All Chapters of 偽りのマリアージュ~20年越しの執着愛~: Chapter 41 - Chapter 50

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41:経営者の観察眼

 スマートフォンの画面越しだというのに、伊吹の視線は鋭く琴葉の思考を読み取っていた。  背景には世良本社の洗練された執務室が見える。  しかし画面の半分を占めているのは、彼が手元の端末で表示している土井精機の稼働ログだった。「琴葉さん、僕の手元にある数字は、今も『最高品質』を維持していると主張しています」 伊吹の指先が滑らかに画面を弾く。表示されたグラフは、一点の揺らぎもなく理想的な直線を形作っていた。  琴葉は手元の合金パーツをカメラに接写したまま、苦々しく吐き捨てる。「その数字は嘘よ。現実を見て。このくすんだ表面、死んだ魚の鱗みたいな光沢。これが土井精機の合格品なわけないでしょう」(データが正常で、現物が異常。そんな魔法みたいなことがあっていいはずがない。機械が壊れているのでなければ、何かがおかしい) 伊吹は画面の向こうで、彫刻のような端正な顔をわずかに歪めた。  それは怒りというよりは、計算の合わない数式を見つけた学者のような、冷静な違和感の表明だった。『……ええ、わかっています。僕が言いたいのは、このログがあまりに「綺麗すぎる」ということです』「綺麗すぎる?」『はい。機械が動いている以上、切削抵抗や温度変化による微細なノイズが必ず発生する。ですが、このログにはそれがない。まるで誰かが事前に用意した「正解」を、機械に読み上げさせているかのようだ』 琴葉の心臓が嫌なリズムで跳ねた。  伊吹の指摘は、経営者としての冷徹な観察眼に基づいている。現場の勘とトップの分析、その2つが1つの不吉な結論に向かって収束していく。「……つまり、外部からのハッキングじゃなくて、現場で直接何かが行われているってこと?」『その可能性が極めて高い。機械が吐き出した信号そのものが、出口に届く前に書き換えられている。現場の構造を知り、かつ自由に立ち入ることができる人間。内部犯(ネズミ)の仕業です』(嘘よ。そんなの、うちの身内しかいないじゃない。佐藤さんや他の職人たちが、自分たちの城を汚すなんて……) 琴葉は無意識に、ライン
last updateLast Updated : 2026-02-09
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42:機械の声

 ラインが止まった工場内は、いつもの活気ある様子とは打って変わって静けさに包まれていた。  換気扇が低く唸る音だけが空気の重さを強調している。停止したばかりの工作機械からは、独特の残熱と甘ったるい冷却液の匂いが立ち昇っていた。(伊吹さんは「待て」と言ったけれど、そんなの無理。私の機械が嘘をつかされているなら、1秒でも早く原因を突き止めたい。土井精機の心臓を、汚れたままにしておけるわけないじゃない) 琴葉は迷わず、使い込まれた工具箱を引き寄せた。  中から取り出したのは、手に馴染んだ重みのあるラチェットレンチだ。手のひらに伝わる金属の冷たさが、逸る心をほどよく冷やしてくれた。「おい、お嬢。なにも今すぐバラさなくたって……。世良の旦那がもうすぐ来るんだろ?」 数メートル先で、佐藤が落ち着かない様子で声をかけてきた。  その手にあるスパナが揺れて、カチカチと乾いた音を立てている。「待ってられないわ、佐藤さん。自分の身体に棘が刺さっているのに、医者が来るまで黙って見てろって言うの?」「そりゃそうだがよ。精密機械なんだ、世良様が導入してくれた最高級のやつだぜ。下手に触って壊れたら、それこそ取り返しがつかねえ」「どいて。私の機械よ。私が直せない機械なんて、この世にないわ」 琴葉は佐藤の制止をはねのけると、機械の側面に回り込んだ。  ボルトにレンチを噛ませて、一気に体重を乗せる。(硬い。でも、私の意地の方が勝ってる。さあ、素直に開きなさい!) ――ガキィッ。硬質な手応えと共に、カバーが解かれた。  ボルトが外れる瞬間の衝撃が、指先の関節にまで響く。 琴葉は夢中で手を動かした。次々とボルトを外し、重厚な金属カバーを床に下ろす。  床に当たったカバーが、ドォンと重い音を立てて静寂を蹴散らした。 現れたのは複雑に張り巡らされた配線と、精密な基盤だった。  琴葉は作業灯を手に取り、その深部を覗き込む。(導入されたばかりの最高級品でも、基盤のレイアウトはすべて暗記してる。ハンダの形、配線の色、1つ1つのセンサー
