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All Chapters of 氷龍の檻姫: Chapter 151 - Chapter 160

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3-30

「教育と言いますか、育て方の方向性について、ご相談を」「方向性、ですか?」「はい」水原は指を組み、わずかに視線を落とした。その仕草には、かつての強引さではなく、相手の考えを汲み取ろうとする慎重さがにじんでいる。「昔のやり方を押しつける気はありません。ただ、いまの時代に合う技能がない者もいまして……」言葉を選びながら紡がれるその声音は、現状への理解と、同時にどうすべきか分からないという逡巡を含んでいた。あやめはそれを遮ることなく聞き、紅茶を一口含む。「教育……ですか」「何人かは、きっかけさえあれば伸びると思うんです」その言葉に、あやめはわずかに目を細めた。その表情は、評価と試しの両方を含んでいる。「変化は、受け入れるべきかと……いいえ。変わらなきゃいけないと教えられましたから」その一言には、外から押しつけられた教訓ではなく、自分自身の経験から滲み出た実感があった。「姐さんには、感謝しています」「なにか、ありました?」問いかけに、水原の頬がわずかに赤らむ。「倅が、帰ってきまして……いまの蛟組なら継ぎたいと、頭を下げてきやして……」「あら」早苗が思わず声を上げる。「俺は親父みたいにはならねえって言って、奥さんの実家に無期限の家出をしていた子が帰ってきたのですね」「……説明を、どうも」苦い顔を作りながらも、その奥にある喜びは隠しきれない。あやめは柔らかく笑った。「おめでとうございます」「からかわないでください」そう言いながらも、水原の表情には確かな誇りと安堵が宿っている。「教育について、案はありますか?」あやめが改めて問いを戻すと、水原は姿勢を正した。「若い連中には、組の仕事を教えつつも、普通に社会と接点を持たせたいと思っています」その言葉には覚悟があった。従来の枠組みを壊す決意と、それによって生じる反発を受け止める覚悟だ。「いいと思いますよ」あやめは即座に頷き、再び紅茶に口をつける。「いいのですか?」「黒と白を知らなければ、灰色が理解できませんからね」その一言は、穏やかな声音とは裏腹に、冷徹な現実認識を含んでいた。裏の世界に生きる以上、白だけでは生きていけない。しかし、黒に染まりきれば、この時代ではいずれ行き詰まる。だからこそ、灰色を選び続ける判断力が必要になる。「龍神会として、予算を組んでみまし
last updateLast Updated : 2026-04-25
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3-31

「今宮さんのことを、よくご存知のようですね」あやめの言葉に、水原壮一は一度だけ軽く瞬きをした。その反応はごくわずかなものだったが、そこには不用意に踏み込まれた領域に対する戸惑いがあった。「それなり、に……」曖昧に濁しながら、水原は一瞬だけ早苗へと視線を向ける。判断を委ねるような、あるいは確認するようなその視線。しかし早苗は何も言わず、ただ静かにそこに立っている。その無反応は拒絶ではなく、「任せる」という意思表示だった。水原は小さく息を吐く。「不思議に思われたかもしれませんね」言葉を選びながら口を開くその様子に、あやめはただ黙って耳を傾ける。「迅は、若を慕ってはいますが……あそこまで盲目的なのは、若個人というより先代の残したもの対してなのです」あやめの瞳がわずかに細められる。否定も肯定もせず、ただ続きを促す沈黙。「ヒーローに妄信する子ども、と言えば近いかもしれません。迅の育った環境は……最悪でした」水原の声音が、わずかに沈む。龍神会の中に過酷な過去を持つ者が多いことは、あやめも調べて知っている。しかし、その中でなお「最悪」と断じられるものがあるとすれば、それは一線を画すものだ。「迅の母親は……息子を金にする人間でして」一拍の間。言葉が選ばれる時間。「中学生の頃から、顔立ちが整っているのを利用されて……男娼まがいのことをさせられていた」空気がわずかに重く沈む。あやめは表情を変えず、ただカップに触れていた指を止めた。「その売春組織を潰したのが、龍神会です」静かな事実の提示。だがその一文が持つ意味は重い。「……そう」あやめは短く応じる。その一言に、感情は乗せない。だが理解はある。救いを求めることすら諦めたところに差し出された手が、どれほどの意味を持つか。あやめ自身、それを知らないわけではない。「迅は帰る場所を失い、先代に引き取られました。若と樹と同じ年で……影武者のような役割も担わされました」「それは樹も迅も承知の上です。当時は若の身が危険でしたから」早苗の言葉に頷いた水原は、淡々と続ける。その内容は決して軽いものではないが、語り口はあくまで静かだった。(……どうして、これに気づかなかったのかしら)あやめは内心でそう呟いた。断片的な情報はある。だから、行動の動機も理解したつもりになっていた。それを繋ぐ“感情の核”までは見て
last updateLast Updated : 2026-03-11
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3-32

