私の夫は義妹のために99回離婚を切り出した のすべてのチャプター: チャプター 81 - チャプター 90

95 チャプター

81話

「や、やめてください!頭を上げて……っ!あの日の私は、確かに怪しかったと思います。社長秘書をされているんですもの。警戒して当然だと思います」 「──ですが、奥様……」 「そ、それに……誠司は私が妻だという事実を隠したいんだと思います。……彼にとって、私は何も取り柄のない人間ですから」 「そんな事──!」 もみじの言葉に、咄嗟に言い返そうとした田島だったが、自嘲気味に笑うもみじの辛そうな表情を見て、ぐっと言葉に詰まってしまった。 田島が言葉を詰まらせた事で、もみじは続ける。 「それに、あまりここで長話をしていると、社員の方に聞かれてしまいます。今日は忘れ物を届けに来ただけですので……」 「──ご案内いたします。社長は、今のお時間でしたら社長室にいらっしゃるはずですので……」 「ありがとうございます。えっと……」 もみじが困ったように言い淀んだのを見て、田島は慌てて名乗った。 「名乗りもせず、大変失礼いたしました。田島、と申します」 「田島さん。ありがとうございます、案内よろしくお願いしますね」 ふわり、と笑ったもみじの笑顔に、田島は一瞬言葉を失い、見とれた。 胡桃のような、毒々しい可憐さではない。 もみじは、例えるならたんぽぽのようなふわりとした可憐さを持っていた。 派手ではないが、どこか落ち着くような。 落ち着いた可愛らしさを感じて、田島の胸が不規則に高鳴った。 (ま、待て待て待て。この方は社長の奥様だぞ……!何を考えている!) 田島は慌てて頭を左右に振って変な考えを追い出し、もみじを社長室へ案内する。 「社長から奥様が書類を届けに来られる、とは聞いておりませんでした……。その、失礼ですが社長本人からご連絡が……?」 社長室に案内してもらっている最中。 少し前を歩いていた田島が何の気なしにもみじに話しかける。 田島が誠司から話を聞いていないとは──。 もみじは少しの違和感を覚えたが、胡桃が誠司は忙しいと言っていた。 もしかしたら田島に伝え損ねてしまったのかもしれない。 「いえ。夫からではなく──」 もみじが言葉を紡いでいる最中に、社長室に到着した。 その事に気付いたもみじは口を噤む。 別に、大した問題ではないのだろう、と判断したのだ。 その証拠に、田島は社長室をノックして声をかけた。 「──社長、失礼し
last update最終更新日 : 2026-03-05
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82話

「──え?」 「社長……?」 いつの間に社長室の扉が開いたのだろうか。 そして、どうしてこの場では決して聞こえるはずのない声──もみじの声が聞こえたのだろうか。 誠司は一瞬にして顔を真っ青にすると、慌てて扉の方へ顔を向けた。 「──もみじ!?それに、田島まで!?どうして許可なく入ってきた!?」 慌てふためく誠司とは逆に。 胡桃は誠司の腕に抱かれたまま、彼の胸元に顔を埋めたまま口端を吊り上げた。 その様子が、離れた場所にいるもみじから見えた。 見えてしまったのだ。 胡桃の嘲笑うような笑みを見て、もみじは理解した。 「……わざと私を呼んだ、のね」 「え、え?奥様……?」 ぽつり、と落ちたもみじの声が隣にいる田島の耳にはしっかりと届いていたのだろう。 戸惑い、慌てた様子でもみじと誠司を交互に見ている。 だが、もみじの声は誠司には届いていない。 彼は抱きしめていた胡桃をはっとした表情で見下ろすと、慌てて胡桃を離す。 そして、ソファから立ち上がりもみじに向き直った。 「もみじ。どうしてお前がここに!?呼んでなんかいないぞ!?もしや、またお前は俺と胡桃の関係を疑って勝手に来たのか!?」 疑うも何も。 今、目の前で起きた事が事実ではないか──。 もみじは、そこで初めて冷ややかな目で誠司を射抜いた。 以前のように誠司を責めるような事もせず、声を荒らげる事もせず、ただ冷静に冷ややかに誠司を見つめる──。 もみじの胸には、不思議な感覚があった。 胸──心がひやり、と冷えるような。 今まで誠司に向かっていた温かで情熱的な感情が、冷えて消えて行くような不思議な感覚。 何も言わず、冷えた表情を浮かべるもみじに、誠司は背筋がひやりと冷えた。 「もみじ。これは、違う。胡桃はお前のためを思って海外で勉強をしてこようとしているんだ。その不安や恐怖から、泣いてしまった。……だから、俺はお前の妹だから……だから、慰めていただけだ。変な誤解はするな」 「──お、お姉ちゃん。誠司さんの言う通りなの……。ごめんなさい……海外に行くのが少し心細くって……誠司さんに相談してたの。そうしてたら、怖くて泣いちゃって。誤解しないで、お姉ちゃん!誠司さんは私を純粋な気持ちで慰めてくれていただけなの!」 誠司の言葉の後に、胡桃が哀れみを誘うような表情で声を上げる
last update最終更新日 : 2026-03-06
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83話