last updateLast Updated : 2026-02-09
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43:真夜中の調査

 琴葉は、数歩先に立ち尽くす佐藤へと歩み寄った。  手に持ったデバイスの赤いランプが、2人を不気味に照らし出している。  佐藤の顔からは一切の血の気が引いて、土気色の肌が脂汗で光っていた。「佐藤さん、正直に答えて。これ、あなたが付けたの?」「……っ」 佐藤の息を飲み込んだ。ひゅうっと喉奥で音がする。  彼は何かを言いかけて、そのまま唇を固く結んだ。 彼の瞳に宿っているのは、工作が見つかったことへの後ろめたさではない。  絶望と、背後に死神でも立たれているかのような、むき出しの怯えが見える。(この怯え方はおかしい。そりゃあデータ工作は問題、それどころか下手したら犯罪だけど) 琴葉は思う。(本当に佐藤さんなの? 佐藤さんは長年、土井精機で働いてくれた。私も子供の頃から知っている職人さんだわ。彼がやったとはとても思えない。でも……もしも本当にそうなら、そこまでこの人を追い詰めた理由は何?) 琴葉がその核心に触れようと口を開きかけた、まさにその時。 ガコン、と重厚なドアが閉まる音が工場内に響き渡った。 入り口に長身の影が立っていた。世良伊吹だ。  油の匂いと熱気の漂う工場現場にはおよそ似つかわしくない、完璧な三つ揃いのスーツを纏った若き経営者が、無音の足取りで近づいてくる。  彼が放つ圧倒的な威圧感に、現場の空気は一瞬で固まった。 伊吹は琴葉の持つデバイスをちらりと見る。だが、彼が真にその鋭い視線を固定したのは、琴葉の指先だった。「琴葉さん。その手を出してください」「え? あ、これ? 大丈夫よ、ちょっと油が付いただけで……」 デバイスを取り出した際に、油汚れが指先についてしまっている。工場で働けば当たり前のことだ。「出しなさいと言っているんです」 拒絶を許さない声だった。  伊吹はポケットから白いシルクのハンカチを取り出すと、琴葉の右手を強引に掴み取った。  彼は佐藤の方を一度も視界に入れぬまま、琴葉の指を一本ずつ、丁寧に拭い始める。
last updateLast Updated : 2026-02-10
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 真夜中、照明を落とした工場内は、非常灯の微かな赤光だけが灯っている。  巨大な工作機械たちは、暗闇の中で怪物のように沈黙していた。  昼間の熱気が引いていくにつれて、冷却された金属が「チッ、チッ」と収縮する音だけが、等間隔に響いていた。 琴葉は、制御盤が見えるスチール製のベンチに腰を下ろしていた。  隣には伊吹が座っている。  彼は手元の端末を操作して、工場内の全センサーを自身の監視下に置き換えていた。 しばらくすると、伊吹は立ち上がって伸びをした。近くにあった自動販売機に向かう。「これ、飲んでください」 差し出されたのは、自販機で買ったばかりの缶コーヒーだった。  結露したアルミの冷たさが手のひらに刺さり、琴葉は微かに身震いした。(伊吹さんの高級なコロンの香りが、この油臭い工場に漂っている。……なんだか、この一角が世界から切り離された別の場所になったみたいだわ) ふと横を向くと、モニターを見つめる伊吹の横顔が目に入った。  いつも完璧な彼だが、その目の下には深いくまが刻まれている。  彼は琴葉を世良家の毒から、そして土井精機の危機から守るために、この数日間まともに眠っていないのだ。 伊吹の指先が、タブレットの端を白くなるほど強く掴んでいるのが見えた。 見ていられなくなって、琴葉は声をかけた。「伊吹さん。あなた、そこまでして自分を壊したいわけ?」「壊れる? 何のことです。僕はただ、僕の庭を美しく保ちたいだけですよ」「嘘ばっかり。あんた、今にもその椅子から落ちそうじゃない。『僕の心臓を削られるのと同じだ』なんて、そんな重いこと言わないでよ」 琴葉の声は、自分でも驚くほど柔らかくなっていた。  伊吹は一瞬、その端正な顔をわずかに歪めて、それから糸の切れた人形のようにゆっくりと重心を傾けた。「……そうですね。少しだけ疲れました。あなたの傍にいると、気を張るのを忘れてしまう」 琴葉は迷わず、自分の膝を叩いた。「休みなさい、伊吹。ほら、子供の頃みたいに。