「馬鹿、とは……辛辣ですね」水原壮一の言葉は苦笑を含んでいたが、その奥には戸惑いもあった。「忠義をはき違えてしまっているでしょう?」あやめは淡々と返す。その声音は穏やかなままだが、言葉の輪郭は鋭い。迅が神のように崇めた先代はすでにこの世にいない。その死が、迅の時を止めた。本来なら時代に合わせて更新されるべき価値観は、迅の中で止まったまま残り続けている。「その時代から変わらず良いものもある。でも、変わらなければならないものもある」あやめは小さく息を吐いた。(時代は変わっているのに、先代組長が遺した形に固執してしまっている)その歪みは個人だけの問題ではない。組織全体に根を張る構造だ。そして―――先代が遺した最大の失態は、制度でも人事でもない。神崎美鶴、冬弥の母親の件だ。「どいつも、こいつも……」低く漏れたあやめの呟きに、水原壮一は反射的に背筋を引いた。「あ、姐さん?」思わず声が裏返る。逃げたい、と本能が告げていた。「……いつになったら“違う”を理解してくれるのかしら」その怒りの矛先は、過去に縛られた価値観そのものに向いていた。龍神会に巣くうのは、神崎美鶴が残した“前提”――閉じ込められた女は必ず壊れるという思い込み。だからこそ、あやめも同じ運命を辿るはずだと決めつけ、いまなお冬弥に愛人を勧め続けている。愛人で組を強化し、愛人の子で血を繋ぐ。それが“正しい”と信じて疑わない。「信じろと口で言っても理解できないとは分かっていますが……さすがにここまで来ると、ムカつくわね」静かに吐き出された本音に、早苗が即座に乗る。「姐さんのこと、舐めてますよね、あの三馬鹿」「さ、早苗」火に油を注ぐ早苗を水原は慌てて制止しかけるが、遅い。「どうします? お仕置き兼ねて、三馬鹿全員のクレジットカードを止めてしまいますか?」「それも面白そうだけれど……鷹見さんが、たかられそうね」「大丈夫ですよ、あいつ金は持ってますし」(それでいいのかしら……)あやめは小さく息を吐く。「信じ込まないこと、疑心はある程度必要だと私は思っています」信じすぎれば、裏切られたときに崩れる。だからこそ、人は無意識に距離を取る。(私だって、愛人の件で冬弥さんを完全には信じていない)だが、それでもあやめは“過去”ではなく“現在の行動”で判断している。それに
last updateLast Updated : 2026-03-12
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3-33

