All Chapters of 偽りのマリアージュ~20年越しの執着愛~: Chapter 51 - Chapter 60

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51:仕込まれる罠

 都心の喧騒から切り離された、とある会員制ラウンジの最上階にて。  西日に照らされた高層ビル群が長い影を街に落としている。 琴葉は、目の前に置かれたティーカップに視線を落とした。  立ち昇るアッサムの香りは、油と鉄粉にまみれた工場のそれとはあまりにかけ離れている。「……こんな場所でデータの最終確認なんて、悪趣味ね。伊吹さん」「環境を変えることで、見えてくる数値もありますよ。特に人の『強欲』が描く歪な曲線は、こうして上から街を見下ろしている時の方が鮮明に見える」 伊吹はタブレットを操作して、優雅な手つきで琴葉に差し出した。  画面には世良グループの内部から極秘に抽出された、峻嗣の署名(サイン)入りの予算承認書が映し出されている。「見てください。峻嗣さんは今朝、さらに追加の予算を執行しました。今回の新合金プロジェクトのために、彼が動かした額は当初の3倍に膨らんでいます。世良ロジスティクスの予備費だけでは足りず、海外法人の研究基金にまで手を付けている」「3倍……。あの慎重な峻嗣が、そこまで注ぎ込むなんてね」「彼は確信したんですよ。琴葉さんが用意した『偽物の理想値』を見て、これが自分を世良の頂点へ導く黄金の梯子だと信じ込んだ」 伊吹は冷めた紅茶に口をつけず、窓の外の影を見つめた。 半導体事業は、国が主導する一大プロジェクトだ。  世界的展開を行う世良グループとしても、ぜひ手に入れたい果実である。 土井精機と琴葉の特殊合金は、最新技術を結集させた半導体製造の成否を握る。  だからこそ伊吹は破格の条件で土井精機を買収した。  琴葉への執着はもちろんだが、それだけではない。 そして、世良峻嗣はその成果の強奪を目論んだ。  峻嗣が成功すれば、伊吹は手柄を全て奪われて時期CEOの立場をも危うくするだろう。 伊吹は琴葉に視線を戻して続ける。「彼は無能ではありません。むしろ人一倍計算高い。だからこそ、自分が『盗み出した』土井精機の技術が、まさか自壊を前提に設計された毒だとは夢にも思っていない。彼
last updateLast Updated : 2026-02-14
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 伊吹はタブレットの画面を指先で弾いた。峻嗣が明日発表する予定のプレゼン資料を映し出される。「峻嗣さんは、この合金の独占権を確保するために、グループ内の反対派を完全に沈黙させました。明日の公開コンペで、彼は自らプレス機のレバーを握り、既存の鋼材を粉砕してみせるつもりのようです。その劇的な演出をもって、次期経営権への挑戦権を決定的なものにする」「自らレバーを引く……。自爆装置のスイッチを自分で押すようなものね」「ええ。彼はリスクを恐れない。ですが彼は『未知の不具合』を計算に入れていない。土井精機の技術を、完全に制御できる駒だと見下している。その慢心こそが、今回の知恵比べにおける彼の最大の脆弱性です」 琴葉は夕闇に染まっていく街を眺めながら、重いため息を吐いた。「伊吹さん。一つ聞いていいかしら。峻嗣は、本当に気づかないと思う?」「気づくチャンスは何度もありました。しかし彼はそのすべてを『加速』という誘惑に負けて見逃した。佐藤さんを通じて、何度か意図的に『検証を強化すべきだ』という偽の懸念を送らせましたが、峻嗣さんはそれを『土井精機の未練がましい足掻き』と断じ、無視した」 伊吹は肩をすくめた。「峻嗣さんは馬鹿ではありません。しかし彼は今、自らの有能さに酔いしれている。その酔いが醒めるのは、すべてが砕け散った後でしょう」 琴葉の指先が、テーブルの上でとんとんと一定のリズムを刻む。  焦りではなく、機械のタイミングを測る職人の癖だった。「佐藤さんは、もう限界みたいよ。さっき届いたメッセージには、ただ一行『もう、引き返せません』とだけ書いてあったわ」「そうですね。彼もまた、峻嗣という巨大な歯車に飲み込まれた犠牲者の一人だ」「……」 琴葉は答えない。  余計な感情は切り捨てたつもりだったが、心のどこかではわだかまりを感じていた。「ですが、琴葉さん。この計画において、同情は不純物でしかありません。僕たちは、峻嗣さんが自ら用意した舞台に上がり、自らの手で『結果』を出すのを静かに見守るだけでいい」 日が完全に落ちて、ラウ