実際、その光景を目の当たりにした誠司の秘書、田島は呆れたように2人を見た。 (おいおい……本気かよ?社長も胡桃様も何を考えているんだ?) 田島は心配そうにもみじを見た。 もしかしたら奥様はショックを受けて先日のように取り乱し、泣いてしまうのでは──。 そうしたら、もみじをこの部屋から連れ出してやらないと。 そう考えていた田島だったが、もみじの表情を見て驚く。 もみじはただ淡々と誠司と胡桃を見つめていたのだ。 そしてもみじは、胡桃に視線を向けたあと。 トートバッグから書類が入った茶封筒を取り出した。 「さっき胡桃から電話をもらったの。誠司、あなたが大事な書類を忘れてしまったから届けに来てあげてって。それを届けに来たの。来る途中で秘書の田島さんに会って案内してもらったのだけど……」 そこでもみじは一旦言葉を切って、誠司を見た。 「あんまり大事な書類じゃなかったみたいね。胡桃を慰めてあげていたのに邪魔をしてごめんなさい。私は帰るから続けて」 「──ま、待てもみじ!」 もみじは近くにあったテーブルに茶封筒をパサリと置くと、そのままくるりと踵を返して社長室の扉に歩いて行く。 去って行くもみじの背中を見た誠司は、慌てて胡桃を離し、もみじを呼び止めるように声を上げた。 「もみじ、少し待ってくれ。話をしたい。……胡桃、海外での勉強については心配するな。俺が胡桃を援助するから……」 「分かったわ、誠司さん……」 「田島も。もみじの案内ご苦労だったな。もう下がっていい」 「かしこまりました、社長。それでは奥様、私はこれで……」 「ええ、ありがとうございました田島さん」 田島がもみじに向かって頭を下げると、もみじはにこりと微笑みを返す。 そんな風に田島に笑いかけるもみじを見た誠司は苛立ちを感じた。 (最近は俺ににこりともしないくせに、どうして田島なんぞに……。それに、あの男もそうだ……!もみじは俺以外の男にどうして簡単に笑いかける……) 入院中。 もみじの傍にいたのは自分ではなく、あのいけ好かない男だった。 誠司は髙野辺の顔を思い出し、苛立ちが増す。 それに自分の秘書にすらあんな風に笑いかけているのに、誠司自身には最近もみじは笑顔を向けない。 以前のように笑いかけたり、世話をしてくれたり。 そんな様子がなくなっていたのだ。 胡
last update最終更新日 : 2026-03-06
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84話