「お帰りなさい」柔らかな声で出迎えたあやめに、冬弥は一拍遅れて息を吐き、そのまま迷いなく華奢な体を抱き寄せた。「……疲れた」低く漏れた本音に、「お疲れ様です」とあやめは変わらぬ調子で応じる。その声音は穏やかで、だがどこか意図的に“理由”に触れない距離を保っていた。“何で”疲れたのか、互いに分かっている。だが、あやめはあえてそれを口にしない。冬弥はその態度に苦笑しながら、腕の力を少しだけ強めた。「楓は?」「よく眠っています」髪越しに視線を巡らせた冬弥は、早苗の姿がないことに気づいて口元を引き締める。「楓に、早苗をつけたのか」あやめは冬弥の問いには無言で、冬弥の肩越しに背後を見た。苦笑する樹と、露骨に不機嫌さを隠さない迅。「必要だと思ったので」「それでお前が安心できるならいい……樹、迅を連れていけ」短い命令に、樹は肩を竦めて踵を返す。迅もまた、何も言わずその後に続いた。屋敷の構造は知り尽くしている。それでも、いまこの場で“勝手に動く”という選択をしなかった。それが何を意味するのか、迅自身も理解していた。(勝手知ったる、じゃない……もう、そういう場所じゃない)ここは、あやめが管理する屋敷だ。理解したのではない。理解させられたのだ。「……泊めるのは、いいのか?」それは、檻の中に入れるということ。冬弥の問いに、あやめは肩を竦めて微笑む。「私を害しても、今宮さんに何の得もありませんからね」事実だった。あやめを失えば、その影響は個人の損失に留まらない。龍神会全体を巻き込み、沈める可能性はあやめが嫁いできた当初より遥かに高い。「それに、今宮さんは宿なしでしょう?」「……そうだな」ホテルを追い出され、どこも予約できない状況に追い込まれた迅。その裏に誰がいるのかなど、考えるまでもない。「ビジネスホテルまでは、手を回していませんよ?」「ビジネスホテルに泊まるのは、負けた気がするらしい」「だと思いました。注目される立場は大変ですね」くすくすと笑うあやめを見て、冬弥は再び腕に力を込めた。その圧に、あやめは軽く叩いて抗議する。「いい加減に放してください」「嫌だ」即答だった。あやめは困ったように笑う。「疲れているのは分かりますが、いつまでも玄関でこうしているのもどうかと思いますよ」「問題はない。俺たちは夫婦だ」そう言って、冬弥
last updateLast Updated : 2026-03-13
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3-34

迅が滞在するならちょうどいい―――そう前置きして、あやめは海外での長い撮影を終えて帰国した看板俳優【今宮迅】を労う夕食会を提案した。表向きは凱旋を祝う穏やかな席だが、その実、いくつもの意図が折り重なっている。迅と冬弥は幼馴染であり、幾度も人生の節目を共に越えてきた間柄だ。しかし、その距離の近さは必ずしも安定を意味しない。とりわけ、迅と冬弥の妻であるあやめの関係は、決して円満とは言えなかった。迅は龍神会の拡大と神崎家の存続を理由に、愛人制度の必要性を主張し、その正当化のためにあやめへ圧力をかけた。もしそれが彼女個人への脅しに留まっていたなら、ここまで事態はこじれなかっただろう。しかし迅は、あやめの子である楓にまで言及した。跡取りが一人では脆いという理屈を掲げ、あえて踏み込んではならない領域に足を踏み入れたのだ。それに、あやめは激怒した。(言葉で話せ、ということなのだろう)冬弥は静かにそう考える。組という組織と、神崎家という家族は切り離せない。それでも、少なくとも自分とあやめの関係においては、過去の常識をそのまま押し付けないと決めた。愛人の件で痛みを伴う失敗を経験し、冬弥自身が学んだ結果でもある。過去がどうであれ、これからどうするかは自分たちが決める―――その意思があった。ゆえに今回の衝突は、迅にとっては価値観の正当性を巡る問題であり、あやめにとっては夫婦の在り方への越権的な干渉に他ならなかった。穏やかな外見の裏で、いつ爆ぜてもおかしくない怒りがあやめの中で張り詰めている。宿を失った迅の救済という名目でこの会は設けられたが、最終的に場を整えたのはあやめだった。夫の友人ではなく、所属俳優として迎える―――その線引きは明確で、席次も料理もすべて彼女の手で決められ、冬弥は一切口を出さなかった。.「迅が、来たようですね」樹の言葉に、冬弥は意識を廊下へ向ける。聞こえてくるのは労いと歓迎の声。組員たちの素直な反応に口元が緩むが、その視線はすぐに隣のあやめへと移る。視線に気づいたあやめは、ふわりと微笑んだ。(可愛らしいのに、どうしてこんなに肝が冷えるのか)その微笑みの奥にある温度に、冬弥は言葉にできない気持ちを抱える。扉が開く音がした瞬間、意識して背筋を伸ばし、立ち上がる。それに合わせるように、あやめも静かに立った。普段と変わらぬ落ち着いた所作。だ
last updateLast Updated : 2026-03-15
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3-35