last updateLast Updated : 2026-02-14
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53:公開処刑

 冬の突き抜けるような青空が、全面ガラス張りの壁一面に広がっていた。 ロビーに行き交う人々は、晴れ渡った空を背景に談笑している。 ここは都内の某・最高級のホテル。 世良グループの半導体事業コンペが行われる会場である。 ホテルの控室で、琴葉は鏡の中に立つ見慣れない自分を見つめていた。 普段の作業着ではなく、伊吹が用意した濃紺のフォーマルなパンツスーツだ。 胸ポケットに一点、ラベンダー色の差し色が入っているのが、何とも伊吹らしい気遣いだった。「戦場に赴くからこそ、お気に入りの色を身につけると気分が上がるでしょう?」「まあ、否定はしないわ」 ここは工場のような油の匂いは少しもしない。 代わりに、部屋に生けられたカサブランカの強い香りが鼻を突いた。「似合っていますよ、琴葉さん」 背後から伊吹が声をかけた。 彼は完璧な手つきで自らのネクタイを整えると、隣に並んだ。「お世辞はいいわ。それより、あいつの――峻嗣の様子はどう?」「上機嫌ですよ。先ほどロビーですれ違いましたが、取り巻きの役員たちに囲まれて、すでに祝杯を挙げる準備をしているようでした」「そう。自分の足元がどれだけ危うくなっているかも知らずに、いい気なものね」 琴葉は手元のスマートフォンで、土井精機のサーバーに送られてきた最新のログを確認した。 峻嗣が管理する工場から、デモンストレーション用のサンプルが出荷された最終記録だ。 計画通りに、琴葉が佐藤に指示して仕込ませた偽のデータが入り込んでいる。 そのログを横目で見ながら、伊吹が声をかける。「準備はいいですか。今日は技術者としてではなく、世良家の一員、そして土井精機の共同経営者として席に座ってください。言葉は必要ありません。ただ真実が露呈する瞬間を特等席で見届ける。それが僕たちの仕事です」「分かってるわ。行きましょう、伊吹さん」 2人は控室を出た。 コンペの会場となるのは、コンベンションホール。 扉の向こ
last updateLast Updated : 2026-02-14
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「皆様、本日はようこそお越しくださいました」 峻嗣の声は、会場の隅々まで自信に満ちて響き渡った。 人々の注目が彼に注がれる。 その様子を満足そうに確認し、峻嗣は言葉を続けた。「今日、私は世良グループの歴史を、ひいては世界の物流と製造の歴史を塗り替える発明を披露します。我が世良グループの技術力と資本力が融合し、究極の合金が誕生しました。 名付けて『セラ・オリジン』。 この合金は、これまでの常識を覆す強度と軽量化、ミクロン単位の精密さを同時に実現しました。まさに次世代の半導体製造に欠かせない、重要なピースです」 背後の巨大スクリーンに、美しいグラフや結晶構造の図解が映し出された。琴葉が捏造した偽のデータだ。 見せかけ上の美しさに騙されて、会場からは「おぉ……」と感嘆の声が漏れる。(セラ・オリジンねぇ。土井精機の技術を盗んで、陳腐な名前をつけてくれたわ) 琴葉はそう考えながらも、できるかぎり表情を変えないよう努力した。 こんなところで勘付かれるわけにはいかない。 峻嗣には今日この場で、盛大に失敗してもらわないといけないのだ。 峻嗣は最前列に座る伊吹と琴葉を視界に入れて、勝ち誇ったように口角を上げた。「数値だけでは信じられないという方もおられるでしょう。ですから、今日はこの場で証明してみせましょう。既存の最高級鋼材と、我が『セラ・オリジン』。どちらが本物であるかを」 峻嗣が合図を送ると、作業員たちが2つの金属パーツをプレス機にセットした。 1つは一般的な高張力鋼。そしてもう1つが、琴葉が設計して峻嗣の工場で製造された「欠陥品」だった。 峻嗣はマイクを置き、自らプレス機の操作レバーを握った。「では、ご覧ください」 プレス機が唸りを上げた。 まずは一般的な鋼材への加圧だ。ゲージが上がっていく。10トン、30トン、50トン。 鋼材は耐えきれず、ガコン、と鈍い音を立てて無惨にひしゃげた。 会場からおぉ、というどよめきと
last updateLast Updated : 2026-02-15