祖父母──。 誠司の口からその単語が出た瞬間、もみじの瞳が揺れた。 それまで冷たい感情しか浮かんでいなかったもみじの瞳に明らかな動揺が走り、戸惑う様が見て取れる。 誠司はもみじにゆっくり近付いて行くと、もみじの肩に手を置いた。 「お前の祖父母は、亡くなった娘──もみじの母親が着たウェディングドレスを、お前に着て欲しいんだろう?そろそろ、俺たちの結婚式についてもお前の祖父母に話に行かないとな……。今週末は久しぶりに2人で顔を出しに行かないか?」 「……何ですって?」 「もみじ、俺たちは結婚して2年だ。仕事が忙しくて結婚式を挙げていなかったが……ようやく会社の経営も軌道に乗った。お前の結婚式と、ドレス姿を祖父母は楽しみにしているんだろう?それに──」 誠司は、唖然と自分を見上げるもみじの手を取り、左手薬指をゆっくりとなぞった──。 「お前はここに、結婚指輪を嵌められるのを楽しみにしていただろう?俺たちもそろそろちゃんと夫婦になろう」 誠司はもみじを宥めるように薬指を優しく撫で、もみじの顎を指で掬い上げる。 そのまま唇を重ねようとした誠司に、もみじはふいっと顔を背けた。 「──っ、待って……。本気なの、誠司?」 「……何故避ける」 キスを避けられた事が、誠司の矜恃に障った。 もみじの顎を再び掴み、無理やりキスをしようとしたがもみじは本気で抵抗した。 (よくも胡桃にキスをした口で私にもキスしようと出来るわね!?この人は、本当に私の知っていた誠司なの!?昔の優しかった誠司は、そもそも全部嘘だったの!?) 「──もみじ!どうして俺を拒む!」 「……っ嫌に決まっているでしょう!私はあなたと胡桃の仲を疑っているのよ!?疑いが晴れるまで指1本私に触れないで!結婚式も今はしたくない!だから今週末に、あなたとお爺ちゃんとおばあちゃんの家には絶対に行かないわ!」 きっぱりもみじに拒絶された誠司は、怒りだろうか、それとも断られた羞恥だろうか。 どちらかは分からないが、顔を真っ赤に染めてもみじの顎を掴んでいた手を払った。 「──っ痛」 「もう良い!お前がそんな風に言うなら、結婚式はしない!今後お前がどれだけ泣いて縋っても結婚式は絶対にしないからな!後悔するなよ!」 誠司が手を振り払った瞬間。 誠司の爪の先がもみじの頬を掠った。 薄っすらと線が
last update最終更新日 : 2026-03-07
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85話

もみじの背後で、派手な音を奏でて扉が閉まる。 バタン!と大きな音がもみじの耳を劈き、もみじは顔を顰めた。 「いたっ、」 顔を顰めたからだろうか。 頬の皮膚が引っ張られ、怪我をした頬にピリッとした痛みが走る。 「……えっ、嘘でしょ。血が滲んでる」 痛みのある箇所をそっと指で確認したもみじの指に、滲んだ血が付着した。 その様を見て、もみじは小さくため息を吐き出して周囲を見回した。 幸い、誠司は怒って社長室から出て行った。 部屋の中に絆創膏が無いか、少しだけ探させてもらおう。 そう思ったもみじは、まず誠司のデスクに向かう。 先程までそこで誠司と胡桃はくっついていた。 そんな場所に近付くのは嫌だったが、誠司のデスクの引き出しには絆創膏くらい置いてあるかも──。 そう思い、近付いたもみじの目にある物が入ってきた。 「──何これ、パンフレット?」 誠司のデスクにあるはずのないそれを見つけ、もみじはひょいっと持ち上げた。 「──アメリカでの、デザイン勉強……。なにこれ……胡桃は本気でアメリカに行ってデザインの勉強をするつもりなのかしら……」 パンフレットを開いて、内容を確認してみる。 デザインの勉強用のカリキュラム。 アメリカ国内で、著名なデザイナーの元でデザインを勉強し、国内で開催されるコンテストに応募し、そこで結果を出せるように。 最終的にはコンテストで金賞を取れるようにデザイナーを育てるようなカリキュラムだった。 これから駆け出しのデザイナーにとって、とても良い内容だった。 自分の同じようなデザイナーに成り立ての人達が周囲に居て、良い刺激になる。 だが──。 「この勉強に、誠司が援助を……?それに、傍に居るって言ってたの……?」 はは、ともみじの口から乾いた笑いが溢れ出る。 もみじが大学でデザインを学んでいた時は、誠司は援助するなんて一言も言ってくれた事は無い。 それどころか、結婚するなら退学が条件だ、と言われたのだ。 当時はその条件も当たり前だともみじは思った。 会社を起業し、忙しい誠司の代わりに家の事は全てもみじがやる。 当時は資金面でも誠司が自由に出来る金額は少なかった。 だからそれが、当たり前だと──。 「──でも、お父さんもお義母さんも……胡桃のためには援助を惜しまないのね……」 カリキュラムに
last update最終更新日 : 2026-03-07
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86話