料理が静かに運び込まれる。襖越しに差し込む灯りの中で、器の白と食材の色が淡く映え、場の緊張とは裏腹に穏やかな時間が流れ始めた。あやめがこの日のために整えたのは、季節を丁寧に掬い取った和の献立だった。前菜には、ほろ苦さを残した山菜の白和えと、出汁を含ませた筍の土佐煮。椀物には、澄んだ潮の香りを湛えた蛤の潮汁が添えられた。主菜は香ばしく焼き上げた鰆の西京焼き、そして締めには桜海老の炊き込みご飯。どれも華美ではないが、素材を活かしきるための手間と配慮が行き届いた、誠実な料理だった。料理そのものが語るのは、主張ではなく“姿勢”。迅は箸を手に取り、料理を一瞥してからふっと笑った。「ずいぶんと、家庭的だな」一見すれば褒め言葉にも取れるが、その声音にはわずかな引っ掛かりがある。華やかさを期待する者の、軽い失望にも似た響き。「随分と、愉快なことを仰るのですね」あやめは微笑む。その笑みは崩れないが、言葉の奥に含ませた棘は明確だった。 『それは“神崎の女”に向ける言葉ではない』あやめは静かに続ける。「それは私に求められているものではありませんでしょう?」家に閉じ込め、自由を制限しながら、外面のために、男のご機嫌取りのために着飾れと要求する―――その矛盾を、あやめはあえて言葉にせず含ませる。迅の目がわずかに細まり、場の空気が引き締まった。冬弥は箸を置く。「迅。神崎の者として、神崎の女としての要求なら好きに言え。心得だって構わん。ただし、俺の妻としての振る舞いなら、それは俺とあやめが決める」静かな声音だったが、その線引きは明確だった。迅は冬弥を見る。その目には、組織の未来を案じる者としての理屈と、幼馴染としての距離の近さが同時に宿っている。「冬弥。お前の“妻”という立場は、そう簡単には―――」「お前は、あやめにそれが分かっていないと言うのか?」被せた言葉。それに、迅が違和感のある目をしたことで冬弥はようやく気付いた。(ああ、分かった)「迅、あやめはあやめだ。俺の母親とは違う」その一言は、この場の問題を浮き彫りにした。迅は言葉を飲み込み、視線を逸らす。樹もまた、静かに目を落とした。その沈黙を破ったのは、あやめの軽やかな笑い声だった。「そうやってご自分の理想の形に追い込んで……無自覚な殺人者たちが、雁首を揃えて」言葉の内容に似つかわしくな
last updateLast Updated : 2026-03-17
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3-36

「しかし、冬弥はあんたを唯一に選んだ」その言葉は、場を収めるための方便にも、迅なりの正義にも聞こえた。だがあやめは、まるで刃物の背で撫でられたかのように一瞬だけ目を細め、すぐにいつもの微笑を貼りつける。「だから、何ですの? 結果オーライ? ここに来るまで、私に葛藤がなかったとでも? 女は黙って耐えろと? 随分と時代錯誤で、都合のいいお考えですこと」柔らかい声音に反して、その言葉は容赦なく核心を突いていた。空気がぴんと張り詰める。食卓に並ぶ料理の湯気すら、どこか遠いもののように感じられ、誰も箸を動かそうとはしない。迅は言い返そうとして口を開きかけたが、その前に冬弥の低い声が割り込んだ。「そこまでだ」短く、しかし決定的な一言だった。場の支配権が一瞬で移る。あやめも迅も、言葉を飲み込んだ。冬弥はゆっくりと視線をあやめに向ける。その眼差しには、組の長としての威圧ではなく、一人の男としての誠実さがあった。「あやめ。迅のことは、甘くした俺の責任だ。境界は明確にするべきだった。すまなかった」そう言って、冬弥は頭を下げる。組のトップが、妻に対して、友人の非を背負って頭を下げる。その行為の意味を理解できない者は、この場にはいなかった。迅は目を見開き、樹はわずかに息を呑む。あやめは、そんな冬弥をしばらく黙って見つめていた。その沈黙は長くはなかったが、重かった。やがて小さく息を吐き、視線を少しだけ柔らげる。「……今回は、冬弥さん……と、楓を心配してのことだと分かっています。水に流します。ただ、次はありませんよ」その言葉は、許しであり、同時に明確な警告だった。曖昧な情けではなく、条件付きの信頼。そこに甘さはない。冬弥は静かに頷く。「身に沁みている」それ以上の言葉は必要なかった。むしろ、余計な言葉はこの場を壊すだけだと理解していた。再び沈黙が落ちる。しかし先ほどとは違い、そこにはわずかな緩みがあった。完全に解けたわけではないが、少なくとも破綻は回避された空気。樹が小さく咳払いをし、止まっていた時間を動かすように箸を取った。「せっかくの料理が冷めてしまいますね」その一言が、場に戻るための合図だった。迅もゆっくりと息を吐き、視線を落とす。彼の中にも、何かが引っかかっていた。自分の正しさを疑ったわけではない。だが、それを通すやり方を間違えたこと
last updateLast Updated : 2026-04-25
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3-37