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 会場を支配したのは、耳が痛くなるほどの静寂だった。  数百人の視線が、ステージ上に飛び散った砂のような金属片に注がれている。 峻嗣はプレス機のレバーを握ったまま、石像のように固まっていた。  彼の頬を一筋の脂汗が伝い、ステージの床に落ちる。「……ありえない。計算では、この圧力の3倍までは耐えられるはずだ」 峻嗣が絞り出した声は、傍らに置かれたマイクを通してホール全体に情けなく響いた。 彼は慌てて背後のスクリーンを振り返る。もう一度自分が提示した「理想的な数値」を確認した。  スクリーンには変わらぬ数値が投影されている。  しかし目の前にあるのは物理的な崩壊という、言い逃れのできない現実だ。「故障だ。プレス機の故障に違いない! おい、今すぐ計測器を調べろ。誰かが設定をいじったんだ!」 峻嗣が叫ぶ。  怒りと焦りの矛先は、ステージ脇に控えていた技術スタッフに向けられた。 だが、その騒乱を押さえつけるように、客席から一人の男が立ち上がった。 世良伊吹である。 彼は優雅な足取りで、冷え切った空気の流れるステージへと歩み寄る。「プレス機のせいにしますか、峻嗣さん。残念ながら会場の全ログは今この瞬間に、グループ監査委員会へリアルタイムで送信されています。圧力値に異常はなかった。純粋に、あなたが『独自開発した』と豪語したこの合金が、その負荷に耐えられなかった。それだけのことですよ」「伊吹……貴様、何をした」 峻嗣が低い声で唸る。彼の両目には、隠しきれない動揺と憎悪が渦巻いていた。「僕が何かをする必要などありません。これは、あなたが『土井精機の技術を凌駕した』と豪語し、量産を強行した製品そのものですから。これほど致命的な不具合を、この場まで見抜けなかった。経営者としての能力を疑われても仕方ありませんね」「黙れ!  これは製造プロセスのどこかにミスがあったんだ。現場の管理不足だ。私は報告を受けた数値を信じたに過ぎない!」 峻嗣は反射的に、自身の配下にある製造部門へ責任を転嫁しようと
last updateLast Updated : 2026-02-15
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「加えて、もう一つ。あなたが実質的に支配している『S・Tトレーディング』。このダミー会社を使って、以前、土井精機の原材料に意図的に粗悪品を混ぜましたね?  その証拠も、既にグループ監査委員会へ提出済みです」 伊吹は株主たちに問いかけるように、ぐるりと会場を見渡した。「技術的失態、経営上の独断、そして競合他社への犯罪的妨害。……世良峻嗣さん、あなたはもう、どこにも逃げられませんよ」 峻嗣は言葉を失った。  伊吹が突きつけたのは、峻嗣が自分の有能さを証明するために、自らの手で書き込んだ慢心の足跡といえる。「捏造だ! こんな書類、私は知らない!」「見苦しいですよ、峻嗣さん。筆跡鑑定の準備も、ダミー会社への資金移動の証拠も、既に固めてあります」 伊吹の声は冷徹で、一分の慈悲もない。 その時、客席の最前列で黙って事の次第を見守っていた琴葉が、ゆっくりと立ち上がった。  彼女は壇上に上がると、ステージの床に転がっていた合金の破片を1つ、無造作に拾い上げた。 琴葉はそれを、峻嗣の目の前に突きつける。「峻嗣さん。あなたは技術を『数字を飾るための飾り』だと思ってた。だから中身を自分の目で確かめることもせず、部下の警告も無視して、ただ都合のいい結果だけを求めたのよ」 琴葉は破片を指先で弄びながら、冷めた瞳で峻嗣を見据えた。「この断面を見て。熱間脆化(ねっかんぜいか)による典型的な脆性破壊。技術者の要望通りの検証期間をもうければ、不具合を見抜けたかもしれないのにね。これがあなたが強欲に任せて、安価な材料と突貫工事で作り上げた『偽物の正体』よ。自分の手でレバーを引いた感想はどう? 自分が信じた虚飾が、粉々になる気分は」「……っ!」 峻嗣は憎悪のこもった目で琴葉を睨みつけた。  拳を握り、一瞬だけ琴葉に掴みかかるような素振りを見せて――。 が、すぐに彼は感情を消した。「これは製造現場の、あるいは検査部門の重大な過失だ。私は彼らが持ってきた『完璧な数値』を信じて決断したに過ぎない」 表面上は冷静な口調
last updateLast Updated : 2026-02-15