そして、もみじが誠司の社長室を出たのはそれから数分後。 もみじが廊下に出ると、誠司の姿も。田島の姿もどこにも無かった。 もみじが持ってきた書類の封筒は、先ほど近くのテーブルの上に置いてある。 もう、これ以上もみじが誠司の会社に居る必要は無い。 「もう良いわ……私は私のやるべき事をしよう」 もみじはそう呟くと、1度も振り返る事なく誠司の会社を後にした。 ◇ もみじが帰って、暫くした後。 社長室に誠司が戻って来た。 「……もう、いないか」 あんな風に部屋を飛び出してしまった事を、誠司は後悔した。 「もう少し落ち着いて話せば良かったか……?いや、だが……ここで俺が折れてやる必要は無い……」 自分のデスクに戻ろうとした誠司は、先ほどもみじが置いていった茶色い封筒が目に入り、それを手に取った。 「確か、もみじが胡桃に頼まれて持ってきた書類だと言っていたな……。どの書類だ……?」 今日、急ぎで必要な物は無い。 もしかしたら、胡桃は明日以降必要になる書類を今日必要だと勘違いし、もみじに頼んだのかもしれない。 「胡桃にも慌てず、落ち着くように言わないとな……。そうしないと、またもみじに疑われる……」 封を開け、中に入っている書類を見た誠司は、目を見開いた。 「──何故、これを必要だと胡桃は……?」 取り出した書類は。 稟議にかける前のまだ試作段階の書類だ。 「これは全然必要じゃない書類じゃないか……」 胡桃は契約締結の場に出た事が無い。 だからもしかしたら稟議書とただの試作段階の書類の判別が出来なかったのかもしれない。 「契約」やら「締結」やらの単語が記載されているのを見て、胡桃は大事な書類だと思ってくれたのだろう、と誠司は判断した。 「胡桃にも、今後は色々と説明してやらないとな……。胡桃がSeaだと分かった今、胡桃と我が社は専属契約を結んだ方がいい。その時に契約書の交わし方などを教えてやった方がいいだろう……」 今までは外部に契約関係は任せていたのかもしれない。 だが、今後専属契約を結ぶとしたら、直接胡桃に色々教えてやった方が将来的にも彼女の経験になるし、学びも得られるし、良いだろう。 そう考えた誠司は、胡桃がデザイン室に籠っている事を思い出し、胡桃の元へ向かうため、社長室を後にした。 ◇ 「──もしもし、おじいちゃ
last update最終更新日 : 2026-03-08
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87話

その日の午後。 もみじは誠司が帰宅する前に、荷造りを終えて家を出た。 一応、簡単に書き置きは残してある。 1人で祖父母の家に戻る事、誠司には来て欲しくない事を書いて置いてきた。 キャリーバッグをゴロゴロと引きつつ、もみじは歩いて近場の駅に向かって、祖父母の家に行くため、電車に乗り込んだ。 平日の午後は、乗客が少なく、電車内はガラガラ。 もみじはキャリーバッグを自分の前に置き、座席に腰を下ろした。 「──2回乗り換えて……、向こうに着くのは夕方過ぎね」 スマホで到着時間を確認したもみじは、窓の外に目をやり、流れゆく景色を楽しんだ。 ◇ 祖父母の家がある駅に着いた時。 空は既に茜色から夕闇へと色を変えていた。 「大分暗くなっちゃったわね……」 もみじは駅に降り立つと、きょろりと周囲を見回した。 子供の頃に母親が亡くしたもみじは、新しい義母と胡桃に馴染めず、幼少期は祖父母の家で長い事過ごした。 母を亡くした寂しさはあれど、祖父母はとても優しくて。 塞ぎ込むもみじをいつも元気付けてくれたのだ。 祖父母だって、実の娘を亡くしたばかりだと言うのに。 それなのに、いつも祖父母は優しかった。 泣いている姿など、見た事などなかった。 きっと、もみじに隠れて泣いていたんだろう、と大人になった今のもみじには分かる。 母親を亡くしたばかりの子供の前で、悲しむ姿を見せない、とても強い人達なのだ。 「おじいちゃんに、おばあちゃん……。久しぶりに会うわね」 ゴロゴロ、とキャリーバッグを引きながら駅前のロータリーに向かう。 そこで客待ちをしているタクシーに乗り込み、もみじは祖父母の家の住所を伝えた。 すると、タクシーの運転手は「へえ!」と珍しそうに声を上げる。 「玖渡川(くどかわ)さんのところに?彼らが引退してから大分時間は経つが……凄いね、わざわざ調べて……」 「ええ、まあ」 もみじはにこりと笑みを浮かべ、言葉を濁す。 運転手も、それ以上の詮索はせずに車を出してくれた。 玖渡川。 玖渡川は、もみじの母親の旧姓だ。 そして、玖渡川の祖父母は腕利きの名医だった、と噂だ。 そんな祖父母の元には、今でも時おり国内外から病気の相談をしにやって来る人がいる、と聞いた事がある。 もしかしたら、タクシーの運転手ももみじがわざわざ遠い場所から
last update最終更新日 : 2026-03-08
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88話

