、男の子は尊敬の眼差しで見つめる。「ばあちゃんはすごいや! なんでも知っとるんじゃね!」 孫が生き生きとした声でそう言うと、老女は目を細めて嬉しそうにはにかむ。「伊達に年は取っとらんよ」 ひざ上に載せた白黒模様の猫を優しく撫でながらそう言う。「アキチュラもすごいけどばあちゃんには負けるね~♪」 本当はアキツラ、と言うべきところなのだが、彼が言うと呂律が回らずいつもアキチュラになってしまう。  幼児らしいたどたどしい口調でそう告げた男の子を、もう一方の少年がムッとした顔で睨み付けた。「俺、ばあちゃんには負けるけど、忠成には勝ってる」 老婆は負けん気の強そうなその子を、にっこり笑って見つめると、 「アキくんは賢いもんね。だから、っていうのも変だけど……たーくんのこと、末永くお願いね。たーくんは猫チュウのことしっかり面倒見てやってちょうだいねぇ」 刹那寂しげな笑みを浮かべてそう言った。 その言葉に、突き放されたように感じた幼子たちが息を飲んで彼女を見遣った。その視線の先で、老婆はいつものように何事もなげなのほほんとした顔で庭を見つめていた。 あれは何年前の光景だったろう。 向かい家の庭から迫り出した椿が、路上へポタリと花を落とした気配に、ふと立ち止まって思考をめぐらせる。 ニャーン。 いつの間にやってきたのか、足元にまとわりついてきた牛柄の猫を片手で抱き上げると、 「チュウ、お前、ま
last update最終更新日 : 2026-01-22
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