last updateLast Updated : 2026-02-10
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45:疑いの納品網

 深夜の工場を支配していた静寂は、砂利を踏む音によって破られた。  工場の裏口を照らすセンサーライトが白い光を放つ。  その光の輪の中に現れたのは『世良ロジスティクス』のロゴが入った中型トラックと、荷台から木箱を下ろそうとする作業員風の男だった。 世良ロジスティクスは、確かに土井精機へ必要な物資を納入する指定業者だ。  しかし。(こんな時間に、正式な納品予定なんて入っていない。……あいつが毒を運んできたネズミね) 琴葉は手に持った大きなスパナを握りしめて、機械の影に身を潜めた。  隣に立つ伊吹は、膝枕で眠っていた数分前までの脆さが嘘のように、獲物を狙う狩人の空気をまとっている。 伊吹は手元のスマートフォンを数回タップした。  画面には『JammingActive(ジャミング・アクティブ)』の文字が浮かび上がる。「何をしたの?」 琴葉の問いに、彼はにっこりと微笑んだ。「通信遮断です。一時的にこの周辺に妨害電波をばら撒いて、通信機器の使用を不能にしました。通常のスマホはもちろん、世良グループで使っている特別製の通信装置も使えません。そこの彼が何をしようと、この工場の外には何一つ漏れませんよ」 伊吹の声はあくまで穏やかだが、夜の冷気よりも鋭い。 作業員の男がスマートフォンを取り出して、連絡を入れようとしている。  しかしジャミング電波が有効な現在、通信はどこにも繋がらない。  男が不審そうに首を傾げた瞬間、伊吹は影の中から音もなく滑り出した。「こんばんは。世良本社の世良伊吹です。……深夜のサービス残業、ご苦労様です」「ひっ……!?」 男が飛び上がった。逃げようとした背後には、いつの間にか琴葉が立ち塞がっている。「どこの指示で来たの? 納品伝票を見せなさい。それとも勝手に荷物を置いていく不法侵入者として、警察に突き出されたい?」「い、いや、これは……上からの指示で、急ぎの補充だと……」 男の手は何とか言い訳をしようと、空を泳いでいた。  伊吹は男のスマー
last updateLast Updated : 2026-02-11
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 ――コン。 正規品であれば澄んだ高い音が響くはずが、その音はどこか濁っている。湿ったような響きがあった。「……死んでるわね。この音」(見た目は完璧に偽装されてる。でも比重が僅かに軽い。それに表面の酸化被膜の色に、不自然な虹彩が混じってる。……これ、タングステンだけじゃない) 琴葉はポータブルの成分分析機を取り出した。インゴットの一部を削り取ってレーザーを照射する。  数秒後、モニターに表示されたスペクトル波形を見て、琴葉の猫に似た瞳が怒りでつり上がった。「……ビスマスと微量のリン。意図的に混ぜられているわ。これじゃ室温では強度を保てても、溶接や切削の際の熱が加わった瞬間に、内部から『熱間脆化』を起こして粉々に砕ける。地雷を運ばせていたのね、あんたの叔父は」「なるほど。技術を盗む前に、まず土井精機のブランドを再起不能にする。製品が顧客の手元で破損すれば、二度と再起は叶わない。実に彼らしい、薄汚い合理主義だ」 伊吹は、作業員の男から没収した伝票の社名を一瞥した。「配送元は『世良ロジスティクス』の孫請けを装っていますが、この『S・Tトレーディング』という会社名……。土井精機のデータ上の不審点に気づいた時から、物流網をすべて洗わせていました。峻嗣さんが3つのペーパーカンパニーを挟んで設立した、文字通りの『毒の供給源』です」(伊吹さん、あの短い時間で、ここまで調べていたの? 私の知らないところで、この人はどれだけの毒を一人で飲み込んできたんだろう) 琴葉はインゴットの冷たさを手のひらに感じながら、隣に立つ男を見上げた。  伊吹の目の下にあるくまは、やはり消えていない。 伊吹は経営上の防波堤となり、琴葉は技術的な最前線で戦う。  2つの視点が重なった時、峻嗣が張り巡らせた罠の全貌が醜く露わになった。「……ねえ、伊吹さん。この毒、どうするつもり?」 琴葉の問いに、伊吹は優雅に、そして残酷に唇を歪めた。「もちろん、ありがたく受け取りましょう。この男が送った『異常なし』の報告通り、峻嗣さんには僕たちが毒を飲み込んだと信じ込ませ
last updateLast Updated : 2026-02-11