「到着しました、こちらでよろしいですか?」 「はい、大丈夫です。ありがとうございます」 祖父母の家に着き、タクシーが止まる。 料金を支払い終え、もみじがタクシーから降りた。 そして、タクシーが走り去った時。 木製の門扉がギギギ、と軋んだ音を立てて開く音が聞こえた。 「──もみじ、おかえり」 「おじいちゃん!それにおばあちゃんも!」 懐かしい声に名前を呼ばれ、もみじはぱっと顔を上げた。 目の前には優しい表情でもみじを出迎えてくれる祖父母が居て。 祖父が手を広げた瞬間、もみじはキャリーバッグをその場に置いたまま駆け出した。 「ただいま!」 もみじは両手を広げた祖父に迷いなく飛び込む。 優しく抱きしめられて、もみじは久しぶりに感じる懐かしい温もりにじわりと涙が滲んだ──。 ◇ 「さあさあ、もみじちゃん。喉が乾いたでしょう?もみじちゃんが好きなりんごジュースよ。飲みなさい」 「ありがとう、おばあちゃん」 もみじが子供の頃、大好きだったりんごジュース。 りんごジュースは、祖母がもみじのためにわざわざ手作りしてくれた、世界で1つだけの味だ。 祖母が優しい笑みを浮かべ、そのジュースをもみじに出してくれた。 氷が入れられ、グラスの周りには水滴がついている。 もみじは自分のために冷たくて美味しいりんごジュースを用意してくれた祖母の優しさが嬉しくて、グラスを両手で掴んでりんごジュースを煽った。 「──ああ、子供の頃から変わらない味だね。凄く美味しいよ、おばあちゃん」 「本当かい?それなら嬉しいよ、いくらでもおかわりあるからね」 「うん。ありがとう」 もみじと祖母のやり取りを笑顔で見守っていた祖父は、2人のやり取りが落ち着いた頃、ふと口を開いた。 「そう言えば、今日もみじは1人なんだな?誠司くんは一緒じゃなかったんだな」 「──ッ」 祖父の言葉に、もみじの肩が跳ねる。 聞かれるとはもみじも分かっていた。 今まで、もみじが祖父母の家に来る時は誠司を連れて来ていたから。 だが、今回は。 結婚の挨拶をしに来た以来だというのに、誠司が一緒ではない。 純粋に不思議だったのだろう。 祖父は首を傾げつつ、言葉を続けた。 「誠司くんの会社はどうだい?そろそろ忙しさも落ち着いた頃じゃないか?」 「そうよね。会社の忙しさが落ち着いた
last update最終更新日 : 2026-03-09
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89話