食事が進むにつれ、張り詰めていた空気はわずかに緩み始めた。完全に解けたわけではない。だが、冬弥が間に立ち続けることで、場はなんとか均衡を保っていた。樹が軽く話題を振り、迅がアメリカでの撮影裏話を語る。過酷なロケ地の環境や、現地スタッフとのやり取り、撮影中に起きた小さなトラブルとその解決―――どれも俳優としての迅の経験値を感じさせる話だった。あやめは適度に相槌を打ち、時に質問を差し挟む。その姿は一見すると理想的な“もてなし役”であり、先ほどまでの緊張を微塵も感じさせない。だが、その均衡はあくまで表層に過ぎないと、冬弥は理解していた。(でも、これも俺が守るものだ)料理の味を確かめるように箸を進めながら、冬弥は静かに思った。迅の考えも分かる。組を大きくするための合理性、血を絶やさないための手段、そのどれもが過去の龍神会においては正解だったのだろう。だが、それでも冬弥は選んだのだ。あやめと共にある未来を。組の論理だけではなく、自分自身の意志で築く未来を。その決意は、揺るがない。「冬弥さん? お酒が足りませんか?」不意にあやめが問いかける。柔らかな声音と、わずかに首を傾げる仕草。そこには先ほどの鋭さはなく、ただ寄り添うような温かさがあった。冬弥は小さく笑みを浮かべる。(この女と共に生きるためなら、何だってできる)そう思った瞬間、あやめの瞳の奥にも同じ種類の光が宿っていることに気づく。静かで、しかし確固たる意志の光。あやめもまた、冬弥と並び立ち、戦う覚悟を決めていた。その事実に、冬弥の胸はわずかに軽くなる。組のため、あやめが冬弥への恋情を切り捨てるように仕向けた。あのときの冷たい距離。失われるかもしれないという恐怖。仕方がないと思いつつも、何もできなかない無力感にもがく苦しみ。それらは今も冬弥の中に後悔という形で残っている。(あのときのようなことには、させない)そう思いながら、冬弥はグラスを手にした迅を見る。「なんだ? 飲み足りないのか?」軽口を投げられ、冬弥の眉間にしわが寄る。「あやめと同じことを言うな、気色悪い」その言葉に、友だちとしての距離もあるのだと滲ませる。迅は口元を緩めた。「……ただいま、冬弥」ぽつりと落とされた言葉は、俳優でも組の人間でもない、ただの幼馴染としての声だった。「ああ。お帰り、迅」二人はグラスを軽く合わせる
last updateLast Updated : 2026-03-17
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3-38