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47:裏切りの正体

 夜明けの光が、工場の高い天窓から幾筋もの白い帯となって差し込んでいた。  舞い上がる微細な鉄粉が、その光の中で静かに明滅している。 シュッ、シュッと規則正しい竹箒の音が、人気のないフロアに響いていた。 佐藤は慣れた手つきで床を掃き清めていた。  彼の背中は朝日を浴びているにもかかわらず、不自然に深い影を落としている。 佐藤は周囲に誰もいないことを何度も確認すると、壁際に箒を立てかけ、吸い寄せられるように第1ラインの加工機へと歩み寄った。(……よし。昨夜のブツは無事に紛れ込んでいるはずだ。あとは俺の指紋や形跡を消して、いつも通り『おはようございます』とお嬢に言えばいい。バレるはずがない。お嬢が昨日帰ってきたのは、ただの偶然) 佐藤が加工機の裏側、配線ハブのあたりに手を伸ばした。  その瞬間。「おはよう、佐藤さん。朝早くからずいぶんと熱心ね」 冷ややかな声が機械の陰から響いた。  背後から聞こえた彼女の声に、佐藤の動きがぎくりと止まった。手から清掃用のウエスが滑り落ち、カサリと力なく床に落ちる。 琴葉は、大型旋盤の陰から一歩踏み出した。  その手には、昨夜没収した「毒入り」ことタングステン・インゴットが握られている。「探し物は、これかしら?」 琴葉はインゴットを軽く掲げてみせた。  工場に差し込む朝日を受けて、金属が鈍く光る。「お、お嬢……。どうして、こんな時間に」 佐藤の声はひどくかすれていた。  彼は振り返ろうとしたが、足ががくがくと震えている。冷や汗を流しながら、その場に踏みとどまるのが精一杯のようだった。 琴葉は手の中のインゴットを、佐藤の目の前に突きつける。「これ、今までの裏口納品物よ。『世良ロジスティクス』の、いいえ孫請けの『S・Tトレーディング』だったわね。伝票の受領印、あなたの指紋がべったり付いてたわ」 琴葉の声は厳しい。けれどそれ以上に悲しみが混じっていた。「……嘘だと言ってよ、佐藤さん。あなただけは、最後まで私の味方だと思
last updateLast Updated : 2026-02-12
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「守りたかった、ですか。実に見苦しい言い訳だ」 工場の入り口から、氷の結晶を撒き散らすような冷たい声がした。  世良伊吹が、事務所の影からゆっくりと姿を現す。彼は手に持ったタブレットの画面を、容赦なく佐藤に向けた。「佐藤さん。あなたが孫のために受け取った『特別手当』も、大学の奨学金の出資元も、すべて峻嗣さんのダミー会社です。……おめでたいですね。あなたは最初から、彼にとっての『使い捨ての生け贄』でしかなかった。この材料が原因で事故が起きれば、すべての責任を負わされて刑務所行きだったのは、あなたですよ」「な、刑務所……!?」 佐藤の体がついに崩れ落ちた。コンクリートの床に両手を突く。「そんな、馬鹿な。俺はただ土井精機とお嬢を守りたくて……!」 呟かれる言葉は、もはや彼自身の耳にすら届いていないだろう。 そんな佐藤の姿を、琴葉は拳を握りしめて眺めていた。 ◇  伊吹が琴葉の肩にそっと手を置いた。  その指先の冷たさが、琴葉の意識を引き戻す。「琴葉さん。この男を今すぐ追放し、法律上で裁くのは容易い。ですが、それでは峻嗣さんの思い通りです。彼はまだ、峻嗣さんにとって『有能なスパイ』のままだ」「伊吹さん、何を……」「これを利用しましょう。毒を喰らわば皿まで、と言うでしょう?」 伊吹はうつむく佐藤を見下ろしたまま、琴葉の顎を指先ですくい上げた。  強引に視線を合わせる。 琴葉の強い意志のにじむ猫のような瞳と、伊吹の夜を飲み込んだ海のような静かな瞳が交差した。「琴葉さん。あなたがこの男を許したい、あるいはせめて救いたいと思うなら、まず僕たちの完全な勝利を確定させなさい。……戦えない技術者は、誰も救えません。いいですね?」 琴葉は奥歯を噛み締めた。  目尻に溜まった涙を、作業着の袖で乱暴に拭い去る。「峻嗣さんの性格とこれまでのやり口から推測するに、彼は土井精機の技術の乗っ取りを狙っているのでしょう」 伊吹が言う。「そう
last updateLast Updated : 2026-02-12
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49:作戦開始