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 流れが変わったのを感じ取り、峻嗣は不敵に笑った。 伊吹に歩み寄って、軽く肩を叩く。「伊吹、よくやった。不正材料の販売は大問題だ。私も騙されるところだったよ。今日はとんだハプニングだったが、おかげで問題の洗い出しができた」 年若い甥を認める、寛大な叔父の仮面をかぶってみせる。 自分自身の罪は嘘で塗り固めてごまかす。周囲を味方につけ、糾弾してきた伊吹を丸め込もうとする、卑怯なやり口だ。 何か言いかけた伊吹を抑え、峻嗣は壇上から株主たちに頭を下げた。「皆様方におかれましては、ご迷惑とご心配をおかけしました。世良グループの信頼を損ねたこと、深くお詫びいたします。それではこれにて――」「調査委員会の設置を行います」 伊吹が強引に割り込んだ。「この不祥事をしっかりと調査し、真相を明らかにします。峻嗣さんの言う現場の責任と、彼自身の管理責任。その双方を追及します。『セラ・オリジン』とやらは既に稼働ラインに乗せられており、実損害が発生していますから。曖昧なままでは済まされません」「……っ」 峻嗣が伊吹を睨みつけるが、伊吹もまた強い視線で叔父を見返した。「では、私が調査委員になろう。私が責任を持って調査を――」 言いかけた峻嗣を伊吹が制した。「その必要はありません。既に世良宗佑総帥の直命により、グループ監査部が動いています。峻嗣さん、あなたは調査する側ではなく、過失の有無を確認される調査対象です」「……何だと?」「当然でしょう。これだけの損失を出し、世良の面汚しをした。あなたが主導する調査など、株主も取引先も世論も納得しません。あなたは今後、監査部の監視下で、事後処理のみを行ってください」 峻嗣は怒りに震えたが、宗佑の名前を出されれば引き下がるしかない。 彼は壇上から琴葉と伊吹を睨みつけ、「……この借りは必ず返す」と吐き捨てて会場を去っていった。◇ デモン
last updateLast Updated : 2026-02-16
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58:1つの終わり

 冬の朝の光が工場の窓から光の帯となって差し込んでいる。 土井精機の事務所は、昨日の華やかなコンベンションホールの様子と打って変わって、静かな空気が流れていた。 暖房器具とパソコンの駆動音だけが、小さく響いている。 琴葉はデスクに座って、大型モニターを眺めていた。そこに映し出されているのは、世良グループの株価チャートだ。 昨日の閉場直後から始まった暴落は、夜が明けても止まる気配がない。 垂直に落ちる赤いラインは、昨日の峻嗣の失態が投資家たちに大きな衝撃を与えたことを示していた。「市場の反応は正直ですね。世良ロジスティクス、およびグループ全体の時価総額は、数千億規模で吹き飛びました」 伊吹が淹れ立てのコーヒーを持ってきて、琴葉の前に置いた。 彼の手つきはごく落ち着いている。 株価の暴落も予想の範囲だった。 コーヒーのカップを手に取り、琴葉は伊吹を見上げた。「峻嗣はどうなったの?」「現在、グループ本社にある特別監査室に缶詰め状態です。昨夜から一度も外へ出ていない。本来なら即座に解任が決まるところですが、彼は一晩で防衛ラインを構築しました」「防衛ライン? あの状況から、まだ言い逃れができると思っているの?」 伊吹はタブレットを操作した。今朝早くに世良グループの広報から出された、プレスリリースを表示させる。「『製造現場の責任者による独断的な工程省略と、品質報告書の改ざんが判明した』。これが現在の世良の公式見解です。峻嗣さんは、製造ラインの統括部長一人を解雇しました。表向きは懲戒解雇ですが、裏では相当な額の口止め料と、家族の生活保証を約束したのでしょう。その部長が、全ての責任を1人で被るという念書を書きました」「……そんな卑怯なやり方、誰が信じるっていうのよ」 琴葉は吐き捨てた。「現場が勝手にやった。自分は騙された被害者だ。そう言い張って、あいつはまだあの椅子に座り続けるつもりなのね」「ええ。地位は維持しました。ですが、代償は大きい。父の――世良宗佑総帥の直命によ
last updateLast Updated : 2026-02-16