「あやめ、落ち着け」冬弥の声は低く抑えられていたが、その奥にある動揺は隠しきれていなかった。あやめはゆっくりと首を傾げ、まるで不思議そうに瞬きをする。「落ち着いていますよ」穏やかな声音。だが、その落ち着きこそが、冬弥にとっては逆に恐ろしい。「……そうだな。落ち着いていないのは、俺だ」冬弥は珍しくそれを認め、大きく息を吐いた。本来ならば、どんな局面でも内側に押し込めて表に出さない動揺を、あえて見せている。その事実に、あやめはほんのわずかに目を細めた。この場、この関係性、この距離だからこそ許される“素の顔”。それを引き出せているという確信が、彼女の中に静かに根を張る。自分の提案は間違っていない―――そういう確信だった。「あやめ、迅は男だぞ?」ようやく絞り出したような冬弥の言葉に、あやめは一瞬きょとんとした顔を見せ、それから小さく笑った。「冬弥さん、いまの時代に何を言っているのです?」柔らかい物言いだが、否定は明確だった。「常識で考えろ。結婚して妻のいる男が、男を愛人に持てるか?」「……女ならOKという、その考えが甚だ不快なのですけれど」「そういうことではない! ほら……その……」言葉に詰まる冬弥が、助けを求めるように視線をさまよわせる。樹と迅に一瞬ずつ向けられた視線は、しかしすぐに頼りないものへと変わった。「姐さん。流石に、女も男もいける夫というのは外聞が悪いのでは……」恐る恐る口を挟んだ樹の言葉に、あやめは間髪入れずに返す。「愛人が五人もいる夫の妻というだけで、十分に外聞は悪いと思いますけれど」言葉は淡々としているが、その切れ味は鋭い。冬弥の五人の【愛人】が文字通りの愛人ではなく“神崎あやめの手足”であることは有名だが、誰もそれを口にはしていない。五人は冬弥の愛人、それに間違いはない。「……ぐっ」樹は言葉を失い、口を閉ざすしかなかった。その横で、迅は眉間に皺を寄せながらも、踏みとどまるように口を開く。「愛人なんて、俺は嫌だぞ」至極まっとうな主張だった。だが、あやめはそれをあっさりと笑い飛ばす。「嫌も何も、組の拡大のために“愛人”の有用性を説いたのは今宮さんではありませんか。しかも、爆発物まで持ち出して」一瞬、空気が冷えた。「ここに来て、それを感情論で否定なさるのです?」あやめの視線がまっすぐ迅を射抜く。「
last updateLast Updated : 2026-04-25
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3-39

「冬弥……落ち着け。本当に男を愛人にする気か?」迅の半ば悲鳴じみた問いに、冬弥はほんのわずかも迷うことなく言い切った。「“男を”ではなく“お前を”だ。あやめに言われるまで気づかなかったが、丁度いい【愛人】ではあるな」その断言はあまりに自然で、あまりに真面目で、逆に冗談に聞こえない重さを持っていた。「待て待て待て、話が飛躍し過ぎてるだろ。俺は生粋の女好きだぞ?」迅は慌てて身を乗り出すが、冬弥は淡々とした顔で返す。「そんな下衆な言葉を俺の妻の前で言うなと言いたいが……あやめの顔には『なお良し』と書いてあるぞ」「なんで!?」「……なんでだ?」二人の視線を受けても、あやめはまるで気にした様子もなく、むしろ楽しげに微笑んでいる。「少し想像してみたのです。冬弥さんと今宮さんが関係を持つ場合を」「想像するな」即座に遮る冬弥に対して、あやめは軽く首を傾げた。「女子校出身者の嗜みですので」「どんな嗜みだ……それで?」呆れながらも続きを促してしまうあたり、冬弥も完全には冷静ではない。「もし冬弥さんが今宮さんを選んだとしても、私は男性の体を持っていない以上、そこは仕方がないと納得できました」「納得できるのか……」冬弥は思わず額を押さえた。「恐ろしい順応力だな」「順応力と臨機応変はどこの世界でも必要な能力ですから」あやめは当然のように言い切る。その理屈に、冬弥は一瞬だけ言葉を失い、それから小さく頷いた。「……確かに、そうだな」あまりにも自然に同意してしまったことで、迅が絶句する。「おい、なんでそこで納得するんだよ!」しかし会話は止まらない。「それに今宮さんは男性ですから、愛人手当も安く済みますし」「それは差別だろう!」迅の反論に、あやめは冷ややかな視線を向けた。「愛人の役割に出産が含まれる以上、妊娠できない今宮さんの報酬が低くなるのは当然です」あまりにも合理的すぎる説明に、迅は言葉を詰まらせる。「……具体的には?」思わず聞いてしまった自分に気づき、樹がすかさずツッコむ。「迅、なんで前向きに検討しているんですか」しかし誰も止まらない。早苗は既に笑い過ぎて椅子に体を預け、呼吸を整えるのに必死な状態だった。「私なら相場の三割で設定します」さらりと告げられた数字に、迅は不満げに眉を寄せる。「安くないか?」あやめは首を傾げな
last updateLast Updated : 2026-03-18
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