もみじの言葉に、それまで和やかだった祖父母の雰囲気がぴしり、と固まり笑顔が消えてしまう。 「──結婚式を悩む……?どう言う事だ、もみじ?」 「式の内容に悩んでいるって事じゃない、のよね?どうしたの?何があったの……?」 祖父母から矢継ぎ早に質問され、もみじは一瞬迷ったが、ここ最近起きた事を正直に全て祖父母に話してしまおう、と決めた。 誠司が、恐らく胡桃と不倫関係である事。 誠司から胡桃を理由に何十回と離婚の話を切り出されている事。 誠司はもみじの事を家政婦だとしか思っていない事。 そして、大きな怪我をした原因が、誠司にある事。 誠司の会社では、胡桃が妻だと周囲に認識されている事。誠司はその間違いを正そうとしていない事──。 それらの事を、もみじは一気に吐き出した。 時おり、支離滅裂な説明になってしまっていただろう。 だけど、祖父母はもみじを急かす事なく慎重に、根気よく話を聞いてくれて。 もみじが全てを吐き出した時。 もみじの視界は、涙で滲み堪えきれなかった涙が頬を伝って畳に落ちた。 「もみじちゃん……、辛かったわね」 祖母がそう言いながらもみじの傍に来て、もみじを強く、暖かく抱きしめてくれる。 ぎゅっと力強く抱きしめてくれる祖母の腕に、もみじは我慢していた涙が次々と溢れ出て来て。 涙声で、悲痛な声で叫んだ。 「あんなに誠司の事が好きだったのに……っ、今はもう……っ、その感情がどっかに行っちゃった。あんなに好きだと思っていたのに……!」 「うん、うん……」 「私、白状なのかなおばあちゃんっ、あんなに好きだったのに……っ、今はもう誠司の事が憎いの……!」 「好きだからこそ、愛していたからこそ、裏切られた事でその大きな愛情が憎しみに変わったのね……。それはね、もみじちゃん。何も変な事じゃないのよ ?」 祖母の穏やかで、優しい声がもみじの荒れ、荒んだ心をゆっくりと温かく包み込んでくれる。 「その人に対する気持ちが大きければ大きい程、裏切られた時にマイナスの感情に変わってしまうのは、当然の事だわ。恨んだっていいのよ、憎んだって仕方ないわ」 祖母の優しい声に、もみじは泣きながらそうなのかな、と本当に憎んでもいいのかな、と考える。 そのもみじの考えを後押しするように祖父が呟いた。 「だが、そんなろくでもない男にもみじが人生
last update最終更新日 : 2026-03-09
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90話

(もし、今後も誠司が胡桃のために離婚を切り出し続けるなら──。私は、離婚するわ。だけど、ただでは離婚しない。私を裏切り続けていた誠司に、ちゃんと報復してやりたい。……1番最適なタイミングで、離婚してやる──) もみじはふつふつと胸の中が怒りで煮え滾るような感覚を覚えた。 だが、それと同時に祖父母に対して申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになってしまった。 「ごめんね、おじいちゃんおばあちゃん。私が結婚式をするのをあんなに楽しみにしてくれていたのに……」 もみじが結婚すると聞いて、祖父母は喜んでくれた。 誠司と結婚をすると聞いて、それはもう喜んでくれたのだ。 当時、もみじが誠司と付き合っていた事は祖父母も知っていた。 そして、その時の誠司はまだ良い青年だったのだ。 多少妹の胡桃を可愛がり過ぎる所はあったが、誠司はいつだってもみじを最優先してくれていた。 いつも愛を囁いてくれていたのだ。 結婚する前までは、もみじに着いて誠司も良く祖父母の所に挨拶に来ていた。 だが、結婚してから誠司は段々変わっていってしまったのだ。 苦しそうに言葉を紡ぐもみじに、祖父も祖母もそっと寄り添い、肩を抱いた。 「大丈夫だ。わしらはまだまだ元気だし、くたばらん!結婚式はもみじの事を幸せにしてくれる男が現れるまで楽しみに取っておくよ」 「ええ、ええそうだわもみじちゃん。誠司くんにもみじちゃんはもったいないもの。こんな素敵な女の子、他に居ないわ。きっともみじちゃんの前に、もっと素敵な男の人が現れるわ。だから、その時の楽しみに取っておくわね」 優しく笑う祖父母に、もみじも自然と笑みを浮かべる事が出来た。 「ありがとう、おじいちゃんおばあちゃん。私、これから仕事を頑張るわ……」 「──!そうか、そうしなさい。きっとあの子も喜ぶ……」 もみじの言葉に、祖父の目が驚きに見開かれ、そして懐かしそうに、だが少し悲しそうに細められた。 祖母は、そんな祖父ともみじを見た後、仏壇に顔を向ける。 「──血は争えないわね……。大変だと思うけど……、頑張るのよ。助けが必要だったらいつでも連絡をちょうだい」 「うん、おばあちゃん」 もみじも祖母に倣い、仏壇に顔を向ける。 「──そうだ、お母さんにお線香をあげなくちゃ……!挨拶が遅いって怒られちゃいそうだわ」 苦笑いを浮かべつつ、
last update最終更新日 : 2026-03-10
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