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 佐藤はかつて父親のように慕い、技術を教わった男。土井精機の古参の職人だ。  その思い出さえも、今は色褪せたスクラップのようにしか感じられない。 だから琴葉は感情を消して言った。「あなたは世良峻嗣に従えば、土井精機を守れると思った。そう自分に言い聞かせて、私を裏切った。でも結果はどう? あなたが運んだ『毒』のせいで、峻嗣は追い詰められた。今頃彼は、責任逃れのためにあなたを切り捨てようと考えているでしょうね。彼はもう、あなたのことなんてゴミ同然にしか思っていない」「……それは」 佐藤は絶望に顔を歪める。何一つ言い逃れはできなかった。 そんな彼に声をかけたのは、伊吹だった。「佐藤さん。あなたのしたことは、法的には立派な背任行為です。本来なら、我々もあなたを訴える準備ができています」 伊吹はデスクから一通の封筒を取り出し、佐藤に差し出した。「ですが、琴葉さんはそれを望まなかった。これは、地方にある小規模な金属加工場への紹介状です。世良グループの影響力が全く及ばない場所ですよ」 佐藤は呆然として封筒を受け取った。「紹介、状……? なぜ、裏切り者の俺に」「勘違いしないで」 琴葉が割って入った。「これは温情じゃないわ。あなたが峻嗣に消されるのを防ぐためよ。峻嗣が本気で報復しようとしたら、何をするか分かったものじゃない。身の危険もあるかもしれない。あなたが死んでしまったら、あいつの罪を証言できる人間がいなくなる。あなたはそこで、一生監視されながら働きなさい。自分の犯した罪を、毎日、錆びゆく鉄屑を見ながら思い出す。それがあなたへの罰よ」 琴葉は背を向けた。 本当は峻嗣の魔の手から、この愚かな職人を救い出したかった。  彼が峻嗣に口封じをされる未来が、十分にあり得たからだ。だが、それを優しさとして伝えるつもりは毛頭なかった。 どれほど思い出があろうとも、今の佐藤は裏切り者なのだから。 琴葉は土井精機の副社長として、彼をただ許すことはできない。「行きなさい、佐藤さん。二度と私の前に現れないで」 佐藤は封筒を握り締めて、何度も何度も頭を下げながら、逃げるように事務所を去っていった。  彼の足音が遠ざかるのを待って、琴葉は溜まっていた息を吐き出した。深くて長いため息だった。「これで良かったのよね」「ええ。彼はそこで、峻嗣さんの手が届かない『檻
last updateLast Updated : 2026-02-17
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 峻嗣はモニターを拳で叩きつけた。「くそっ、舐めやがって!」 頭に血が上った状態で、肩で息をした。 床に散らばった花瓶のかけらを靴底で踏み潰す。 その感触がわずかに峻嗣に冷静さを呼び起こした。 しかし、と彼は考える。 もしこの不具合が「意図的な欠陥」であることを証明できれば。 伊吹と琴葉が彼を陥れるために虚偽の技術情報を流布し、業務を妨害した証拠を掴めれば。 伊吹と琴葉という世良と土井精機の要職にある2人が、「共謀して意図的に欠陥データを流布し、巨額の損害を与えた」という実務上の証拠があれば。「形勢は逆転できる。詐欺、偽計業務妨害、あるいは信託義務違反。……あいつらを、道連れにしてやる」(あいつらは夫婦だから、当然結託しているだろう。その裏で交わされた計画の記録を見つけ出し、証拠として上げなければならない) 彼は落ち着きのない手つきでスマートフォンを取り出し、裏社会にも繋がりのある秘匿回線へダイヤルした。 相手は、以前から峻嗣の汚い仕事を請け負ってきた情報屋だ。「私だ。至急、調べろ。土井精機のサーバー内にある、土井琴葉が正規の権限でアクセスした全てのログを洗い出せ。特に、今回私が手に入れたデータの元データとの差分だ。彼女が意図的に数値を書き換えた形跡、削除されたシミュレーションの残骸を復元しろ」 峻嗣は続ける。「それから、2人の私的な通信だ。伊吹がいつ土井精機の機密保持を『意図的に緩め』、私に情報を掴ませるよう琴葉に指示したのか。その共謀の証拠を掴め。捏造でも構わん。あいつらが私を陥れるために『欠陥品を掴ませるテロ』を計画したというシナリオを完成させろ」 峻嗣の瞳には、もはや経営者としてのプライドは残っていない。 権力の座から引きずり下ろされ、誇りを粉々に砕かれた男は、相手を道連れにするためだけに牙を研ぐ。「伊吹、琴葉。お前たちが私を罠に嵌めたという証拠さえあれば、これは単なる盗用事件から、世良グループに対する『偽計業務妨害』と『詐欺』に変わる。地獄へ行くのは、
last updateLast Updated : 2026-02-17
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