 午前2時、土井精機の事務所は、複数のモニターが放つ無機質な白光に満たされていた。  デスクの中央には、伊吹が持ち込んだ最新の端末が置かれている。  そこには世良グループの組織図と、峻嗣が実質的に支配しているダミー会社の資金フローが、緻密な網の目のように映し出されていた。 伊吹はネクタイをわずかに緩めて、モニターの一部を指し示した。「琴葉さん、僕たちの最終目標は、峻嗣さんの完全な社会的・法的抹殺です。彼が世良グループにおいて二度と再起できない状況を作り上げる。それが工程の第4フェーズ、つまり『公開処刑』です」 伊吹の言葉は淡々としていた。  そこには憎悪すらも効率化された、経営者としての冷静な計算があった。 琴葉は彼が今まで戦ってきた場所の過酷さを垣間見る思いになる。  けれど言葉には出さず、作戦の続きを促した。「公開処刑?」「来月開催される、世良グループ主催の新合金公開コンペです。彼はそこで、土井精機から奪った――正確には奪ったと信じ込んでいる――技術を『自社の偉業』として華々しく発表するでしょう。グループ幹部や主要顧客、メディアが集まるその場で、製品が物理的に崩壊する。技術的な信用を失墜させた直後に、僕が用意した横領と背任の証拠を突きつけ、取締役会で即時解任を可決させます」 伊吹は琴葉をまっすぐに見つめた。「そのために、今は彼に『偽物の勝利』を与える必要があります。彼が自分の功績だと確信してプロジェクトに深く関与し、巨額の予算を投入すればするほど、失敗した時の責任は彼一人に集中する。……逃げ場をなくすための、準備(セットアップ)です」 琴葉は短く息を吐く。自分のモニターへと向き直った。「わかったわ。私の仕事は、その『引き金』を作ることね」(峻嗣は土井精機の技術を、金や脅しで手に入る駒だと思っている。その傲慢さを利用して、彼自身の首を絞めるための、完璧な欠陥データを用意してやる。悲しんでいる暇なんてない。これは技術者としての落とし前よ) 琴葉はちらりと部屋の隅に視線を向けた。  そこには佐藤が、うつむいたまま椅子に座って
last updateLast Updated : 2026-02-13
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「あなたが、私と伊吹さんの目を盗んでバックアップサーバーから持ち出した『最終決定稿』だと言って。失敗は許されないわ。あなた自身とお孫さんの将来がどうなるか、この作戦の成否にかかっていると思って」 佐藤は強張った指でメモリを握りしめた。「お嬢……申し訳、ない……」「謝罪はいらない。ただし完璧に演じて。彼が勝利を確信するための、最後の一押しが必要なの」 伊吹が佐藤に、峻嗣へ送るべきメールの文面を指示する。  峻嗣が好む裏切りの報告としての卑屈さと、成果の重要性アピールが計算された内容だった。 ◇  数分後。  佐藤のスマートフォンが、峻嗣からの着信を告げた。伊吹は素早く通話内容の傍受を開始した。『……佐藤か。首尾はどうだ』 スピーカーから漏れる峻嗣の声には、隠しきれない余裕と慢心がにじんでいた。「はい。たった今、サーバーから最終データを抜き出しました。例のデバイスの書き換えも成功しています。……伊吹様も、お嬢――琴葉さんも、まだ何も気づいていません」『よくやった。お前にはしっかりと報いるから、何も心配はするな。孫の進学費用も十分以上の金額を出す。……そのデータ、すぐに指定のサーバーにアップロードしろ。これで世良の経営権も、土井の技術もすべて俺のものだ。生意気な若造どもの泣きっ面を見るのが楽しみだよ』 通話が切れる。 琴葉は表情を変えずにモニターを眺め続けていた。  かつての彼女なら、激しい怒りに任せて叫んでいたかもしれない。  だが今の彼女は、ただ「計画が工程通りに進んでいる」という事実を、冷めた頭で確認していた。(峻嗣。あんたが勝利の美酒だと思って飲み干そうとしているのは、私が精製した猛毒よ。せいぜい今のうちに、自分の有能さに酔いしれていればいいわ) 夜明けはまだ来ない。しかし東の空が少しずつ明るくなっていくのを、琴葉は工場の窓から眺めた。 伊吹が琴葉の隣に立ち、次の戦場までの工程表を閉じた。「準備はすべて整いました。あとは彼が、自分の無能さを露呈させ
last updateLast Updated : 2026-02-13
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